1985年3月10日(日)、この日は片岡~蒲須坂間で荷物列車やあけぼのなどを撮影し、その後黒磯駅に向かったようです。
良く覚えていませんが、何かのイヴェントでEF5889が黒磯に来ている事は知っていたようです。
駅のホームなどからスナップした写真ですが、既にイヴェントは終わってしまっていたのかも知れません。
ED75121はお召し装備ですね。
手前の線路に停まっていた上り貨物列車の先頭に、EF651019が据え付けられたところ。
1019号機は後に派手な塗装の赤い直流機となりますが、そんなこととはつゆ知らず...
EF5889はパンタ降ろして、ED75121の国旗も外されてしまいました。
黒磯駅にて
1985年3月10日撮影、原板は135ポジ(KR)
良く覚えていませんが、何かのイヴェントでEF5889が黒磯に来ている事は知っていたようです。
駅のホームなどからスナップした写真ですが、既にイヴェントは終わってしまっていたのかも知れません。
ED75121はお召し装備ですね。
手前の線路に停まっていた上り貨物列車の先頭に、EF651019が据え付けられたところ。
1019号機は後に派手な塗装の赤い直流機となりますが、そんなこととはつゆ知らず...
EF5889はパンタ降ろして、ED75121の国旗も外されてしまいました。
黒磯駅にて
1985年3月10日撮影、原板は135ポジ(KR)
昭和の交直旅客電機の代表選手の並びですね。
3枚目は駅撮りの悲しさでしょうね。
光線の具合から言ってお昼前だと思うのですが、そんなに早く終わってしまう撮影会も不思議ですね。
交流機と直流機の並び、黒磯駅ならではですね。
貨車が居なければ多分後方からも撮っていたと思いますが、貨車で目隠しかな?
駅を出て反対側へ行くのに大分時間が掛かったのかも知れません。(笑)
しかも651019が飛び入り参加(笑)
機関車だけでも脳が破裂しそうに興奮しますが、私め車掌車に目が行ってしまい
ました。1985年3月というと、、、記憶があいまいですが、車掌車も役目を
終える寸前ではなかったかと。
コメントを有り難うございます。
今から思えば夢のような並びだったのですね。(笑)
車掌車を見たのはいつ頃までだったか、知らないうちに無くなってしまった感じです。
これは懐かしい。この日は終焉間近に迫った急行「なすの」の特別団体「さよならなすの号」で行く撮影会でした。当時小学生だった私は劣等生(今も?)だったため日曜朝は塾通いで、この団体列車のおおよその時刻は知っていましたが撮りに行くわけにもいかず大いに悔しい思いをしたものです。撮影会は団体利用者優先でしたが、ホームから撮るのは自由という情報も得ており、帰宅後はカメラの入ったバッグをひったくるようにして黒磯へ向かいました。午後イチには到着しましたが、既にナナゴのお召装備は片付けられ機回しの途中。どうにか4番線の131列車(一ノ関行き)の89号機と並んだところを撮るのが精一杯。2番線では団体の「さよならなすの号」がスタンバイしており、出発前の模様を撮れました。
※この列車、黒磯方には「サヨナラなすの」の絵入りマーク(千葉局のサイズ)、東京方には矢羽根形の「なすの」マークが付いていました。後から聞いた話では60.3改正で使用停止となる片岡の中線に入れて、矢羽根の中にある「湘南日光」などを表示して撮影会をしていたようです。
団体列車発車後の黒磯はうって変わって静かになり、西日を浴びて田端へと帰る89号機(この頃はパックなんて呼ぶ人はいなかったはず)の単9012列車をのんびりと撮影して帰宅したのでした。
あまりいいネガフィルムでないため当方は若干赤かぶりでしたが、今もネガ・プリンとともにしっかりと保存してあり、先般も見返して懐かしく思っておりました。
長くなってしまい申し訳ありません。当時の記録は結構まめにしてあるため、また別の記事にコメント差し上げられればと存じます。失礼いたしました。
ご来訪と詳細なコメントを有り難うございます。
お陰様で撮影会の様子が良く分かりました。自分が行ったのも、蒲須坂付近で荷物列車などを撮影してからでしたので、既に終了した後だったのですね。
蒲須坂で撮影したコマの中に、165系6輌の写真があるのですが、この列車がもしかして「さよならなすの号」でしょうかね? 下り列車で八甲田や急行つくばね?の後なので、多分8101レのスジだと思いますが、後追いなのでHMは分かりません。
当方、電車には疎くて当時の記録もいい加減、また何か分からない事が有るかも知れませんが、その時は宜しくご教示下さい。
有り難うございました。