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京都を愛する”おいない”の最新情報・不定期便

【京 の 歳 時 記】:【最 近 の 話 題 : 出 来 事】をお知らせします

"おいない"の京都最新情報

2016年05月29日 09時15分28秒 | 【葵 祭 シリーズ】    

[葵 祭 シリーズ]

 
★葵祭を締めくくる恒例行事「煎茶献茶式」が五月二十八日、下鴨神社で行われた。
神前でカツラの枝とアオイの葉を烏帽子に飾った神職らが神前でお祓いをした後、葵祭が滞りなく行われたことを奉告し、舞殿で煎茶小川流の小川可楽家元嗣(いえもとし)が、炭をととのえた後、白の紋付きにはかま姿で白磁の太極紋染め付けの同流独特の「滴々の茶」を注ぎ、東と西の二神に厳かに一煎を献じた。葵祭の後祭で、祭りが無事に執り行われたことを報告し感謝する。
境内の供御所と直会殿には、煎茶席と玉露席が設けられ、青々とした緑の木々の元で汗ばむほどの陽気の中、全国の社中ら約三〇〇人が参列し、口中に広がる滋味豊かな茶を楽しんだ。

                  [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]

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★流鏑馬(やぶさめ)発祥の地とされる伏見区の城南宮で二十八日、城南流鏑馬が行われた。

安時代に白河上皇が城南離宮で催した流鏑馬が、史料に残る最も古い記述とされる。一二二一年に後鳥羽上皇が流鏑馬を理由に兵を集め倒幕を謀った「承久の乱」以後は途絶えたが、二〇〇五年に復活した。時代装束をまとった射手が参道を疾駆し、矢が的に命中すると観客から大きな歓声が上がった。
今回は境内の摂社・真幡寸(まはたき)神社と近くの飛鳥田神社が「官社」に昇格して一二〇〇年に当たることから三年ぶりに開催した。
参道二一〇メートルに砂を盛って即席の馬場を整え、京都産業大の学生が的を立てる役や矢を拾う役などで初参加した。射手は馬上から三つの的を目掛けて矢を放ち、命中してパーンと音が響くたびにどよめきが起こった。

 


 

 

 

 


 

 


"おいない"の京都最新情報

2016年05月15日 10時28分29秒 | 【葵 祭 シリーズ】    
【葵 祭 シリーズ】 
 
★京都三大祭のトップを飾る葵祭が華やかに古都・京都で繰り広げられる。葵祭は凶作が続いた六世紀に五穀豊穣と国家安泰を祈願したのが起源とされる。行列は下鴨神社・上賀茂神社へ天皇が勅使を送った様子を今に伝える。
平安の世にいざなう典麗優雅な葵祭の見どころは、平安貴族の衣装に身を包んだ人々が巡行する「路頭の儀」で、行列(路頭の儀)は総勢五百名、勅使をはじめ倹非違使、内蔵使、山城使、馬三十六頭、牛四頭、牛車二基、風流傘、斉王など、平安貴族そのままの姿で約一㌔にも及び、優雅な行列は全長八㌔市内を練り歩き、御所を出発して下鴨神社で「社頭の儀」を終え、賀茂街道を北上して上賀茂神社での「社頭の儀」が終了するのは夕暮れになります。

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【本 列・第 一 列】 
検非違使・・・都の治安維持にあたった検非違使庁の役人。現在の警察官と裁判官を兼ねていました。
山城使・・・中央から山城国の地方行政を任された国司庁の次官(山城介)で、五位の文官。
【本 列・第 二 列】
御幣櫃・・・宮中から賀茂両社へ納める御幣物(お供え)を入れた唐櫃のこと。 白丁が担いで運びます。
馬寮使・・・走馬(御馬ともいう)の担当者である左馬寮の第三番目の役(左馬充)。六位の武官。
牛 車・・・勅使用の牛車で、一般に御所車という。現在は勅使が乗らず、行列の華として参加。軒を藤の花などで飾った壮麗な車です。
【本 列・第 三 列】
舞 人・・・神事などで奏される歌舞「東遊」を舞う、近衛府(内裏の警護などにあたった役所)の五位の武官。
勅 使・・・天皇の使いで、行列中最高位。四位近衛中将が任にあたったため、近衛使とも呼びます。現在は勅使は行列には加わらず、近衛使代が役を務めます。
【本 列・第 四 列】
陪 従・・・楽人装束を身にまとった近衛府の五位の武官。賀茂両社の社頭で歌をうたい、雅楽を奏します。
内蔵使・・・皇室の経済などを司った内蔵寮の次官で、五位の文武兼官。勅使が奏上するお祭文を棒持しています。
【斎 王 代 列】
斎王代・・・葵祭のヒロイン。衣装は十二単衣で、頭に金属製の飾り物・心葉を着用。
行列では、四方が開いた腰輿に乗って巡行します。
女 人・・・一般女官にあたる命婦、食事を司る女嬬、斎王付きの巫女である駒女と、「房車」と呼ばれる斎王の牛車などで構成される。

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"おいない"の京都最新情報

2015年05月19日 12時14分48秒 | 【葵 祭 シリーズ】    
   【葵 祭 シリーズ】 

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★京都三大祭のトップを飾る葵祭が華やかに古都・京都で繰り広げられる。
葵祭は凶作が続いた六世紀に五穀豊穣と国家安泰を祈願したのが起源とされる。
行列は下鴨神社・上賀茂神社へ天皇が勅使を送った様子を今に伝える。
平安の世にいざなう典麗優雅な葵祭の見どころは、平安貴族の衣装に身を包んだ人々が巡行する「路頭の儀」で、行列(路頭の儀)は総勢五百十一名、勅使をはじめ倹非違使、内蔵使、山城使、馬三十六頭、牛四頭、牛車二基、風流傘、斉王など、平安貴族そのままの姿で約一キロにも及び、優雅な行列は全長八市内を練り歩き、御所を出発して下鴨神社で「社頭の儀」を終え、賀茂街道を北上して上賀茂神社での「社頭の儀」が終了するのは夕暮れになります。

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【本 列・第 一 列】 
検非違使・・・都の治安維持にあたった検非違使庁の役人。現在の警察官と裁判官を兼ねていました。
山城使・・・中央から山城国の地方行政を任された国司庁の次官(山城介)で、五位の文官
         
【本 列・第 二 列】
御幣櫃・・・宮中から賀茂両社へ納める御幣物(お供え)を入れた唐櫃のこと。 白丁が担いで運びます。
馬寮使・・・走馬(御馬ともいう)の担当者である左馬寮の第三番目の役(左馬充)。六位の武官。
牛 車・・・勅使用の牛車で、一般に御所車という。現在は勅使が乗らず、行列の華として参加。軒を藤の花などで飾った壮麗な車です。

【本 列・第 三 列】
舞 人・・・神事などで奏される歌舞「東遊」を舞う、近衛府(内裏の警護などにあたった役所)の五位の武官。
勅 使・・・天皇の使いで、行列中最高位。四位近衛中将が任にあたったため、近衛使とも呼びます。現在は勅使は行列には加わらず、近衛使代が役を務めます。

【本 列・第 四 列】
陪 従・・・楽人装束を身にまとった近衛府の五位の武官。賀茂両社の社頭で歌をうたい、雅楽を奏します。
内蔵使・・・皇室の経済などを司った内蔵寮の次官で、五位の文武兼官。勅使が奏上するお祭文を棒持しています。
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【斎 王 代 列】
斎王代・・・葵祭のヒロイン。衣装は十二単衣で、頭に金属製の飾り物・心葉を着用。行列では、四方が開いた腰輿に乗って巡行します。
女 人・・・一般女官にあたる命婦、食事を司る女嬬、斎王付きの巫女である駒女と、「女房車」と呼ばれる斎王の牛車などで構成される。
 
    【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

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★北区・上賀茂地域では、葵祭の日に無病息災を願う「上賀茂やすらい祭」が行われる。
サクラの花びらが散る頃に疫神も舞って疫病を撒き散らすと信じられていた。

その疫神を安らかに鎮めるお祭で、どうぞ桜も安らかに舞い散ってほしいという願をこめて、鐘や太鼓を打ち鳴らしながら鬼や花笠が町内を練り歩きます。
流行した疫病を鎮める「鎮花祭」として平安時代に始まった「やすらい祭」は、北区の四カ所に伝わる。(玄武神社や今宮神社のやすらい祭は、四月に行われる)。
祭の行列は住民で構成し、ショウブやヤマブキの造花を飾った赤い花笠を先頭に、稚児と鬼、小中学生の笛方が続き、随所で「いんやすらいや花や今年の花はよう咲いた花や」の掛け声に合わせ、シャグマと呼ばれる鬼が太鼓や鉦を打ち鳴らし、髪を振り乱して踊り、町内の民家で「門ばらい」をして住人の健康を祈った。

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"おいない"の京都最新情報

2015年05月14日 09時02分13秒 | 【葵 祭 シリーズ】    

2015年 5月 12日(火)

 
      【葵 祭 シリーズ】   
 
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★葵祭の前儀となる「御蔭祭」は五月十二日、葵祭に先立ち、御蔭神社から御神霊を下鴨神社に移す重要な祭礼が行われる。新緑の森を進む神馬、その背中で揺れ動く錦蓋(きんがい)・・・。
葵祭りに先駆けて神霊を下鴨神社に迎える重要な神事だけに、神々しい風景です。
早朝、祭官、供奉者約百五十人が下鴨神社を出て、比叡山の八瀬御蔭神社に向かいます。左京区八瀬の御蔭神社は下鴨神社の摂社で、江戸後期の天保六(一八三五)年に現在の御蔭山中腹に移された。
境内に東西二つの本殿が並び建ち、玉依姫命(たまよりひめのみこと)と賀茂建角身命(かものたてつぬみのみこと)を祀る。
八瀬御蔭神社では、入り口を従者が固めつつ、社殿内で神移しが行われます。その様子は見学も拝むこともできない、神聖な儀。
御蔭神社での神事の後、狩衣や烏帽子姿の約百五十名の行列が、荒御魂(あらみたま)を、白馬に迎えられてから氏子町内をめぐり、糺の森の新緑のトンネルを練り歩く。この巡行は国内で最古の神幸列と伝えられる。
下鴨神社の境内に到着後、雅楽の演奏に合わせて行列し、「切芝」と呼ばれる場所で、白馬を前に舞人六人が雅やかな舞「東遊の舞」を奉納して優雅な神事を行う。
今年は雨天のため舞殿で行われ京都では、葵祭と御蔭祭でしかやらない貴重な歌舞。

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      [お知らせ]
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★平安時代の船遊びを再現する右京区・車折神社の三船祭が今春、二年ぶりに復活する。豪雨被害や資金難で昨年は中止になったが、地元住民が保存会を結成。嵐山・渡月橋近くに浮かべる船に清少納言にふんした女性を乗せるなど、新たな趣向を取り入れて戦前から受け継ぐ祭りの再出発を彩る。
八九八年に宇多上皇が大堰川で船遊びをした故事にちなむ祭りで、一九二八年に始まった。車折神社が資金を工面して毎年五月の第三日曜に開いてきたが、赤字が続き、二〇一三年には台風十八号の豪雨被害を受けて神社施設の修繕費が必要になったことから、やむなく十四年の祭りを中止した。
今年に入って修復のめどが立ち、地元の嵯峨嵐山の商店関係者から祭り復活を望む声が上がった。運営主体を、新たに住民有志でつくる「三船祭保存会」に移して広く寄付金を募り、五月十七日に開催することにした。また、境内に清少納言をまつる神社があることにちなんで、清少納言役の女性を地元関係者から選ぶことになった。今年は地元出身の元宝塚歌劇団員が務め、平安装束姿で参加する。一方、大堰川に浮かぶ船の様子をよりゆったりと、風情豊かに見せるため、これまで出していた船(約二十隻)の数を減らし、「優雅な平安の王朝絵巻を再現する」という原点に戻る。神社から渡月橋までの行列は周囲の交通事情に配慮して今年は取りやめ、橋の周辺だけにとどめる。
 
   2015年 5月 13日(水)
 
   [今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

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★下京区・市比売神社で五月十三日、いちひめ祭(斎矢神事)が商売繁盛や厄よけを願って十二本の矢を放つ神事「試し弓」が営まれた。
試し弓は、氏子・崇敬者の招福を願い、平安時代に、藤原経清・源為家が神社境内で行った弓矢の勝負「競弓(くらべゆみ)」の故実に倣い「斎矢・試弓神事」が奉納されます。
毎年この日に行う春季大祭と併せて実施している。

直垂烏帽子姿で、商売繁盛や招福を願う人々の名を裏面 に記した約五メートル離れた的を目がけて六本ずつ矢を放ち、大きな音と共に矢が次々と的に突き刺さる。 矢の当たった人には一年間その矢が預けられ、願いが叶うという「斎矢神事」が行われます。いちひめ神社三種の御神物の一つ「霊爾の幸の御札」が授与されます。
この後、「いちひめ雅楽会」が雅楽演奏と舞を披露した。   

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★東山区・信州善光寺別院の得浄明院で十三日、芸事や商いの神としてまつる白天龍王の祭事があり、手を触れずに豆腐を切り分ける式包丁が奉納された。
式包丁は、料理人で「現代の名工」にも選ばれた一條庖勝(いちじょうほうしょう)流三代目富田家元が奉納した。通常は鮮魚や鶏肉をさばくが、寺院のため殺生を避け、特別に木綿豆腐が用意された。
豆腐の式包丁は近年の前例がなく、富田さんは平安時代から伝わる作法を基本に自ら文献を調べ再現。包丁と二本の真魚(まな)箸を巧みに使い、華麗な所作で豆腐を切り分けた。切った豆腐を並べて「長命」の二文字をつくり、健康長寿を祈願した。
古式ゆかしい妙技を大勢の参拝者が見入った。




"おいない"の京都最新情報

2015年05月12日 07時40分49秒 | 【葵 祭 シリーズ】    

 2015年 5月 5日(火)

 
     [葵 祭シリーズ]

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★北区・上賀茂神社では五月五日、一日の足汰式で決まった出走馬がいよいよ登場し、天下泰平と五穀豊穣を祈願する行事「賀茂競馬会(くらべうまえ)神事」が行われた。
競馬は
平安時代からの勇壮な神事で、平安中期・堀河天皇の寛治七(一〇九三)年に宮中武徳殿の儀式を移して上賀茂神社に奉納されて以来、九百年以上今日まで続いている。
一〇九三年、内裏の女官達が菖蒲の根の長短を競う遊びで賀茂社の菖蒲の根が長く、勝利を射止めたため、その御礼として競馬を奉納したのが始まりとされる
早朝より頓宮遷御(とんぐうせんぎょ)、菖蒲根合わせの儀などが行われる。
本殿祭の後、午後から乗尻は左右に分かれ、左方は打毬(たぎゅう)、右方は狛鉾(こまぼこ)の舞樂装束を着け、馬に乗って社頭に参進します。
勧盃、日形乗、月形乗、修祓、奉幣の儀を行い、次いで馬場にて順次競馳(きょうち)します。(京都市登録無形民俗文化財に登録)
その様子は『徒然草』等にも書かれており、蓋し天下の壮観です。
メーンの競馬会の儀では、二頭の馬が一馬身差でスタートし差が広がったか狭まったかで勝敗が決まる。
「馬出しの桜」から「勝負の紅葉」までの勝負を競い、判定役が赤扇を挙げると左方の勝ち、青扇を挙げると右方の勝ちです。
一の鳥居からニの鳥居にかけて芝生西側の馬場で赤色の「左方」と黒色の「右方」の組に分かれ、二馬ずつ六回勝負する。左方の勝ち数が多い年は豊作とされている。

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★左京区・下鴨神社で「歩射神事」が行われる。
宮中古式により弦や鏑矢で邪気を祓い、弓矢で葵祭りの沿道を清め無事を祈る神事。
まずは射手が弓を鳴らす「蟇目式(ひきめしき)」で四方の邪気を祓います。

二本の矢を楼門の屋根を越えて飛ばす「屋越し式」、大きな的を射る「大的式」、連続で矢を射る「百矢式」などが執り行われる。
以上四つで「鳴玄蟇目神事(めいげんひきめしんじ)」と呼ばれ、これもまた葵祭りの安全祈願とされています。
 
 
     【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

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★縁結びの神として知られる東山区・清水寺境内地主神社で五月五日、例大祭「地主祭」が営まれた。
家内安全・土地守護・事業繁栄・良縁達成を祈願するお祭りで、約千年前の天禄元年、円融天皇行幸の際、勅命により行われた臨時祭がその起源。

雅楽、白川女、武者、稚児などの行列は時代絵巻さながらです。かつて地主桜を御所に献上した様子を、白川女が当時そのままに伝えます。
《神幸祭》
『地主神社』ののぼりを先頭に、神宮、巫女、白川女などの列が、地主神社本殿前を出発します。そして子供みこし、稚児、武者などと合流して、雅楽の調べも賑やかに清水坂、三年坂、茶碗坂などを練り歩きます。神社に戻り、そこで家内安全、無病息災、事業繁盛、世界平和などを祈願する祭典が行われます。
 
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★「馬の神様」として知られる伏見区・藤森神社で五月五日、藤森祭があり、「駆馬神事」(京都市登録無形民俗文化財)が奉納された。
藤森神社は「菖蒲(しょうぶ)の節句」発祥の地と伝わり、転じて「勝負」の神として信仰を集める。江戸時代には各藩の馬術指南役や町衆が、曲芸的な馬術を競うようになったという。
駆馬神事は、七八一年、早良親王が陸奥の反乱へ出陣する際、藤森神社で必勝を祈願したことにちなんで、新緑に覆われた鳥居から拝殿までの参道約百八十メートルの馬場で疾走する馬の上で、乗子が逆立ちして敵をあざける「杉立ち」、敵の矢を避けて前傾姿勢で駆ける「手綱潜り」、や敵矢が当たったと見せかけて身をのけぞらせる大技「藤下がり」、馬上で文字を書く妙技などアクロバティックな技が魅力を見せ、観客を驚嘆させた。事前の練習はなく、乗子はぶっつけ本番で技に挑む。
境内では、巫女(みこ)や武者姿の時代行列もにぎやかに練り歩いた。

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★「西陣の祭」として知られる今宮神社が五日、始まった。
千年以上前に今宮社が創建された平安時代に、疫病退散を祈願した「御霊会」に由来する北区・今宮神社の「今宮祭」が五日始まった。
華麗に飾られたみこし三基と氏子ら約八〇〇人の行列が、御旅所まで練り歩いた。
「八乙女」と呼ばれる童女が神社で舞を奉納した後、行列が御旅所を目指した。先頭の太鼓に合わせて牛車や祭鉾が華やかに
進んだ。参拝者にお茶を振りかける「湯立祭」は六日、還幸祭は十一日に行われる。