緑とともに・・・・

小田原市にある樹木卸販売を生業とする有限会社小田原植木のBlogです。

墨田の花火

2017年06月24日 | Weblog
花火が上がると、その見事な美しさに「タマヤ」「カギヤ」と花火師の屋号を呼んで褒め称えたりします。
日本の花火文化はそれはそれは素晴らしいものです。



徳川10代将軍の時にはすでに両国の大橋の上で花火を見るのがステータスでして、今のように早い時間から橋の上で場所取りをする者もいますし、なんて言っても天下の往来。街中で仕事をする職人さんもこの日は花火に間に合わせて家に帰り家族総出でこの一番のスポットに向かい、仕事が遅くなればなるほど橋の上を歩けるところは狭くなって行きます。
ある桶屋職人は仕事が遅くなり橋にかかった時にはもう身動きが取れないほどの人混み。『弱っちまったなぁ、かかぁや坊主と花火見に行くって約束しちまったもののこれじゃ帰れねぇ」
「おぃ、ちょっとごめんよ」声をかけながら橋の中に入っていきます。

都合が悪いことに向こうから馬に乗り従者が手綱を引いたお侍さん。「ええぃどけぃ」
と言ったところで橋の上はいっぱいの人。どけって言われても退く場所すらありません。
強引にわたる桶屋職人とお侍。橋の真ん中でちょうどばったり会い、桶屋職人がよけようとした瞬間に道具箱を落として、その中から丸めてあった竹の箍(たが)がはじけてお侍の笠をパーンと飛ばしてしまいます。

怒ったお侍 「えーいそこへ直れ、手打ちにしてくれる」といきりだちます。
桶屋職人も必死に謝り、周りの花火観客も許しを願いますが、侍はそれを許さず、とうとう桶屋職人も「やるならやりあがれ、でもただじゃ死なねぇ」と開き直ります。が、時代は徳川10代将軍の頃。もう戦などなく、けいこも励んでいなく武器の手入れもしていない中、供もやられ、侍も供の刀で首をスパーン、と切られるとその生首は空高く舞い上がり「箍(たが)や~」

おあとが宜しいようで…。






という落語。町人階級の侍に対するレジスタンスの傑作、花火の見事な出来栄えの玉屋とお侍の首を打ち上げたこの落語のヒーロー箍屋とをかけております、江戸っ子気質の落語で平成の御世に生きる僕ら庶民のたまったストレスを発散させてくれるものでもあります。
今で言えばさしずめ、前川前次官とか豊田氏の政策秘書と言った感じかもしれませんが、これじゃあ掛け声を言っている間に花火が終わっちゃいます。それに何だか歌舞伎役者みたいです^_^;



話がそれました。
ガクアジサイ・墨田の花火。心星の周りに開く親星の美しさを表現したものです。
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