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元ラジオのディレクターが、二件の雑貨屋と、一件のわらじ問屋を訪ね、インタビューをきっかけにして、自分の生きてきた時代について思いを巡らす。
言葉に携わる職業についていたからであろうが、非常にこなれた文章を書くので、ノンフィクションライターとして活躍してくれなかったことが非常に残念である。
訪ねた雑貨屋は、中野坂上と国府津というかけ離れたところだが、いずれの場所においても著者は生きながらえた前近代と出会うことになる。その最たるものがわらじであり、著者はそこに「稲の文化」ではない「藁の文化」を見いだすこととなる。
雑貨屋に並んでいるものは、昔懐かしいものばかりなのだが、昔から売れ残っているものではなく、今でも生産されて、買われ続けているのだということが、この本のポイントだろう。現在の日本人の平均寿命の80年を思えば、人が生き続けている限り、その人の身に染み付いた習慣も生き続けるわけだから、そんなにかんたんに物のすべてが変わってしまうわけがないのだ。それは当たり前のことでありながら、なかなか表に現れないことであるし、そのことを問題化するひとも少ない。
衣服や家電に対する自身の思い出なども書かれており、日本人が物と人との関係をどう考え、変えてきたかを考えるための良書でもあろう。
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この感想文は、ネットで作者のことを調べていたら、ある人物が書評として載せていたものです。
農業の国? 米と藁の関係! 日本?
雑貨屋さん、って、今でもあるのかしら。
この本の中で、記されていたのは、今や箒(ほうき)などは、東南アジアからの輸入がほとんど、だという。 う~ん、びっくりとがっかりとが入り混じる。
もっと言えば、雑貨屋さんとお客さんとの会話である。 このやりとりが、無くなってしまっている、今日この頃・・・
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