O-SAMは、まだユクのか?

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今ごろ、マルクス?でも今こそ、マルクス!

2018-07-17 15:23:25 | 読書ー本の紹介

例によって、内田 樹さんと石川 康宏サンのコンビでの、ドイツなどの旅行記? 対談など・・・

僅か、一週間ほどのヨーロッパ、しかもほぼドイツ、そしてイギリス、とマルクスの歴史を尋ねるという貴重な体験。 30人くらいのツアーみたいだが、途中で講演もあり、中身の濃い~い話になっている。 マルクス生家の写真なども載っていて、感慨深い。

で、相変わらずの本書からの引用>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

内田:なぜぼくがアメリカにおけるマルクスなんかにあるのかといえば、理由は簡単で、それは日本がアメリカの属国だからです。日本はアメリカの属国であって、日本の基本的な国家戦略というのは、すべてアメリカの許諾を得ないと行えない。安全保障であってもエネルギーであっても食料であっても、すべての外交戦略、すべての政策というのは全部アメリカがOKしないかぎりは実行できないのが日本の状態であって、これはもう世界中の人が知っていることです。「日本はアメリカの衛星国であって、属国である」と。ソ連の衛星国がなくなったいま、世界で衛星国と言われているのは日本だけしか残っていないんじゃないかというぐらいに衛星国なわけです。そして、衛星国である以上、ぼくはなんとか国家主権を回復したいと思っているんですけれども、その前段として、アメリカという国は何を考えているのか、アメリカのコスモロジー(宇宙論)は何かということです。アメリカの権力者の目から見て、世界はどんなふうに見えているのか。それはぼくにとって、非常に、緊急に研究する必要があることなんです。

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これは、内田さんの研究テーマのハナシであって、まあ、その通りかな、と思うのですが、私は、何故か、最新刊から逆周りに読んでしまって、いま、ようやく「若者よマルクスを読もうⅡ」を読んでいるところで、この本が、都合3~4年かけて出来ているのがスゴイ! 何故なら、東北の津波被害による原発の災害や、それに続く、政治の酷い動きに、二人とも忙しくなったためでもある。

表紙はこれ。

で、この中で、忙しくなった原因に、悪政が関係していると、書かれている部分があって、これもまさに、その通りだと、得心している私がいる。 ただ、内田先生と私の違いは、私は悪政になっても、横目で見ながら、立ち飲み屋でウップンを晴らすというようなことは、いまでもある意味、はしたない、と思って、なるべく普通のハナシをするように心がけている。 普通のハナシであっても、「良心」や「思いやり」などのテーマについては、一言二言、思っていることはしゃべれるだろうし、大切なことだ。

困っている人がいれば、どうすればよいかの相談くらいは、普通するだろうし、別に自分に出来ないことまで、ひっかぶることは、しないし言わないし。

ただ、行きつけの居酒屋さんでは、「それな無いやろ・・・」みたいな発言は、時々してしまう。(反省?)  酔ってるからではない、そこでは、気が許せる人たちが集まっているからで、そうで無ければ、そんな発言は一切しない。 まあ、気持ちよく飲んで、美味しく食べられれば、それで、良いのであるが。。。

 しかし、である、この本でも紹介されている、当時の大阪市市長が、市バスの運転手の給料が高い(阪神、阪急などの民間のバスの給料と比較して)ので、その水準に合わせるために給料を下げようという提案をして、これが議会で通ってしまった。 「ええっ? それは無いやろ!」と。 おお~い、他の労働組合もふくめて、何をしてるのか???!

これは、賃金を基本、下げるという悪法ではないか。 何のために労働基本法(三っつある!)があるのか?  ありえない、逆だろ! 市バスの運転手の給料が高いと思うのなら、それに合わしなさいと言う指導を、労働局なりが指導すべきところではないか。 と一人で怒っていたのが、この本では、それ以外も含めて、紹介されている。  みんな、騙されている・・・  としか思えない。

で、今ようやく、このシリーズの最初の本に取り掛かっている。対話の内容が2009年で、

出版が、2010年、「共産党宣言」(マルクスとエンゲルスの共著)の紹介から、始まっているこのシリーズは、この暑さのせいではなく、この国の私も含めた、煮えたぎった頭を、少し冷やしてくれる、そのような役割をしてくれるのではないか、という、とっても節約できる、冷却効果があるような気がする。  と言いながら、生ギョーザを買ってきて、アツアツの焼き立てをあてに冷たいビールをキューっつと飲んで、借りてきたDVD(ジョージ・オーウェル原作の「1984年」)を見ながら、少し反省しているところである・・・