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京都を愛する”おいない”の最新情報・不定期便

【京 の 歳 時 記】:【最 近 の 話 題 : 出 来 事】をお知らせします

"おいない"の京都最新情報

2016年07月13日 07時51分06秒 | 【祇園祭シリーズ】

 【祇 園 祭 シ リ ー ズ】

 
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★祇園祭の山鉾巡行の前に十日~十三日の鉾建ての最後の作業で、無事に巡行出来るかを点検する鉾の走行テストともいうべき、鉾、山の「曳き初め」、「舁初め」が行われる。
大勢の市民や観光客が詰め掛け、大汗をかきながら綱を引いて大きな鉾を動かした。
この曳き初めは一般人男女とも誰もが参加でき、鉾の上に立つ音頭取りが扇子を振り「エーンヤーラーヤ」の掛け声に合わせて車輪をきしませながら巨大な鉾が動き出すと、一足早く祭りムードを楽しめる。
曳き初めをするのは、「鉾ヶ辻」と呼ばれる四条室町周辺の五基(長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾・月鉾・鶏鉾)が行う。
※ 十三日は放火鉾・船鉾・岩戸山で曳き初め。
 
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"おいない"の京都最新情報

2016年07月10日 11時16分05秒 | 【祇園祭シリーズ】
        【祇 園 祭 シ リ ーズ】
 ★ [鉾建て]
     
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祇園祭のハイライト、前祭(さきまつり)(十七日)の山鉾巡行を一週間後に控えた十日、四条通かいわいで「鉾建て」が始まった。
鉾の土台となる櫓(やぐら)を組む槌音(つちおと)がビルの谷間に高らかに響いた。
長刀、函谷(かんこ)、鶏、月の各鉾が、作業を始めた。
函谷鉾では、くぎを一本も使わずに部材を縄で固定する「縄がらみ」の技法で櫓を組み立てた。四基の鉾と菊水鉾は、十一日に全長二十メートルを超す真木(しんぎ)を取り付け、十二日午後に曳初(ひきぞ)めを行う予定。放下鉾、船鉾、岩戸山の曳初めは十三日午後となる予定だ。
復活した後祭(あとまつり)の北観音山、南観音山、大船鉾の曳初めは二十日午後にある。
鉾建ては釘を一本も使わず、「雄蝶」「雌蝶」「えび巻き」などと呼ばれるわら縄だけで木材を固定する「縄がらみ」という独特の技法で行われる。大工方や手伝い方、車方と呼ばれる各鉾専属の職人たちが作業を進める。
鉾が建ち上がると、十六日の宵山まで鉾の上での祇園囃子が囃され、都大路に祭りムードが一気に高まる。
 
★【お迎え提灯行列】
 
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祇園祭の神事「神輿洗い」の神輿を迎える「お迎え提灯」が十日夕方から、東山区の四条通一帯で行われ、祇園囃子や提灯の行列が街中を練り歩いた。
この行事は、八坂神社の氏子組織である祇園万灯会の有志らによって行われた。
武者姿や鷺(さぎ)踊の子どもらが列をつくり、同神社を出発。円山公園を経由し、それぞれに提灯やのぼりをたてて四条通を西へ進んだ。
折り返し地点の京都市役所では、鷺踊などが披露され、かわいらしい子どもらの姿に、観客から拍手が送られた。
 
★ [御輿洗い]
 
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七月十日夕方から行われる御輿洗いは、十七日の神幸祭(先祭)で市内中心部の氏子区域を渡御する三基の御輿のうち、主神を乗せる「中御座」を清める神事。
長さ五メートルの松明や提灯に先導されたみこしが「ホイット、ホイット」の掛け声に乗って、八坂神社から四条大橋までを往復する「道しらべの儀」があり、御輿の通り道を清め、橋の中央では、八坂神社の神職が祝詞を奏上した後、鴨川からくみ上げた清めた水にサカキの枝を浸し、御輿に向かって大きくお祓いをする神事。
 
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※見物客は飛び散る水しぶに掛かると無病息災・厄払いになるというので、神輿を幾重にも取り囲み、興奮は最高潮に達した。

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2016年07月08日 09時34分33秒 | 【祇園祭シリーズ】
    【祇 園 祭 シ リ ー ズ】

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★祇園祭の雰囲気が高まるこの時期に、井上流門下生による祗園甲部「みやび会」の芸舞妓約八十人が夏場の健康と芸事の上達を祈願する恒例の「お千度」を七月七日、祗園・八坂神社で営まれた。
京舞井上流家元の井上八千代さん門下生らが新調したそろいの白い浴衣姿で勢揃いし、境内は華やいだ夏の風情に包まれた。京舞井上流のお弟子さんたちは家元の井上八千代さんに「おはようさんどす」と挨拶を交わしたあと、本殿の周囲を静かに歩いて願をかけた後、本殿神職からお祓いを受けた。
今年の浴衣は紺と白のうちわをあしらったデザインで、日傘を手にした芸舞妓たちが午前九時半ごろから次々と神社を訪れた。いかにも涼しげなデザインの新調した揃いの浴衣姿で参拝し、境内を華やいだ雰囲気に包んだ。
居合わせた観光客らや大勢の写真愛好家たちは、京情緒が漂う光景に参
拝姿をカメラに収めていた。

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★山鉾巡行で綾傘鉾の先頭を歩く稚児に選ばれた五~六歳の男児六人の「社参の儀」が七月七日、八坂神社であり、巡行の無事を祈った。
六人は、町内の子どもとして受け入れる儀式の「結納の儀」を済ませ、金色の烏帽子と華やかな狩衣姿の稚児が保護者に連れられ、八坂神社の南楼門から入り、本殿に上がった。玉串を奉納し、神木のスギの葉を包んだ「杉守り」や、宮司から「神の役」を務めることを認める「祇園祭神役之事」と書かれた「宣状」を順番に受け取り、正式な稚児と認められた。
続いて「お千度の儀」では、本殿の周囲を歩いて三周回り、正面と背面で手を合わせ、巡行本番の安全を祈る。
綾傘鉾の稚児は保存会の推薦を受けた子どもから選ばれ、山鉾巡行(十七日)では綾傘鉾の先頭を歩く。
 
    【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

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★京の奥座敷・洛北貴船の貴船神社は生活に欠かすことの出来ない水を司る神社として、水商売をはじめ、酒屋・風呂屋・傘屋・染色業・農業の人など、水のおかげで生活できる人々の信心を集め、又船員や船旅に出る人が、お参りに行きます。平安朝の昔には、朝廷の勅使が雨乞いのときには黒馬を、止雨のときには白馬を神前に奉納して祈願したといわている。
現在も三月九日に行われる雨乞祭  にそのなごりがしのばれる。
七月七日には京都の年中行事として有名な「貴船の水まつり」が毎年盛大に行われます。この祭りは水徳をたたえ一年の水の恵みに感謝をこめて祈願するものです。
神事の他、裏千家による献茶・楽辰會の舞楽奉納・烏帽子姿の生間流家元による式包丁があり、古式にのっとった鯛、鯉の料理が披露され、藤森神社鳴鳳雅楽会の雅楽雅楽奉納が行われます。
全国から水関係の信者が毎年多数参拝されているようです。
八月六日までは、貴船一帯日没から午後八時まで「七夕ササ飾りのライトアップ」が行われる。(土・日・祝日は午後九時まで) 八月十五日まで。
青竹の筒に入れられたろうそくの光が、優しく足元を照らします。
 
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★また、山峡の風情を味わう「貴船川納涼川床料理」で自然の涼しさいっぱいの京の別天地へお越しになっては如何でしょう。
残暑の厳しい京都、九月中旬頃までは賑わいます。十六軒の料理屋さんが貴船川に沿って立ち並んで居ります。どことも川に床を出しての席で情緒と涼しさは抜群です。
その分、料理のわりには値段は少々↑?のようです。
 
§ 周辺の見所は §
 
▲貴船神社は水の神様と共に縁結びの神様としても有名で、男女の縁だけでなく、人と人との縁も結ばれると言われ、子授けなどあらゆる縁結びに霊験あらたかであると伝えられています。
▲下流に蛍岩と呼ばれている大きな岩があり、平安中期の歌人・和泉式部が夫の心が遠のいたのを嘆いて、祈願したときに詠んだ歌の場所です。
▲もともと貴船神社の本社であった今の奥宮の神殿の下には日本三大竜穴の一つ、貴船竜穴(その他 大和の室生竜穴、備前の竜穴)があります。
 

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2016年07月03日 09時49分02秒 | 【祇園祭シリーズ】
 [祇 園 祭 シリーズ]

 
★祇園祭の山鉾巡行を前に七月三日、祇園祭の船鉾の吉符入りに合わせて、古来から船鉾に伝わる二つの神面の無事を確かめる「神面改め」の儀式がが行われた。
船鉾には、十五世紀半ばの室町時代の作とされる「本面」と、江戸時代に本面に似せて彫られた「写し面」がある。
巡行では、神体の神功皇后に写し面をつけ、本面は当番の役員が携えて鉾に乗る。
毎年、船鉾の神事始め「吉符入り」の日に神面を確認するならわし。
室町時代中期に作られた本面と江戸時代に作られた写し面をそれぞれ木箱から取り出し、古式にのっとり、息がかからないよう懐紙を口にくわえ、穏やかな笑みをたたえた神面を前に掲げて披露し、変わりない姿に対面し確認すると再び木箱にしまって祭壇に供えた。山鉾巡行では、神体・神功皇后像に写し面を付け、本面は役員が持って鉾に上がる.


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2016年07月02日 16時36分19秒 | 【祇園祭シリーズ】

  [祇園祭シリーズ] 

★祇園祭の山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が三十四基ある山鉾の巡行順を決めるくじ取り式が毎年七月二日、京都市役所市会議場で門川大作市長の立ち会いで行われた。
巡行は、十七日の前祭(さきまつり)と二十四日の後祭(あとまつり)に分かれる。前祭巡行で先頭の長刀鉾に続く「山一番」は山伏山(やまぶしやま)が十四年ぶりに引き当てた。大船鉾は、慣例であらかじめ順番が決まっている「くじ取らず」で後祭の最後尾を進む。
山鉾町の代表者たちは羽織はかま姿で儀式に臨んだ。「くじ取らず」の八基を除き、前祭の十八基と後祭の六基の代表が予備くじ順に登壇し、くじを取った。
後祭では、くじ取らずの橋弁慶山、北観音山に続く「山一番」は、浄妙山(じょうみょうやま)が取った。
くじ取り式では、前祭の二十四基と後祭の十基それぞれがグループ内で進む順番を決める。巡行の先陣争いによる混乱を避けるため、一五〇〇(明応九)年に始まった。 
くじ取り式は、巡行の先陣争いが絶えなかったことから一五〇〇(明応九)年に始まったといわれる。

 

 今年の巡行順は次の通り。

【前祭(十七日)の巡行】

(1)長刀鉾(2)山伏山(3)白楽天山(4)孟宗山(5)函谷(かんこ)鉾(6)太子山(7)四条傘鉾(8)占出(うらで)山(9)芦刈山(10)芦刈山(11)蟷螂(とうろう)山(12)保昌(ほうしょう)山(13)鶏鉾(14)伯牙山(15)綾傘鉾(16)霰天神(あられてんじん)山(17)菊水鉾(18)木賊(とくさ)山(19)郭巨(かっきょ)山(20)油天神山(21))放下鉾(22)岩戸山(23)船鉾


【後祭(二十四日)の巡行】

(1)橋弁慶山(2)北観音山(3)浄妙山(じょうみょうやま)(4)役行者山(5)黒主山(6)南観音山(7)鈴鹿山(8)八幡山(9))鯉山(10)大船鉾
明治時代は京都府庁や市役所など、終戦直後は八坂神社で行われていましたが、巡行順をめぐり山鉾町の争いが絶えなかったため、一九五三年からは市議会議場が会場になっています。内部の様子は、残念ながら見学できません。

     [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]
 

★東山区・高台寺は秀吉公の菩提を弔うため、慶長十一年(一六〇六)正室の北政所によって建立され、北政所は秀吉公の没後、高台寺に移り住みました。
高台寺及びその塔頭寺院は、公家集、諸大名、文化人等、多くの人が寄り集い、さながら当時の一大サロンであったと伝えられている。
今年も高台寺境内にて”夢”を短冊につづって夜の特別拝観「高台寺・七夕会」が二日、三日と行われる。
七夕飾りを照らすライトアップ行事「高台寺七夕会」は、色とりどりの短冊約五千枚が夜空に浮かび上がった。
高台寺の夏の恒例行事で、高さ三~五メートルのササ二十五本が境内の前庭や駐車場に並んだ。それぞれのササには、「毎日笑顔ですごせますように」「野球選手になりたい」などと願い事を手書きした短冊が下がり、夜風にひらひらと揺れていた。