okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

9月13日

2014-09-13 12:44:28 | 日記
  9月13日
 曇。朝6時の屋外の気温は25℃であり、涼しい朝であった。NHKの朝ドラの花子とアアンを視聴したら、今日のドラマは敗戦直前の大日本帝国の国内の有様を比較的正しく表現していたと感じた。

 今日のドラマで白蓮の息子が特別休暇で親に会いきていたのは、息子が特攻隊で出撃する前に親に会いに来ていたことなのである。当時、旧制Ya県立Tu中学校の4年生であった私は、大日本帝国海軍の夜間爆撃機銀河の部品を作っていた工場に学徒動員されでいたのだが、当時、既に、数十人の同級生は大日本帝国海軍の予科練に入隊していた。

 当時、予科練に入隊すると、将来は特攻
隊員として戦場に送り出されて戦死することが国内で周知されていたが、中学生達は大日本帝国海軍が各旧制中学校毎に、予科練への応募者数の割り当てを行なっており、ノルマを達成出来なかった学校の教員が徴兵されていなくなるのだ、という噂を聞き知っていた。

 学級担任の教師は それこそ死に物狂いになって生徒に対して予科練への応募を促したものだったが、それは軍から与えられたノルマを達成することで、教師自身が徴兵されないようにするためではあるまいか、という話が生徒間で広まっていたのだった。

 終戦になり予科練から中学校に戻ってきた生徒達は、物凄く荒れていて、同盟休校の首謀者となり、同級の他の生徒達を同盟休校に巻き込み、教師達を学校の柔道場に呼び出して教師達を吊るし上げて、教師達の戦時中の行為について教師達に謝罪させたりした。

 校則では同盟休校を行なった生徒は退学処分になるとの事だったが、学校側から同盟休校後に生徒に伝えられたのは、校則によれば同盟休校に参加した者は退学処分になるのだが、今回は全員を来年3月に4年終了とし、希望者には1年間の補修科で授業を実施する、というものであった。

 旧制の中学校は、大東亜戦争中に5年制から4年制に変更されていたのだが、敗戦直後の昭和20年の秋に旧制中学校の修業年限が5年に戻されていた。しかし、Ya県立Tu中学校では同盟休校に参加した4学年の全員を4年終了扱いとして私達全員は厄介払いされたのである。

 今朝の朝ドラのシーンを見て思い出した70年前の体験談を書いてしまった。

 <b> 朝ドラで 古い記憶が よみがえり   徘(徊)人 okinatchi

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