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大した人生ではないけれど,それでも読み返せば思い出されるあのときのこと。消えないように,そして生きた証になるように

2023年冬 九州の旅 島原 雲仙普賢岳 有明フェリー さよなら九州

2024-05-12 00:17:51 | 2023年冬 九州の旅
2024年1月7日

簡易バーキング鈴田峠の朝。






冬の時期もあってか他に車中泊する車もなく、駐車場利用者も僅かで静かな夜だった。

少し前にYahooニュースに「キャンプブーム終焉か」と言う見出しで記事が載ってた。
大手アウトドアメーカーの純利益99.9% 減から来たもので、
コロナ禍が明けて普通のレジャーが楽しめるようになったのが理由らしく、リサイクルショップにはキャンプ用品が結構出ているとあった。

キャンプ場は少し空くのかもしれないけど、宿代が掛からないことを知った人たちは止めないだろうし、
元々が高齢者層が多く、ますます高齢化社会になるので満車状態が続きそうな気がする。







朝飯はいつものランチパックのタマゴ。
パンってどれもカロリー高め。
簡単に食べれるからパンは良いけどオッサンになったらカロリーと塩分と糖分は控えめが良いです。
ということで菓子パンの中では少ない方だったので定番になりました。








とら母(嫁)が朝の散歩の時に下に線路が見えたらしい。
歯磨きを終え見に行くことにした。










ネットで時刻表をチェックし、最寄駅の発着を確認する。
もう少しで通過するみたいだった。








どっちから来るかわかるかなあ?
音で分かるやろ。
なんて会話してたらやってきた。
モダンな色合いの列車だった。








今日で九州の旅も終わる。
行けなかったとこもあるけど、福岡、佐賀、長崎をまわり、いろんなところを見て回れた。
続きは熊本からなんて思っていたけど、一つ大切なところを忘れていたことに気付いた。



「雲仙」
この名前を聞いて噴火のことを思い出す人もいるんではないだろうか。
「平成の大噴火」と言われ1990年11月から1995年2月まで続き、「火砕流」と言う言葉もこの噴火で知った。


噴火のあと、まだあちこちが通行止めされてた頃、バイクで九州一周中だった私は雲仙も訪れた。
その時、記念にと火砕流のカケラを持って帰ってきた。

カケラは飾ることもなく袋に入れて机の中に仕舞い込んでいた。
忘れた頃に袋を見つけ中身がカケラだと分かるたびに何とも言えない気持ちになった。

災害現場から興味本位で持ち帰ったものは、何の記念にもならず、後悔だけが残った。
そして何年かして返す事を決め2回目の雲仙となった。

今回、娘に噴火があったことについて知ってもらおうと思った。
だけど今夕の九州を発つフェリーの事を考えると雲仙に立ち寄るには厳しい。
せめて雲仙岳の頂だけでも見せてあげれればと思い麓を目指して車を走らせた。








遠くに雲仙岳が見えてきた。







出来るだけ雲仙岳の近くまで行きたくて何かいい方法がないか考えながら走った。
ふと島原から熊本に行くフェリーがあるのを思い出した。
熊本へショートカットできたら長崎を走る分を短くできる。
すぐにとら母(嫁)にダイヤを調べてもらった。

被害が大きかった「島原」の文字が出てきた。











フェリーは1時間おきに出ていた。
時計は11時13分を示している。
12時40分のに乗れそうな感じだった。


11時19分「多比良港入り口」交差点。
ここを左折したら乗り場がある。

乗り場の様子を見にとりあえず左折した。










小さな乗り場なのでターミナルによらずに直接ゲートで料金を払って乗船するみたいだった。
駐車場には数台の車が停まっていたけど、乗船待ちかどうか分からない。
車を停めてゲートの人に様子を聞きに行った。

「いまなら11時40分に乗れますよ。30分までに来てください」
そんなようなことを言われた。

あと10分くらい時間があったので慌てて雲仙岳が見える所まで行って写真を撮ることにした。

時間が無かったので数百メートルほど走ったところに車を停めた。












いつかまたゆっくり来れたらと思ったけど、私の人生の残り時間を考えたらこれが最後かもしれない。
あとは娘がいつか今回の事を思って訪ねてくれるかもしれない。







慌ててフェリー乗り場へ戻った。







乗船時間は45分ほど。









何とか一本早い便に乗ることができた。









車に乗ってても良かったけど客室へ行くことにした。
小さなフェリーにありがちな座席が並んだ客室。









甲板に出てみたら沢山のカモメが飛んでいて娘もびっくりしていた。
今まで大きなフェリーばかりだったのでこんなに身近にカモメが飛んでいるのを見るのが初めてだった。







売店でカモメ用のパンが売っていて他の人はそれを買ってカモメに向かって投げていた。
カモメはそれを上手にキャッチする。
私は甲板に落ちていたパンの切れ端を拾って、娘に手のひらに載せて与えるのを見せてあげた。

最初は怖がったけど、うまく上げることができて喜んでくれた。







なかなかできない事でこれだけでも思い出になったと思う。








雲仙岳が小さくなっていく。
さよなら長崎。








フェリー乗り場はこの地図の一番上の方。
島原市は右の海沿いになる。
今では道の駅ができたり、資料館があったりして復興を遂げている。







45分はあっという間だった。







思わずナビを見る。
熊本に辿り着いた。








12時25分。熊本上陸。









時間がないのでフェリー乗り場の前のコンビニで昼ご飯を買って走りながら食べた。








南関インターから九州縦貫道で一路、新門司港を目指す。







15時過ぎ、無事新門司港に到着した。
本日の走行距離:192.9Km







車両甲板に車を停めるのに一番最初か一番最後の乗船が都合がいい。
この船にはペットルームが無く、車内で過ごさせないといけない。
輪太郎(犬)がいるので最後の乗船にした。









娘も楽しんでくれただろうか。
私は娘の笑顔で十分楽しませてもらえた。







寅次郎(先代の犬)は私たちにいつも寄り添ってくれた。
黙って一人(一匹)で居て、気付けば隣に来て足元に寄り添って寝ていた。

輪太郎は甘えん坊だけど気ままな性格で、本能のままに生きて自由にやっている。
気ままな所はとら母(嫁)によく似ているとよく思う。
娘は周りを気にして慎重な所があって、そこは寅次郎と似ている。










最後の乗船だったので車は一番端っこになった。
車両甲板って沢山荷物を持った人が狭い間を縫って客室へ行き来するのでボディに擦り傷が付くってことが無い事もない。
これが一番最初か一番最後の乗船が都合がいい理由。









さよなら九州。
さよなら福岡、佐賀、長崎。









また今年の冬に来ます。








夕方乗って明け方着くので乗船したら船内でトランプしたり・・・









晩御飯を食べたり・・・・あとはお風呂に入るくらい。








そして明け方、5時54分。大阪南港到着。







陽が上る前の大阪市内の街並み。










朝7時過ぎ。
九州でよく行ったスーパートライアルが家の近所にもあったので、名残を惜しんで朝ごはんの買い出しをしたりして、
朝8時前、無事家に辿り着きました。

本日の走行距離:30.6Km


総走行距離:1002.2Km

引用 Googleマップ


なかなか更新が進まず、すみませんでした。
このあと近場を旅したり、GWに富山に行ったりしましたがひとまず九州の旅日記は終わりにして
日々のガレージワークの事を書いて行こうかと思います。
お付き合いくださりありがとうございました。






コメント (10)
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