写真の未来。

野町和嘉「写真」を巡って。

野町和嘉はサハラから始めた。(1-2)

2007年01月16日 | サハラ

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今、野町和嘉は、赤褐色の砂丘の上で、シャッターを押している。
30回もサハラに通い続けると、野町は旅行者から、生活者に変化して行く。生活者となると、サハラの歴史、その何万年もの記憶の琴線に触れることになり、満天の星空や、猛暑の褐色の砂丘の上で、日本人としてのDNAの記憶とサハラのそれとが、日々対話を始めることになる。

記憶の琴線に触れると言ったのは、日本人なら田舎の神社にお詣りしたり、お祭りの御輿を担いだりすると、何千年、いやことによると何万年もの祖先から、自分の血に流れているDNAが騒いで、胸がキュンするあの感覚のことなのですが、この胸キュンも、言葉では表せない無意識の領分にあり、日本の風景、例えば富士山や屋久島の縄文杉の写真などから、感じたりする感覚ですが、野町の写真を見ていると、やはり同じ感覚が生まれてくるので、確かに、同じ無意識のパルスが、野町写真にも撮し込まれていると思う。毎日見ていると重いけれど、深夜一人で眺めていると、胸キュンする、そんな魅力なのですが、それを言葉にしようとすると、綴る言葉の間から、写真がこぼれ落ちてしまうのです。

サハラ砂漠と富士山。地球上遠く隔った場所の、ふたつの写真から、同じ胸キュンを感じるのは、撮影者が同じ日本人だから、日本人同士のDNAが共鳴したのか、それとも、地球人のDNAが共鳴したのか。我々現代人は、ロケットで地球を飛び出し、宇宙から地球を眺めることで、約40年ほど前から、地球人という共有視点を持つことが出来るようになりましたが、この地球人も、これまた、綴る言葉の間からこぼれ落ちてしまう感覚なので、この胸キュンを言葉で説明することが、益々難しくなって行きます。

その中でも、我々日本人が一番遠いと感じるのは、サハラ砂漠です。
野町和嘉のサハラの写真に感じるのは、日本人としての私のDNAからの共鳴ではなく、どちらかというと地球人としての私のDNAからの様な気がします。近年の人類学のアプローチは、それを過去に、石器時代をさかのぼり、人類の祖先、新人(ホモサピエンス・サピエンス)が発生した時からの記憶と、さらにその記憶を、生物学、医学の視点から、脳の機能や構造と統合し、科学は解明を進めていますが、果たして、物理学でアインシュタインの相対性理論がしたように、科学で胸キュンを解明することになるのでしょうか。

どうも、野町和嘉写真のことを話すと、胸キュンから導かれるのか、自分の気持や心の内を話すことになってしまって、言葉にすると恥ずかしいことになりそうで、口をつぐんんでしまう。そこで、端折って、野町和嘉の写真は「見てもらえば分かる」。と言うのでは、フランスの思想家ロラン・バルトが、この写真には「プンクトゥム=見る者を突き刺す」がある。と言うのと同じで、ラベルを貼ってわかった積もりになる、つまり言葉に騙されことになるので、用心しなければならない。

私にそなわった、言葉以外のメディア能力で、その無意識のパルスを正確に伝達できないのであれば、説明は、やはり言葉でしなければならないことになるが、人類とは、ネアンデルタール人などの旧人から、突然変異し、新人(ホモサピエンス、サピエンス)となり、大脳の能力を得、言葉を創ったと言われているが、次に、また突然変異し、「新新人」に生まれ変わるとすれば、そこで人類が得るものは、今よりもっと性能が良い、無意識を受発信できる能力であって欲しいと思う。何故そう思うのかは、おいおいお話しするとして、野町がシャッターを押す心の内では、サハラの歴史、その記憶の琴線に触れていたことは確かなように思う。
…次回へ続く


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