地下鉄の西口に散策図があり、とりあえず歩いた。
本遠寺(ほんのんじ)日蓮の弟子日澄が熱田神宮内の法華堂を移し本堂として創建(1353年)、国宝の楼門は戦争で焼けたとの事。
本遠寺
成福寺。船頭重吉の碑説明板によると、1813年嵐の為に遭難し17ヶ月間太平洋を漂流し英国船に救助された。奇跡的に生還した小栗重吉が同行者の供養の為に建てた碑である。船を形どった珍しい石碑である。舟形の碑は、本堂前の泉水の中に置かれているとの事。
門の前にある石碑。
青念神社(おぶつね)。読めなくて地元の人に聞いた。熱田神宮の人が管理しているとの事、左方面にビルが立つ為に移動した。その際大きな木を切ると神罰があるかもとの事で残された。
青念神社跡地、現在も二本の木が残されている。
熱田魚市場跡。東海道宮の宿に栄えた魚市場で織田信長の居城清須に日々魚貝類を運んだと言われる。
宮の渡しへ行くと当時の面影の住居がある。
熱田荘
熱田荘説明板。
丹羽家
丹羽家説明板。
宮の宿とシーボルトの説明板。東海道桑名まで七里であるが現在はもっと長い港の埋め立ての為。
宮の渡しの常夜灯と鐘櫓、常夜灯は1625年に設置され、現在は復元。
現在の堀川方面を見る。
七里の渡し船着場跡説明。安藤広重の絵にも描かれていたとの事。
宝勝院。近代的な寺になっていた。
宝勝院の説明板。
現在は説明板のみの宮の宿赤本陣址。
影清社。影清は平家の侍大将忠清の次子で眼病になり失明した伝説からこの社は眼病に霊験があるとして信仰が篤い。
円福寺。前に犬がいて拝観はできなかった。
円福寺説明板。ここから東へ歩く・・・
東海道の道標。奥が東方向になる。
道標の説明板。ここから元の散策地図の西へ戻る。
源頼朝出生地。
源頼朝出生地説明板。
まだ熱田近辺には神社や寺が多くあり一日かけてしっかり見る事ができるが、今回は昼からの散策でありここで終わりとして次回に楽しみを残して帰路へ。