The Place

自分の言葉で、ゆっくり語ること

The Place

2009-10-26 20:07:24 | 日記
  僕には行くところがある
  気持ちが沈んでいるとき、ブルーな気分のときに
  それはぼくの心
  The Beatles「THERE'S A PLACE」より


僕が持っている特質の一つは、悲しいことや腹立たしいことがあっても、一晩経ったら忘れてしまうことだ。
身を切るような辛いことがあった日でも、食欲を無くしたり頭痛がしたり眠れなくなったりすることは滅多に無い。
この特質は、今まで何度も僕を助けてくれてきた。

それでも、時にはそれが耐えがたくなることもある。
ホリー・ゴライトリーが言うところの「いやったらしいアカ」のような気分のことだ。
そんなとき、ホリーだったらタクシーをつかまえてティファニーに行くところだけど、僕の場合はちょっと違うところへ行く。

その場所で、僕はいろんな言葉を思い出す。


  地球の人たちって、ひとつの庭園に、五千もバラを植えてるよ
  それなのに、さがしているものを見つけられない・・・
  だけどそれは、たった一輪のバラや、ほんの少しの水のなかに、あるのかもしれないよね・・・
  でも目では見えないんだ。心で探さなくちゃ
   サン=テグジュペリ「星の王子さま」より

  俺は俺の弱さが好きなんだよ。
  苦しさや辛さも好きだ。
  夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。
  どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや・・・
   村上春樹「羊をめぐる冒険」より

  僕には見える 美しいことが
  どんなに弱くても 美しくなれる
  素直な心で 生きてくのさ
  どんなにキズついても 素直な心で
   AJICO「美しいこと」より


しばらく感傷的になったあとで、永沢さんが最後に現われて一言残していくことがある。

  自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。
   村上春樹「ノルウェイの森」より(永沢さんのセリフ)

彼の忠告は、たまに効くんだよねー

Day 6 無題

2009-10-15 00:26:07 | 日記
5:30に起き、温度調節の効かないシャワーを浴び、荷物をまとめる。
6:10に通りに出てタクシーをつかまえ、空港までの値段交渉をする。
2台目の運転手と交渉がまとまり、大きな荷物を後部座席に乗せ、助手席に座る。
バンコク国際空港まで、タクシーは朝の市街を走る。
朝の町並みには、排気ガスのモヤがかかっている。
ついでに僕の頭にも二日酔いの霧がかかっている。
今日はとにかく帰るだけの一日だ。

6:50に空港へ着いて、すぐにチェックインする。
航空会社のカウンターで荷物を預け、出国のためのパスポートチェックを受け、手荷物検査のゲートを通り、免税店の前を通り過ぎる。
いつもの空港での行動を、手順通り、時間どおり行う。
今日の僕にはそれが精一杯だ。

8:20、定刻通りに飛行機が離陸する。
窓から見えるタイの町並みがしだいに小さくなっていく。
それを見ても、二日酔いの頭には何の感慨も浮かんで来なかった。

台北で乗り継ぎ、20:00頃に成田へ着く。
高速バスで横浜へ移動し、近所のパスタ屋でそら豆のクリームパスタを食べる。
家に着き、荷物を下ろして、ヒゲを剃る。
6日分の髭だった。
ずいぶん伸びたものだ。
洗面器の中の髭を見て、僕はやっと旅の終わりを実感することができた。

Day 5 プラスティックのさくら

2009-10-15 00:21:47 | 日記
夜明け頃に目を覚まし、7時前にはゲストハウスを後にした。
バンコク行きの朝の列車に乗るためだ。
今日はバンコクへ行って、明日は早朝の飛行機で日本へ向かう。
だから、今日はタイで過ごす実質最後の日になる。
最終日と言っても、例によって特に予定は無い。
バンコクへ移動するということ以外、何も予定を決めず、僕はカンチャナブリの駅に向かった。

カンチャナブリの駅のホームの隅で煙草を吸いながら列車を待つ。
空は青く、あふれるような朝の光が線路を照らしている。
しばらく一人で立っていると、一人のおじさんが話しかけてきた。
「Can you speak Chinese?」ぎこちない英語だ。
僕は「No, I can’t. Can you speak English?」と聞き返した。
「Ah.. a little.」とおじさんは答えた。
そこから僕とおじさんの会話が始まった。
列車が来るまでにはまだ時間があったから、僕らはいろんな話をした。

彼の名前はDON(ドーン)。
DONはカンチャナブリに住んでいる農夫で、バンコクでパートタイムの教師をしているらしい。
週に2回ほど、政府から支給された定期券で列車に乗って、バンコク市内で中学生に歴史を教えているようだ。
奨学金の返済を免除してもらう代わりに、無給で教師をやっているとのこと。
まあ、ありそうな話だ。
そのうち僕の話になり、日本から来たこと、一週間だけの一人旅行であること、ドリアンを探していること、明日には飛行機に乗って日本に帰ることなどを話した。

僕が日本から来たと聞いて、DONは色々と日本の話をし始めた。
ヒロヒト、ヒデキ・トウジョウ、フジマウンテン、そんな話だ。
歴史の先生らしく、戦争に関する話題が多い。
僕は、昨日JEATH博物館へ行ったことを彼に告げた。
「日本が昔タイにしたことについては、一応知っていますよ」と伝えたかったのだ。
そんな僕の気持ちを察してか、DONは、「ジャパン、タイランド、フレンド」と言った。
ちなみに、彼の祖父は、アメリカの空爆によって片足を失ったらしい。
日本がカンチャナブリに鉄道を作ったりしなければ、アメリカが爆撃にやってくることもなかったかもしれない。
それでも、「フレンド」と彼は言ってくれた。

列車はまだ来ないので、DONと僕は写真を撮ることにした。
DONの写真を撮ると、背景には桜が写った。
もちろん、本物の桜ではない。
駅の庭に植えられている、造花の桜だ。
熱帯の朝日に照らされた桜というのも、なんだか妙だ。
「この駅の桜は、プラスティックのイミテーションだね」と僕は言った。
プラスティックの桜も、朝日の中で眺めると綺麗に見えた。

バンコクへ向かう列車の中で、僕とDONは色々なことを教えあった。
DONは、タイ語の挨拶や簡単な動詞を発音まで丁寧に教えてくれた。
僕は日本の人口や東京の大きさ、物価の高さ、国内の不況などについて語り、日本語の基礎的な単語をいくつか教えた。
車内は車輪の音と風の音でうるさかったので、僕らは大声で何度も同じ単語の発音を繰り返さなくてはならなかった。
「オ・イ・シ・イ」
「オー、シー?」
「ノーノーノー、オ・イ・シ・イ!」
こんな具合だ。

タイ語の発音は、すごく難しい。
僕がしつこく何度も聞き直そうとすると、彼は微笑んで「CHA-CHA」と言った。
「CHA-CHA」とは、タイ語で「ゆっくり」という意味だ。
そうだね、ゆっくりやろう。
僕らは互いにたっぷりと時間があるものね。

バンコクに着くまでの間、DONは、タイの様々な現状について教えてくれた。
数年前の大地震で多くの人が家を失い、スラムが増えたこと。
カンチャナブリの川は、昔は透明で魚がたくさん取れたが、今は汚れて魚も減ったこと。
地下水の汲み上げや土砂採取のしすぎでバンコクの地盤が沈下していること。
バンコクでは大気汚染や川の水質悪化やゴミの散乱など環境汚染がひどいこと、それに対して政府はほとんど何の対策もしていないこと。
シンハービールは女の子の飲み物で、大人の男はハイネケンを飲むものだということ。
実に、ためになる話ばかりだ。
これまでタイで見てきた様々な物事が、彼の説明のおかげで一つ一つ繋がっていく。

しだいにバンコクが近づいてきたところで、DONが「今日の午後、一緒にバンコクを歩かないか」と誘ってきた。
彼の授業は1コマだけなので、それが終わった後なら案内してやろう、ということらしい。
僕は、特に午後の予定は決めていなかったので、彼の誘いに乗ることにする。

昼前に、バンコクに列車が着いた。
そこからDONと一緒に歩き、船に乗ったりして、タマサート大学に入る。
学食で昼飯をおごってもらい、カオサン通りの方へ歩く。
カオサン通りでは、ゲストハウスまで紹介してもらった。
別に泊まるところくらい自分で探せるのだけれど、せっかくなので好意を受けることにする。
DONの授業が終わる時間を教えてもらい、待ち合わせ場所を決めて、僕らは一端別れた。

彼の授業が終わるまで、僕はゲストハウスで一眠りした。
目を覚まして待ち合わせ場所に向かうと、DONは時間どおりに現れた。
「これから近辺を歩いて回ろう」と彼は言う。
僕はそれに従う。
ここまで来たら、彼に一日を捧げる覚悟だ。

彼の後ろについて、バンコクの裏通りから裏通りへと歩く。
様々な名所や、何でもない庶民的な家、汚れた小川、小さなお寺、僧侶の学校、お坊さんの寮、家具職人の工房。
一人だったら入れないような場所にたくさん連れて行ってくれる。
おまけに丁寧な説明付きだ。
例をいくつか挙げよう。
「この椅子を見てくれ。釘が一切使われていない。タイ名産の丈夫な木と、伝統職人の技術がすごいんだ。でも、最近はそういう木は切られつくされ、森は荒れてしまった。今では古くなった家具をリサイクルしてるんだ」
「この塔の下には、たくさんの死者の灰が埋められている。貧乏人の灰だ。金持ちの灰は、別の場所にある。綺麗な骨壷に入れられ、大きな寺院の壁に祀られている。でも、そうするには毎年たくさんの寄付をしなければならない」
大体こういう感じだ。
さすがに歴史の教師をしているだけあって、説明が上手だ。
そして、よくしゃべる。

ワット・インという大きな寺院に入ると、入口で小さな仏像やポスターなどを販売している。
僕は、DONにも相談しながら、一つの小さな彫像を買った。
彫像をバッグにしまって寺院の奥に入り、仏像を眺めていると、大雨が降りだした。
しばらく雨宿りをするしかない。
僕がバッグを床に下ろすと、DONは慌ててそれをたしなめた。
「ノーノー、イッツ、シン!」
仏像や経典などを地面に置くことはタブー(シン)らしい。
彼がとっさに注意したのを見て、彼が敬虔な仏教徒であることが実感できた。

雨が弱くなったのは夕方だった。
ちょっと早いが、彼と一緒に夕食を食べ、ビールを飲もうという話になった。
僕らは寺院を出て、水浸しの街を歩き始める。
しばらくしてからタクシーを捕まえ、レストランへ向かう。

レストランに着くと、僕らはハイネケンを頼み、まずは乾杯した。
「チャイオー!(乾杯!)」という掛声とともに、グラスを合わせた。
グラスにはタイ式に氷がたくさん入っている。
この店は彼の行きつけらしく、店主としきりに話をしている。
そのうち、客の一人がDONのところにやってきて、挨拶しだした。
DONの昔の教え子らしい。
やっぱり本当に先生だったんだ、と少し安心する。

ビールを3~4本飲み、料理をおおかた食べつくしたところで、そろそろDONともお別れかな、と思っていると、彼は思いがけないことを言い出した。
「カントリーミュージックを聴きに行かないか」と言う。
僕はそろそろ一人になりたかったが、せっかく誘ってくれたのだし、伝統音楽にも興味があったので、彼の誘いに乗ることにした。

その「カントリーミュージックのお店」に着くと、若い女の子が小さなステージで歌っていた。
小さなミラーボールの下で、マイクを手に持って、ポップソングを歌っている。
ステージの周りは薄暗くなっていて、テーブルを囲むように椅子が並び、テーブルの上にはアイスペールが置かれ、他の女の子が水割りを作っている。
なんてことはない、ただのキャバクラだったのだ。
僕は内心、やれやれ、と思った。

とにかく席に着くと、特に注文もしていないのに、つまみと酒が出てきた。
さらに、さっきまでステージで歌っていた女の子が僕のテーブルにやってきて、隣に座った。
特にかわいいとは言えないが、割と優しそうな女の子だった。
残念ながら、英語はほとんどしゃべれないようだ。

僕はもう結構酔っぱらっていたので、薄めの水割りを飲むことにした。
さらに、お腹いっぱいなので、つまみもあまり食べられそうにない。
仕方が無いので、煙草を吸ったり、女の子の歌を聴いたりして時間を潰す。
女の子が、「お酒を頼んでいい?」と聞いてくる。
僕は「いいよ」と言うが、その酒が高いのか安いのか、さっぱり分からない。
DONは楽しそうに女の子と話したり、何度も乾杯したりしている。
僕も形だけ乾杯に参加する。
そんな風に時間が過ぎていく。
酔っ払いすぎて、時間の感覚があいまいになっていく。
さっきから口にした単語といえば、「チャイオー!(乾杯!)」「ビッグ・シン!」「CHA-CHA」の3つくらいだ。
同じ単語の繰り返し、つまみの卵はまずい、酒ももう飲みたくない。

帰ろうという言葉をいつ切り出そうか考えていると、DONがさらなる提案をしてきた。
「マッサージに行こう」と言う。
僕はなんとなく嫌な予感がしたので、「それって、セクシーなマッサージじゃないよね?」と確認した。
彼は、「いや、普通のタイ・マッサージだ。1時間だけだ。」と言う。
僕はもう考えるのが面倒臭くなってきていたので、「じゃあいいよ。行こう」と答えた。

キャバクラの勘定を済ませる頃になって、DONは僕をテーブルに残して先に席を立ち、店の人から勘定書きをもらってきた。
そこに書かれていた金額は、7950バーツだった。
DONとは割り勘で払うという約束だったが、一人当たりにしても4000バーツ(約1万円)だ。
タイでこの値段は、高すぎる。
それに、僕の財布に入っていた現金は、ちょうど1000バーツ紙幣が4枚と、あとは小銭だ。
言われるがままに払ってしまったら、すっからかんになってしまう。
でも、払うしか無い。
女の子が注文していた酒の値段も分からないし、DONが店の人と裏で手を組んでいたとしても、タイ語のしゃべれない僕には確かめようがないのだ。

マッサージへ向かうタクシーの中、あらためて4000バーツという金額を考えてみる。
僕が空港で両替したのが9000バーツだ。
今日までの5日間の宿代・食費・交通費・ツアー参加費すべてを合わせて5000バーツ程度だった。
つまり、僕は、この5日間の滞在費の合計に匹敵する額を、ほんの数時間で使ってしまったことになる。
やれやれ。

タクシーは夜中のバンコク市街を走り抜ける。
夕方に比べると、明らかに交通量が少なく、スムーズだ。
まもなくして、タクシーは大きなビルの下に着いた。
ビルは思わず見上げてしまうほど大きく、20階くらいはありそうだ。
正面のエントランスは、大きなロータリーになっている。
建物全体の印象としては、ヒルトンとかハイアットとか、世界規模のホテルチェーンを想起させる。
そのイメージにぴったりのドアボーイがタクシーのドアを開け、僕を入口へと促す。
広い階段を何段か上り、大きなドアをくぐり、フロントの前を通り過ぎ、ロビーに入った。
シャンデリアがロビーを薄暗く照らし、分厚い絨毯の上を僕は進む。
ロビーの奥で僕を待っていたのは、派手なドレスを着た、たくさんの若い女たちだった。

みんな、ひな檀のようなところに座り、こちらを向いてにっこりと微笑んでいる。
手まねきをしている女も居る。
派手な口紅、大きなイヤリング、胸の番号札。

 さあさあ、ゆっくり見て選んでちょうだい。
 1番、トイ・プードル、生後3か月、血統書付き、しつけ済み、20万円。
 2番、ポメラニアン、有名ブリーダー、1年の生存保証、毛並み極上、30万円。
 3番、ミニチュア・ダックスフンド、6カ月、人懐っこい性格、予防接種済み、18万円。
 4番、5番・・・どれにする?

やはり、これはどう見てもセクシーマッサージだ。
いくらなんでも、タイで性病をもらうわけにはいかない。
システムも料金も全く分からないし、だいいち金を払おうにも、僕は一文無しなのだ。
断りたいが、頭は酒の飲み過ぎでぼんやりしている。
ピンチだ。

僕は、体中から色んなエネルギーをかき集め、やっとのことで、「No sexy massage!」とDONに告げた。
言葉が出てこないDONを置いて、僕はロビーの出口へと歩き始めた。

ホテルの出口でタクシーを捕まえ、ゲストハウスの名前を告げる。
DONが済まなさそうに着いてくる。
タクシーは再び夜のバンコク市内を走りだす。
ゲストハウスに着くまでの車中で、相当気持ち悪くなってしまった。
タクシーが赤信号で止まったり、ちょっとしたカーブを曲がるだけで、今にも吐きそうだ。
なんという夜だ。

タクシーがゲストハウスの前に止まったのは、夜の12時過ぎ。
DONはタクシー代を払ってくれるという。
彼が今夜どこに泊まるつもりなのか知らないが、とにかくここでお別れだ。
握手をし、帰国後の手紙のやりとりを約束して、彼を乗せたタクシーは去って行った。

タクシーが去ると、あたりに静寂が訪れた。
いくら大都市バンコクとはいえ、真夜中は静からしい。
ゲストハウスの前には、小さなATMがある。
夜の闇の中で、液晶画面が青白く光っている。
僕は財布からカードを取り出し、ATMに差し込む。
明日の朝に空港へ向かうためのタクシー代が必要だ。
ATMがカードを認識し、英語の案内が画面に現れる。
僕の頭の中には、アルコールの霧が渦巻いていて、案内表示を理解するのに時間がかかる。
「Withdrawal」ってなんだっけ?

なんだかとっても、わびしい気持ちだ。
やれやれ、どうしてこんなことになってしまったのか?
どこまでが本物で、どこからがプラスティックだったんだろう?
DONが教師であることは間違いないが、途中からは店と共同で俺をだましていたのかもしれない、最初からだますつもりで声を掛けてきたのか?だとしても、彼のタイの歴史やお寺や僧についての説明はとても分かりやすかったし、バンコクのナイトライフを垣間見ることができた、まあ、彼のおかげで楽しい一日だったとも言える、それに、最後に無一文になるというのも、すっきりしていると言えなくもない。

部屋に戻り、シャワーを浴びて、ふらふらする頭でなんとか荷物をまとめ、目覚ましをセットしてベッドに入る。
深夜の1時くらいだった、と思う。

Day 4 死の博物館と屋台めぐり

2009-10-08 00:27:03 | 日記
悪夢で目を覚ます。
ここには書けないくらいの酷い内容の夢だった。
夢の中で僕は、人類のタブーを犯すような行為をしていた。
自分の無意識の世界がどうなっているのか、疑いたくなる。
でも、もしかしたら、一昨日読んだ本のせいかもしれない。
「夢から責任が始まる」とその本は書いていた。

歯を磨き、顔を洗って自分を取り戻す。
だが、現実にも大きな問題があった。
昨夜から降っていた大雨のせいで、現金と航空券のEチケットがびっしょりと濡れている。
棚の上に置いてあったのだが、雨漏りしていたらしい。
Eチケットは、インクが滲んで文字が全く読めない。
1万円札数枚は、Eチケットのインクが移って染み込み、激しく汚れている。
現金は銀行で下ろせば済むから、まだよしとしよう。
問題はEチケットが読めなくなってしまったことだ。
空港で説明して航空会社に確認してもらえば搭乗できるかもしれない。
でも、帰国便は早朝出発なので、確認手続きに時間がかかった場合、飛行機に乗れないかもしれない。
この旅で最大のピンチかもしれないと考える。
冷静にならなくてはならない。

少し考えて、近くにインターネットカフェがあったことを思い出す。
航空券の予約は、ウェブメールを通してやっていて、Eチケットは添付ファイルで受け取っていた。
だから、ネットに接続して過去のメールを開けば、Eチケットを新しくプリントアウトできるはずだ。
ウェブメールはこういう時に便利だ。

落ち着きを取り戻した僕は、朝食をとりに、街へ歩き出す。
空は青く澄み渡っている。
屋台でタイ風コーヒーとグァバとドラゴンフルーツを買う。
果物はその場で切ってもらい、甘いコーヒーと一緒にゆっくり食べる。
今日はなんだか、すごく色んなものを食べてみたい気持ちになった。
よし、今日は、屋台めぐりをすることにしよう。

インターネットカフェに立ち寄り、Eチケットを無事プリントアウトしたところで、カンチャナブリの繁華街へ出かけることにする。
バイクにサイドカーをつけたような乗り物で、街の中心街へ出かける。
スピードはそんなに出ていないが、吹きさらしなので、風が気持ちいい。
コンクリートの道路に強い日差しが照りつけている。

中心街へ近づくにつれ、道がしだいに広くなり、派手な看板が目立ってくる。
古そうな日本車がたくさん走りまわり、タイ国王の写真が大きな看板に掲げられ、商店には服や果物や携帯電話が山積みになっている。
典型的な、活気のあるアジアの町並みという感じだ。
日本の繁華街と違うのは、とにかく日差しが強いこと、そして車や建物や看板の色彩が鮮やかなこと。
歩いているだけでワクワクしてくる。
何気ない街角の風景をたくさん写真に撮る。

そんなことをしているうちに、もう腹が減る。
まだ午前11時前だが、軽い麺類くらいだったら食べられそうだ。
いくつか屋台を見て回ってから、地元の人らしき人で賑わっている店を見つける。
屋台のおばさんに話しかけたが、英語は通じないようなので、身振り手振りで注文する。
「この麺に、この具を載せて、このスープをかけてくれ」というように。
分かってくれたようで、おばさんはにっこりと微笑む。
しばらくして、さっぱりとした鶏風味の麺が運ばれてくる。
飾り気のない味で、すごくおいしい。

腹ごしらえも済んだし、まだ次の食事までは時間があるので(笑)、博物館に行くことにする。
屋台から博物館までは、川に向かって30分ほど歩く。
旧い商家の脇や空き地をいくつか通り過ぎ、博物館の入り口に着く。
それは戦争をテーマにした博物館で、名前を「JEATH博物館」という。
当初の名前は「DEATH MUSEUM」だったらしいが、あまりに直接的なので、「Japan, England, Australia, Thai, Holand」から頭文字をとって、JEATHとしたらしい。
第二次世界大戦当時の捕虜の生活を伝え、戦争の悲惨さを忘れないようにすることが目的で設立された、とガイドブックにはある。
入口の看板には、「FORGIVE BUT NOT FORGET(許そう、しかし、忘れまい)」と書かれている。
博物館の受付で渡されたパンフレットによると、当時、日本軍はカンチャナブリにやってきて、イギリスやオーストラリアの兵士を捕虜とし、過酷な労働条件のもとで働かせ、急ピッチで鉄道を建設したらしい。
中に入ると、収容所での生活を窺わせる写真や水彩画や遺留品がたくさんある。
それらの中でも特に迫力があるのは絵だ。
日本人に銃で脅されながら働く捕虜の姿や、様々な拷問の様子などが描かれている。
絵の下には、2~3行のキャプションが付き、「捕虜には一日一度しか食事が与えられなかった」「捕虜の寝床のスペースは、一人につき幅80cmしかなかった」などと説明されている。
それらの絵は、僕のような鈍感な人間ですらも立ち止まらせる力がある。

最も印象に残っている絵は、一人の病気の男を描いた絵だ。
その絵だけ、なぜかキャプションが全く付いていない。
大きなキャンバスの対角線を横切るように一人の白人男性が描かれている。
男はベッドのようなものに横たわっており、上半身裸で、体中に発疹のような模様があり、頬がそげ、口を半開きにして、一対の目は空虚を見つめている。
背景には何も描かれていないため、キャンバスの多くの部分を空白が占める。
その空白には、黒とも茶色とも言えない重苦しい色の絵の具が分厚く何層にも積み重ねられている。
その積み重ね方がすごく執拗で、すさまじく、男が抱いていた感情を僕に想像させる。
そう、全ては想像力の中から生まれる。夢から責任が始まる。
「死の博物館」の絵たちは、確かに僕の想像力を刺激するものがあった。

博物館を出たあとで、しばらくお寺や川沿いの空き地を歩きまわっていると、またお腹が空いてきた。
まだ午後の2時前なのだが。
残酷な戦争に思いを馳せたあとでも、腹は減るものだ。
観光客の全く居ない旧市街を歩き、庶民的な食堂に入る。
メニューは全く読めないし、英語も通じない。
仕方ないのでガイドブックを開き、食べ物の写真を指さして、「これと同じものが食べたい」と日本語で言ってみる。
最初は変な顔をしていたが、そのうち分かってくれたようだ。
昔、マレーシアでよく食べたナシ・アヤム(鶏肉のせご飯)が出てくる。
おいしかったので、握りこぶしに親指を立てて、「グッド」とにっこり笑いかけた。
店の人もにっこりと笑う。

ナシ・アヤムも食べたところで、ちょっと疲れてきたので、宿に戻って昼寝をする。
2時間ほど眠ってから、プールサイドで小説を読みながら夕暮れを待つ。
分厚い雲が空を覆い始めた。
今夜も雨が降りそうだ。

昼間と同じように繁華街へ出かけ、屋台が集まっている一角へ行く。
空はもう暗く、屋台の明かりがまぶしく感じる。
最初の屋台でクレープのようなお菓子を一切れ買って食べる。
脂っこい生地に練乳が垂らしてあって、なかなかおいしい。
他の屋台を見て回っているうちに強い雨が降り始め、道路が一面水たまりのようになる。
土砂降りの雨にも負けず、僕は屋台を渡り歩く。
カレーのせご飯、スパイシーなスープをかけた素麺、バナナシェイク、ウィンナー入りパン。
いくらでも食べられる。

帰り道、タイ式マッサージの店に入り、1時間のコースを受ける。
一昨日の店よりも若くて綺麗な女の人だったが、マッサージははっきり言って下手糞だった。
体は少し痛くなったが、腹ごなしにはなった。

食いだおれの一日の締めくくりに、ゲストハウス近くのレストランに入る。
グリーンカレー、ライス、シンハービール、ヤム芋とココナツのデザート。
どうでもいいけど、僕はココナッツミルクが大好きなのだ。
それにしても、今日はよく食べたな。
ざっと勘定してみると、大体6食分は食べたことになる。

ゲストハウスに帰り、簡単に日記をつけ、ベッドに入る。
窓の外では、今夜もたくさんのカエルが鳴いている。

Day 3 やっぱりウォーターフォールだな

2009-10-06 23:58:34 | 日記
朝は7時前に目を覚ました。
シャワーを浴びてから朝食をとりに食堂へ向かうと、途中の池でハスの花が咲いていた。
確か、昨日は咲いていなかったものだ。
今日もいい一日になりそうな予感がする。

ゲストハウスの中にある小さなレストランで、トーストと卵とベーコンの簡単な朝食を注文する。
店員の女の子がメモをとって、それをキッチンに持っていく。
よく見ると可愛い子だ。
特に愛想がいいわけではないが、表情に僕を惹きつけるものがある。
昨日も顔を合わせているはずだが、そんなことは気付かなかった。
これは持論だけど、海外に行ったときに、その国の女の子を「可愛い」と感じたら、「その国に少し馴染んだ」と言えると思う。
土地の女性に魅力を感じるには、その国の色々な物事に慣れて、気持ちに余裕がなくちゃいけないもんね。

昨日申し込んだツアーは、朝の8時出発の予定になっている。
バッグに水着やタオルを詰め、ゲストハウスの前で待っていると、一台のワゴン車が泊まった。
ツアー申込受付の書類を確認してもらい、後部座席に乗り込む。
同じツアーの参加者らしき人たちが既に乗っていたので、簡単に挨拶をする。

車が走りだしてから、今日のツアーの概要説明がある。
最初の目的地の国立公園までは、移動に1時間ほどかかるという。
移動の車中で、隣の席に座った同じくらいの年の白人と話し込む。
彼の名前は、ルー君というらしい。
ルー君は、彼の大学の話、アジアの何処の国に行ったとか、カンボジアのどこの街がよかったという話などを聞かせてくれた。
旅から帰ったあとの話になったが、彼の母国は不景気に伴う就職難で、大学卒業後の見通しはたっていないということ。
僕は試しに「日本も不景気だ」と言ってみたが、当然ながらルー君には何の慰めにもならなかった。

エラワン国立公園には9時頃に着き、それから13時までフリータイムになった。
森や川の周りを自由に散策していいという。
僕は、ルー君と一緒に森を歩くことにし、途中から、ガイ君という男も加わった。
ガイ君はあまりしゃべらない性格らしく、国籍も年齢もよく分からない。
そうかと思うと、突然樹に登り、樹の幹に腕だけでしがみついてアクロバティックなポーズをとっている。
「体操選手だったのか?」と聞くと、「軍隊に居たんだ」とのこと。
よく分からない男だ。

そんな2人と森を歩く。
僕にとっては、久しぶりの熱帯雨林だ。
ボルネオの森でコウモリ調査をしていた頃を思い出す。
懐かしさをかみしめながら、森の空気を肺いっぱいに吸い込む。
薄い靴底の裏に、樹の根っこを感じる。
森の中で、たくさんの動物に出会う。
クモ、リス、サル、オオトカゲ、アゲハチョウ、コイ。
平和で満ち足りた世界。

森の中には川が流れており、ところどころで滝になっていた。
水はあくまで透明で美しい。
滝壺では、白人達が水着になって水浴びをしている。
なんとなく「楽園」を描いた宗教画のような光景だ。
ルー君と僕も水着に着替え、滝壺の中を泳ぎまわった。
背泳ぎをすると、水しぶきの向こうに樹冠と青空が見える。
たまらなく気持ちいい瞬間だ。

フリータイムが終わり、簡単な昼食を済ませたあと、車はエラワン国立公園を離れた。
ツアーは午後も盛りだくさんで、エレファントキャンプで象に乗ったり、竹で出来たイカダで川を下ったり、戦争遺跡を見て回ったりした。
その間、僕とルー君とガイ君はずっと一緒に行動していた。
色々やっているうちに、二人の性格も少し見えてくる。
ルー君はお調子者で、滝に飛び込んだり、象に話しかけたりしている。
でも、僕にさりげなく気を使ってくれて、平易な英語で話しかけてくれたりする。
ガイ君はマイペースらしく、平気で集合時間に遅れたり、自分の荷物をガサガサといじったりしている。
その割には、かわいい女の子を見かけると、急に親しそうに話していたりする。
やはりよく分からない男だ。

ツアーの最後には、観光路線となっている鉄道に乗り、木製の橋を渡る。
橋は、切り立った崖と大きな川に挟まれて窮屈そうに伸びている。
この橋を作るために多くの戦争捕虜が動員され、建設作業中に多くの命が失われたらしい。
電車の中はキャノンやニコンの一眼カメラを構えた白人観光客がわんさか乗っている。
幸せそうなカップルもたくさん居る。
学生服を着た、地元の中学生らしき少女の集団も見かける。
物売りがやってきたので、僕はチャーン・ビールを買い、座席に座って飲む。
電車は、そんな僕らを乗せて、木製の橋の上を、ゆっくりと時間をかけて渡っていく。
遠くの空にたくさんの積乱雲が浮かんでいる。

夕方に全てのツアープログラムが終わり、僕らはワゴン車に乗ってカンチャナブリへ戻った。
外は強い雨が降っており、ワイパーが忙しそうに動いている。
みんな疲れて無言だったが、僕は少し勇気を出してルー君とガイ君に尋ねてみた。
「今日は色々なアクティビティを楽しんだね。その中で、どれが一番良かった?」
ルー君は少し考えてから、「そうだね、象も良かったし、川下りも静かで気持ち良かったけど、やっぱりウォーターフォールかな」と言った。
「俺もそう思う」とガイ君が続いた。
二人ともウォーターフォールが一番楽しかったと聞いて、僕はすごく嬉しかった。
僕もそう感じていたからだ。
やっぱり、生まれた国や文化は違っても、何を楽しいと感じ、何を気持ちいいと思うかは同じなんだ。

ツアーが解散してから、一人で夕食をとった。
今日は疲れたので、散歩はせずに、滞在しているゲストハウスの食堂で済ますことにする。
メニューは、グリーンカレー、野菜炒め、白米、ココナツシェイク。
食堂には大きなテレビが置いてあり、宿泊客がみんなでそれを眺めている。
テレビ番組の内容は、コメディドラマで、若いタイ人男女の結婚がテーマらしい。
産婦人科からロボットの赤ちゃんを借りてきて、育児体験に奮闘している。
それを見ていると、なぜだか日本の事を少し思い出した。

雨は相変わらず強く降り続いている。