じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

十月二日(鵜戸)

2007-06-16 | 随想(essay)
 今日はボクチン(木賃)に泊ることができた。殊に客は私一人で、二階の六畳一室にねそべって電燈の明るさで、旅のたよりを書くことが出来た。(中略)句はだいぶ出来た。旅で出来る句は、無理に作らないのだから、平凡でもその中に嫌味が少ない。
  お経あげてお米もらうて百舌鳥ないて
  露草が露をふくんでさやけくも
  一りん咲けるは浜なでしこ
  けふもぬれて知らない道をゆく
  暗さおしよせる波がしら
  はれてはっきりつくつくぼうし

 とにもかくにも、どうしても私はこの旅で酒を揚棄しなければならない。酒はのんでものまなくてもいい境界に達しなければならない。飲んではならないと云ふ心持もよくないと思ふ。好きな酒をやめるには及ばない。酒そのものを味ふがよい。陶然として歩を運び悠然として山を観るのである。(「行乞記」)

 例によって、酒がやめられない理屈が延々と。酒精に取り憑かれた男の本性をみよ。