おが の 冗談本気

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第379話 「私のバンド・ヒストリー日記、最終章その3」

2006年07月03日 20時28分27秒 | Weblog
それではまた続きを書きますよ~。

THE STAR CLUBのコピーバンドをドラムでやる事になった私。
ボーカルのKAZUKI氏とギターのYSK氏とともにスタジオ入り。
STAR CLUBのコピーやパンクのコピーを数曲合わせた。
意外と私はドラムを叩けたような気がした。

もともと私が20歳の頃にやってたパンクバンドで
ベースの川田氏からちょっとドラムを教えてもらった。
バスドラ踏みっぱなしの単純な8ビート。
その数年後に一時期バンド活動を辞めたときに
なぜかドラム教室に通った。ヤマハの近所のドラム教室。
でもほとんどドラムセットに触らせてもらえず
ただスネア1個を叩かされてた。
そのドラム教室はすぐ辞めてしまったのだが
自分でちょっと研究した。とりあえずバスドラのパターンを
何パターンか踏めるようにバイトの合い間に一人で練習した。

その後に組むバンドでリハの合い間に一人でドラムを叩いてた。
ほぼ独学なのでフィルのパターンもほとんど知らない。
ドラム譜も読めないし、ましてや速い曲は叩けない。
しかし遊びだから大丈夫と思ってた。

ベースにIKEDO氏が加入しコピーをやってたのだが
なぜかオリジナルをやるようになってきた。
そしていつの間にかライブの予定が入ってた。
私はドラムは遊びのつもりだったので動揺していた。

そして渋谷CLUB ASIAでライブをやる事となった。
他のメンバーは私より断然若い。パンク・ファッションをしても
凄い似合ってる。私が今さらパンク・ファッションをしても
う~ん・・(笑)な感じだと思う。KAZUKI氏には「髪を立ててくださいよ~」
と言われたけど「いやいや(笑)」と言って断った。
しかし私が思うパンクで究極なバンド、CRASSのTシャツを着てライブに出た。

まぁライブは色々反省点があった。
結果的には私はこのパンク・バンドをこのライブで脱退した。
しかし色んな事が勉強になった。みんな年齢的には若いし
ロックやパンクに対して熱い気持ちを持ってた。
私が20歳位の頃にやってたパンクバンドをまたやるとは思っても
みなかったし、ましてや私がドラムでライブをやる
とは思ってもみなかった事だ。

少しパンクから離れてたのだが再びパンクのカッコ良さを
改めて思った。そしてドラマーとしてバンドに参加する
楽しさをこの時に知った。こうして私は再びバンド活動から
離れる事となった・・・。

ハイ、長い事書いてる私のバンド・ヒストリー。
いよいよ次回でラストでございます。それでは次回!

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