じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

欠点だらけの人間の仕事である

2007-03-10 | 随想(essay)
 小砂丘さんの言葉をつづけよう。
 謝っても謝りきれぬ大きな罪悪を愛する子どもの上に毎日毎日皮をはがしてまでうちつけているかもしれないとは何という残酷な矛盾の多い、情けないことであろう。
 デリケートな感能に生きる子ども達に、涸れはてた荒びぬいた、僻みきった、乾涸した感情を以て大人の吾々がはたらきかけるのが教育だと考えたとき天下幾万ののびゆくものが艾除(がいじょ)されていることを思う時、何として、吾人は平気で仕事ができよう筈がない。(中略)
 自己の行為に対してあくまで責任をもち得るだけに深い生を続けて欲しい。教育精神なるものもここから生まれてこよう。(『極北』二号、1921年2月)
 欠点だらけの人間の仕事、それが教育者の実践だと小砂丘さんは言います。万全(完全)を期すことは望むべくもないけど、「期すべからざる万全を目あてに進む所に生の意義を認めるものである」ともいいます。
 教育を考えようとする人間がみずからのみにくさを自分にかくさない、その程度には美しくありたいと願った人間の肺腑の言だと読んでみるのです。