
1971年はC62重連急行「ニセコ」最後の年でもありました。
下りの「ニセコ3号」、函館~長万部間はC62の単機牽引、長万部から小樽までは峠を4つ程越えるために前補機が付きます。末期にはC622が前補機に付くことが多かった様です。この時に残っていたC62は他に3号機と15号機、3号機が本務機の時にはゴールデンコンビと呼ばれていました。
列車が来ないとは言え、撮影しているところは軌道敷地内、今では絶対に出来ませんが、当時は大勢のファンが撮影していて大らかなものでした。
函館本線 長万部 1971年8月30日撮影
下りの「ニセコ3号」、函館~長万部間はC62の単機牽引、長万部から小樽までは峠を4つ程越えるために前補機が付きます。末期にはC622が前補機に付くことが多かった様です。この時に残っていたC62は他に3号機と15号機、3号機が本務機の時にはゴールデンコンビと呼ばれていました。
列車が来ないとは言え、撮影しているところは軌道敷地内、今では絶対に出来ませんが、当時は大勢のファンが撮影していて大らかなものでした。
函館本線 長万部 1971年8月30日撮影
許されていた時代ですね。
分をわきまえた行動さえしていれば結構許して貰えた
おおらかな頃ですね。今そんな事をしたら遠慮も
配慮も知らないゆとり世代が大暴れして収拾つかなく
なってしまうのでしょう。