じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

朝一杯、昼一杯、晩一杯

2007-05-05 | 随想(essay)
 昭和五年九月二十四日
 藷焼酎のたゝりで出かけたくないのを、無理に草鞋を穿く、何というその生活だ。こんなうそをくりかえすために行乞してをるのか、行乞してゐて、この程度のうそからさへ、脱離し得ないのか。
 昼食の代わりにお豆腐をいただく、そして幾度も水をのんだ。そのおかげで、だいぶ身心が軽くなった。

 投げ与へられた一銭のひかりだ
 馬がふみにじる草は花ざかり

 朝一杯、昼一杯、晩一杯。一杯一杯また一杯で、一杯になってしまふのだらう。
                                (『行乞記』)
 山頭火の十八番は「悔恨と反省」。とにかく悔いて省み、省みて悔いる。まるで日替わりである。酒はいうにおよばず。焼酎だけは口にすまいと、それを飲みながらいうのです。また彼は水をたくさん飲んでいる。いたるところで水を飲む。なにかのまじないだったのかもしれません。