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【京 の 歳 時 記】:【最 近 の 話 題 : 出 来 事】をお知らせします

おいないの京都最新情報

2009年05月31日 18時34分10秒 | 【最 近 の 話 題 : 出 来 事】
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

★初夏の宵の風物詩、夕闇が迫るころ、かがり火に優美な舞が映える幽玄の世界を彩る伝統芸能、恒例「京都薪能」は全国でも最も古い薪能の一つ、平安初期の八六九(貞観十一)年、奈良・興福寺の法会「修二会」で奉納された薪猿楽がルーツとされる。
金春、観世、宝生、金剛の大和能楽四座が競演。
京都薪能は一九五〇年に始まり、観世流・金剛流・狂言大蔵流など流派を超えて能楽師たちが一同に集い、古都・平安神宮で開かれる。今年で六十回目

[会 期]  六 月 一 日(月)、二 日(火) (雨天順延)
[会 場]  平安神宮
[開 演]  午後五時半
[入場料]   当日券  四千円 、(前売り券  三千円)

一日目は 

能 (観世流)「 翁 」――白式、黒式の二人の翁。面をつけると神になり、神の言葉を謡い舞い天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈願する。厳粛なる神秘の祝福。――

半 能(観世流)「絵 馬」 ――伊勢に現れた天照大神と天鈿女命、手力雄命は、天岩戸隠れを再現して見せ天下泰平をことほぐ。壮大な神話の世界。――

門川京都市長挨拶

茂山 七五三理事長挨拶

火 入 式

能 (観世流)「杜 若」――「唐ころも苔つつ馴れにし妻しあれば遥々来ぬる旅をしぞ思ふ」繚乱の杜若に現れる花の精。時を超え交錯する業平と妻と杜若のイメージ。――

狂 言(大蔵流)「福の神」――二人の男の前に降臨した福の神。みんなに幸せを与えよう。その秘訣は楽しくなること――

能 (金剛流)「正 尊」――義経を討つべく上京した正尊は弁慶に詰問され偽りの文を書く。お互いに騙しあう緊迫の前半と豪快に斬組む後半の痛快活劇。――

二日目は

能 (金剛流)「 翁 」――面をつけず白装束の出で立ちで天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈り謡い舞う。厳粛なる神秘の祝福。――

能 (観世流)「花 月」――清水寺で様々な芸を見せる少年。よく見ると行方不明になった我が子であった。明るく楽しい芸尽くしと喜びの親子の再開――

茂山 七五三理事長挨拶

火 入 式

能 (金剛流)「羽 衣」――羽衣をとられ悲しむ天女。哀れに思い、返す漁師。天女は舞を見せ空高く去ってゆく。すみわたる月世界に舞。――

狂言(大蔵流)「釣 針」――打出の浜で釣糸を垂れる主人と太郎冠者。狙うは自分達の御嫁さま。さて釣り上がってきた嫁さんとは・・――

能 (観世流)「紅葉狩」――山中で酒宴を開く美女達に遭遇する平維茂は誘惑され酒を飲み眠りに落ちる。美女連の正体は鬼であった。急転する舞と壮絶なる格闘。――

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2009年05月31日 11時41分11秒 | 【最 近 の 話 題 : 出 来 事】
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

★右京区嵯峨・二尊院で五月三十日、「小倉百人一首」を選んだ鎌倉時代の歌人・藤原定家とその子為家をしのぶ法要と和歌披講する「小倉山会」が定家の山荘跡に近いという二尊院で催された。
小倉山会は、冷泉家時雨亭文庫が毎年催し、定家を遠祖とする歌道の宗家・冷泉家二十五代冷泉為人当主らが、今年の兼題「夏草」で寄せられた約百首の和歌から九首を選び、読経の後に当主ら三人が冷泉流独特の節回しで詠み上げられ、後に続く全国の門人約五十人の参列者が唱和した。
詠み上げた声が、本堂から新緑鮮やかな境内に響き亘った。
披講後、定家の墓があるという小倉山を遙拝する旧跡や冷泉為家の墓などを訪れ、歌道の先人に思いを巡らせた。

【予 告】

★六月八日、國の名勝・平安神宮神苑が無料公開。
西神苑の白虎池の岸辺には、日本古来の品種,約二百種類のハナショウブ、約二千五百株が群生し見頃を迎えているのに合わせ、一日だけ無料公開される。
午前八時半~午後五時半。

おいないの京都最新情報

2009年05月30日 09時44分13秒 | 【最 近 の 話 題 : 出 来 事】
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

左京区・三千院では知らない内に重ねた日々の悪行を仏に懺悔して、心を清める恒例の「御懺法講」(おせんぼうこう)は本来、御所で行われていた天皇家の回向法要で毎年、五月三十日に営まれる。
御懺法講は一一五七(保元二)年に後白河天皇が宮中で催したのが始まりとされる。
雅楽演奏が流れる中、儀式が僧侶の声明に合わせて進むことから「声明懺法」とも呼ばれ、仏教音楽の伝統を今に伝えている。
伝統法要は境内奥の宸殿で行われ、導師の門主や赤い法衣姿の僧侶約十人が笛や琴などの音色が響く中、座ったり殿内をゆっくり回りながら、一時間半にわたって独特の旋律に乗せて唱える「声明」と雅楽による華やかな平安絵巻さながらの伝統法要で、緑深い境内におごそかに響きわたる。


おいないの京都最新情報

2009年05月28日 09時57分53秒 | 【京 の 歳 時 記】
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

西京区・大原野の十輪寺で五月二十八日、平安時代の六歌仙の一人、在原業平をしのぶ法要が新緑のモミジが映え、鳴り響く三弦と声明に「業平忌」が営まれた。
十輪寺は業平が政略で離された恋人の二条后を思いながら晩年この地に住み、元経(八八〇)年五月二十八日、五十六歳で亡くなるまで、ここで塩を焼いて風情を楽しんだと伝わる。
業平忌は、一族の女性との仲を裂いた藤原氏が、たたりを恐れ供養したのが始まり。
本堂前に特設した祈願道場で、三弦を奏でる独特の声明法要で、住職らが三弦を奏でながら般若心経や天台声明を唱えた。
業平が好んだと云われるカキツバタや歌詠みである業平を慕って多くの俳人・歌人が集い、日本舞踊・京舞の奉納や、書や献花の奉納もあり、平安の歌人に思いをはせていた。


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2009年05月25日 11時45分10秒 | 【最 近 の 話 題 : 出 来 事】
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

右京区・愛宕・野宮両神社の祭礼「嵯峨祭」が五月十七日の神幸祭で神輿が嵯峨釈迦堂前の御旅所まで巡行します。
嵯峨祭は大覚寺の祭りとして始まったとされ、古くは約六百年前の貴族の日記に登場し、元禄四年には、松尾芭蕉が落柿舎に滞在中この嵯峨祭を楽しんだという記録が嵯峨日記にあります。
午前中に御旅所出発後、嵯峨の町内を一巡。午後に嵐山出発。稚児行列、子供神輿剣鉾巡行。随行、愛宕神輿、野宮神輿、神酒車などが巡行した。
還幸祭は二十四日、嵯峨・嵐山一帯で繰り広げられた。
大行列や長さ約五㍍、重さ四十㌔近い、剣鉾を持った男衆が鉾上部の鈴を鳴らしながら勇壮な剣鉾差しが披露され、その後を二基の神輿が北嵯峨から渡月橋至る初夏の嵯峨野路を練り歩いた。