滋賀県木之本町にて第25回賤ヶ岳祭りを見に・・・
標高421mか・・・歩きたくなくなるなー
望遠で覗くと幟が見えた。羽柴方の若武者「賤ヶ岳の七本槍」で有名な・・・・
左から福島正則・加藤清正・糟野武則・平野長泰・加藤嘉明・片桐且元・脇坂安治かなー
ロープウエイ駐車場が祭り広場で、13時から甲冑演舞があるので先に賤ヶ岳へ散策に・・・・無料券をもらい・・・・
近江鉄道のロープウエイだ・・・平成3年に改修し静かになったと後から聞いた。
琵琶湖・静かな湖面だ。まだ300m登る・・・
由来の説明板があり・・・読むと天正11年(1583年)4月20日・21日柴田勝家と羽柴秀吉が天下をかけて賤ヶ岳の合戦で死傷者の霊を弔う石佛が点在していた。これらを一ヶ所に集めた。
毎年5月の賤ヶ岳まつり前に両軍の兵士を弔うための法要が行われる。
やっと下から見た幟のところへ着いた。
11時11分
ここで合戦の説明を聞きました。12分くらい・・・・ITO氏
天正11年(1583年)賤ヶ岳を中心とした余呉湖周辺での合戦。
織田信長の家来・羽柴秀吉と柴田勝家の戦い・・・前年の織田信長が本能寺で亡くなると・・・次の天下は・・・今NHKの大河ドラマにてこの年代を放映中かと思いますが・・・
ITO氏からみせてもらった古文書の写しかな・・・読めないなー
志津ヶ岳と書かれているが・・・
ロープウエイの登り口の説明板には弘法太師が賤の住む・・・と書かれていたが・・・
これは、小谷城にて発見した物で小さな仏像・武将のお守りではないかと・・・いろいろと説明を聞き・・・大岩山の中川清秀の墓まで2キロ
へ行くことに・・・13時の祭りに間に合うかどうか・・・
ここら辺は私有地であり、頂上付近は9人の地権者がいる。
ロープウエイも場所を貸しているとか・・・・
余呉湖・この方面に砦あとがあるんだが・・・体力ないので眺めていこう。以前は船が湖を走ったが風が強くたいへんとのことらしい・・・
現地地図
12時01分
12時14分
12時18分・ここから裏道を進んだが農道に出てしまい余呉駅への標識があり戻ってきた。ここで時間費やしてしまった。
帰り道に・首洗いの池へ50m下へ・・・・12時41分
首洗いの場所
賤ヶ岳に向けて歩くが、けっこう疲れて来た。13時45分
ロープウエイで降りたら・・・甲冑組が登って行くところでした。残念
14時04分
ここから駐車場の会場へ・・・
来年は甲冑組の演舞を見てから賤ヶ岳へ行く予定にと思い・・・・
よさこい踊りが始まった。・・・・
今日は気温も29℃となり急ぎ旅でした。もう一箇所予定してましたが
ここで帰ることに・・・・・名神高速は渋滞なかった。