The Place

自分の言葉で、ゆっくり語ること

Day 4 死の博物館と屋台めぐり

2009-10-08 00:27:03 | 日記
悪夢で目を覚ます。
ここには書けないくらいの酷い内容の夢だった。
夢の中で僕は、人類のタブーを犯すような行為をしていた。
自分の無意識の世界がどうなっているのか、疑いたくなる。
でも、もしかしたら、一昨日読んだ本のせいかもしれない。
「夢から責任が始まる」とその本は書いていた。

歯を磨き、顔を洗って自分を取り戻す。
だが、現実にも大きな問題があった。
昨夜から降っていた大雨のせいで、現金と航空券のEチケットがびっしょりと濡れている。
棚の上に置いてあったのだが、雨漏りしていたらしい。
Eチケットは、インクが滲んで文字が全く読めない。
1万円札数枚は、Eチケットのインクが移って染み込み、激しく汚れている。
現金は銀行で下ろせば済むから、まだよしとしよう。
問題はEチケットが読めなくなってしまったことだ。
空港で説明して航空会社に確認してもらえば搭乗できるかもしれない。
でも、帰国便は早朝出発なので、確認手続きに時間がかかった場合、飛行機に乗れないかもしれない。
この旅で最大のピンチかもしれないと考える。
冷静にならなくてはならない。

少し考えて、近くにインターネットカフェがあったことを思い出す。
航空券の予約は、ウェブメールを通してやっていて、Eチケットは添付ファイルで受け取っていた。
だから、ネットに接続して過去のメールを開けば、Eチケットを新しくプリントアウトできるはずだ。
ウェブメールはこういう時に便利だ。

落ち着きを取り戻した僕は、朝食をとりに、街へ歩き出す。
空は青く澄み渡っている。
屋台でタイ風コーヒーとグァバとドラゴンフルーツを買う。
果物はその場で切ってもらい、甘いコーヒーと一緒にゆっくり食べる。
今日はなんだか、すごく色んなものを食べてみたい気持ちになった。
よし、今日は、屋台めぐりをすることにしよう。

インターネットカフェに立ち寄り、Eチケットを無事プリントアウトしたところで、カンチャナブリの繁華街へ出かけることにする。
バイクにサイドカーをつけたような乗り物で、街の中心街へ出かける。
スピードはそんなに出ていないが、吹きさらしなので、風が気持ちいい。
コンクリートの道路に強い日差しが照りつけている。

中心街へ近づくにつれ、道がしだいに広くなり、派手な看板が目立ってくる。
古そうな日本車がたくさん走りまわり、タイ国王の写真が大きな看板に掲げられ、商店には服や果物や携帯電話が山積みになっている。
典型的な、活気のあるアジアの町並みという感じだ。
日本の繁華街と違うのは、とにかく日差しが強いこと、そして車や建物や看板の色彩が鮮やかなこと。
歩いているだけでワクワクしてくる。
何気ない街角の風景をたくさん写真に撮る。

そんなことをしているうちに、もう腹が減る。
まだ午前11時前だが、軽い麺類くらいだったら食べられそうだ。
いくつか屋台を見て回ってから、地元の人らしき人で賑わっている店を見つける。
屋台のおばさんに話しかけたが、英語は通じないようなので、身振り手振りで注文する。
「この麺に、この具を載せて、このスープをかけてくれ」というように。
分かってくれたようで、おばさんはにっこりと微笑む。
しばらくして、さっぱりとした鶏風味の麺が運ばれてくる。
飾り気のない味で、すごくおいしい。

腹ごしらえも済んだし、まだ次の食事までは時間があるので(笑)、博物館に行くことにする。
屋台から博物館までは、川に向かって30分ほど歩く。
旧い商家の脇や空き地をいくつか通り過ぎ、博物館の入り口に着く。
それは戦争をテーマにした博物館で、名前を「JEATH博物館」という。
当初の名前は「DEATH MUSEUM」だったらしいが、あまりに直接的なので、「Japan, England, Australia, Thai, Holand」から頭文字をとって、JEATHとしたらしい。
第二次世界大戦当時の捕虜の生活を伝え、戦争の悲惨さを忘れないようにすることが目的で設立された、とガイドブックにはある。
入口の看板には、「FORGIVE BUT NOT FORGET(許そう、しかし、忘れまい)」と書かれている。
博物館の受付で渡されたパンフレットによると、当時、日本軍はカンチャナブリにやってきて、イギリスやオーストラリアの兵士を捕虜とし、過酷な労働条件のもとで働かせ、急ピッチで鉄道を建設したらしい。
中に入ると、収容所での生活を窺わせる写真や水彩画や遺留品がたくさんある。
それらの中でも特に迫力があるのは絵だ。
日本人に銃で脅されながら働く捕虜の姿や、様々な拷問の様子などが描かれている。
絵の下には、2~3行のキャプションが付き、「捕虜には一日一度しか食事が与えられなかった」「捕虜の寝床のスペースは、一人につき幅80cmしかなかった」などと説明されている。
それらの絵は、僕のような鈍感な人間ですらも立ち止まらせる力がある。

最も印象に残っている絵は、一人の病気の男を描いた絵だ。
その絵だけ、なぜかキャプションが全く付いていない。
大きなキャンバスの対角線を横切るように一人の白人男性が描かれている。
男はベッドのようなものに横たわっており、上半身裸で、体中に発疹のような模様があり、頬がそげ、口を半開きにして、一対の目は空虚を見つめている。
背景には何も描かれていないため、キャンバスの多くの部分を空白が占める。
その空白には、黒とも茶色とも言えない重苦しい色の絵の具が分厚く何層にも積み重ねられている。
その積み重ね方がすごく執拗で、すさまじく、男が抱いていた感情を僕に想像させる。
そう、全ては想像力の中から生まれる。夢から責任が始まる。
「死の博物館」の絵たちは、確かに僕の想像力を刺激するものがあった。

博物館を出たあとで、しばらくお寺や川沿いの空き地を歩きまわっていると、またお腹が空いてきた。
まだ午後の2時前なのだが。
残酷な戦争に思いを馳せたあとでも、腹は減るものだ。
観光客の全く居ない旧市街を歩き、庶民的な食堂に入る。
メニューは全く読めないし、英語も通じない。
仕方ないのでガイドブックを開き、食べ物の写真を指さして、「これと同じものが食べたい」と日本語で言ってみる。
最初は変な顔をしていたが、そのうち分かってくれたようだ。
昔、マレーシアでよく食べたナシ・アヤム(鶏肉のせご飯)が出てくる。
おいしかったので、握りこぶしに親指を立てて、「グッド」とにっこり笑いかけた。
店の人もにっこりと笑う。

ナシ・アヤムも食べたところで、ちょっと疲れてきたので、宿に戻って昼寝をする。
2時間ほど眠ってから、プールサイドで小説を読みながら夕暮れを待つ。
分厚い雲が空を覆い始めた。
今夜も雨が降りそうだ。

昼間と同じように繁華街へ出かけ、屋台が集まっている一角へ行く。
空はもう暗く、屋台の明かりがまぶしく感じる。
最初の屋台でクレープのようなお菓子を一切れ買って食べる。
脂っこい生地に練乳が垂らしてあって、なかなかおいしい。
他の屋台を見て回っているうちに強い雨が降り始め、道路が一面水たまりのようになる。
土砂降りの雨にも負けず、僕は屋台を渡り歩く。
カレーのせご飯、スパイシーなスープをかけた素麺、バナナシェイク、ウィンナー入りパン。
いくらでも食べられる。

帰り道、タイ式マッサージの店に入り、1時間のコースを受ける。
一昨日の店よりも若くて綺麗な女の人だったが、マッサージははっきり言って下手糞だった。
体は少し痛くなったが、腹ごなしにはなった。

食いだおれの一日の締めくくりに、ゲストハウス近くのレストランに入る。
グリーンカレー、ライス、シンハービール、ヤム芋とココナツのデザート。
どうでもいいけど、僕はココナッツミルクが大好きなのだ。
それにしても、今日はよく食べたな。
ざっと勘定してみると、大体6食分は食べたことになる。

ゲストハウスに帰り、簡単に日記をつけ、ベッドに入る。
窓の外では、今夜もたくさんのカエルが鳴いている。

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