The Place

自分の言葉で、ゆっくり語ること

Mr.childrenにまつわる回想

2012-07-15 11:48:04 | 日記
手元のハイボールのグラスには、水滴がたっぷりついている。

沖縄は夜も湿度が高いので、しずくの量が半端ではない。

氷を入れたグラスの表面には、子供の汗のように、次から次へと小さな水玉が流れ落ちる。

コースターが受けとめきれないくらいだ。

こういう湿度の中で飲むハイボールは、とても旨い。

というわけで、最近は割とハイボールを飲んでいる。

週に2、3回というところだろうか。

でも、前はハイボールなんてほとんど飲まなかった。

学生の頃はウイスキーのロックが好きで、横浜で働き始めてからはビールとワインで、あるときからは炭酸水を好むようになった。

当然のことだけど、人の好みは変わるのだ。

音楽しかり、服装しかし、本しかり。

新しい芽が生えてくるときには、古い葉は枯れ落ちなければならない。

万物は流転する。オール・シングス・マスト・パス。

そういうわけで、前は熱心に聴いていたけど今は全く聴かなくなったアーティストに、ミスター・チルドレンがある。

昔は全部のアルバムを持っていたのに、今は一枚も持っていない。

何処に置いてきたのか、それすら上手く思い出せないのだ。

ちょっと信じられないことだけれど。

それでも、CDは一枚も持っていなくても、僕はたまに、彼らのことを思い出すことがある。

昔すごく好きだった、ミスター・チルドレンのことを。

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僕が実家の自分の部屋を思い浮かべるときに、必ずイメージに入ってくるのが、壁に貼ったミスチルのポスターだ。

そのポスターは、「深海」というタイトルのCDアルバムのジャケットのアートワークをそのままポスターにしたものだった。

深い青い海の底に、古びた椅子が置かれている構図で、紙質はガサガサとして粗っぽい。

全体として重苦しく陰鬱な感じのポスターであり、CDの内容も概ねそうだった。

爽やかなイメージで売れ始めて人気絶頂の頃だったので、このCDの評価は、ファンの間では分かれていた。

「ポップで・明るくて・ポカリスエットのように爽やかで」、そういうイメージを期待していたファンにとっては違和感があったようだ。

でも、僕は、このアルバムが好きだった。

重苦しくて、アナログで、ざらざらしたこのアルバムが好きだった。

「安易なイメージで売れたのはいいけど、本当の自分とのズレを感じていて、社会への疑問や自分の汚い部分もさらけ出したい」みたいな桜井さんの葛藤が、ロックとして昇華され、すごく正直な感じがした。

僕はこのCDが出たころ、中学生だったと思うのだけど、部屋を真っ暗にして一人で何度も聴いたものだ。

典型的な中二病だったのかもしれない。

とにかく、ソファに座って、暗闇の中で音に集中した。

おかげで、今でも曲の合間のSEまで克明に思い出せる。

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高専に入学して、僕は寮に入ることになった。

一年生は相部屋になる決まりで、僕もルームメイトを持つことになった。

僕はまだミスチルを聴いていて、ルームメイトの彼はルナシーのファンだった。

音楽の好みの違いはあれど、僕らは概ね上手くやっていた。

彼はルナシーのINORANに憧れてギターを始め、僕は親戚に譲ってもらったベースを弾いていた。

僕はこの寮で楽器を覚え、当時の少ない小遣いで譜面を買い、ミスチルの曲も何度も弾いた。

イノセント・ワールド、クロス・ロード、名もなき詩、Over、花。

季節はいくつも流れ、4年生になった頃に、僕は寮の後輩達とミスチルのバンドを組んだ。

自分が一番年上だったので、バンドのリーダーだった。

スケジュールを決めたり、演奏曲の提案をしたり、学園祭の委員と話し合ったり。

だが、音楽的なセンスという面ではボーカルの彼の方が圧倒的だった。

彼の歌の上手さと、ステージ映えするキザさは、多くの女性客を引き付けるものがあった。

僕は僕で、寡黙に引き立て役に徹するベースに、面白さを感じていた。

とにかく、彼のスター性のおかげで、僕らのバンドは学園祭のトリのステージに立たせてもらえることになった。

運動場に組まれた特設のステージに立ち、夜空の下で演奏をした時のあの気持ち良さは忘れられない。

友達の顔が輝いて見えて、スポットライトが眩しくて、満月はとても大きかった。

世界は広くて、人生は未知で、彼女は居なくて、破れたジーンズが宝物だった。

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横浜で働き始めた僕は、ジャズバーに通うようになっていた。

土曜の夜に細身のシャツの着てブーツを履き、一人で地下鉄に乗って、横浜の旧市街で降りる。

小さなジャズバーの入り口を幾つかまわって、今日の出演者をチェックし、ドアの前で漏れてくる音を聴く。

自分が好きそうなバンドであれば、ドアをあけてマスターに「こんばんは」と言い、エビスビールを頼んで席に座る。

それから、熱くてクールな(時にゾクゾクするほど自由で獰猛な)演奏をたっぷり楽しんで、ライブが終わったらスパッと家に帰る。

そういう生活を繰り返していたせいで、横浜の一部地域のジャズのお店には随分詳しくなった。

もうミスター・チルドレンを聴くことはなかったが、前よりもさらに音楽の魅力に触れていた気がする。

人生のステップを上がったのだ。

その頃は、寮で暮らしていた頃に比べると、普通に女の子とデートできるようにもなっていた。

自然にジャズバーに案内したり、ちゃんと相手の話が聴けるようにもなっていた。

それを人は成長と呼ぶ。

でも僕は、破れたジーンズもそれはそれで悪くないと思う。

それはまあとにかく、ある日、僕はデートした女の子をジャズバーに連れて行った。

いつもの馴染みの店だ。

彼女は、薄暗いバーのスツールに腰掛けながら、なぜだか急にミスチルに関する質問をしてきた。

「ねえ、ミスチルって好き?」

その女の子は、僕よりも3つくらい年上で、おっとりとしゃべり、どこか儚げで、足の組み方が綺麗な人だった。

淡い色のカーディガンとロングブーツが良く似合っていた。

僕は少し迷って、ビールを一口飲み、ゆっくりと言葉を選んで正直に回答した。

「昔は好きでアルバムも全部持ってた。でも、今じゃ全然聴かないよ。」

彼女は、「そう、それなら良かった」と言った。

「私は、このくらいの歳になってもまだミスチルが好きな人って、あんまり信用できないの」

彼女はゆっくりと、しかしはっきりと、そう言った。

この言葉は、何故かすごく印象に残っている。

そして、当時の僕は、「ああ、ミスチルを卒業していて良かった」と単純に思ったものだ。

それはそれとして、この女の子とは、そのデート以来、二度と会うことは無かった。

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僕は、横浜から離れる前の最後の年、偶然、桜井和寿さんとすれ違った。

その場所は、新横浜駅の改札だった。

僕は関西の出張から帰ってきたところで、スーツを着てビジネスバッグを手に持ち、夕暮れの新幹線のホームを改札に向かっていた。

すると、改札からホームに向かって、白いマスクをした男がこちらに向かって歩いてきた。

男は小さめのスーツケースを転がし、新幹線の乗り場に向かって一直線に歩いていた。

僕は、その男とすれ違う時に、バチッと目が合った。

目があった瞬間にまず僕が思ったのは、「この人、どこかで知ってる」だった。

誰かはすぐに思い出せないけど、どこかで会ったか知ってる人だ。

その次に「もしかして、ミスチルの、桜井さんじゃないか?」と思った。

何度もポスターやテレビやライブビデオで見た、あの目つき。あのホクロ。

桜井さんは右目の脇のホクロが特徴的なのだ。

その「桜井さんらしき」男は、僕と目が合うと、すぐに目をそらし、スタスタと歩いて行った。

だが、僕はその人の体つきと、髪型、歩き方から、桜井さんだと確信した。

一応確認しようと、家に帰ってからミスチルのホームページを確認すると、その日はコンサート等の予定はなく、翌日は名古屋でコンサートとなっていた。

間違いない。移動中だったんだ。

完全にプライベートな雰囲気だったので、話しかけたりはできなかった。

ほんの一瞬の出来事だったけど、偶然の邂逅だった。

昔の僕のヒーロー、何度も聴いたCDを作った人、ステージの上の憧れだった人。

僕は何だか「ありがとう」と言いたい気持ちだった。

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この話に特に教訓は無い。

過ぎ去ったものを思い出しても、それで何かが前に進むということは無いのだ。

でも、僕はこういった古いレコードのような思い出をいくつか抱えていて、たまにそれを取り出しては、何度も再生する。

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ところで、ハイボールのグラスに付いた水滴は、こまめに拭いてやらなければならない。

そうしないと、コースターは水びたしになってしまう。

だから、那覇のキャバクラにおけるお姉さんの仕事は、①お酌をすること、②タバコに火をつけること、③グラスの水滴をふき取ってあげること、である。

客のグラスがびちょびちょになってることにイチ早く気付くのは、沖縄で生きるキャバ嬢にとって重要な資質の一つであるとも言える。

どうでもいい指摘をして、この回想は終わりにしたいと思う。

春風

2011-05-03 11:49:13 | 日記
ことあるごとに思い出したり読み返す言葉がある。
これがその一つ。

 僕には心を捨てることはできないのだ、と僕は思った。
 それがどのように重く、時には暗いものであれ、あるときにはそれは鳥のように風の中を舞い、永遠を見わたすこともできるのだ。
 この小さな手風琴の響きの中にさえ、僕は僕の心をもぐりこませることができるのだ。

  村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」より

The Point of No Return

2010-04-01 00:37:54 | 日記
きっと、誰にでも、引き返すことのできない一線を渡るときがある

僕は、その橋を、とても静かに渡っていく

あとは橋が燃え落ちるのを見ているだけ

シャンデリアは音もなく崩れ落ち、悲鳴を上げる者も居ない

耳元で砂が流れる音が聴こえるだけ

さらさらさら。

スパゲッティークロニクル

2010-03-16 00:51:24 | 日記
日曜日の夕方の東急田園都市線は、うす暗くなり始めた都会の街並みの中を走り続けていた。

渋谷に近付くにつれて地下駅が多くなり、窓の外は真っ黒な壁と無機質なホームの光を交互に繰り返すようになる。

僕はシートに座り、手に文庫本を持って、読み慣れたストーリーを辿っていた。

その物語は、淡い光の世界と、真っ黒で深い穴の中を交互に繰り返し走り抜けて行った。

主人公の男は、悪い予感を感じつつ、自分の置かれた状況も把握できないまま、ただ電話を待ち続けていた。

男は、落ち着かない気持ちをどうにか落ち着けるため、余計な事を考えすぎないため、部屋の掃除をし、シャツにアイロンをかけ、スパゲッティーを作り一人で食べていた。

僕には、その男の気持ちが痛いほどよく分かった。そして、心の底から同情した。

なかなか来ない連絡を待ち続け、何かが起こるのを、誰かが手掛かりをくれるのを、ただ待ち続けているということが、どういう気持ちのするものなのか、今の僕にはとても良く分かる。

一人でスパゲッティーを茹でて食べるのが、どういう作用を自分にもたらすのか、オリーブオイルとにんにくの入ったフライパンがどんな匂いを放っているのか、僕には本当に良く分かる。

僕とその男の違いは、彼が突然消えた女房を待ち続けていること、明日の予定を何も持っていないこと、そして正直に話しをすることのできる友達がほとんど居ないことだった。

少なくとも僕には明日の予定があり、降りるべき駅があり、会うべき友達が居た。

僕はその男にもう一度深く同情した。

電車のシートに座ったまま文庫本を一度閉じ、瞼を降ろし、もう一度フライパンの中のトマトソースが煮える音を聴いた。

でも、その同情の次に僕が感じたのは、「この電車はどこに向かっているんだっけ?」という感覚だった。

確かに大手町へ向かっているはずだ。
だけど、目を閉じると、もっと遠くへ連れ去られてしまうような感覚が体を包む。

そこはどういう場所なのだろう?

ジェリーフィッシュ

2009-11-29 18:31:53 | 日記
11月の冷気は、僕のジーンズの生地を通りぬけ、体の奥まで染み込んでこようとしていた。
雨こそ降っていないが、空気は湿り気を帯びて重たい。
日曜日のお昼時だというのに人通りはほとんど無く、信号待ちのタクシーも少ない。

僕は書類カバンを肩から提げて、駅から会社までの道のりを歩いているところだった。
平日にやり残した仕事をするためだ。
当初の予定では、生命保険会社が午後に家を訪ねてくるはずだった。
保険内容の変更について、僕と妻と保険会社の人の3人で、ゆっくり話し合いをする予定だったのだ。
だが、僕はそれを妻に任せることにした。
会社で働いている以上、個人的な用件を犠牲にすることは、ある程度仕方のないことなのだ。

会社に着く直前で、僕はふと、妻の友人がやっている喫茶店のことを思い出した。
あまりに寒かったせいで、温かいコーヒーが飲みたくなったのだ。
その喫茶店は駅の近くにあり、少し戻らなくてはならないが、どうしても飲みたい。
いつの間にか、僕の頭の中は、大きなカップに入ったカプチーノでいっぱいになっていた。
僕は喫茶店に向かって歩き出した。

その喫茶店は、今年の春に工事をやって、新装開店をしたばかりだった。
工事をする前の店には、薄いオレンジ色の壁に白いテーブルが並び、サボテンの鉢植えが窓辺に飾られていた。
メニューにはスパゲッティやドリア、ビーフカレーが並び、コーヒーはブレンドとカフェオレの2種類だけだった。
テーブルはいつも、家族連れやカップルや学生で埋まっていた。
つまり、どこにでもある平凡な店だったのだ。
昔の店の名前は、どうしても思い出せない。
きっと、名前まで平凡だったのだろう。

でも、今の店の名前はすぐに思い出せる。
僕は5月に一度だけ、新しくなった店に入ったことがある。
その時、店の入り口の上には、真っ黒な木の板に「自家焙煎珈琲 ジェリーフィッシュ」と彫りつけてあった。
カウンターの隅には小さな水槽が置いてあり、青白い蛍光灯に照らされた水の中を、クラゲが泳いでいた。
薄暗い店内と、青白く光る水の対比が印象的だったのを覚えている。
生まれ変わった店ではメニューが一新され、コーヒーは20種類もの銘柄に増えていた。
食べ物はガトーショコラとプレーンスコーンだけになり、どちらも店内で焼いているとのことだった。
要するに、工事の前後で、店の方向性ががらりと変わったのだ。

新装開店の経緯について、妻はどこからか情報を仕入れてきた。
彼女が誰かから聞いたところによると、友人が最初の店を始める時、彼は親戚から出資を受けていたとのことだ。
その出資者は、店の方向性を変えることに強く反対していたが、友人はそれを押し切って工事を始めさせ、新しい店を作ったのだという。
友人と出資者の関係が現在どのようになっているのかという点については、彼女も知らないようだった。

そこまで考えたところで、ちょうど僕は店の前に着いた。
小さなステンドグラスのついたドアを開けて中に入ると、店主はカウンターの奥で洗い物をしているところだった。
「いらっしゃいませ。あら、どうも。」
「どうも。寒いですね。」
マフラーを外しながら、僕はカウンター席に腰掛けた。
「今日はお一人ですか?」と店主。
「ええ、これから会社に行くんです。急な仕事が入ってしまってね。」
僕はメニューを見て、マンデリンとガトーショコラを注文した。
コーヒーが出てくるまでの間、僕は店内に流れているピアノトリオを聴いていた。
確か、前に来た時もピアノ曲が流れていた気がする。
カウンターは大きな無垢の一枚板で、木目が美しい。
抑えられた照明の光を、木目の上のニスが静かに反射している。

「お待たせしました、どうぞ。」
「いただきます。」
白いシンプルなカップにたっぷりと注がれたコーヒーの表面からは、細い湯気が立ち上っている。
一口飲むと、深入り豆の香りで肺の隅々までいっぱいになった。
「いや、ここのコーヒーはおいしいですね。」
「ありがとうございます。」
「前の店のときよりも、かなりおいしくなった気がするな。雰囲気もいいし。」
「・・・そうですか。」

僕はそのときの店主の返答に何かひっかかるものを感じた。
僕は今、開けてはいけないドアの取っ手に手を掛けてしまっているのだ。
そのドアの向こうには、きっと長い廊下が続いている気がする。
日が暮れるまでに帰って来れないかもしれない。

僕はそのドアノブからそっと手を離すために、自分の仕事の話を切り出した。
不景気でうちの会社も大変でね、でも今の仕事は結構気に入っているし、辛抱して頑張るしかないですね、なんていう話だ。
カップのコーヒーは半分にまで減っている。ガトーショコラはまだあらかた残っているが、さっさと食べて出てしまおう。
早く会社に行かなくては。
でも、こういう時は、たいてい上手くいかないよ、経験的に言ってね、とクラゲがささやく。

「お水をお注ぎします。」
「あ、どうも。」
「今の仕事を気に行ってらっしゃるということ、いいですね。」
「ええ、まあ。」
「私も、今のような店がやりたくて、改装したわけなんです。」
「そうですか。じゃあ、よかったですね。」
「それがね・・・」
と、長い廊下が目の前に口を開けた。

店主は、カウンターの上に目をやりながら、独り言のようにこう言った。
「私はね、ずっとこういう店をやりたかったんです。メニューから音楽から内装まで全部自分の好きな通りに考えて、作りたかった。前の店は、それなりに繁盛してたけど、どうしても自分の理想と違った。だから、店を新しくしてすぐの頃は、嬉しかったですよ。やった!俺は自分の夢を実現した!ってね。だけど・・・何て言うのかな、最近、漠然と思うんです。このままやっていける気がしないってね。いや、この店を続けることに関して、特に目に見える障害があるわけではありません。でも、将来もこれを続けているというイメージがどうしても持てない。不思議なもんです。あんなにやりたかったのにね。」

僕は、店主の考えていることをなるべく理解しようとした。
それは同情からでは無い。
理解し、慰め、励ますことで、早く解放されたかったからだ。
僕は少し焦っていた。
そして、考えがまとまらないうちに、ひとつの話をすることにした。

「それって、そんなに不思議なことですかね?よくある話だと思いますよ。」
「え?どういうことですか?」店主が聞き返してきた。

僕は、残り少なくなったカップのコーヒーを眺めながら、こう言った。
「『ミッシェル・ガン・エレファント』っていうバンドを知っていますか」
「いや、知りませんが・・・」と店主。
「4人組のロック・バンドです。ガレージ・パンクともいうのかな。とにかく、熱狂的なファンに支持されていた伝説的なバンドです。僕は大学生の頃、ミッシェル・ガン・エレファントを知って、大好きになりました。いや、正確には、僕がミッシェルを知ったのは、高校生の時です。高校生の時に先輩からCDを借りて、何曲か聴いたんです。でも、高校生の頃は、特に好きにはならなかった。心に響かなかったんです。」
店主は無言でうなずく。
僕はコーヒーの最後の一口を飲んでから、続きを話した。
「それが、大学生になってしばらくしてから、なぜかもう一度聴きたくなって、レンタル・ショップにCDを借りに行ったんです。そこから、どんどんはまり込んで、アルバムを全部そろえ、ライブにも行くようになりました。一度なんて、テストをすっぽかしてライブを聴きに行ったこともありましたね。」
店主は、僕がなぜこんな話を始めたのか、訳が分からない、というような顔をしていた。
それにはかまわず、僕は話を続けた。
「でも、今では、ほとんどミッシェルを聴くことはありません。仕事を始めた頃から、段々聴かなくなりました。最近よく聴くのは、主にジャズです。特に好きなのは、ピアノトリオ。ビル・エヴァンスとか、エスビョルン・スヴェンソン・トリオとかね。あとは、今流れているような曲も好きです。それにしても、まったく、ミッシェル・ガン・エレファントとビル・エヴァンスの間に、どんな接点があるというのでしょう?でも、結局は、そういうことなんです。」

空になったカップが、カウンターの上で居心地悪そうに佇んでいた。
店主は、「それで?」と言いたげな顔を僕の方に向けている。
「それで、今のお話と、私の店の改装の話と、どういう関係があるんですか?申し訳ありませんが、よく理解できなかったもので・・・」
「そう言われると、うまく説明できないのですが、でも、とにかく、今では僕はミッシェルをほとんど聴かないということです。あんなに大好きだったのにね。」
店主は、半分くらいは納得したけど、いまいち腑に落ちないというような顔つきをしている。
でも、それにかまっている暇は、今日の僕には無いのだ。
「あ、もうこんな時間だ。会社に行かなくちゃ。コーヒーうまかったです。ごちそうさま。」

喫茶店の外に出ると、空気はまだ冷たいままだった。
僕は、マフラーをしっかりと巻き直し、会社までの道のりを歩いた。

11月のワルツ

2009-11-04 21:38:33 | 日記
歯にしみるほど
甘いバニラアイス
それとスコッチウィスキー
たまらなく好きだ

虫歯がなく歯医者もいない
そんな世界はつまらない
影を引きずって歩くのさ
落ち葉の降り積もる道

樹の枝に小鳥がとまってる
朝の光を受けて 少し寒そうに
僕にはそれがはっきり見える
青い鳥がそこにいる

この景色が嫌いなら
それでいいよ
洋ナシなら
僕が切ってあげる

ワルツを踊ろう
楽しいやつを
君と踊りたいんだ
靴を脱いで
目が回るまで
1、2、3
音楽は無くても パーティーは続く

The Place

2009-10-26 20:07:24 | 日記
  僕には行くところがある
  気持ちが沈んでいるとき、ブルーな気分のときに
  それはぼくの心
  The Beatles「THERE'S A PLACE」より


僕が持っている特質の一つは、悲しいことや腹立たしいことがあっても、一晩経ったら忘れてしまうことだ。
身を切るような辛いことがあった日でも、食欲を無くしたり頭痛がしたり眠れなくなったりすることは滅多に無い。
この特質は、今まで何度も僕を助けてくれてきた。

それでも、時にはそれが耐えがたくなることもある。
ホリー・ゴライトリーが言うところの「いやったらしいアカ」のような気分のことだ。
そんなとき、ホリーだったらタクシーをつかまえてティファニーに行くところだけど、僕の場合はちょっと違うところへ行く。

その場所で、僕はいろんな言葉を思い出す。


  地球の人たちって、ひとつの庭園に、五千もバラを植えてるよ
  それなのに、さがしているものを見つけられない・・・
  だけどそれは、たった一輪のバラや、ほんの少しの水のなかに、あるのかもしれないよね・・・
  でも目では見えないんだ。心で探さなくちゃ
   サン=テグジュペリ「星の王子さま」より

  俺は俺の弱さが好きなんだよ。
  苦しさや辛さも好きだ。
  夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。
  どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや・・・
   村上春樹「羊をめぐる冒険」より

  僕には見える 美しいことが
  どんなに弱くても 美しくなれる
  素直な心で 生きてくのさ
  どんなにキズついても 素直な心で
   AJICO「美しいこと」より


しばらく感傷的になったあとで、永沢さんが最後に現われて一言残していくことがある。

  自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。
   村上春樹「ノルウェイの森」より(永沢さんのセリフ)

彼の忠告は、たまに効くんだよねー

Day 6 無題

2009-10-15 00:26:07 | 日記
5:30に起き、温度調節の効かないシャワーを浴び、荷物をまとめる。
6:10に通りに出てタクシーをつかまえ、空港までの値段交渉をする。
2台目の運転手と交渉がまとまり、大きな荷物を後部座席に乗せ、助手席に座る。
バンコク国際空港まで、タクシーは朝の市街を走る。
朝の町並みには、排気ガスのモヤがかかっている。
ついでに僕の頭にも二日酔いの霧がかかっている。
今日はとにかく帰るだけの一日だ。

6:50に空港へ着いて、すぐにチェックインする。
航空会社のカウンターで荷物を預け、出国のためのパスポートチェックを受け、手荷物検査のゲートを通り、免税店の前を通り過ぎる。
いつもの空港での行動を、手順通り、時間どおり行う。
今日の僕にはそれが精一杯だ。

8:20、定刻通りに飛行機が離陸する。
窓から見えるタイの町並みがしだいに小さくなっていく。
それを見ても、二日酔いの頭には何の感慨も浮かんで来なかった。

台北で乗り継ぎ、20:00頃に成田へ着く。
高速バスで横浜へ移動し、近所のパスタ屋でそら豆のクリームパスタを食べる。
家に着き、荷物を下ろして、ヒゲを剃る。
6日分の髭だった。
ずいぶん伸びたものだ。
洗面器の中の髭を見て、僕はやっと旅の終わりを実感することができた。

Day 5 プラスティックのさくら

2009-10-15 00:21:47 | 日記
夜明け頃に目を覚まし、7時前にはゲストハウスを後にした。
バンコク行きの朝の列車に乗るためだ。
今日はバンコクへ行って、明日は早朝の飛行機で日本へ向かう。
だから、今日はタイで過ごす実質最後の日になる。
最終日と言っても、例によって特に予定は無い。
バンコクへ移動するということ以外、何も予定を決めず、僕はカンチャナブリの駅に向かった。

カンチャナブリの駅のホームの隅で煙草を吸いながら列車を待つ。
空は青く、あふれるような朝の光が線路を照らしている。
しばらく一人で立っていると、一人のおじさんが話しかけてきた。
「Can you speak Chinese?」ぎこちない英語だ。
僕は「No, I can’t. Can you speak English?」と聞き返した。
「Ah.. a little.」とおじさんは答えた。
そこから僕とおじさんの会話が始まった。
列車が来るまでにはまだ時間があったから、僕らはいろんな話をした。

彼の名前はDON(ドーン)。
DONはカンチャナブリに住んでいる農夫で、バンコクでパートタイムの教師をしているらしい。
週に2回ほど、政府から支給された定期券で列車に乗って、バンコク市内で中学生に歴史を教えているようだ。
奨学金の返済を免除してもらう代わりに、無給で教師をやっているとのこと。
まあ、ありそうな話だ。
そのうち僕の話になり、日本から来たこと、一週間だけの一人旅行であること、ドリアンを探していること、明日には飛行機に乗って日本に帰ることなどを話した。

僕が日本から来たと聞いて、DONは色々と日本の話をし始めた。
ヒロヒト、ヒデキ・トウジョウ、フジマウンテン、そんな話だ。
歴史の先生らしく、戦争に関する話題が多い。
僕は、昨日JEATH博物館へ行ったことを彼に告げた。
「日本が昔タイにしたことについては、一応知っていますよ」と伝えたかったのだ。
そんな僕の気持ちを察してか、DONは、「ジャパン、タイランド、フレンド」と言った。
ちなみに、彼の祖父は、アメリカの空爆によって片足を失ったらしい。
日本がカンチャナブリに鉄道を作ったりしなければ、アメリカが爆撃にやってくることもなかったかもしれない。
それでも、「フレンド」と彼は言ってくれた。

列車はまだ来ないので、DONと僕は写真を撮ることにした。
DONの写真を撮ると、背景には桜が写った。
もちろん、本物の桜ではない。
駅の庭に植えられている、造花の桜だ。
熱帯の朝日に照らされた桜というのも、なんだか妙だ。
「この駅の桜は、プラスティックのイミテーションだね」と僕は言った。
プラスティックの桜も、朝日の中で眺めると綺麗に見えた。

バンコクへ向かう列車の中で、僕とDONは色々なことを教えあった。
DONは、タイ語の挨拶や簡単な動詞を発音まで丁寧に教えてくれた。
僕は日本の人口や東京の大きさ、物価の高さ、国内の不況などについて語り、日本語の基礎的な単語をいくつか教えた。
車内は車輪の音と風の音でうるさかったので、僕らは大声で何度も同じ単語の発音を繰り返さなくてはならなかった。
「オ・イ・シ・イ」
「オー、シー?」
「ノーノーノー、オ・イ・シ・イ!」
こんな具合だ。

タイ語の発音は、すごく難しい。
僕がしつこく何度も聞き直そうとすると、彼は微笑んで「CHA-CHA」と言った。
「CHA-CHA」とは、タイ語で「ゆっくり」という意味だ。
そうだね、ゆっくりやろう。
僕らは互いにたっぷりと時間があるものね。

バンコクに着くまでの間、DONは、タイの様々な現状について教えてくれた。
数年前の大地震で多くの人が家を失い、スラムが増えたこと。
カンチャナブリの川は、昔は透明で魚がたくさん取れたが、今は汚れて魚も減ったこと。
地下水の汲み上げや土砂採取のしすぎでバンコクの地盤が沈下していること。
バンコクでは大気汚染や川の水質悪化やゴミの散乱など環境汚染がひどいこと、それに対して政府はほとんど何の対策もしていないこと。
シンハービールは女の子の飲み物で、大人の男はハイネケンを飲むものだということ。
実に、ためになる話ばかりだ。
これまでタイで見てきた様々な物事が、彼の説明のおかげで一つ一つ繋がっていく。

しだいにバンコクが近づいてきたところで、DONが「今日の午後、一緒にバンコクを歩かないか」と誘ってきた。
彼の授業は1コマだけなので、それが終わった後なら案内してやろう、ということらしい。
僕は、特に午後の予定は決めていなかったので、彼の誘いに乗ることにする。

昼前に、バンコクに列車が着いた。
そこからDONと一緒に歩き、船に乗ったりして、タマサート大学に入る。
学食で昼飯をおごってもらい、カオサン通りの方へ歩く。
カオサン通りでは、ゲストハウスまで紹介してもらった。
別に泊まるところくらい自分で探せるのだけれど、せっかくなので好意を受けることにする。
DONの授業が終わる時間を教えてもらい、待ち合わせ場所を決めて、僕らは一端別れた。

彼の授業が終わるまで、僕はゲストハウスで一眠りした。
目を覚まして待ち合わせ場所に向かうと、DONは時間どおりに現れた。
「これから近辺を歩いて回ろう」と彼は言う。
僕はそれに従う。
ここまで来たら、彼に一日を捧げる覚悟だ。

彼の後ろについて、バンコクの裏通りから裏通りへと歩く。
様々な名所や、何でもない庶民的な家、汚れた小川、小さなお寺、僧侶の学校、お坊さんの寮、家具職人の工房。
一人だったら入れないような場所にたくさん連れて行ってくれる。
おまけに丁寧な説明付きだ。
例をいくつか挙げよう。
「この椅子を見てくれ。釘が一切使われていない。タイ名産の丈夫な木と、伝統職人の技術がすごいんだ。でも、最近はそういう木は切られつくされ、森は荒れてしまった。今では古くなった家具をリサイクルしてるんだ」
「この塔の下には、たくさんの死者の灰が埋められている。貧乏人の灰だ。金持ちの灰は、別の場所にある。綺麗な骨壷に入れられ、大きな寺院の壁に祀られている。でも、そうするには毎年たくさんの寄付をしなければならない」
大体こういう感じだ。
さすがに歴史の教師をしているだけあって、説明が上手だ。
そして、よくしゃべる。

ワット・インという大きな寺院に入ると、入口で小さな仏像やポスターなどを販売している。
僕は、DONにも相談しながら、一つの小さな彫像を買った。
彫像をバッグにしまって寺院の奥に入り、仏像を眺めていると、大雨が降りだした。
しばらく雨宿りをするしかない。
僕がバッグを床に下ろすと、DONは慌ててそれをたしなめた。
「ノーノー、イッツ、シン!」
仏像や経典などを地面に置くことはタブー(シン)らしい。
彼がとっさに注意したのを見て、彼が敬虔な仏教徒であることが実感できた。

雨が弱くなったのは夕方だった。
ちょっと早いが、彼と一緒に夕食を食べ、ビールを飲もうという話になった。
僕らは寺院を出て、水浸しの街を歩き始める。
しばらくしてからタクシーを捕まえ、レストランへ向かう。

レストランに着くと、僕らはハイネケンを頼み、まずは乾杯した。
「チャイオー!(乾杯!)」という掛声とともに、グラスを合わせた。
グラスにはタイ式に氷がたくさん入っている。
この店は彼の行きつけらしく、店主としきりに話をしている。
そのうち、客の一人がDONのところにやってきて、挨拶しだした。
DONの昔の教え子らしい。
やっぱり本当に先生だったんだ、と少し安心する。

ビールを3~4本飲み、料理をおおかた食べつくしたところで、そろそろDONともお別れかな、と思っていると、彼は思いがけないことを言い出した。
「カントリーミュージックを聴きに行かないか」と言う。
僕はそろそろ一人になりたかったが、せっかく誘ってくれたのだし、伝統音楽にも興味があったので、彼の誘いに乗ることにした。

その「カントリーミュージックのお店」に着くと、若い女の子が小さなステージで歌っていた。
小さなミラーボールの下で、マイクを手に持って、ポップソングを歌っている。
ステージの周りは薄暗くなっていて、テーブルを囲むように椅子が並び、テーブルの上にはアイスペールが置かれ、他の女の子が水割りを作っている。
なんてことはない、ただのキャバクラだったのだ。
僕は内心、やれやれ、と思った。

とにかく席に着くと、特に注文もしていないのに、つまみと酒が出てきた。
さらに、さっきまでステージで歌っていた女の子が僕のテーブルにやってきて、隣に座った。
特にかわいいとは言えないが、割と優しそうな女の子だった。
残念ながら、英語はほとんどしゃべれないようだ。

僕はもう結構酔っぱらっていたので、薄めの水割りを飲むことにした。
さらに、お腹いっぱいなので、つまみもあまり食べられそうにない。
仕方が無いので、煙草を吸ったり、女の子の歌を聴いたりして時間を潰す。
女の子が、「お酒を頼んでいい?」と聞いてくる。
僕は「いいよ」と言うが、その酒が高いのか安いのか、さっぱり分からない。
DONは楽しそうに女の子と話したり、何度も乾杯したりしている。
僕も形だけ乾杯に参加する。
そんな風に時間が過ぎていく。
酔っ払いすぎて、時間の感覚があいまいになっていく。
さっきから口にした単語といえば、「チャイオー!(乾杯!)」「ビッグ・シン!」「CHA-CHA」の3つくらいだ。
同じ単語の繰り返し、つまみの卵はまずい、酒ももう飲みたくない。

帰ろうという言葉をいつ切り出そうか考えていると、DONがさらなる提案をしてきた。
「マッサージに行こう」と言う。
僕はなんとなく嫌な予感がしたので、「それって、セクシーなマッサージじゃないよね?」と確認した。
彼は、「いや、普通のタイ・マッサージだ。1時間だけだ。」と言う。
僕はもう考えるのが面倒臭くなってきていたので、「じゃあいいよ。行こう」と答えた。

キャバクラの勘定を済ませる頃になって、DONは僕をテーブルに残して先に席を立ち、店の人から勘定書きをもらってきた。
そこに書かれていた金額は、7950バーツだった。
DONとは割り勘で払うという約束だったが、一人当たりにしても4000バーツ(約1万円)だ。
タイでこの値段は、高すぎる。
それに、僕の財布に入っていた現金は、ちょうど1000バーツ紙幣が4枚と、あとは小銭だ。
言われるがままに払ってしまったら、すっからかんになってしまう。
でも、払うしか無い。
女の子が注文していた酒の値段も分からないし、DONが店の人と裏で手を組んでいたとしても、タイ語のしゃべれない僕には確かめようがないのだ。

マッサージへ向かうタクシーの中、あらためて4000バーツという金額を考えてみる。
僕が空港で両替したのが9000バーツだ。
今日までの5日間の宿代・食費・交通費・ツアー参加費すべてを合わせて5000バーツ程度だった。
つまり、僕は、この5日間の滞在費の合計に匹敵する額を、ほんの数時間で使ってしまったことになる。
やれやれ。

タクシーは夜中のバンコク市街を走り抜ける。
夕方に比べると、明らかに交通量が少なく、スムーズだ。
まもなくして、タクシーは大きなビルの下に着いた。
ビルは思わず見上げてしまうほど大きく、20階くらいはありそうだ。
正面のエントランスは、大きなロータリーになっている。
建物全体の印象としては、ヒルトンとかハイアットとか、世界規模のホテルチェーンを想起させる。
そのイメージにぴったりのドアボーイがタクシーのドアを開け、僕を入口へと促す。
広い階段を何段か上り、大きなドアをくぐり、フロントの前を通り過ぎ、ロビーに入った。
シャンデリアがロビーを薄暗く照らし、分厚い絨毯の上を僕は進む。
ロビーの奥で僕を待っていたのは、派手なドレスを着た、たくさんの若い女たちだった。

みんな、ひな檀のようなところに座り、こちらを向いてにっこりと微笑んでいる。
手まねきをしている女も居る。
派手な口紅、大きなイヤリング、胸の番号札。

 さあさあ、ゆっくり見て選んでちょうだい。
 1番、トイ・プードル、生後3か月、血統書付き、しつけ済み、20万円。
 2番、ポメラニアン、有名ブリーダー、1年の生存保証、毛並み極上、30万円。
 3番、ミニチュア・ダックスフンド、6カ月、人懐っこい性格、予防接種済み、18万円。
 4番、5番・・・どれにする?

やはり、これはどう見てもセクシーマッサージだ。
いくらなんでも、タイで性病をもらうわけにはいかない。
システムも料金も全く分からないし、だいいち金を払おうにも、僕は一文無しなのだ。
断りたいが、頭は酒の飲み過ぎでぼんやりしている。
ピンチだ。

僕は、体中から色んなエネルギーをかき集め、やっとのことで、「No sexy massage!」とDONに告げた。
言葉が出てこないDONを置いて、僕はロビーの出口へと歩き始めた。

ホテルの出口でタクシーを捕まえ、ゲストハウスの名前を告げる。
DONが済まなさそうに着いてくる。
タクシーは再び夜のバンコク市内を走りだす。
ゲストハウスに着くまでの車中で、相当気持ち悪くなってしまった。
タクシーが赤信号で止まったり、ちょっとしたカーブを曲がるだけで、今にも吐きそうだ。
なんという夜だ。

タクシーがゲストハウスの前に止まったのは、夜の12時過ぎ。
DONはタクシー代を払ってくれるという。
彼が今夜どこに泊まるつもりなのか知らないが、とにかくここでお別れだ。
握手をし、帰国後の手紙のやりとりを約束して、彼を乗せたタクシーは去って行った。

タクシーが去ると、あたりに静寂が訪れた。
いくら大都市バンコクとはいえ、真夜中は静からしい。
ゲストハウスの前には、小さなATMがある。
夜の闇の中で、液晶画面が青白く光っている。
僕は財布からカードを取り出し、ATMに差し込む。
明日の朝に空港へ向かうためのタクシー代が必要だ。
ATMがカードを認識し、英語の案内が画面に現れる。
僕の頭の中には、アルコールの霧が渦巻いていて、案内表示を理解するのに時間がかかる。
「Withdrawal」ってなんだっけ?

なんだかとっても、わびしい気持ちだ。
やれやれ、どうしてこんなことになってしまったのか?
どこまでが本物で、どこからがプラスティックだったんだろう?
DONが教師であることは間違いないが、途中からは店と共同で俺をだましていたのかもしれない、最初からだますつもりで声を掛けてきたのか?だとしても、彼のタイの歴史やお寺や僧についての説明はとても分かりやすかったし、バンコクのナイトライフを垣間見ることができた、まあ、彼のおかげで楽しい一日だったとも言える、それに、最後に無一文になるというのも、すっきりしていると言えなくもない。

部屋に戻り、シャワーを浴びて、ふらふらする頭でなんとか荷物をまとめ、目覚ましをセットしてベッドに入る。
深夜の1時くらいだった、と思う。

Day 4 死の博物館と屋台めぐり

2009-10-08 00:27:03 | 日記
悪夢で目を覚ます。
ここには書けないくらいの酷い内容の夢だった。
夢の中で僕は、人類のタブーを犯すような行為をしていた。
自分の無意識の世界がどうなっているのか、疑いたくなる。
でも、もしかしたら、一昨日読んだ本のせいかもしれない。
「夢から責任が始まる」とその本は書いていた。

歯を磨き、顔を洗って自分を取り戻す。
だが、現実にも大きな問題があった。
昨夜から降っていた大雨のせいで、現金と航空券のEチケットがびっしょりと濡れている。
棚の上に置いてあったのだが、雨漏りしていたらしい。
Eチケットは、インクが滲んで文字が全く読めない。
1万円札数枚は、Eチケットのインクが移って染み込み、激しく汚れている。
現金は銀行で下ろせば済むから、まだよしとしよう。
問題はEチケットが読めなくなってしまったことだ。
空港で説明して航空会社に確認してもらえば搭乗できるかもしれない。
でも、帰国便は早朝出発なので、確認手続きに時間がかかった場合、飛行機に乗れないかもしれない。
この旅で最大のピンチかもしれないと考える。
冷静にならなくてはならない。

少し考えて、近くにインターネットカフェがあったことを思い出す。
航空券の予約は、ウェブメールを通してやっていて、Eチケットは添付ファイルで受け取っていた。
だから、ネットに接続して過去のメールを開けば、Eチケットを新しくプリントアウトできるはずだ。
ウェブメールはこういう時に便利だ。

落ち着きを取り戻した僕は、朝食をとりに、街へ歩き出す。
空は青く澄み渡っている。
屋台でタイ風コーヒーとグァバとドラゴンフルーツを買う。
果物はその場で切ってもらい、甘いコーヒーと一緒にゆっくり食べる。
今日はなんだか、すごく色んなものを食べてみたい気持ちになった。
よし、今日は、屋台めぐりをすることにしよう。

インターネットカフェに立ち寄り、Eチケットを無事プリントアウトしたところで、カンチャナブリの繁華街へ出かけることにする。
バイクにサイドカーをつけたような乗り物で、街の中心街へ出かける。
スピードはそんなに出ていないが、吹きさらしなので、風が気持ちいい。
コンクリートの道路に強い日差しが照りつけている。

中心街へ近づくにつれ、道がしだいに広くなり、派手な看板が目立ってくる。
古そうな日本車がたくさん走りまわり、タイ国王の写真が大きな看板に掲げられ、商店には服や果物や携帯電話が山積みになっている。
典型的な、活気のあるアジアの町並みという感じだ。
日本の繁華街と違うのは、とにかく日差しが強いこと、そして車や建物や看板の色彩が鮮やかなこと。
歩いているだけでワクワクしてくる。
何気ない街角の風景をたくさん写真に撮る。

そんなことをしているうちに、もう腹が減る。
まだ午前11時前だが、軽い麺類くらいだったら食べられそうだ。
いくつか屋台を見て回ってから、地元の人らしき人で賑わっている店を見つける。
屋台のおばさんに話しかけたが、英語は通じないようなので、身振り手振りで注文する。
「この麺に、この具を載せて、このスープをかけてくれ」というように。
分かってくれたようで、おばさんはにっこりと微笑む。
しばらくして、さっぱりとした鶏風味の麺が運ばれてくる。
飾り気のない味で、すごくおいしい。

腹ごしらえも済んだし、まだ次の食事までは時間があるので(笑)、博物館に行くことにする。
屋台から博物館までは、川に向かって30分ほど歩く。
旧い商家の脇や空き地をいくつか通り過ぎ、博物館の入り口に着く。
それは戦争をテーマにした博物館で、名前を「JEATH博物館」という。
当初の名前は「DEATH MUSEUM」だったらしいが、あまりに直接的なので、「Japan, England, Australia, Thai, Holand」から頭文字をとって、JEATHとしたらしい。
第二次世界大戦当時の捕虜の生活を伝え、戦争の悲惨さを忘れないようにすることが目的で設立された、とガイドブックにはある。
入口の看板には、「FORGIVE BUT NOT FORGET(許そう、しかし、忘れまい)」と書かれている。
博物館の受付で渡されたパンフレットによると、当時、日本軍はカンチャナブリにやってきて、イギリスやオーストラリアの兵士を捕虜とし、過酷な労働条件のもとで働かせ、急ピッチで鉄道を建設したらしい。
中に入ると、収容所での生活を窺わせる写真や水彩画や遺留品がたくさんある。
それらの中でも特に迫力があるのは絵だ。
日本人に銃で脅されながら働く捕虜の姿や、様々な拷問の様子などが描かれている。
絵の下には、2~3行のキャプションが付き、「捕虜には一日一度しか食事が与えられなかった」「捕虜の寝床のスペースは、一人につき幅80cmしかなかった」などと説明されている。
それらの絵は、僕のような鈍感な人間ですらも立ち止まらせる力がある。

最も印象に残っている絵は、一人の病気の男を描いた絵だ。
その絵だけ、なぜかキャプションが全く付いていない。
大きなキャンバスの対角線を横切るように一人の白人男性が描かれている。
男はベッドのようなものに横たわっており、上半身裸で、体中に発疹のような模様があり、頬がそげ、口を半開きにして、一対の目は空虚を見つめている。
背景には何も描かれていないため、キャンバスの多くの部分を空白が占める。
その空白には、黒とも茶色とも言えない重苦しい色の絵の具が分厚く何層にも積み重ねられている。
その積み重ね方がすごく執拗で、すさまじく、男が抱いていた感情を僕に想像させる。
そう、全ては想像力の中から生まれる。夢から責任が始まる。
「死の博物館」の絵たちは、確かに僕の想像力を刺激するものがあった。

博物館を出たあとで、しばらくお寺や川沿いの空き地を歩きまわっていると、またお腹が空いてきた。
まだ午後の2時前なのだが。
残酷な戦争に思いを馳せたあとでも、腹は減るものだ。
観光客の全く居ない旧市街を歩き、庶民的な食堂に入る。
メニューは全く読めないし、英語も通じない。
仕方ないのでガイドブックを開き、食べ物の写真を指さして、「これと同じものが食べたい」と日本語で言ってみる。
最初は変な顔をしていたが、そのうち分かってくれたようだ。
昔、マレーシアでよく食べたナシ・アヤム(鶏肉のせご飯)が出てくる。
おいしかったので、握りこぶしに親指を立てて、「グッド」とにっこり笑いかけた。
店の人もにっこりと笑う。

ナシ・アヤムも食べたところで、ちょっと疲れてきたので、宿に戻って昼寝をする。
2時間ほど眠ってから、プールサイドで小説を読みながら夕暮れを待つ。
分厚い雲が空を覆い始めた。
今夜も雨が降りそうだ。

昼間と同じように繁華街へ出かけ、屋台が集まっている一角へ行く。
空はもう暗く、屋台の明かりがまぶしく感じる。
最初の屋台でクレープのようなお菓子を一切れ買って食べる。
脂っこい生地に練乳が垂らしてあって、なかなかおいしい。
他の屋台を見て回っているうちに強い雨が降り始め、道路が一面水たまりのようになる。
土砂降りの雨にも負けず、僕は屋台を渡り歩く。
カレーのせご飯、スパイシーなスープをかけた素麺、バナナシェイク、ウィンナー入りパン。
いくらでも食べられる。

帰り道、タイ式マッサージの店に入り、1時間のコースを受ける。
一昨日の店よりも若くて綺麗な女の人だったが、マッサージははっきり言って下手糞だった。
体は少し痛くなったが、腹ごなしにはなった。

食いだおれの一日の締めくくりに、ゲストハウス近くのレストランに入る。
グリーンカレー、ライス、シンハービール、ヤム芋とココナツのデザート。
どうでもいいけど、僕はココナッツミルクが大好きなのだ。
それにしても、今日はよく食べたな。
ざっと勘定してみると、大体6食分は食べたことになる。

ゲストハウスに帰り、簡単に日記をつけ、ベッドに入る。
窓の外では、今夜もたくさんのカエルが鳴いている。