The Place

自分の言葉で、ゆっくり語ること

スパゲッティークロニクル

2010-03-16 00:51:24 | 日記
日曜日の夕方の東急田園都市線は、うす暗くなり始めた都会の街並みの中を走り続けていた。

渋谷に近付くにつれて地下駅が多くなり、窓の外は真っ黒な壁と無機質なホームの光を交互に繰り返すようになる。

僕はシートに座り、手に文庫本を持って、読み慣れたストーリーを辿っていた。

その物語は、淡い光の世界と、真っ黒で深い穴の中を交互に繰り返し走り抜けて行った。

主人公の男は、悪い予感を感じつつ、自分の置かれた状況も把握できないまま、ただ電話を待ち続けていた。

男は、落ち着かない気持ちをどうにか落ち着けるため、余計な事を考えすぎないため、部屋の掃除をし、シャツにアイロンをかけ、スパゲッティーを作り一人で食べていた。

僕には、その男の気持ちが痛いほどよく分かった。そして、心の底から同情した。

なかなか来ない連絡を待ち続け、何かが起こるのを、誰かが手掛かりをくれるのを、ただ待ち続けているということが、どういう気持ちのするものなのか、今の僕にはとても良く分かる。

一人でスパゲッティーを茹でて食べるのが、どういう作用を自分にもたらすのか、オリーブオイルとにんにくの入ったフライパンがどんな匂いを放っているのか、僕には本当に良く分かる。

僕とその男の違いは、彼が突然消えた女房を待ち続けていること、明日の予定を何も持っていないこと、そして正直に話しをすることのできる友達がほとんど居ないことだった。

少なくとも僕には明日の予定があり、降りるべき駅があり、会うべき友達が居た。

僕はその男にもう一度深く同情した。

電車のシートに座ったまま文庫本を一度閉じ、瞼を降ろし、もう一度フライパンの中のトマトソースが煮える音を聴いた。

でも、その同情の次に僕が感じたのは、「この電車はどこに向かっているんだっけ?」という感覚だった。

確かに大手町へ向かっているはずだ。
だけど、目を閉じると、もっと遠くへ連れ去られてしまうような感覚が体を包む。

そこはどういう場所なのだろう?

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