夜明け頃に目を覚まし、7時前にはゲストハウスを後にした。
バンコク行きの朝の列車に乗るためだ。
今日はバンコクへ行って、明日は早朝の飛行機で日本へ向かう。
だから、今日はタイで過ごす実質最後の日になる。
最終日と言っても、例によって特に予定は無い。
バンコクへ移動するということ以外、何も予定を決めず、僕はカンチャナブリの駅に向かった。
カンチャナブリの駅のホームの隅で煙草を吸いながら列車を待つ。
空は青く、あふれるような朝の光が線路を照らしている。
しばらく一人で立っていると、一人のおじさんが話しかけてきた。
「Can you speak Chinese?」ぎこちない英語だ。
僕は「No, I can’t. Can you speak English?」と聞き返した。
「Ah.. a little.」とおじさんは答えた。
そこから僕とおじさんの会話が始まった。
列車が来るまでにはまだ時間があったから、僕らはいろんな話をした。
彼の名前はDON(ドーン)。
DONはカンチャナブリに住んでいる農夫で、バンコクでパートタイムの教師をしているらしい。
週に2回ほど、政府から支給された定期券で列車に乗って、バンコク市内で中学生に歴史を教えているようだ。
奨学金の返済を免除してもらう代わりに、無給で教師をやっているとのこと。
まあ、ありそうな話だ。
そのうち僕の話になり、日本から来たこと、一週間だけの一人旅行であること、ドリアンを探していること、明日には飛行機に乗って日本に帰ることなどを話した。
僕が日本から来たと聞いて、DONは色々と日本の話をし始めた。
ヒロヒト、ヒデキ・トウジョウ、フジマウンテン、そんな話だ。
歴史の先生らしく、戦争に関する話題が多い。
僕は、昨日JEATH博物館へ行ったことを彼に告げた。
「日本が昔タイにしたことについては、一応知っていますよ」と伝えたかったのだ。
そんな僕の気持ちを察してか、DONは、「ジャパン、タイランド、フレンド」と言った。
ちなみに、彼の祖父は、アメリカの空爆によって片足を失ったらしい。
日本がカンチャナブリに鉄道を作ったりしなければ、アメリカが爆撃にやってくることもなかったかもしれない。
それでも、「フレンド」と彼は言ってくれた。
列車はまだ来ないので、DONと僕は写真を撮ることにした。
DONの写真を撮ると、背景には桜が写った。
もちろん、本物の桜ではない。
駅の庭に植えられている、造花の桜だ。
熱帯の朝日に照らされた桜というのも、なんだか妙だ。
「この駅の桜は、プラスティックのイミテーションだね」と僕は言った。
プラスティックの桜も、朝日の中で眺めると綺麗に見えた。
バンコクへ向かう列車の中で、僕とDONは色々なことを教えあった。
DONは、タイ語の挨拶や簡単な動詞を発音まで丁寧に教えてくれた。
僕は日本の人口や東京の大きさ、物価の高さ、国内の不況などについて語り、日本語の基礎的な単語をいくつか教えた。
車内は車輪の音と風の音でうるさかったので、僕らは大声で何度も同じ単語の発音を繰り返さなくてはならなかった。
「オ・イ・シ・イ」
「オー、シー?」
「ノーノーノー、オ・イ・シ・イ!」
こんな具合だ。
タイ語の発音は、すごく難しい。
僕がしつこく何度も聞き直そうとすると、彼は微笑んで「CHA-CHA」と言った。
「CHA-CHA」とは、タイ語で「ゆっくり」という意味だ。
そうだね、ゆっくりやろう。
僕らは互いにたっぷりと時間があるものね。
バンコクに着くまでの間、DONは、タイの様々な現状について教えてくれた。
数年前の大地震で多くの人が家を失い、スラムが増えたこと。
カンチャナブリの川は、昔は透明で魚がたくさん取れたが、今は汚れて魚も減ったこと。
地下水の汲み上げや土砂採取のしすぎでバンコクの地盤が沈下していること。
バンコクでは大気汚染や川の水質悪化やゴミの散乱など環境汚染がひどいこと、それに対して政府はほとんど何の対策もしていないこと。
シンハービールは女の子の飲み物で、大人の男はハイネケンを飲むものだということ。
実に、ためになる話ばかりだ。
これまでタイで見てきた様々な物事が、彼の説明のおかげで一つ一つ繋がっていく。
しだいにバンコクが近づいてきたところで、DONが「今日の午後、一緒にバンコクを歩かないか」と誘ってきた。
彼の授業は1コマだけなので、それが終わった後なら案内してやろう、ということらしい。
僕は、特に午後の予定は決めていなかったので、彼の誘いに乗ることにする。
昼前に、バンコクに列車が着いた。
そこからDONと一緒に歩き、船に乗ったりして、タマサート大学に入る。
学食で昼飯をおごってもらい、カオサン通りの方へ歩く。
カオサン通りでは、ゲストハウスまで紹介してもらった。
別に泊まるところくらい自分で探せるのだけれど、せっかくなので好意を受けることにする。
DONの授業が終わる時間を教えてもらい、待ち合わせ場所を決めて、僕らは一端別れた。
彼の授業が終わるまで、僕はゲストハウスで一眠りした。
目を覚まして待ち合わせ場所に向かうと、DONは時間どおりに現れた。
「これから近辺を歩いて回ろう」と彼は言う。
僕はそれに従う。
ここまで来たら、彼に一日を捧げる覚悟だ。
彼の後ろについて、バンコクの裏通りから裏通りへと歩く。
様々な名所や、何でもない庶民的な家、汚れた小川、小さなお寺、僧侶の学校、お坊さんの寮、家具職人の工房。
一人だったら入れないような場所にたくさん連れて行ってくれる。
おまけに丁寧な説明付きだ。
例をいくつか挙げよう。
「この椅子を見てくれ。釘が一切使われていない。タイ名産の丈夫な木と、伝統職人の技術がすごいんだ。でも、最近はそういう木は切られつくされ、森は荒れてしまった。今では古くなった家具をリサイクルしてるんだ」
「この塔の下には、たくさんの死者の灰が埋められている。貧乏人の灰だ。金持ちの灰は、別の場所にある。綺麗な骨壷に入れられ、大きな寺院の壁に祀られている。でも、そうするには毎年たくさんの寄付をしなければならない」
大体こういう感じだ。
さすがに歴史の教師をしているだけあって、説明が上手だ。
そして、よくしゃべる。
ワット・インという大きな寺院に入ると、入口で小さな仏像やポスターなどを販売している。
僕は、DONにも相談しながら、一つの小さな彫像を買った。
彫像をバッグにしまって寺院の奥に入り、仏像を眺めていると、大雨が降りだした。
しばらく雨宿りをするしかない。
僕がバッグを床に下ろすと、DONは慌ててそれをたしなめた。
「ノーノー、イッツ、シン!」
仏像や経典などを地面に置くことはタブー(シン)らしい。
彼がとっさに注意したのを見て、彼が敬虔な仏教徒であることが実感できた。
雨が弱くなったのは夕方だった。
ちょっと早いが、彼と一緒に夕食を食べ、ビールを飲もうという話になった。
僕らは寺院を出て、水浸しの街を歩き始める。
しばらくしてからタクシーを捕まえ、レストランへ向かう。
レストランに着くと、僕らはハイネケンを頼み、まずは乾杯した。
「チャイオー!(乾杯!)」という掛声とともに、グラスを合わせた。
グラスにはタイ式に氷がたくさん入っている。
この店は彼の行きつけらしく、店主としきりに話をしている。
そのうち、客の一人がDONのところにやってきて、挨拶しだした。
DONの昔の教え子らしい。
やっぱり本当に先生だったんだ、と少し安心する。
ビールを3~4本飲み、料理をおおかた食べつくしたところで、そろそろDONともお別れかな、と思っていると、彼は思いがけないことを言い出した。
「カントリーミュージックを聴きに行かないか」と言う。
僕はそろそろ一人になりたかったが、せっかく誘ってくれたのだし、伝統音楽にも興味があったので、彼の誘いに乗ることにした。
その「カントリーミュージックのお店」に着くと、若い女の子が小さなステージで歌っていた。
小さなミラーボールの下で、マイクを手に持って、ポップソングを歌っている。
ステージの周りは薄暗くなっていて、テーブルを囲むように椅子が並び、テーブルの上にはアイスペールが置かれ、他の女の子が水割りを作っている。
なんてことはない、ただのキャバクラだったのだ。
僕は内心、やれやれ、と思った。
とにかく席に着くと、特に注文もしていないのに、つまみと酒が出てきた。
さらに、さっきまでステージで歌っていた女の子が僕のテーブルにやってきて、隣に座った。
特にかわいいとは言えないが、割と優しそうな女の子だった。
残念ながら、英語はほとんどしゃべれないようだ。
僕はもう結構酔っぱらっていたので、薄めの水割りを飲むことにした。
さらに、お腹いっぱいなので、つまみもあまり食べられそうにない。
仕方が無いので、煙草を吸ったり、女の子の歌を聴いたりして時間を潰す。
女の子が、「お酒を頼んでいい?」と聞いてくる。
僕は「いいよ」と言うが、その酒が高いのか安いのか、さっぱり分からない。
DONは楽しそうに女の子と話したり、何度も乾杯したりしている。
僕も形だけ乾杯に参加する。
そんな風に時間が過ぎていく。
酔っ払いすぎて、時間の感覚があいまいになっていく。
さっきから口にした単語といえば、「チャイオー!(乾杯!)」「ビッグ・シン!」「CHA-CHA」の3つくらいだ。
同じ単語の繰り返し、つまみの卵はまずい、酒ももう飲みたくない。
帰ろうという言葉をいつ切り出そうか考えていると、DONがさらなる提案をしてきた。
「マッサージに行こう」と言う。
僕はなんとなく嫌な予感がしたので、「それって、セクシーなマッサージじゃないよね?」と確認した。
彼は、「いや、普通のタイ・マッサージだ。1時間だけだ。」と言う。
僕はもう考えるのが面倒臭くなってきていたので、「じゃあいいよ。行こう」と答えた。
キャバクラの勘定を済ませる頃になって、DONは僕をテーブルに残して先に席を立ち、店の人から勘定書きをもらってきた。
そこに書かれていた金額は、7950バーツだった。
DONとは割り勘で払うという約束だったが、一人当たりにしても4000バーツ(約1万円)だ。
タイでこの値段は、高すぎる。
それに、僕の財布に入っていた現金は、ちょうど1000バーツ紙幣が4枚と、あとは小銭だ。
言われるがままに払ってしまったら、すっからかんになってしまう。
でも、払うしか無い。
女の子が注文していた酒の値段も分からないし、DONが店の人と裏で手を組んでいたとしても、タイ語のしゃべれない僕には確かめようがないのだ。
マッサージへ向かうタクシーの中、あらためて4000バーツという金額を考えてみる。
僕が空港で両替したのが9000バーツだ。
今日までの5日間の宿代・食費・交通費・ツアー参加費すべてを合わせて5000バーツ程度だった。
つまり、僕は、この5日間の滞在費の合計に匹敵する額を、ほんの数時間で使ってしまったことになる。
やれやれ。
タクシーは夜中のバンコク市街を走り抜ける。
夕方に比べると、明らかに交通量が少なく、スムーズだ。
まもなくして、タクシーは大きなビルの下に着いた。
ビルは思わず見上げてしまうほど大きく、20階くらいはありそうだ。
正面のエントランスは、大きなロータリーになっている。
建物全体の印象としては、ヒルトンとかハイアットとか、世界規模のホテルチェーンを想起させる。
そのイメージにぴったりのドアボーイがタクシーのドアを開け、僕を入口へと促す。
広い階段を何段か上り、大きなドアをくぐり、フロントの前を通り過ぎ、ロビーに入った。
シャンデリアがロビーを薄暗く照らし、分厚い絨毯の上を僕は進む。
ロビーの奥で僕を待っていたのは、派手なドレスを着た、たくさんの若い女たちだった。
みんな、ひな檀のようなところに座り、こちらを向いてにっこりと微笑んでいる。
手まねきをしている女も居る。
派手な口紅、大きなイヤリング、胸の番号札。
さあさあ、ゆっくり見て選んでちょうだい。
1番、トイ・プードル、生後3か月、血統書付き、しつけ済み、20万円。
2番、ポメラニアン、有名ブリーダー、1年の生存保証、毛並み極上、30万円。
3番、ミニチュア・ダックスフンド、6カ月、人懐っこい性格、予防接種済み、18万円。
4番、5番・・・どれにする?
やはり、これはどう見てもセクシーマッサージだ。
いくらなんでも、タイで性病をもらうわけにはいかない。
システムも料金も全く分からないし、だいいち金を払おうにも、僕は一文無しなのだ。
断りたいが、頭は酒の飲み過ぎでぼんやりしている。
ピンチだ。
僕は、体中から色んなエネルギーをかき集め、やっとのことで、「No sexy massage!」とDONに告げた。
言葉が出てこないDONを置いて、僕はロビーの出口へと歩き始めた。
ホテルの出口でタクシーを捕まえ、ゲストハウスの名前を告げる。
DONが済まなさそうに着いてくる。
タクシーは再び夜のバンコク市内を走りだす。
ゲストハウスに着くまでの車中で、相当気持ち悪くなってしまった。
タクシーが赤信号で止まったり、ちょっとしたカーブを曲がるだけで、今にも吐きそうだ。
なんという夜だ。
タクシーがゲストハウスの前に止まったのは、夜の12時過ぎ。
DONはタクシー代を払ってくれるという。
彼が今夜どこに泊まるつもりなのか知らないが、とにかくここでお別れだ。
握手をし、帰国後の手紙のやりとりを約束して、彼を乗せたタクシーは去って行った。
タクシーが去ると、あたりに静寂が訪れた。
いくら大都市バンコクとはいえ、真夜中は静からしい。
ゲストハウスの前には、小さなATMがある。
夜の闇の中で、液晶画面が青白く光っている。
僕は財布からカードを取り出し、ATMに差し込む。
明日の朝に空港へ向かうためのタクシー代が必要だ。
ATMがカードを認識し、英語の案内が画面に現れる。
僕の頭の中には、アルコールの霧が渦巻いていて、案内表示を理解するのに時間がかかる。
「Withdrawal」ってなんだっけ?
なんだかとっても、わびしい気持ちだ。
やれやれ、どうしてこんなことになってしまったのか?
どこまでが本物で、どこからがプラスティックだったんだろう?
DONが教師であることは間違いないが、途中からは店と共同で俺をだましていたのかもしれない、最初からだますつもりで声を掛けてきたのか?だとしても、彼のタイの歴史やお寺や僧についての説明はとても分かりやすかったし、バンコクのナイトライフを垣間見ることができた、まあ、彼のおかげで楽しい一日だったとも言える、それに、最後に無一文になるというのも、すっきりしていると言えなくもない。
部屋に戻り、シャワーを浴びて、ふらふらする頭でなんとか荷物をまとめ、目覚ましをセットしてベッドに入る。
深夜の1時くらいだった、と思う。
バンコク行きの朝の列車に乗るためだ。
今日はバンコクへ行って、明日は早朝の飛行機で日本へ向かう。
だから、今日はタイで過ごす実質最後の日になる。
最終日と言っても、例によって特に予定は無い。
バンコクへ移動するということ以外、何も予定を決めず、僕はカンチャナブリの駅に向かった。
カンチャナブリの駅のホームの隅で煙草を吸いながら列車を待つ。
空は青く、あふれるような朝の光が線路を照らしている。
しばらく一人で立っていると、一人のおじさんが話しかけてきた。
「Can you speak Chinese?」ぎこちない英語だ。
僕は「No, I can’t. Can you speak English?」と聞き返した。
「Ah.. a little.」とおじさんは答えた。
そこから僕とおじさんの会話が始まった。
列車が来るまでにはまだ時間があったから、僕らはいろんな話をした。
彼の名前はDON(ドーン)。
DONはカンチャナブリに住んでいる農夫で、バンコクでパートタイムの教師をしているらしい。
週に2回ほど、政府から支給された定期券で列車に乗って、バンコク市内で中学生に歴史を教えているようだ。
奨学金の返済を免除してもらう代わりに、無給で教師をやっているとのこと。
まあ、ありそうな話だ。
そのうち僕の話になり、日本から来たこと、一週間だけの一人旅行であること、ドリアンを探していること、明日には飛行機に乗って日本に帰ることなどを話した。
僕が日本から来たと聞いて、DONは色々と日本の話をし始めた。
ヒロヒト、ヒデキ・トウジョウ、フジマウンテン、そんな話だ。
歴史の先生らしく、戦争に関する話題が多い。
僕は、昨日JEATH博物館へ行ったことを彼に告げた。
「日本が昔タイにしたことについては、一応知っていますよ」と伝えたかったのだ。
そんな僕の気持ちを察してか、DONは、「ジャパン、タイランド、フレンド」と言った。
ちなみに、彼の祖父は、アメリカの空爆によって片足を失ったらしい。
日本がカンチャナブリに鉄道を作ったりしなければ、アメリカが爆撃にやってくることもなかったかもしれない。
それでも、「フレンド」と彼は言ってくれた。
列車はまだ来ないので、DONと僕は写真を撮ることにした。
DONの写真を撮ると、背景には桜が写った。
もちろん、本物の桜ではない。
駅の庭に植えられている、造花の桜だ。
熱帯の朝日に照らされた桜というのも、なんだか妙だ。
「この駅の桜は、プラスティックのイミテーションだね」と僕は言った。
プラスティックの桜も、朝日の中で眺めると綺麗に見えた。
バンコクへ向かう列車の中で、僕とDONは色々なことを教えあった。
DONは、タイ語の挨拶や簡単な動詞を発音まで丁寧に教えてくれた。
僕は日本の人口や東京の大きさ、物価の高さ、国内の不況などについて語り、日本語の基礎的な単語をいくつか教えた。
車内は車輪の音と風の音でうるさかったので、僕らは大声で何度も同じ単語の発音を繰り返さなくてはならなかった。
「オ・イ・シ・イ」
「オー、シー?」
「ノーノーノー、オ・イ・シ・イ!」
こんな具合だ。
タイ語の発音は、すごく難しい。
僕がしつこく何度も聞き直そうとすると、彼は微笑んで「CHA-CHA」と言った。
「CHA-CHA」とは、タイ語で「ゆっくり」という意味だ。
そうだね、ゆっくりやろう。
僕らは互いにたっぷりと時間があるものね。
バンコクに着くまでの間、DONは、タイの様々な現状について教えてくれた。
数年前の大地震で多くの人が家を失い、スラムが増えたこと。
カンチャナブリの川は、昔は透明で魚がたくさん取れたが、今は汚れて魚も減ったこと。
地下水の汲み上げや土砂採取のしすぎでバンコクの地盤が沈下していること。
バンコクでは大気汚染や川の水質悪化やゴミの散乱など環境汚染がひどいこと、それに対して政府はほとんど何の対策もしていないこと。
シンハービールは女の子の飲み物で、大人の男はハイネケンを飲むものだということ。
実に、ためになる話ばかりだ。
これまでタイで見てきた様々な物事が、彼の説明のおかげで一つ一つ繋がっていく。
しだいにバンコクが近づいてきたところで、DONが「今日の午後、一緒にバンコクを歩かないか」と誘ってきた。
彼の授業は1コマだけなので、それが終わった後なら案内してやろう、ということらしい。
僕は、特に午後の予定は決めていなかったので、彼の誘いに乗ることにする。
昼前に、バンコクに列車が着いた。
そこからDONと一緒に歩き、船に乗ったりして、タマサート大学に入る。
学食で昼飯をおごってもらい、カオサン通りの方へ歩く。
カオサン通りでは、ゲストハウスまで紹介してもらった。
別に泊まるところくらい自分で探せるのだけれど、せっかくなので好意を受けることにする。
DONの授業が終わる時間を教えてもらい、待ち合わせ場所を決めて、僕らは一端別れた。
彼の授業が終わるまで、僕はゲストハウスで一眠りした。
目を覚まして待ち合わせ場所に向かうと、DONは時間どおりに現れた。
「これから近辺を歩いて回ろう」と彼は言う。
僕はそれに従う。
ここまで来たら、彼に一日を捧げる覚悟だ。
彼の後ろについて、バンコクの裏通りから裏通りへと歩く。
様々な名所や、何でもない庶民的な家、汚れた小川、小さなお寺、僧侶の学校、お坊さんの寮、家具職人の工房。
一人だったら入れないような場所にたくさん連れて行ってくれる。
おまけに丁寧な説明付きだ。
例をいくつか挙げよう。
「この椅子を見てくれ。釘が一切使われていない。タイ名産の丈夫な木と、伝統職人の技術がすごいんだ。でも、最近はそういう木は切られつくされ、森は荒れてしまった。今では古くなった家具をリサイクルしてるんだ」
「この塔の下には、たくさんの死者の灰が埋められている。貧乏人の灰だ。金持ちの灰は、別の場所にある。綺麗な骨壷に入れられ、大きな寺院の壁に祀られている。でも、そうするには毎年たくさんの寄付をしなければならない」
大体こういう感じだ。
さすがに歴史の教師をしているだけあって、説明が上手だ。
そして、よくしゃべる。
ワット・インという大きな寺院に入ると、入口で小さな仏像やポスターなどを販売している。
僕は、DONにも相談しながら、一つの小さな彫像を買った。
彫像をバッグにしまって寺院の奥に入り、仏像を眺めていると、大雨が降りだした。
しばらく雨宿りをするしかない。
僕がバッグを床に下ろすと、DONは慌ててそれをたしなめた。
「ノーノー、イッツ、シン!」
仏像や経典などを地面に置くことはタブー(シン)らしい。
彼がとっさに注意したのを見て、彼が敬虔な仏教徒であることが実感できた。
雨が弱くなったのは夕方だった。
ちょっと早いが、彼と一緒に夕食を食べ、ビールを飲もうという話になった。
僕らは寺院を出て、水浸しの街を歩き始める。
しばらくしてからタクシーを捕まえ、レストランへ向かう。
レストランに着くと、僕らはハイネケンを頼み、まずは乾杯した。
「チャイオー!(乾杯!)」という掛声とともに、グラスを合わせた。
グラスにはタイ式に氷がたくさん入っている。
この店は彼の行きつけらしく、店主としきりに話をしている。
そのうち、客の一人がDONのところにやってきて、挨拶しだした。
DONの昔の教え子らしい。
やっぱり本当に先生だったんだ、と少し安心する。
ビールを3~4本飲み、料理をおおかた食べつくしたところで、そろそろDONともお別れかな、と思っていると、彼は思いがけないことを言い出した。
「カントリーミュージックを聴きに行かないか」と言う。
僕はそろそろ一人になりたかったが、せっかく誘ってくれたのだし、伝統音楽にも興味があったので、彼の誘いに乗ることにした。
その「カントリーミュージックのお店」に着くと、若い女の子が小さなステージで歌っていた。
小さなミラーボールの下で、マイクを手に持って、ポップソングを歌っている。
ステージの周りは薄暗くなっていて、テーブルを囲むように椅子が並び、テーブルの上にはアイスペールが置かれ、他の女の子が水割りを作っている。
なんてことはない、ただのキャバクラだったのだ。
僕は内心、やれやれ、と思った。
とにかく席に着くと、特に注文もしていないのに、つまみと酒が出てきた。
さらに、さっきまでステージで歌っていた女の子が僕のテーブルにやってきて、隣に座った。
特にかわいいとは言えないが、割と優しそうな女の子だった。
残念ながら、英語はほとんどしゃべれないようだ。
僕はもう結構酔っぱらっていたので、薄めの水割りを飲むことにした。
さらに、お腹いっぱいなので、つまみもあまり食べられそうにない。
仕方が無いので、煙草を吸ったり、女の子の歌を聴いたりして時間を潰す。
女の子が、「お酒を頼んでいい?」と聞いてくる。
僕は「いいよ」と言うが、その酒が高いのか安いのか、さっぱり分からない。
DONは楽しそうに女の子と話したり、何度も乾杯したりしている。
僕も形だけ乾杯に参加する。
そんな風に時間が過ぎていく。
酔っ払いすぎて、時間の感覚があいまいになっていく。
さっきから口にした単語といえば、「チャイオー!(乾杯!)」「ビッグ・シン!」「CHA-CHA」の3つくらいだ。
同じ単語の繰り返し、つまみの卵はまずい、酒ももう飲みたくない。
帰ろうという言葉をいつ切り出そうか考えていると、DONがさらなる提案をしてきた。
「マッサージに行こう」と言う。
僕はなんとなく嫌な予感がしたので、「それって、セクシーなマッサージじゃないよね?」と確認した。
彼は、「いや、普通のタイ・マッサージだ。1時間だけだ。」と言う。
僕はもう考えるのが面倒臭くなってきていたので、「じゃあいいよ。行こう」と答えた。
キャバクラの勘定を済ませる頃になって、DONは僕をテーブルに残して先に席を立ち、店の人から勘定書きをもらってきた。
そこに書かれていた金額は、7950バーツだった。
DONとは割り勘で払うという約束だったが、一人当たりにしても4000バーツ(約1万円)だ。
タイでこの値段は、高すぎる。
それに、僕の財布に入っていた現金は、ちょうど1000バーツ紙幣が4枚と、あとは小銭だ。
言われるがままに払ってしまったら、すっからかんになってしまう。
でも、払うしか無い。
女の子が注文していた酒の値段も分からないし、DONが店の人と裏で手を組んでいたとしても、タイ語のしゃべれない僕には確かめようがないのだ。
マッサージへ向かうタクシーの中、あらためて4000バーツという金額を考えてみる。
僕が空港で両替したのが9000バーツだ。
今日までの5日間の宿代・食費・交通費・ツアー参加費すべてを合わせて5000バーツ程度だった。
つまり、僕は、この5日間の滞在費の合計に匹敵する額を、ほんの数時間で使ってしまったことになる。
やれやれ。
タクシーは夜中のバンコク市街を走り抜ける。
夕方に比べると、明らかに交通量が少なく、スムーズだ。
まもなくして、タクシーは大きなビルの下に着いた。
ビルは思わず見上げてしまうほど大きく、20階くらいはありそうだ。
正面のエントランスは、大きなロータリーになっている。
建物全体の印象としては、ヒルトンとかハイアットとか、世界規模のホテルチェーンを想起させる。
そのイメージにぴったりのドアボーイがタクシーのドアを開け、僕を入口へと促す。
広い階段を何段か上り、大きなドアをくぐり、フロントの前を通り過ぎ、ロビーに入った。
シャンデリアがロビーを薄暗く照らし、分厚い絨毯の上を僕は進む。
ロビーの奥で僕を待っていたのは、派手なドレスを着た、たくさんの若い女たちだった。
みんな、ひな檀のようなところに座り、こちらを向いてにっこりと微笑んでいる。
手まねきをしている女も居る。
派手な口紅、大きなイヤリング、胸の番号札。
さあさあ、ゆっくり見て選んでちょうだい。
1番、トイ・プードル、生後3か月、血統書付き、しつけ済み、20万円。
2番、ポメラニアン、有名ブリーダー、1年の生存保証、毛並み極上、30万円。
3番、ミニチュア・ダックスフンド、6カ月、人懐っこい性格、予防接種済み、18万円。
4番、5番・・・どれにする?
やはり、これはどう見てもセクシーマッサージだ。
いくらなんでも、タイで性病をもらうわけにはいかない。
システムも料金も全く分からないし、だいいち金を払おうにも、僕は一文無しなのだ。
断りたいが、頭は酒の飲み過ぎでぼんやりしている。
ピンチだ。
僕は、体中から色んなエネルギーをかき集め、やっとのことで、「No sexy massage!」とDONに告げた。
言葉が出てこないDONを置いて、僕はロビーの出口へと歩き始めた。
ホテルの出口でタクシーを捕まえ、ゲストハウスの名前を告げる。
DONが済まなさそうに着いてくる。
タクシーは再び夜のバンコク市内を走りだす。
ゲストハウスに着くまでの車中で、相当気持ち悪くなってしまった。
タクシーが赤信号で止まったり、ちょっとしたカーブを曲がるだけで、今にも吐きそうだ。
なんという夜だ。
タクシーがゲストハウスの前に止まったのは、夜の12時過ぎ。
DONはタクシー代を払ってくれるという。
彼が今夜どこに泊まるつもりなのか知らないが、とにかくここでお別れだ。
握手をし、帰国後の手紙のやりとりを約束して、彼を乗せたタクシーは去って行った。
タクシーが去ると、あたりに静寂が訪れた。
いくら大都市バンコクとはいえ、真夜中は静からしい。
ゲストハウスの前には、小さなATMがある。
夜の闇の中で、液晶画面が青白く光っている。
僕は財布からカードを取り出し、ATMに差し込む。
明日の朝に空港へ向かうためのタクシー代が必要だ。
ATMがカードを認識し、英語の案内が画面に現れる。
僕の頭の中には、アルコールの霧が渦巻いていて、案内表示を理解するのに時間がかかる。
「Withdrawal」ってなんだっけ?
なんだかとっても、わびしい気持ちだ。
やれやれ、どうしてこんなことになってしまったのか?
どこまでが本物で、どこからがプラスティックだったんだろう?
DONが教師であることは間違いないが、途中からは店と共同で俺をだましていたのかもしれない、最初からだますつもりで声を掛けてきたのか?だとしても、彼のタイの歴史やお寺や僧についての説明はとても分かりやすかったし、バンコクのナイトライフを垣間見ることができた、まあ、彼のおかげで楽しい一日だったとも言える、それに、最後に無一文になるというのも、すっきりしていると言えなくもない。
部屋に戻り、シャワーを浴びて、ふらふらする頭でなんとか荷物をまとめ、目覚ましをセットしてベッドに入る。
深夜の1時くらいだった、と思う。