写真の未来。

野町和嘉「写真」を巡って。

AIとレンマと存思(2)ー成仏の方法(13)

2023年03月15日 | AIについて

続きです。----

先回は、AIはロゴス思考で動作していて、ロゴス思考の特徴とその上で動くAIの特徴をお話して来ました。

 

・AIの問題点とは何か。

AIは、例えば以下の問いからどんな答えを出力するでしょうか。

「電車を降り人々が歩いています。右折すると改札口です。人々の列の動きを教えてください。」

予め個々人のデータと駅構内の地図情報がアルゴリズムソフトには入力されています。

次の四つの例が考えられます。

(1)駅が設置した「改札口へは右折してください」の案内表示で、列は右折します。その中の何人かは立ち止まったり列から離れたりしますが、右折した人は95%でした。

(2)左右にロープが張ってあるので、否応なく列の100%が右折し改札口に向かった。

(3)個人が自由に判断して、列の51%が右折し改札口に向かった。

(4)神の啓示により、右折への道が示され、人々はその道を通り列は右折した。

AIは(1)~(4)の全てに「列は右折した。」と、AIは出力します。

「列は右折した」の判断は、現代社会の秩序(政治・経済・法律・慣習)や常識など、今日の社会通念を加味しAIのアルゴリズムが出力した結果になります。

本来AIは、数学的にニュートラルな資質と性能を持つのですが、しかし数学もロゴスなのでこのニュートラルもロゴス的にニュートラルの意なのですが、さらに、前出の「超越的第三者の眼差し」の指示にも従う事になります。この現代人がもつ「超越的第三者の眼差し」とは、神の啓示や無神論の虚無をも超える、欲望には無抵抗な現代人の意思なので、AIもこの「現代」というロゴスの「個性」(バイアス)を身にまとうのは避けられません。

しかしAIの出力値にはたくさん複雑があるのに、全ての判断がなぜ「列は右折する」の一つになるのか、これはAIを創ったのが現代の人間だったからからなのですが、そうだとすると、これからお話しして行くように、上手に使うと不可能を可能にする未来を開く力を発揮できることになるかとも思います。

これら(1)~(4)を現代の社会常識、通念から説明すると

(1)は、国民には目的への自由が与えられていますので、案内表示に従い列は必ず右折するとは限りません。

(2)は、警察が強制的に個人の自由を封じています。列は必ず右折します。

(3)は、選挙投票と同じで、民主主義の多数決となります。列は右折します。

(4)は、これは「God Bless the President」の宣誓で指導者を選ぶアメリカ合衆国の一神教の様式であり、たぶん列は右折します。でもイスラムは拒否するかもしれません。

以上の説明が意味するところは、「個人(個)」と「全体」の関係です。

また後でお話しする「静止」と「運動」の関係でもあります。

個人はあくまで「個人」ですが、「全体」とは列、仲間、信徒、サークル、地域、社会、国家などに置き換えられます。

時にAIの実行者が、ニュートラルなAIアルゴリズムに対して、「全体」をどうしたいのか、そのため「個人」にはどんな行動を求めるのか。を目的にして、その方向に誘導することがあります。そこからAIは政治の政策に使えるのではないか。という考えが生まれてきています。

しかし、次の状況もあり得るのです。

(5)「津波てんでんこ」状況です。これは岩手三陸地方の、津波が来たら人のことを考えずいち早く各自てんでんばらばらに高台へ逃げろという古くからの言い伝えです。

改札口でなくてもいい、自由意志で勝手に動けということで、冷静なはずの「超越的第三者の眼差し」ですが恐れからこれを促します。

立ち止まり広報の警報を聞いたり人の指示や助けを待つのではなく、また他人を助けようなどとも思わず、瞬時に自分勝手に判断し逃げなさい。と言うことです。

つまり(5)の場合、列は散り散りに消失します。

本来、AIが出力するデータとは、個々人それぞれの振る舞いが出力される単なる値の集合に過ぎません。これがニュートラルという事ですが、「右折する」の判断は、その値からアルゴリズムが「目的」で判断し「全体」の結果を導く手順に過ぎません。

確認すると根本は、個人である一人一人が右折するから列が右折するのであって、列が右折するから個人が右折するのではない。ということです。だから、数学的ニュートラルを保てるのです。

単に列を右折させたいのなら、詳細な個人情報を大量にAIに入力させる必要はありません。

何故、最後の「全体」の行動情報のみをAIに求めるのでしょうか。こんなAIの使い方は、AIの性能を無駄にしているのではないでしょうか。勿体無い使い方です。

できるだけ多くの個人の詳細データを入力し、高度な数学的アルゴリズムをより高速のCPUで動かすと、より正確な個人の予測データが得られるがAIの基本性能なのです。

 

・将来的に、「相対性理論」が「量子論」になってゆくような変化が、AIにもあるのではないか

 

ロゴスの来し方行末をながめる。

これまでお話ししてきたことは、本来数学的にニュートラルなAIが、「現実」からのバイアスで特別な個性を持たされてしまう。一例でした。

ではAIの行末はこれからどうなるのか。これはロゴスの進歩次第になるのですが、ではその進歩とはどの様なものなのでしょうか。

その進歩は、常にロゴス思考のバックボーンにある「超越的第三者の眼差し」に促され続けています。

 

ロゴスの宇宙論では、対称性を保っていた宇宙が、対称性の破れでビッグバンでが発生し、何度かの対消滅、対生成を経て反物質が消え物質だらけの存在になったと言われています。しかしロゴスの「超越的第三者の眼差し」は容赦なく、次の疑問を投げかけてきます。では「ビックバンの前には何があったのか?」、「宇宙の彼方の時空の先には何があるの?」というものです。それに応えて人類は、宇宙の果て138億年前のビックバンの痕跡を探索するため、ファーストスターの発見にジェームス・ウェッブ宇宙望遠鏡を打ち上げました。

物理学では、素粒子理論からひも理論へと思考が繋がり、物質の極小とは何か?。と言う問いに取り組んでいます。しかし、もう考察はそれで終わりではないでしょうね。と「超越的第三者の眼差し」はその先の極小は何か?を問うています。

生物学では、DNAゲノム解析を通じて人類の系列探しが行われたり、遺伝子操作によってクローン人間が創り出されようとするなど、従来の思考を超えたアプローチが試みられています。例えば、脳が司令塔で機能しているという従来の考え方にとどまらず、体内の各器官が脳を介さずに、例えばエクソソームのような細胞外小胞が血管ネットワークを通じ独自に情報交換しながら協調して動くなど、解剖図ベースの静止思考や従来型のツリー状思考ではもう説明出来なくなってきていて、さらには量子脳など、体内には量子論的な動きをする器官があるのではないか?などと、「超越的第三者の眼差し」の要請に応えて、体内感覚や医療の解明に向け研究が進められています。

このように物理学にとどまらず生物学までにも量子論的な考え方は及び、さらに量子論では量子もつれを発見し、宇宙論ではホログラフィックス宇宙や量子テレポーテーションなどで光速を超えるワープが可能になるのか?までロゴス思考が発展しています。

今我々が住む宇宙は、ビッグバンで反物質が消えて物質だらけになった世界なので、この対称性の破れで、物質と迷子になった反物質との間で量子もつれが生まれていて、ホログラフィックス宇宙理論では宇宙の物質世界とは正反対の反物質世界をも映し出すことになるかも知れません。

 

では量子論の基本とは何か?。分子、原子、素粒子などのミクロの世界では「物質は粒子と波動のいずれかで存在する」というロゴスの思考があります。

その思考では、観測がキーになります。粒子の「存在」とは、「観測」という「静止」状態で得られます。そして観測以外の運動状態では「波動」で「存在」する。と考えます。

波動である理由になる二重スリット実験で発生する干渉縞とは、スリットという静止点で運動を停止させ観測する実験で得られます。この観測から量子論では、物質は「粒子」と「波動」の両犠牲を持つ「存在」と定義されました。ロゴスは独特の方法でこの思考を表現しましたが、しかし「超越的第三者の眼差し」は、第三の状態もあるのではないか?、物質には臭いがあるのでそれはどうなのか、音は波動で説明できるかもしれない?などと疑問を投げかけます。

 

ロゴスは「存在」を道具に思考をしています。「存在」は意識が言語化されて発生するとお話ししてきました。(前回を参照)「存在」とは物質だけではなく感覚・感情・思考・運動・傾向・自然現象など無形のものも意識され名称(言語化)が与えられると「存在」として現出します。そして宇宙論も生物学も哲学も心理学も科学全般がこの「存在」を道具に思考しています。

すべての物や事は動いています。言語が対象を言語化するには、ロゴスが対象の動きを意識し停止させ、観察し、言語化します。これがロゴスの線形性と時間性を持つ思考手順の特徴であり、これで「存在」を時間に沿って並べ比較し思考することが可能になります。

そして量子論はロゴス思考の範疇ですから、同じ方法で、常に動いて止まらないミクロ物質現象をまず停止させ、観測し、粒子と波動という二つの「存在」を現出させることになります。しかしこの場合「停止した波動の存在」という言語矛盾にロゴスは気づいていません。

この方法は、ゴルフの教則本と同じです。スイングのトップとボトム、フォロースローでのクラブの位置や回転中の肩や腰の位置など、それぞれを動きを止めた状態で認識説明し、それら静止点を繋げてスイング(動き)にするように教えます。これでゴルフは上達するでしょうか。そこで、動画の登場になるのですが、ここではロゴスとは別の意識で「運動」を掴み取ることはできますが、自分の身体に移して動きにするのは難しい技になります。そしてこれはロゴスの表現で不確定性原理と言われることになります。

つまりロゴス思考とは、介在すると動いているものを正しく認知したり表現が出来なくなってしまう、ノロマな思考なのです。

ロゴスでの動きの表現とは、静止(刹那)を繋げれば運動になる。が基本です。だからこんな不自由な説明になるのですが、正しく「運動」を理解するには、人間が持つ別の思考を用いる必要があるのです。

 

「レンマ」や身体感覚の「ある自由意識」では、全体を一気に掴み取る方法で「運動」を認識し理解します。これら意識・思考は非線形と非時間性を持つているので、「静止」も「運動」の一部としてとらえ、ロゴスの「静止」をつなげ「運動」にするような面倒なことは考えません。

例えば身体感覚の「ある自由意識」では、身体の細胞すべてが動いていて止まらず、そしてそれらには全宇宙(外部)と連携した「気」が流れている。と、東洋の思想、ヨガやタオ、仏教では考えます。

「気」の動きは身体の全ての動きとも連動します。気を意識すれば身体を、身体を意識すれば気を自然に認識ようになると言われます。

科学では、我々の身体の細胞は分子・原子・素粒子でできていると教えてくれます。しかし分子・原子・素粒子が動くと身体はどう動くのか、その間にはどのような連動関係があるのかなど、全く教えてはくれません。

「ロゴス」とは、東洋思想では「レンマ」の機能の一つに過ぎないと考えられています。そのため、ロゴス思考がベースとなる科学などの成果は、広くはレンマの成果にもなるので、躊躇なくレンマはそれを利用します。

レンマの思考方法である瞑想では、「身体」「気」「分子・原子・素粒子」の三者の関係について瞑想する場合、量子論の「粒子(静止)」と「波動(運動)」に分類する物質現象のことも大いに参考にしています。古来から、タオなどでは「気」と「身体」の関係について多くの探求結果が表されてきましたが、今後は「気」と「分子・原子・素粒子(身体)」との関係が瞑想の重要な課題になってくると思います。

 

レンマの瞑想に、このような量子論の考えを加えてもロゴスでは表現できないものも生まれてきます。これら、科学や哲学で表現できないものは、一即多、多即一、相即相入の華厳の思想や中沢新一著「レンマ学」で詳しく説明されている華厳五経草などを理解の参考にしてください。でもロゴス思考だけでこれを理解するのが難しいですね。

しかしこうも考えられています。「レンマ」とは、新しく学ぶものではなく、生まれた時から身に備わっていて、ロゴスを包み込む様にして存り、毎日毎時、無意識に使っているものなので、視点を変えて思い出しようにすれば良いと言われます。

例えば、ポンと背中を叩かれて振り向いた時が「レンマ」の発露です。この無意識の状態では、ほとんどの場合「レンマ」が発露しています。その後に「ロゴス」が動き出し、後ろの人を認識し言語化し、同時に存在として認識し会話を始めます。その時は「レンマ」も「ロゴス」もフル活動で、彼女の顔色や元気を感じて「おはよう!」と明るく返事をするのです。

 

AIはロゴス思考で創られています。同じロゴスの量子論は「波動」という新しい運動概念を呈示しています。そこでAIの進歩は、静止を繋げて「運動」とする従来思考から、この新しい量子論の「運動」原理を積極的に取り入れ次の展開に進むと思われます。

AIでの微分積分の利用は、停止した入力値を積分して運動とし、運動を微分して停止した出力値とすることで行われます。しがし、積分した運動はあくまで停止値であり人間が感じる動いて止まない運動とは少し違います。しかし量子論的には運動の近似値と考えることができますので、この成果を利用し、レンマには不完全な「運動」にはなるですが、共に動いて止まない「気」と身体の「分子・原子・素粒子」との間の解明に利用できるのではと考えます。

 

天気予報や動体のシュミレーションなどが、ロゴスが提示する運動として実用化されています。AIも数学もロゴスですから、アルゴリズムに微積分などの数学を用いて運動化しても、それは現象を一旦止め眺める、あくまで静止分析であり、静止値を繋げて線形性と時間性を持たせるロゴスの運動にすぎません。これらはレンマ運動の複雑性をリアルに顕在化した値ではなく限定的で、ロゴス流を超えては出られてはいません。レンマ運動を理解するためには、ロゴス翻訳で、現代人に通じる新しい分析値や単位を作らなければなりません。これをAIが担えるのではと考えていす。

人間も動いて止まない生き物なので、野球の投げられたボールをバットを振って打ち返すように、意識・思考も常に動きの中にあります。

AIでは数学的ニュートラルは保たれています。そこで、量子論での「動き」である「波動」をレンマ思考し、「静止」である「粒子」をロゴスが思考するようにして、最終結果をロゴスで 統合すれば、例えば「量子もつれのシュミレーション」や「人体の誕生から死亡までの細胞の動き」など量子論レベルの新思考による動体分析が、ブレークスルーに向かうことが出来るのではないでしょうか。

つまり問題は「言葉の理解が理解の全てになった」現代人が、レンマをどうしたら思い出してくれるのか、そして理解するようになるか、そしてこれをAIがどう実現できるのかになってきます

この問題の解決に、CPUや量子コンピュータなどハードの進歩、入力方法としてブレーンマシーンインターフェイスや脳波測定などの動的データーの収集、自然言語処理AIなどが加わってきます、しかし方法論としては停止の連続が運動であるの範囲を出ませんが、やがてやって来る現代人のロゴス思考の限界と絶望の打破には役立つと思われます。

 

長くなりました。詳しいお話は次回にお話しします。続く-----

 

おまけ………………………

ここまでは、主に、ロゴスの思考方法の特徴とその限界をお話ししてきました。

そして最近は、ロゴス思考に、AIやブロックチェーンなどの新しいスタイルが登場し、それが進歩と言われるようになっています。進歩と言ってもロゴス思考の範囲であり、思考方法に変質が生じたわけではなく、社会のシステムやコミュニケーションにスピードや手順の変化が生じた程度で、生存競争が激しく変質し生命の危険が迫って来たわけでもありません。

chatGPTに代表される自然言語処理AIは、ノロマなロゴスの代わりをやってくれると言う意味で、IQ300程の秘書が身近にいるようなものです。これにより、記憶や手間が省けるので、それを進歩と思えば進歩と言えますが、人間の根本的価値観が変わるレベルではありません。

ブロックチェーンの進歩は、DAO(分散型自律組織)や仮想通貨(暗号資産)絡みのDeFi(仮想型金融)などweb3.0関連で浸透を始めています。

これらは、chatGPTと同じくコンピュータによって進展し、数学的ニュートラルが基本にあります。ブロックチェーンの堅牢さと信頼は、言わば「神」の位置にありますが、ロゴスの監視役「超越的第三者の眼差し」とは地位を争う勢いがあります。しかしそれも、ブロックチェーンがロゴス思考の外に脱出できれば凌駕が可能ですが、それはにはコンピュータ思考が、「レンマ」や「ある自由意識」などのロゴス以外の意識・思考を超えられるかどうかにかかっています。

お話ししてきたAIの可能性にしてもそれは同じです。それは、レンマの思考はロゴスに翻訳されて理解される。つまり「言葉での理解が理解のすべて」である現代のルールで人間の進歩を実行する制限があるからです。

 

今回このブログを書いている間(2022年11月)には、chatGPTが発表され、続いて多くの自然言語処理AIが生まれている現状です。その中の一つNotionAIの「文章を改善する」機能を使い、今回のブログ文章の添削をしてもらいました。

私は、このブログの第一回の記事「始めに」でに述べたように、言葉や文章に敵意を持っているため、上手に文章が書くことができません。どうしても敵意が文中から滲み出すしてくるため、読者には理解しづらく、不快な気持ちをあたえてしまうようで、忸怩たる思いでいます。

今回、NotionAIを使って、敵意を薄める努力をしてみました。いかがでしょうか。滲み出る性格の悪さも軽減されたでしょうか。

でも自然言語処理AIは、今のところ「含羞」表現が苦手のようです。

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