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京都を愛する”おいない”の最新情報・不定期便

【京 の 歳 時 記】:【最 近 の 話 題 : 出 来 事】をお知らせします

"おいない"の京都最新情報

2016年07月01日 14時45分03秒 | 【祇園祭シリーズ】
     [祇 園 祭 シリーズ]

§七月は祇園祭シリーズとして一ヶ月間順次レポートします§   
【祇園祭にちなんで】
七月に入ると京都の街にいよいよ日本三大祭・祇園祭の季節が到来し、一日幕を開ける。十七日の前祭と二十四日の後祭の二日間にわたって市内中心部を進む。七月一日の各山鉾町で一ヶ月間にわたる祭の幕開けを告げる神事「吉符入り」で始まり、三十一日の「夏越祓」までに二十四の神事があり、その中でも祭り情緒たっぷりの宵山、華麗さと躍動感に魅了される山鉾巡行とさまざまな行事が夏絵巻のごとく繰り広げられていきます。
時代を超えた伝統の輝き、千余年の歴史を有し、日本の祭礼の原点と称せられる祇園祭は山鉾町の町衆たちの努力と熱意によって今日まで受け継がれてきました。
これも祇園祭という京都が世界に誇るべき文化を次代へとつなげていかなければなりません。
             
    
祇園祭神事一覧表
 
 
 
 
 

の夏を彩る祇園祭の幕開けとなる長刀鉾稚児の「お千度の儀」が七月一日、八坂神社で営まれる。長刀鉾は山鉾の中で唯一、生稚児が乗って巡行する。
黄緑、赤、紫の三色を配した華やかな色合いの稚児の装束は「涼み衣装」と呼ばれ、白塗りで口元に朱を差す化粧を施した稚児衣装に身を包み、三人は本殿でおはらいを受けた後、朱傘を差しかけられながら八坂神社の本殿に参拝し、祭りの安全と無事を祈り、父親に手を引かれて本殿の周囲を三週、お千度に臨んだ。
多くの山鉾町でも神事始めの「吉符入り」(一日~五日)を迎え、祭壇前で神職からお祓いを受け、一ヶ月に及ぶ祭りがスタートする。

 


祇園祭の鉾町の会所では夕方から「二階囃子」が始まり、「コンチキチン」の音色が界隈に響き、初夏の祭
を実感させる。

二階囃子は、山鉾巡行の本番に向けた祇園囃子の練習。吉符入りの一日以降に始まる。
浴衣を着た囃子方のメンバー数十人近くが勢揃いし、一年ぶりに鉦、太鼓、笛を鳴らし、初心者の小学生には先輩が寄り添い、手を取って鉦を教えている姿は伝統を感じる。
 
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来
 
★北区・上賀茂神社で七月一日、「御戸代会神事」が営まれる。
御戸代(みとしろ)とは神に献上する稲を栽培する神田のことで、田植えが終了し田の害虫を駆除し、五穀豊穣を祈願する。
天平勝宝二年(七五〇)に朝廷・孝謙天皇が御戸代田一町の田畑を神社に寄進したのを記念し、農家をねぎらって田楽や猿楽を奉納したのが日本能楽の先駆となったとされています。
「賀茂御戸代能」と呼ばれる観世流による神歌・能・仕舞や茂山家の狂言の奉納がある

 

★全国的にも珍しい、駐車場に設けられた直径五メートルにも及ぶ大きな茅の輪。神職が一台ずつお祓いします。その後、交通安全を祈念しながら、自動車やバス・トラックに乗ったままくぐり抜けます。 

      
 
 ★7月1~16日 夜間特別拝観・風鈴供養
千本ゑんま堂でゆるやかに暮れ行く夏の夜。
心に染みる風鈴の韻を愉しみながら雅やかな風を感じてみませんか。
本尊開扉:午後6時30分より
午後6時より受付開始

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2016年06月24日 16時27分10秒 | 【祇園祭シリーズ】

  [祇 園 祭 シリーズ]


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 ★祇園祭の長刀鉾保存会は、今年で生誕三〇〇年となる江戸時代の奇想の画家伊藤若冲(じゃくちゅう)筆「旭日鳳凰(きょくじつほうおう)図」を用いた見送(みおくり)を新調し、披露した。
若冲の鮮やかな色彩と細密な描写の絵画を、綴織(つづれおり)に仕上げた。
見送は、鉾の背面を飾る装飾品。新調したのは、縦三・五㍍、横一・八㍍。黄金色の雲海から日が昇る様子や雌雄の鳳凰などが描かれた作品を、絹糸と本金糸の約三六〇色の染糸を混ぜて織り込んだ約八〇〇色で表現した。
若冲は、長刀鉾の町内に近い錦小路通高倉の青物問屋の当主だった。保存会は、今年の法人化五〇年と、“ご近所さん”だった若冲の生誕三〇〇年に合わせて、吉事が起こる前兆とされる瑞鳥(ずいちょう)、鳳凰の図柄を用いた見送の新調を決めた。
「旭日鳳凰図」は、若冲が画業に専念した一七五五(宝暦五)年の記念すべき作品。現在は宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵する。保存会が二〇一三年に許可を得た後、制作を依頼した川島織物セルコン(左京区)が三年かけて仕上げた。今年の前祭(さきまつり)の山鉾巡行(七月十七日)で使用する。平成の新調幕にふさわしい図柄。巡行では、お稚児さんとともに、背面の見送が映えると思います。

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★祇園祭の函谷鉾保存会は、鉾の二階の天井を飾る天井幕を新調した。鉾が長く続くよう祈って鶴を刺繍している。
天井幕は縦二・四三㍍、横一・四五㍍。鉾の名前の由来で中国の孟嘗君の故事にちなみ、月明かりをイメージして金無地には本金箔を織り込んだ。鉾に伝わる囃子の曲に鶴が登場することから、京都国立博物館所蔵で江戸時代の画家狩野探幽が一六五四に描いた「飛鶴図」を元に、刺繍で鶴を立体的に縫い上げた。また、波濤を線状に縫った。
金色に輝く夜明け前の空を飛ぶ鶴の図柄が目を引いた。
七月十七日の前祭(さきまつり)の巡行で使用する。

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2016年06月16日 11時01分39秒 | 【祇園祭シリーズ】

【祇 園 祭 シ リ ーズ】

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★祇園祭の神幸祭(七月十七日)と還幸祭(同二十四日)で馬に乗って神輿を先導する今年の「久世駒形稚児」を京都市南区久世の綾戸国中(くなか)神社が十五日発表した。
今年は、神幸祭で南区久世の会社員上来(じょうらい)哲男さんのおい琉彰(りゅうしょう)君(八)=大薮小三年、還幸祭は向日市物集女町の内装業川原淳さんの次男あさひ君(八)=光華小三年=が務める
二人はこの日、神社の本殿に玉串をささげ、祭りの無事を祈願した。久世駒形稚児は、八坂神社(東山区)とゆかりの深い綾戸国中神社の氏子の家から選ばれる。馬の頭の形をした彫刻「駒形」を身につけて三基の神輿の一つ、中御座を先導する。
綾戸国中神社は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)、八坂神社は和御魂(にぎみたま)をまつり、双方が一つになって初めて祇園祭が行えると伝えられる。
久世駒形稚児が、綾戸国中神社の御神体である馬の頭をかたどった「駒形」をつけ、素戔嗚尊を奉じる中御座の神輿を先導することによって、両方の神が一体となるという。
神前で行われた奉告祭に参列した後、琉彰君は「馬に乗るのが楽しみ」、あさひ君は「緊張しています。上手に乗れるようにしたい」と話した。
久世駒形稚児は、八坂神社とゆかりの深い綾戸国中神社の氏子の家から選ばれる。馬の頭の形をした彫刻「駒形」を身につけて、3基の神輿の一つ、中御座を先導する。

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2015年10月22日 17時40分29秒 | 【祇園祭シリーズ】

【時 代 祭 シリーズ】


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★時代祭についてあまり知られていない事実やヱピソート
明治二十八年というのは京都にとって平安京が築かれてから丁度一一〇〇年目という記念すべき年でしたが、その頃の京都は明治維新によって首都が東京に移りすっかり活力を失い、さびれていた頃です。
その時かっての京都の活力を取り戻そうと情熱に燃える京都市民が「平安遷都千百年祭」というイベントを企画し、たまたま第四回国内勧業博覧会と時期同じくしたので、その記念モニュメントと博覧会のパピリオンとして、平安宮大極殿の縮小復元が成され、その出来ばえは素晴らしく神宮としての保存が決定され、平安朝の創始者・桓武天皇が祀られることになったのです。
それが現在の「平安神宮」で、当然神を祭るならば例祭が必要となりそこで考え出されたのが「時代祭」なのです。
明治二十八年十月二十二日はまさに新都・平安京の始まった日、つまり京都の誕生日です。「時代祭」という神事として毎年この日に行われるようになったのです。時代祭の見どころは豪華な衣装の数々です。毎年、新調や修復が行われ、一万二千点にもおよぶ衣装や調度品、祭具は全てが本物。その道のプロ達により時代考証が重ねられ糸一本に至るまで当時の素材や技法で復元されています。これぞ伝統工芸王国・京都のなせる技です。
その貴重な衣装や道具は一人当たり一〇〇〇万~三〇〇〇万円です。行列十九列、総勢二千名程ですからその評価額は…何と四十億~五十億円、まさに動く美術館です。
当日は、馬車四台、牛車一台、牛馬七十六頭とともに各時代の衣装をまとった行列は明治維新、江戸時代、安土桃山時代、吉野時代、鎌倉・室町時代、藤原時代、延暦時代の順に京都御所の建礼院門前を出発し、平安神宮までを歩き、古都・京都千年の歴史と文化が一目で判るようになっています。
特に人気の列は京都御所・建礼門から、錦の御旗や陣羽織姿の隊長を先頭に、小中学生の筒袖の羽織に紫色の袴を着けた鼓笛の音とともに現れる鼓笛隊や鉄砲隊など、総勢八十人が、維新時そのままにゆったりと行進する、行列の先頭を行く山国維新勤皇隊、坂本龍馬らが登場する明治維新の立て役者となった幕末志士列と京都にゆかりのある婦人列。婦人列は江戸時代、中世、平安時代の三列あり京都の五花街の芸妓さんらが持ち回りで担当します。
午前九時から平安神宮で二基の鳳輦に桓武天皇・孝明天皇のご神霊をうつし、京都御所の建礼門前行在所へ神幸列が出発する。
時代祭行列は明治から延暦までの八時代、二十もの列が市内を練り歩く。列の長さは約二キロで総勢二千人もの人々が参加する。神幸列の、桓武・孝明両天皇の霊を祀る鳳輦は、宮仕えや護衛の人々と行列の最後尾を進む。
京都で生涯を終えた最初と最後の天皇は、毎年この時に市中の繁栄を眺めて都大路を巡られる。
時代祭りが始まった明治時代は、室町幕府を開いた足利尊氏が「逆賊」とされ、室町時代列が作られなかった。
創設当時は天皇崇拝が色濃い時代で、天皇に刃向かった尊氏に代わり、後醍醐天皇上洛を導いた楠木正成の列が作られたが、「日本文化の原点となる北山・東山文化がないのはおかしい」ということで、能や華道、茶道が発展した室町文化の行列で、金閣を造った三大将軍義満や銀閣を造った八代将軍義政のほか能作者世阿弥や茶人千利休、作庭で名高い夢想国師らの足利時代列(室町幕府)について従来より新設する計画が固まり、平成十九年の創設が実現した。
一八九五(明治二十八)年に始まって以来、空白だった「室町時代列」が平成十九年に新設され、幕府執政列と洛中時代列の約七十人が、室町の華やかな衣装で、金襴の衣をまとった馬上の足利将軍をはじめ、軽やかな音楽と風流踊りが、京都に都が置かれた千百年の風俗を再現する一大歴史絵巻の行列に華を添えた。
※ 尚この日、夜は京の三大奇祭の一つ勇壮な炎の祭典として知られる「鞍馬の火祭」が行われます。
周辺道路は臨時の交通規制が実施されますので京都へ車でお越しの節は、雑踏にご注意を……… (各所に交通規制有り)

   京都府警平安騎馬隊は、平安時代に京の治安維持に当たった「検非違使」.jpg

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2015年07月24日 14時00分25秒 | 【祇園祭シリーズ】
   祇 園 祭 シ リ ーズ】

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★祇園祭の後祭(あとまつり)の山鉾巡行(二十四日)を前に、中京区で二十三日、本山修験宗総本山・聖護院の山伏が祈祷(きとう)したり、護摩を焚いたりして、巡行の安全を祈った。
山伏たちは午後に六角堂を出発。ほら貝を吹きながら、ゆかりのある浄妙山と北観音山、南観音山、八幡山、役行者(えんのぎょうじゃ)山を巡拝した。
北観音山では、巡行まで会所の二階に安置される楊柳(ようりゅう)観音座像前で山伏が祈祷した。
修験道の創始者、役小角(えんのおづの)を本尊とする役行者山では、山の前で護摩を焚いた。注連縄(しめなわ)で囲まれた結界に入ろうとする山伏が「修験道の開祖はいかに」などと問答を繰り返し、「合格」すると中に招き入れられた。見物客が取り巻く中、護摩が焚かれると、ビルの谷間にもくもくと煙が上がった。

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★祇園祭・還幸祭の「花傘巡行」が七月二十四日午前、八坂神社から市内中心部(四条通、河原町通、御池通、寺町通~八坂神社)にかけて繰り広げられる。
花傘は、山鉾の古い形態を現代に再現したものです。
七基の子どもの神輿を先頭に祗園太鼓や笛が鳴り響く中、色とりどりの花を飾った花傘や棒振り、さぎ舞、武者姿の子供達や舞妓さんらが都大路を練り歩き、この行列には四つの花街(祇園甲部・先斗町・宮川町・祇園東)の綺麗どころを始め六齋、鷺舞、傘鉾、馬長稚児、児武者、祇園囃子の曳山や山車など総勢一〇〇〇人の行列が練り歩きます。
芸能色彩が濃い巡行で華やかな雰囲気に約二時間を沿道の観客は見入っていた。

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★祇園祭・後祭の山鉾巡行が二十四日、繰り広げられた。
祇園祭の後祭(あとまつり)は二十四日、中心部で山鉾巡行が行われる。昨年復興した大船鉾など十基の山鉾が、真夏の都大路を練る。
午前九時半、橋弁慶山を先頭に中京区御池通烏丸を出発。御池寺町で「くじ改め」に臨んだ後、河原町通を南下し、終点の四条烏丸へ向かう。前祭に比べ数は少ないながら、個性豊かな後祭の山鉾巡行。掉尾を飾るのはかって「凱旋船鉾」とも呼ばれた大船鉾。御池通寺町では、大船鉾の後方に「花傘巡行が」華やかに姿を見せ、八坂神社へと向かった。
花傘巡行は午前十時に八坂神社を出発し、四条通から寺町御池、河原町通などを経由して同神社に戻る。夜には八坂神社の氏子地域を神輿(みこし)が巡る還幸祭が営まれる。

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★七月二十四日夕暮れからの「還幸祭」(後祭・おかえり)は十七日の神幸祭(先祭・おいで)以来、八坂神社の御旅所に安置されていた三基の御神輿(中御座・東御座・西御座)が八坂神社に戻る神事。
夕方から七日間鎮座した四条通新京極の御旅所を出発、三基それぞれ別のルートで氏子町を巡行し、白い法被姿の男衆らが「ホイット、ホイット」の掛け声に合わせ、神輿を勢いよく上下に振りながら高々と担ぎ上げる「差し上げ」や時計回りに回転させる「差し回し」を披露しながら市内を練り歩き深夜に八坂神社に戻る。 
八坂神社に三基の神輿が到着すると境内の明かりをすべて消し、神輿から本殿へ神霊を移す神事「御霊遷し」が執り行われる。

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