写真の未来。

野町和嘉「写真」を巡って。

野町和嘉は、サハラから始めた。(1-1)

2006年12月28日 | サハラ

(C)Copyright 2005 Kazuyoshi Nomachi. All Rights Reserved.

野町和嘉のドキュメンタリー写真家としてのスタートは、1972年のサハラの撮影から始まる。
地平線まで続く、柔らかで茶褐色の砂丘の風景は、その後多くの写真家に撮影され、様々なメディアを通じ目にしてきた筈なのに、35年の時間が過ぎて、「野町のサハラ」だけが、原風景として、今も新鮮に心に響いてくるのは何故なのだろうか。

先ず、当時26歳の野町和嘉が、サハラに初めて出会った感激を語っているので見て欲しい。

私がはじめてサハラに足を踏み入れたのは1972年、フリーの写真家としてスタートして1年後のことだった。フリーになった当初、メシのために撮影していたのはスタジオでのモデルやタレント、そして様々な商品といった、もっぱら商業写真であった。
 ドキュメンタリーに転身するきっかけとなったサハラとの出会いは、友人たちに誘われたヨーロッパ・アルプスへのスキー・ツアーであった。ツアーを終えてパリで解散したのち、友人のひとりとポンコツ車を購入して、スペイン方面に気ままな旅に出てみようということになったのである。そこで、地図を買って眺めているうちに、スペインの南に北アフリカが広がっていて、その内陸が広大なサハラ砂漠であることにあらためて気づいた。ヨーロッパとアフリカを隔てるジブラルタル海峡は、フェリーでわずか1時間半。
 渡ってしまえば、舗装道路がサハラの真っ只中にまで通じているではないか。映画「アラビアのロレンス」で砂漠に魅せられて以来、“地平線に立ってみたい”という強烈な願望を抱いていた私たちの旅の目的地は、迷うことなくサハラになった。
 モロッコの東部を南下してアルジェリアに入る。走るにつれ乾きは徐々に激しくなり、剥き出しの大地のスケールと空の蒼さに圧倒された。そしてアルジェリアに入って2日目に、想像を絶する砂の海の真っ只中に私たちは立っていた。風に流れる砂は茶褐色の極限の粒子で、手ですくってみると砂金と見まごう美しさであった。
 砂と岩と天空の星々。空白の地平のなかに突如出現する緑したたるオアシス。そして砂の囚われとでもいうべき人々の強靭な生きざま。こうして異次元世界の虜にされた私のサハラ通いが、その翌年から始まるのである。
(高知新聞連載記事「異次元の大地へ」より) 


その後、野町のサハラ行きは、毎年数ヶ月から一年を滞在し、今までに30回程になる。写真撮影は、昼は猛暑から、日の出前や、早朝の2時間、夕方の2時間になるが、その時の話。


日が出る前は寒い。そして全く音がない。広大な沈黙の空間です。小鳥がさえずるわけでもない。夜は満天の星空です。夜中にトイレに起きて空を見ると、天の川が東西に流れていたのが、南北に大きくうねっている。正に宇宙空間です。ああ、地球が回っているんだなと。そういう音一つ無い空間に、今たった一人自分しかいないという時間の流れを体感すると、日本での日常では意識したこともなかった自分の中の何かが呼びさまされますね。
(明治屋刊「嗜好」別冊麦ブックより インタービュアー・安田容子)


このような孤独な経験を重ねることで、野町の写真は、旅行者の写真から、生活者の写真に変化して行った。生活者となると、何千年ものサハラの歴史、その記憶の琴線に触れることを意味し、満天の星空や、猛暑の褐色の砂丘の上で、日本人としてのDNAの記憶とサハラのそれとが、日々対話を始めることになった。

そして何故、30回も通い続けなければならなかったのか、ここに、これからお話しする、その後の野町和嘉「写真」の秘密も、隠れているように思う。
…次回へ続く


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