goo blog サービス終了のお知らせ 

俳句雑記帳

俳句についてのあれこれ。特に現代俳句の鑑賞。

台風と野分(のわき)

2009年08月15日 | 俳句
 日本では、古くは野の草を吹いて分けるところから、野分(のわき、のわけ)といい、『枕草子』などにその表現を見ることが出来る。その後、明治時代頃から颶風(ぐふう)と呼ばれるようになった。現在の台風という名は、1956年の同音の漢字による書きかえの制定にともなって、颱風と書かれていたのが台風と書かれるようになったものである。昔からあった自然現象の呼称が変ったということであるが、言葉の響きとしては同じものとは思えない感じがある。現在の台風(たいふう、颱風)は、太平洋や南シナ海(赤道以北、東経180度以西100度以東)で発生する熱帯低気圧で、最大風速(10分間平均)が34ノット (17.2m/s)以上のものを指す。歳時記には「野分」と「台風」は別項目で揚げられているが、現在の日常語では野分は使われないと言える。現実問題として、これは野分、これは台風、とは分けられないと思うが微妙に違う感じは残る。

    泳ぐともあゆむとも山椒魚進む  松尾隆信(まつお・たかのぶ)

 句集『松の花』より。著者は俳誌「松の花」主宰。
 オオサンショウウオのことである。天然記念物として知られるが両生類の中で最も大きな生き物である。日本と中国、アメリカの一部にしか生息していないという。3000万年前から進化が止まっているので「生きた化石」とも言われる。この山椒魚、実は脚が4本ある。胴体が大きいので見えにくいが脚で移動することが多いようである。作者の目から見れば泳いでいるようでもあり歩いているようでもある。ウオと言うのだから泳いでほしいという気持がどこかにあるだろう。「あゆむとも泳ぐともなく」ではなく、語順が逆になっているのはそういう気持の表れだと思われる。山椒魚を見たときの実感がよく出ている。(勢力海平)

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)

2009年08月14日 | 俳句
 梵語のmanjusakaから来ている。天上に咲く花という意味のようだが、本来は白い花であるようだ。現在の主流は赤い花で、白い花は突然変異とも言われる。田の畦や墓場に多く見られる。全草に毒性があるので鼠やモグラを寄せ付けないためと言われる。また土葬の人体が他の小動物によって掘り返されるのを防いだという。中国か朝鮮から土と共に入ってきた帰化植物である。彼岸花、死人花、捨子花、など別名が多いが、方言を含めて千を超える呼称があるという。稲の稔るころ、秋田へ行ったことがあるが曼珠沙華は見当たらなかった。後で秋田の俳人に聞いたことだが、秋田では曼珠沙華を見たことがないと言う。どうやら北限があるらしいのである。

    つきぬけて天上の紺曼珠沙華  山口誓子(やまぐち・せいし)

    案内の出たらめききつ寺紅葉  筒井盧佛(つつい・ろぶつ)

 バスガイドが東大寺を案内しているのであろう。一生懸命に説明しているのだが住職である作者にとっては出鱈目に聞こえるのである。俗説が混じっているのかもしれない。それは違うよ、と言いたいところだが作者も慣れてしまっているのであろう。「ききつ」は「聞きつつ」の意味だが、俳句は短いから許されるという説もあったように思う。文法が確立している現在では許されないであろう。ガイドの説明は出鱈目であってもやはり東大寺の紅葉は美しいのである。(勢力海平)

安居(あんご)

2009年08月13日 | 俳句
 安居とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したものである。本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事である。後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。仏教用語であるが、俳人は吟行で寺を訪ねることも多いのでかなり関心は高いようである。修行僧が一定期間、一箇所にこもって修行すること。現在では時期はまちまちで、冬安居、雪安居などもある。

    挨拶はなもしなもしの解夏の僧  筒井盧佛(つつい・ろぶつ)

 陰暦7月15日に安居を解くことを解夏(げげ)と言う。もう秋である。安居でこもる僧は各地からやってくるわけだが、安居が解かれて解放された気分になるのであろう。お国言葉が飛び出すのである。「なもし」は伊予弁。漱石の「坊っちゃん」にも出てくる。「ぞな、もし」「な、もし」など語尾表現が多い。もちろん僧たちの言葉はまちまちであろうが、この句では「なもし」で代表させている。修行の成果はそれぞれの寺に帰ってから徐々に発揮されることであろう。東大寺の内部にいる作者は安居の様子を内側から見ることができるのである。東大寺管長まで務めた作者は、修二会の句などでも外部から見る一般の俳人とは違って、内側から見た句があって面白い。(勢力海平)

添削(てんさく)

2009年08月11日 | 俳句
 俳句の添削を受けることは上達の早道であることは間違いない。私は幾人もの俳人の句を添削してきたが、それぞれに上達して行ったことは確かである。添削にはいくつかの問題がある。まず第一は、どうしても添削のしようのない句があること。それは表現が下手とかいう問題ではない。添削したくなるタネがないのである。ものの見方とか捉え方ができていない句。つまり、常識から一歩も出ていない句は添削が困難である。誰でもそこから出発するではないかと思うかもしれないが、それは出発点でまともな指導を受けていないからである。初めて句を作るときの指導者は極めて重要である。俳句に少しでも慣れてしまってからでは修正に非常な時間がかかってしまう。
 もう一つの問題は、添削された句は本人が納得すれば自分の句として発表して良いわけだが、これに納得しない人がいることがある。「そうはおっしゃいますが…」というわけである。添削された句がいけないと言っているのではない。自分の元の句のほうが好きだと言うのである。こういう人も上達は難しいだろうと思う。自分の殻に閉じこもって、句の良し悪しが見えないのだ。俳句は素直であることが最も重要だと私は考えている。素直に詠む、他人の意見を素直に聞く、自分に対して素直になれる。これを貫ける人は必ず上達する。傲慢は俳句の敵である。
 もちろん、添削者の質の問題もある。古くからやっている俳人は必ずしも現代の感覚についていけるとは思わないが、それは俳句の技量とは別問題である。

    紅葉よりをどり出でたる月黄なり  筒井廬佛(つつい・ろぶつ)

 句集『東大寺』(天満書房刊)より。著者は元東大寺長老。1872-1973
 月の出の頃になると紅葉は黒く見えるが紅葉であることはわかっている。初めのうちは紅葉に隠れて月は見えないのである。ところが紅葉を抜け出すと、それはまるで踊り出たようであると言うのだ。出始めの月は赤っぽく見えることが多いものだが、これは「黄なり」と断定している。紅葉の木の高さもおのずから覗える。大正時代の前半にこんな句があったのである。(勢力海平 k-s@vmail.plala.or.jp)

原子爆弾

2009年08月06日 | 俳句
 原子爆弾は核分裂の連鎖反応によって瞬間的に大量のエネルギーを放出する爆弾。ウラン235とプルトニウム239を原料とするものがある。1キログラムのウラン235が爆発して放出するエネルギーはTNT火薬2万トンにほぼ匹敵すると言われる。「質量はエネルギーである」という物理法則を現実化したと言えるが、科学の進歩が犯した最悪の犯罪である。ウランを用いた原爆は1945年8月6日広島に、プルトニウムを用いたものが8月9日長崎にアメリカ軍によって投下され大被害をもたらした。
 ウラン原爆による広島の攻撃で激甚な被害が実証されたのに、さらにプルトニウムによる原爆を長崎に投下したのは、アメリカ軍による実験の意味が強いであろう。人体実験による核実験を行なったのと同じことである。
 現在の子供たちの中には日本とアメリカが戦争したことさえ知らない者がいるという。アメリカが原爆を落したことも知らない子供たちもいるだろう。子供たちというより若い大人たちもそうではなかろうか。
 原子爆弾は憎むべき悪である。戦争の武器として各国が使えば地球は破滅するであろう。それがわかっているから、どの国も使わないという奇妙なバランスの上に地球は存在しているのだが、どこかのアホがうっかりボタンを押してしまえば報復合戦が起こって地球は滅亡する。日本のように核爆弾を持たない国は他の国の核爆弾に守ってもらうことになる。核の傘と言うが果たしてこれに意味があるだのろうか。どこかが核爆弾を使えば地球は消滅する。守るも守られるもない。
 世界で初めて原爆を使った国の大統領が、いま核廃絶を叫んでいる。奇妙で危険な核のバランスなど、ありえないことなのだ。

   八月の六日九日十五日  作者不詳

 作者は確か90代の女性だったと思うが名前を忘れてしまった。しかし、これほど確かな反戦の句はないだろう。ただ日にちを並べただけのようでありながら、その一日一日が重い意味を持っている。この一句によって原爆の苦しみや悲劇、戦争の悲劇あるいは戦後の混乱などすべてが脳裡をよぎる。目の前に提示された事実のみによって我々は記憶を新たにするのである。小さな俳句がこれほど大きな力を持つかということを改めて感じさせてくれる。(勢力海平)

土用(どよう)

2009年08月05日 | 俳句
 土用は夏の季語になっているが、土用そのものは四季にわたってある。中国からの伝来なので理屈は難しいが土用そのものは簡単にわかる。二十四節気の中の立春・立夏・立秋・立冬の前の各18日間を土用という。夏の土用は7月20日頃から立秋までの18日間で、夏のもっとも暑い時期にあたる。土用に入ってから三日目を土用三郎と擬人化して、この日の天候によってその年の耕作の吉凶を占う俗習もあったという。

   砂の城砂に戻して土用波  高山 檀(たかやま・まゆみ)

 土用の頃の波を土用波という。台風に伴って発生したうねりが伝わって海岸に打ち寄せてくる大波である。子供が砂浜で砂遊びをしている。砂山を作ったり城を作ったりして遊んでいるうちに遊びに飽きて引きあげてくる。子供たちは氷菓でも食べているのであろう。折からの満ち潮である。土用波が打ち寄せて砂山や城を壊してゆく。それを「砂に戻して」と捉えた。波が引けば残るのは砂だけである。遊びの痕跡も何もかも消えてしまう。水平線上には雲の峰が座っているであろうか。人の居ない砂浜にある種の寂寥感が漂う。
(勢力海平)

梅雨明け

2009年08月04日 | 俳句
 今年の近畿地方の梅雨明けは8月3日であった。例年よりも2週間も遅く、観測史上初めてという。梅雨(ばいう、つゆ)とは、北海道と小笠原諸島を除く日本、朝鮮半島南部、中国の華南や華中の沿海部、および台湾など、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象で、毎年めぐって来る雨の多い期間のこと。この雨を五月雨(さみだれ)という。この頃の暗い闇を五月闇(さつきやみ)と言うが、厚い雲に覆われることが多いので昼間でも暗く感じられる。五月闇は昼にも夜にも使われる。

   白南風や塩田跡の野球場  高山 檀(たかやま・まゆみ)

 夏に吹く季節風を南風(なんぷう、みなみ、はえ)というが、梅雨明けや明るい晴れ間に吹くものを白南風(しろはえ、しらはえ)と呼ぶ。海水から塩をつくるために海岸に作られた砂田が塩田である。瀬戸内海などの沿岸に多く見られたが、イオン交換法の発達により廃れて現在は全く見られないという。塩田跡は広いから野球場を作るにはもってこいと言える。どこの野球場かはわからないが、作者は野球場だけを眺めているわけではない。時節柄、高校野球の練習でもしているのであろう。作者はそういう情景を見ながら、野球場だけに焦点を絞り込んでいる。塩田は青春の汗の場となっているのだ。歴史の移り変りをしみじみと感じているのである。赤穂藩は塩で知られているが、忠臣蔵の一場面が脳裏をよぎったりもするのであろう。白南風が全体の情景を包み込んで心地良い句となった。(勢力海平)

コンビニ

2009年08月03日 | 俳句
 コンビニという言葉ももはや市民権を得たようである。こういう略語は日本人の得意とするところで、スーパーやリハビリなど無数にあると言える。以前は俳句でリハビリなどと使うと正しくはリハビリテーションと言うべきだと注意されたものだが、今はそんなことを言う人はいなくなった。戦後間もなくのスーパーと言えばラジオの用語で五球スーパーなどと言った。スーパーヘテロダインの略である。現在ではスーパーと言えばスーパーマーケットを指す。百貨店をデパートと言うのも略語であるが、コンビニエンスストアをコンビニと略すのは日本独特のやり方と言える。

   押す力そのまま戻り箱眼鏡  高山 檀(たかやま・まゆみ)

 句集『雲の峰』より。
 箱眼鏡は磯の漁師の必需品であるが、このごろは子供たちの海底観察の道具としても使われるようである。ペットボトルや牛乳パックの上下を切り落として、そこに透明なビニールを貼り付けて水漏れを無くすれば箱眼鏡ができあがる。漁師の使うものは頑丈な木製の箱にガラスをはめ込んだものであるが、この句の箱眼鏡は遊び用の簡単なものであろう。それでも箱眼鏡の特質は変らない。箱眼鏡は海に浮かべて使うものではない。波の影響を避けるために少し押し鎮めて安定させる。透明ガラスから海底を見ながら獲物を探すのが漁師である。箱眼鏡を少し沈めるために押す力は、浮力でそのまま跳ね返ってくる。「そのまま戻る」とは素直な把握である。昔は漁師の生活と密着したような句が多かったように思うが、現在では箱眼鏡は漁師から独立したのである。(勢力海平)