7月6日(土)・7日(日)に岩手県の花巻温泉に宿泊し遠野・釜石・大槌・山田町へ行って来ました。
コースは花巻温泉・・・・・みやもり道の駅(めがね橋)・・・・・千葉家・・・・・釜石市・・・・鵜住居地区防災センター・・・・・大槌町役場・・・・・・道の駅やまだ・・
山田町がれき集積所・・・・・遠野風の丘・・・・・JR新花巻駅
6日は15時30分に「ホテル紅葉館」に到着。このホテルは偶然に、昨年「平泉」を探索し宿泊したホテルでした。昨年行けなかった「バラ園」を見学。
7日は8時50分にホテルを出発。
ホテル「紅葉館」 花巻観光バス
旅行メンバー
最初の休憩地道の駅「みやもり」・・・清流とわさびの里
岩手県の内陸部と沿岸部分を結ぶ国道283号線の中間で旧宮守村の中心に位置しています。根わさびは豊富な湧水を流用して栽培されており東北
一の生産高です。
道の駅からは村のシンボルとなっている「めがね橋」を見ることができる。JR釜石線の橋梁でレトロな雰囲気がただよいます。
このツアーは復興のため買物も目的の一つです。
道の駅「みやもり」 買物
めがね橋(汽車が走っていれば最高)
遠野市 千葉家住宅
江戸時代の南部地方特有の母屋(住居)と馬屋を平面L字形に連結した農家建築『曲り家』を代表する建物として知られているのが
千葉住宅です。斜面地に築かれた石垣上の平地にある大型の住居。25名の人と20頭の馬がこの一軒の家で生活していました。(添乗員)
千葉家住宅
遠野市は釜石市・陸前高田市・大槌町・山田町・大船渡市とが半径50キロ以内で車で1時間、ヘリコプターで15分と至近距離でしたので支援物資を
運搬するのには重要な位置で、積極的に協力をしたとの事でした。(添乗員)
釜石駅前
釜石駅前 津波で駅前の車は水没になった。製鉄所のラガーマンが飛び込んで救助活動(語部から)
釜石復興の鐘
釜石市の有志による釜石復興の風プロジェクトが鐘の制作を目的にうちわ1万本を一本300円で全国に販売しその益金を元に制作設置されました。
釜石市は近代製鉄業発祥の地。150周年を記念のモニュメント。中央に配したて鉄鉱石を跨ぐアーチの上部には実際の高炉より移された炎が灯る
(語部から)
釜石駅前の「モノづくりの火」モニュメント
新日鉄住金釜石製鉄所(富士製鉄釜石・・・・新日鉄釜石…・新日鉄住金釜石)時代の流れ
昔は富士製鉄釜石と言われ、野球は夏に行われる「都市対抗野球」の常連で1959年には準優勝。姉が富士製鉄に勤務していたので応援に行ってた
事を思いだしました。ラグビーも日本選手権7連覇(1978年~1984年)を達成し釜石の名を全国に轟かせました。
小・中学生292名が津波から逃げられ99.8%の生存率は「釜石の奇跡」と言われ大きく報道されました。(語部から)
指定避難所にも津波で50人超が」犠牲した鵜住居地
鵜住居地区防災センター (平成20年完成) 1階中央に祭壇(献花台)が設けられている
近くの鵜住居川の堤防が海から逆流した津波で決壊、鉄筋コンクリート造り2階建ての建物を襲った。(語部から)
前方に小学校・中学校があったが跡かたもない
防災センターの前。住宅の基礎だけが残っている。何時になったら建物ができるのかな?
大槌町役場
大槌町役場 玄関前には祭壇(献花台)が設けられている 津波による時間が止まっている
大槌役場では町長を含め33人が死者・行方不明となった。津波の来襲時は役場にて町長以下役60人の職員が対策本部を設置すべく準備していた。
津波接近の報を受け、屋上に駆け上がろうとしたが、全員が避難する前に津波に襲われた。津波は屋上には達しなかった。(語部からの話)
静かな大槌湾
道の駅「やまだ」
昼食・買物 わかめラーメンが美味しかった。
道の駅 風の丘
JR新花巻駅 郷土芸能 鹿踊
17:31の電車で帰路へ
追加 菊地家の実家・・・福島県相馬市尾浜・・・・の様子 平成22年8月撮影
民宿「さざなみ荘」を経営していたが、最初の津波で家は壊滅。叔父だけが死亡、遺体はすぐに見つかったとの事。
い
多分ここが実家か?
尾浜海水浴場 原釜海水浴場との間のレストラン
松川浦…・海苔の養殖が盛ん。
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