おが の 冗談本気

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第1006話 「THUNDER IN THE EAST 30th Anniversary・・・その2」

2015年12月30日 17時30分19秒 | Weblog
前回からの続きですね・・・。

それでは当時の音楽の状況はどうなっていたか・・・というと
日本ではバンドブームはまだきてなかったと思う。
まだかろうじて歌謡曲とかアイドルとかの時代だったと思う。

なので日本でのハードロック・バンドやヘヴィメタル・バンド
なんかのセールスは厳しい状況でした。
多分、この先にX JAPANが売れるまでは厳しい状況が続いてたと思う。

一方、海外・・特にアメリカはLAメタルというムーヴメントが流行っていて
アメリカのヒット・チャートなんかにはLAメタル勢がランクインしていた。

私が中学2年生の頃はベストヒットUSAに夢中でアメリカのヒットチャート
なんかをチェックしてましたよ・・まだハードロックとかに目覚めてない頃ですね。

そのヒットチャートのトップ10にはモトリークルーのスモーキン・イン・ザ・ボーイズルーム
とかラットのラウンド・アンド・ラウンドとかランクインしてましたよ。
デフレパードもたしか入ってたなぁ。
ヴァン・ヘイレンのジャンプなんかは連続1位とってたもんね。

まぁアメリカはそーいう時代でした。その後にはシンデレラとかポイズン
とかいうバンドが登場してくるんだけども。
ガンズ・アンド・ローゼスが登場するまではそんな時代だったかな。

なので日本のハードロック・バンドやヘヴィメタル・バンドは自然と海外に目を向けるんですね。
その先駆けが当時のラウドネスだったのです。

ちなみにラウドネスの後に続いたのはフラットバッカー(後のEZO)でした。
キッスのジーン・シモンズがプロデューサーについてアメリカではアルバムを2枚出して
結局解散してしまいましたが。

そして次がVOWWOWでしたね。VOWWOWはイギリスに移住してそこを拠点にしてたけど
結局アメリカのメジャーレーベルとは契約出来なかったようですね。

アンセムも海外進出する話があったんですよね。でもメンバーとの折り合いがつかず
予定されていた海外進出は断念したみたいです。

ガスタンクも海外進出する予定だったんですよね。
でもそれもメンバー間で色々あったようで海外進出する前に解散してしまいました。

あとはキャッツ・イン・ブーツですね。
このバンドは当時、聖飢魔Ⅱのギターだったジェイル大橋が聖飢魔Ⅱを脱退して結成した
バンドでしてボーカルとドラムがアメリカ人でギターとベースが日本人でした。
キャッツ・イン・ブーツがアメリカのメジャーレーベルと契約した頃は
すでにLAメタルムーヴメントは去りガンズが売れてた頃です。
キャッツ・イン・ブーツもガンズっぽい感じだったんで
第二のガンズを探していたメジャーレーベルとの思惑が一致したから
契約できたんでしょう・・・きっと。

まぁ・・・そんな時代でした。

そしてラウドネスに話を戻すとサンダー・イン・ジ・イーストというアルバムは
プロデューサーがオジー・オズボーンを手掛けたマックス・ノーマンという人で
かなり細かい人らしくメンバーに色んな注文をつけてたみたいです。
当時のインタビューでラウドネスのメンバーはマックス・ノーマンの悪口ばかり言ってましたね(笑)

しかしこのサンダー・イン・ジ・イーストというアルバムは全米のヒットチャートでは74位までいきました。
当時としては相当な快挙だったんですよ、これが。
そして当時、アメリカで絶大な人気があったモトリクルーと
一緒にラウドネスは全米ツアーを行う訳です。
スペシャル・ゲストという名目で・・・。


つづく


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