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京都を愛する”おいない”の最新情報・不定期便

【京 の 歳 時 記】:【最 近 の 話 題 : 出 来 事】をお知らせします

”おいない”の京都最新情報

2011年05月14日 12時51分33秒 | 【葵 祭 シリーズ】    

【葵 祭 シリーズ】        

葵祭と巡行について......... (五月十五日)

葵祭:巡行コース.JPG

京都には三大祭りと言われている祭りがあります。
春の葵祭・夏の祇園祭・秋の時代祭で、千二百余年の都としての歴史を誇る京都には、年間三百を越す祭りが市内随所であります。
三大祭りは近年になって言われ始めたことで、三百を越す祭りがあっても京都の祭りといえば、かっては平安中期の宮廷貴族の間では、「葵祭」のことでした。
葵祭の起源は飛鳥時代にまでさかのぼり、天災を天皇が祭礼を行ったところ、風雨が治まり五穀豊饒になったとされる。
欽明天皇の世に凶作が続き、賀茂神の祟りを鎮めるため、お供え物を捧げ、古の祭に習って双葉葵を飾り、馬に鈴を付けて走らせたことに始まる。
この祭、もともとは京の先住民族ともいえる賀茂氏の祭りで、現在の上賀茂神社と下鴨神社という賀茂の神社で五穀豊穣を祈願する祭りが、平安遷都(七九四)を境に国家的な祭りへとなっていきました。
さわやかな新緑匂う皐月のころ、葵の花で飾られた牛車や輿に乗った斎王代を中心にした華麗な行列が、御所を出て下鴨神社から上賀茂神社までの約八キロを巡幸するこの祭り、平安時代をそのままに都の雅、そのものを展開する一大王朝絵巻を繰り広げます。

行列:「路頭の儀」643.jpg

京都人は「今年は何処で見ようかな」と御所や鴨川堤など見物場所に気をもみながら華な平安絵巻と新緑を共に楽しめるのもこの祭りならではのこと。
祭りの主役〔斎王代〕はそもそもの始まりは平安初期、八一〇(弘仁元)年、嵯峨天皇は伊勢神宮の斎王にならって、賀茂の社にも斎王を置き、この初代斎王、有智子内親王から鎌倉時代はじめの礼子内親王(後鳥羽院皇女)まで、約四百年にわたり賀茂の斎王は続いたが、後鳥羽院と鎌倉幕府との政変、承久の変で途絶えてしまいました。
それを昭和二十八年に祭りの復活後、行列を華やかに盛り上げるため、斎王代を中心にした女人列を加えて今日に至り、斎王代は民間の未婚の女性が選ばれることになっています。ちなみに今年で五十六代目を数えます。
古くは別名 賀茂祭・北の祭とも言われ、葵祭と言われるようになったのは、江戸期の元禄七(一六九四)年に再興されたころからで、御所車、勅使、供奉の者、牛馬まですべてフタバアオイの葉で飾るところから「葵祭」の名になりました。

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”おいない”の京都最新情報

2011年05月12日 11時13分33秒 | 【葵 祭 シリーズ】    

【葵 祭 シリーズ】    

葵祭・下鴨神社:「御影祭」.jpg  葵祭・下鴨神社・御蔭祭:「東遊の舞」06’.JPG  

★葵祭の前儀となる「御蔭祭」は五月十二日、葵祭に先立ち、御蔭神社から御神霊を下鴨神社に移す重要な祭礼が行われる。新緑の森を進む神馬、その背中で揺れ動く錦蓋(きんがい)・・・。葵祭りに先駆けて神霊を下鴨神社に迎える重要な神事だけに、神々しい風景です。
早朝、祭官、供奉者約百五十人が下鴨神社を出て、比叡山の八瀬御蔭神社に向かいます。左京区・八瀬の御蔭神社は下鴨神社の摂社で、江戸後期の天保六(一八三五)年に現在の御蔭山中腹に移された。
境内に東西二つの本殿が並び建ち、玉依姫命(たまよりひめのみこと)と賀茂建角身命(かものたてつぬみのみこと)を祀る。
八瀬御蔭神社では、入り口を従者が固めつつ、社殿内で神移しが行われます。その様子は見学も拝むこともできない、神聖な儀。
御蔭神社での神事の後、狩衣や烏帽子姿の約百五十名の行列が、荒御魂(あらみたま)を、白馬に迎えられてから氏子町内をめぐり、糺の森の新緑のトンネルを練り歩く。
下鴨神社の境内に到着後、雅楽の演奏に合わせて行列し、「切芝」と呼ばれる場所で、白馬を前に舞人六人が雅やかな舞「東遊の舞」を奉納して優雅な神事を行う。京都では、葵祭と御蔭祭でしかやらない貴重な歌舞。
この巡行は国内で最古の神幸列と伝えられる。

葵祭・下鴨神社・御蔭祭:舞殿「東遊の舞」.JPG 

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但し今年は雨のため11年振りに屋外の行事は全て中止になった。


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2010年05月15日 10時29分36秒 | 【葵 祭 シリーズ】    
【葵 祭 シリーズ】

平安の世にいざなう典麗優雅な葵祭の見どころは、平安貴族の衣装に身を包んだ人々が巡行する「路頭の儀」で、行列(路頭の儀)は総勢五百余名、勅使をはじめ倹非違使、内蔵使、山城使、馬三十六頭、牛四頭、牛車二基、風流傘、斉王など、平安貴族そのままの姿で約一?にも及び優雅な行列は全長八?の市内を練り歩き、御所を出発して下鴨神社で「社頭の儀」を終え、賀茂街道を北上して上賀茂神社での「社頭の儀」が終了するのは夕暮れになります。

【本 列・第 一 列】 
検非違使・・都の治安維持にあたった検非違使庁の役人。現在の警察官と裁判官を兼ねていました。
山城使・・・中央から山城国の地方行政を任された国司庁の次官(山城介)で、五位の文官。
【本 列・第 二 列】
御幣櫃・・・宮中から賀茂両社へ納める御幣物(お供え)を入れた唐櫃のこと。 白丁が担いで運びます。
馬寮使・・・走馬(御馬ともいう)の担当者である左馬寮の第三番目の役(左馬充)。六位の武官。
牛 車・・・勅使用の牛車で、一般に御所車という。現在は勅使が乗らず、行列の華として参加。軒を藤の花などで飾った壮麗な車です。


【本 列・第 三 列】
舞 人・・・神事などで奏される歌舞「東遊」を舞う、近衛府(内裏の警護などにあたった役所)の五位の武官。
勅 使・・・天皇の使いで、行列中最高位。四位近衛中将が任にあたったため、近衛使とも呼びます。現在は勅使は行列には加わらず、近衛使代が役を務めます。
【本 列・第 四 列】
陪 従・・・楽人装束を身にまとった近衛府の五位の武官。賀茂両社の社頭で歌をうたい、雅楽を奏します。
内蔵使・・・皇室の経済などを司った内蔵寮の次官で、五位の文武兼官。勅使が奏上するお祭文を棒持しています。
【斎 王 代 列】
斎王代・・・葵祭のヒロイン。衣装は十二単衣で、頭に金属製の飾り物・心葉を着用。行列では、四方が開いた腰輿に乗って巡行します。
女 人・・・一般女官にあたる命婦、食事を司る女嬬、斎王付きの巫女である駒女と、「女房車」と呼ばれる斎王の牛車などで構成される。



【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】



北区・上賀茂地域では、葵祭の日に無病息災を願う「上賀茂やすらい祭」が行われる。
サクラの花びらが散る頃に疫神も舞って疫病を撒き散らすと信じられていた。
その疫神を安らかに鎮めるお祭で、どうぞ桜も安らかに舞い散ってほしいという願をこめて、鐘や太鼓を打ち鳴らしながら鬼や花笠が町内を練り歩きます。
流行した疫病を鎮める「鎮花祭」として平安時代に始まった「やすらい祭」は、北区の四カ所に伝わる。(玄武神社や今宮神社のやすらい祭は、四月に行われる)。
祭の行列は住民で構成し、ショウブやヤマブキの造花を飾った赤い花笠を先頭に、稚児と鬼、小中学生の笛方が続き、随所で「いんやすらいや花や今年の花はよう咲いた花や」の掛け声に合わせ、シャグマと呼ばれる鬼が太鼓や鉦を打ち鳴らし、髪を振り乱して踊り、町内の民家で「門ばらい」をして住人の健康を祈った。


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”おいない”の京都最新情報

2010年05月14日 12時10分33秒 | 【葵 祭 シリーズ】    
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

★一二〇四年、法然上人が執り行った後白河法皇十三回忌法要を再現した「浄土如法経(にょほうきょう)法要」が十三日、下京区富小路通六条上ル、法皇ゆかりの寺院「長講堂」で営まれた。絵巻「法然上人行状絵図(国宝)」に描かれた法要の場面をもとに、僧衣や声明も当時のままに催された。
来年の法然上人八〇〇年大遠忌に合わせ計画。長講堂は法皇が晩年を過ごした元六条御所の持仏堂。安置される阿弥陀三尊の前で亡くなったとされ、毎年法事を営んでいる。関係者ら約二〇〇人が古式ゆかしい行事を見守った。
三尊の前に法然上人と後白河法皇の御影を掲げ、稲葉住職を導師に僧七人が絵図の通り墨染めの衣で入場。上人が使ったとされる魚山声明の旋律を借り、西山浄土宗の経を組み入れた文句を唱えると荘厳な雰囲気に包まれた。また、弓の儀式や舞楽が披露され、後白河法皇木像の特別開帳も行われた。

【葵 祭 シリーズ】        

葵祭と巡行について……… (五月十五日)
京都には三大祭りと言われている祭りがあります。
春の葵祭・夏の祇園祭・秋の時代祭で、千二百余年の都としての歴史を誇る京都には、年間三百を越す祭りが市内随所であります。
三大祭りは近年になって言われ始めたことで、三百を越す祭りがあっても京都の祭りといえば、かっては平安中期の宮廷貴族の間では、「葵祭」のことでした。
葵祭の起源は飛鳥時代にまでさかのぼり、天災を天皇が祭礼を行ったところ、風雨が治まり五穀豊饒になったとされる。
欽明天皇の世に凶作が続き、賀茂神の祟りを鎮めるため、お供え物を捧げ、古の祭に習って双葉葵を飾り、馬に鈴を付けて走らせたことに始まる。
この祭、もともとは京の先住民族ともいえる賀茂氏の祭りで、現在の上賀茂神社と下鴨神社という賀茂の神社で五穀豊穣を祈願する祭りが、平安遷都(七九四)を境に国家的な祭りへとなっていきました。
さわやかな新緑匂う皐月のころ、葵の花で飾られた牛車や輿に乗った斎王代を中心にした華麗な行列が、御所を出て下鴨神社から上賀茂神社までの約八㌔を巡幸するこの祭り、平安時代をそのままに都の雅、そのものを展開する一大王朝絵巻を繰り広げます。
京都人は「今年は何処で見ようかな」と御所や鴨川堤など見物場所に気をもみながら華な平安絵巻と新緑を共に楽しめるのもこの祭りならではのこと。
祭りの主役〔斎王代〕はそもそもの始まりは平安初期、八一〇(弘仁元)年、嵯峨天皇は伊勢神宮の斎王にならって、賀茂の社にも斎王を置き、この初代斎王、有智子内親王から鎌倉時代はじめの礼子内親王(後鳥羽院皇女)まで、約四百年にわたり賀茂の斎王は続いたが、後鳥羽院と鎌倉幕府との政変、承久の変で途絶えてしまいました。
それを昭和二十八年に祭りの復活後、行列を華やかに盛り上げるため、斎王代を中心にした女人列を加えて今日に至り、斎王代は民間の未婚の女性が選ばれることになっています。
ちなみに今年で五十五代目を数えます。(今年は六波羅蜜寺のお嬢さん) 
古くは別名 賀茂祭・北の祭とも言われ、葵祭と言われるようになったのは、江戸期の元禄七(一六九四)年に再興されたころからで、御所車、勅使、供奉の者、牛馬まですべてフタバアオイの葉で飾るところから「葵祭」の名になりました。

今日のブログ記事の関連参考画像は下記URLより
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2009年05月15日 12時45分16秒 | 【葵 祭 シリーズ】    
【葵 祭 シリーズ】    

★平安の世にいざなう典麗優雅な葵祭の見どころは、平安貴族の衣装に身を包んだ人々が巡行する「路頭の儀」で、行列(路頭の儀)は総勢五百余名、勅使をはじめ倹非違使、内蔵使、山城使、馬三十六頭、牛四頭、牛車二基、風流傘、斉王など、平安貴族そのままの姿で約一キロにも及び優雅な行列は全長八㌔の市内を練り歩き、御所を出発して下鴨神社で「社頭の儀」を終え、賀茂街道を北上して上賀茂神社での「社頭の儀」が終了するのは夕暮れになります。

【本 列・第 一 列】 

検非違使・・・都の治安維持にあたった検非違使庁の役人。現在の警察官と裁判官を兼ねていました。
山城使・・・中央から山城国の地方行政を任された国司庁の次官(山城介)で、五位の文官。

【本 列・第 二 列】

御幣櫃・・・宮中から賀茂両社へ納める御幣物(お供え)を入れた唐櫃のこと。白丁が担いで運びます。

馬寮使・・・走馬(御馬ともいう)の担当者である左馬寮の第三番目の役(左馬充)。六位の武官。

牛 車・・・勅使用の牛車で、一般に御所車という。現在は勅使が乗らず、行列の華として参加。軒を藤の花などで飾った壮麗な車です。

【本 列・第 三 列】

舞 人・・・神事などで奏される歌舞「東遊」を舞う、近衛府(内裏の警護などにあたった役所)の五位の武官。

勅 使・・・天皇の使いで、行列中最高位。四位近衛中将が任にあたったため、近衛使とも呼びます。現在は勅使は行列には加わらず、近衛使代が役を務めます。

【本 列・第 四 列】

陪 従・・・楽人装束を身にまとった近衛府の五位の武官。賀茂両社の社頭で歌をおたい、雅楽を奏します。

内蔵使・・・皇室の経済などを司った内蔵寮の次官で、五位の文武兼官。勅使が奏上するお祭文を棒持しています。

【斎 王 代 列】

斎王代・・・葵祭のヒロイン。衣装は十二単衣で、頭に金属製の飾り物・心葉を着用。行列では、四方が開いた腰輿に乗って巡行します。

女 人・・・一般女官にあたる命婦、食事を司る女嬬、斎王付きの巫女である駒女と、「女房車」と呼ばれる斎王の牛車などで構成される。

【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

★北区・上賀茂地域では、葵祭の日に無病息災を願う「上賀茂やすらい祭」が行われる。
サクラの花びらが散る頃に疫神も舞って疫病を撒き散らすと信じられていた。
その疫神を安らかに鎮めるお祭で、どうぞ桜も安らかに舞い散ってほしいという願をこめて、鐘や太鼓を打ち鳴らしながら鬼や花笠が町内を練り歩きます。
流行した疫病を鎮める「鎮花祭」として平安時代に始まった「やすらい祭」は、北区の四カ所に伝わる。(玄武神社や今宮神社のやすらい祭は、四月に行われる)。
祭の行列は住民で構成し、ショウブやヤマブキの造花を飾った赤い花笠を先頭に、稚児と鬼、小中学生の笛方が続き、随所で「いんやすらいや花や今年の花はよう咲いた花や」の掛け声に合わせ、シャグマと呼ばれる鬼が太鼓や鉦を打ち鳴らし、髪を振り乱して踊り、町内の民家で「門ばらい」をして住人の健康を祈った。

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