写真の未来。

野町和嘉「写真」を巡って。

永遠のモナ・リザ-1

2007年09月03日 | 「無限・永遠」
「言語思考」になるべく囚われず進める。が当ブログの思惑でしたが、思わず…「言語思考」について…などをテーマにしてしまいましたので、「言語思考」の罠にまんまとはまってしまったようです。今回からは、当初の目論見どうり、「言語思考」を振り回し、幻惑させ、綴る言葉の間からこぼれ落ちてしまうテーマを取り上げたいと思います。
前回までの収穫から、「言語思考」は、「無限」を語る場合、「無限」とラベリングするか、∞と書くか、或いは、無限の数の「言葉と紙面」がなければ「無限」を語れないことが分かりました。
また、「無限」の言葉は、無限の数とか、無限の彼方の距離、などの場合に用い、時間は「永遠」と表現しますので、時空、つまり「世界」にある「無限」は、これからは「無限・永遠」と表現することにします。

早速、例えば「絵画」などは、「無限・永遠」をどのように表現しているのかを見てみましょう。

しかしその前に、「無限・永遠」が、綴る言葉の間からこぼれ落ちてしまう認識であるとすると、つまり「言語思考」が「無限・永遠」を十分認識できないとすると、前にお話しした「祈り」と同じように、耳や目のように、それと分かる「無限・永遠」を認識する感覚器官が、人間の肉体のどこかにあって、その感受器官が認識をしているような気がするのですが、そして絵画などの表現は、その…「無限・永遠」を認識する感覚器官…に向かって認識・理解を求めているのではないでしょうか。
このように想定すると、ブログという「言語思考」ツールを使っていても、その限界を突破できるのでは…と思うのですが、本当に、上手く行くのかどうなのか、とりあえずやってみようと思いますが、これなら「言語思考」をキリキリ舞いさせられるように思います。…

世界の美術館には、永遠に美を認められる「名画」が数多く存在します。論理的に考えて、歴史を越え、永遠に美を認められるには、描かれた美が「無限・永遠」でなければ、永遠の名画として認められないことになります。永遠に語り継がれる「画家」とは、「無限・永遠」をキャンバスに表現できる技術と思考を持つ特別な人、つまり天才と言われます。

そして、名画中の名画は、天才レオナルド・ダ・ビンチの「モナ・リザ」です。
「モナ・リザ」に描かれた、「無限・永遠」を見てみましょう。

レオナルド・ダ・ビンチの絵の中には、必ず、「無限の彼方」の表現があります。それは、人物の背景にある、「風景」とそこに描かれた「空」です。「空」は等しく人間が無意識に感ずる「無限」感覚ですが、それ故なのか多くの場合、空の表現は、白雲が青空に浮かぶ、お約束の書き割り的な表現が多く、青空の彼方が無限に広がっているのを意識し、それを表現しようとしている絵はあまりありません。
「モナ・リザ」の絵を見て先ず感ずるのは、画面の空間に立つ「モナ・リザ」本人と、眺めている自分自身が、空間を共有している感覚です。自分の前方と「モナ・リザ」の前方との空間が同じ地平上にある感覚です。そこには絵からはみ出た空間と自分の空間が混ざり合って在るのです。その感覚のまま、背景の「風景」と「空」とを見ると、そこには「風景」の空間があり、さらにその奥に、無限の「空」(宇宙)の空間があるように感じられます。「モナ・リザ」の絵には、ありふれた絵の中の空間表現だけでなく、見る者の空間をも巻き込んでしまう魅力があるのです。
さらに、次のことを意識させられます。私の前に空間があるなら、私自身と、私の背後にも空間あることに気付かされます。そして、その空間が絵の背景の空と同じく、無限の広がりがあることをです。
さらに次のことを想像してしまいます。画面の奥の無限空間では、平行線は、一点に交わるのだろうか。それとも、平行なままか。反対に双曲線として離れるのか、また私の背後の空間はどうなのだろうか?、と。現代の宇宙論にもつながってくるのです。
さらに、写真のように、「モナ・リザ」の絵を横に繋げると、「風景」が連なって見えてきます。つまり、左右方向にも「無限の広がり」を表現しようとする、レオナルド・ダ・ビンチの意図が見て取れます。首を左右に振って眺めると、横方向の空間が、絵に描かれた空間より広がって見えることを試してみてください。
明らかにレオナルド・ダ・ビンチは、人間には「無限・永遠」を認識する感覚器官がある。と思っているようです。


(クリックで拡大します)

「モナ・リザ」は遠近法で描かれています。東洋では、レオナルド・ダ・ビンチの効果を「逆遠近法」で表現しています。写真は機能上は遠近法ですから、レオナルド・ダ・ビンチの方法が参考になるのではないでしょうか。しかし、この技法を使ったら、総ての絵が「無限・永遠」を表現出来る訳ではありません。「無限・永遠」を認識する感覚を、それは人間に本来具わっていて、懐かしいものに出会うと感ずるような普遍的なものとして、画家がハッキリ意識していなければ表現出来ません。

野町和嘉の写真にも、そのような「無限・永遠」が写し込まれているように思うのですが…

(C)Copyright 2005 Kazuyoshi Nomachi. All Rights Reserved.
(クリックで拡大します)


次回は、「モナ・リザ」の絵に描かれたもう一つの「無限・永遠」である、マチエール、テクスチャーについて、お話ししたいと思います。

野町和嘉「写真」オフィシャルホームページ