じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

ここで泊らうつくつくぼうし

2007-04-14 | 随想(essay)
 昭和五年九月十四日
 球磨川づたひに五里歩いた。水も山もうつくしかった。筧の水を何杯飲んだことだらう。一勝地で泊るつもりだったが、汽車でここまで来た。やっぱりさみしい、さみしい。(中略)
 一刻も早くアルコールとカルチモンを揚棄しなければならない。アルコールでカモフラージした私はしみじみ嫌になった。アルコールの仮面をはなれては存在しえないやうな私ならば、さっそくカルチモンを二百瓦飲め。
   呪ふべき句を三つ四つ。(前掲書)

 こう書いて、こんな句をあげる。

  蝉しぐれ死場所を探してゐるのか
  青草に寝ころぶや死を感じつつ
  けふのみちのたんぽぽ咲いた
  ここで泊らうつくつくぼうし

 時に、山頭火、三十一歳。アルコールもカルチモンも死ぬまで手放せなかった。