そして昨日夕方には
医師の肥田 舜太郎先生の学習会へ。
「放射線の人体に与える影響~内部被曝と外部被曝~」
肥田先生は94歳だそうですが
背筋をピンとさせ
1時間半の間
立ったままお話され
声も良く通り饒舌。
物凄くお元気。
ご自身が被曝されて診察を続けて来られた医師は
もう先生おひとりになられたそうです。
肥田先生は冒頭に
「もう放射線と無縁で生きることはできません」
とはっきりおっしゃいました。
「原子炉は殺人を前提とした産業なんです」
午前中に聞いた野呂さんのお話し会でも
「犠牲になる人が少なければいいという話ではない」
とおっしゃられていて。
まさに人が死ぬんだ。
と再確認。
そして肥田先生ご自身の壮絶な被曝体験のお話し。
きのこ雲が出来ていく様子から
その後の現実とは思えない光景の話を
目の前に見えているかのように
生々しく語られていました。
「しかし被曝した全員が死んだわけではない」
「66年後の現在21万人が生きている」
「人間は免疫を作って生きてきた」
「秘訣は
“免疫をちっとも落とさない”
理屈はそういうこと」
良く噛むこと。
早寝早起き。
毎日快便。
これも午前中と変わりない。
基本なんだよね。
出来ない人は
「毎日少しづつ緩慢に自殺してる」
だって。(笑)
「努力して自分の命を自分で責任を持って」
「自分の命さえ大事にしない人に他人の命は救えない。
自分の命に責任を持った生き方をして、そうしてから
悪の元をみんなで力を合わせて潰さなくてはいけない。
孫やひ孫のため、今の大人の使命です。
何の為に生きなきゃならんかを持って
他人に迷惑になることは止めて
誰かのために。
憲法を守る、人権尊重、戦争反対
原発をひとつ残らず止める。
これから生まれてくる子供のために
大人の義務です。
これから30年、そのために働きなさい。
周りの人にも勧めて
励ましながら、伝えてください。
自分の責任者になって。
医者は助けてはくれない」
との言葉で学習会は締めくくられ
最後にもう一度
「どこに住んでても全部が被爆者に
もうなってるか、これから必ずなる」
とおしゃいました。
そして2つのことを守るようにと。
どんな僅かな変化でも
日記のように記録をすること。
異常な状態のときかかりつけの医師に診てもらうこと。
カルテに証拠を残す為。
皆さんも参考にされてください。
肥田先生は94歳で
今なお最前線で戦っておられる。
つい自分はいいけど
子供達だけでも助けたい
と考えがちだったのが
ガツンと頭叩かれました。
自分の命に責任を持つ
なんて意識して考えたことさえ
なかったので。
1日1日
丁寧に理想的に生きていきたい。
生き抜きたい。
そして
世界で唯一の被爆国に生まれた誇りを持って
原発を核兵器を無くす。
強いおかあちゃんになるぞ。
そう強く想いました。
もう一度
肥田先生のお話聞きたいな~。
息子を連れて行けばよかったな。
よろしゅおあがり。
医師の肥田 舜太郎先生の学習会へ。
「放射線の人体に与える影響~内部被曝と外部被曝~」
肥田先生は94歳だそうですが
背筋をピンとさせ
1時間半の間
立ったままお話され
声も良く通り饒舌。
物凄くお元気。
ご自身が被曝されて診察を続けて来られた医師は
もう先生おひとりになられたそうです。
肥田先生は冒頭に
「もう放射線と無縁で生きることはできません」
とはっきりおっしゃいました。
「原子炉は殺人を前提とした産業なんです」
午前中に聞いた野呂さんのお話し会でも
「犠牲になる人が少なければいいという話ではない」
とおっしゃられていて。
まさに人が死ぬんだ。
と再確認。
そして肥田先生ご自身の壮絶な被曝体験のお話し。
きのこ雲が出来ていく様子から
その後の現実とは思えない光景の話を
目の前に見えているかのように
生々しく語られていました。
「しかし被曝した全員が死んだわけではない」
「66年後の現在21万人が生きている」
「人間は免疫を作って生きてきた」
「秘訣は
“免疫をちっとも落とさない”
理屈はそういうこと」
良く噛むこと。
早寝早起き。
毎日快便。
これも午前中と変わりない。
基本なんだよね。
出来ない人は
「毎日少しづつ緩慢に自殺してる」
だって。(笑)
「努力して自分の命を自分で責任を持って」
「自分の命さえ大事にしない人に他人の命は救えない。
自分の命に責任を持った生き方をして、そうしてから
悪の元をみんなで力を合わせて潰さなくてはいけない。
孫やひ孫のため、今の大人の使命です。
何の為に生きなきゃならんかを持って
他人に迷惑になることは止めて
誰かのために。
憲法を守る、人権尊重、戦争反対
原発をひとつ残らず止める。
これから生まれてくる子供のために
大人の義務です。
これから30年、そのために働きなさい。
周りの人にも勧めて
励ましながら、伝えてください。
自分の責任者になって。
医者は助けてはくれない」
との言葉で学習会は締めくくられ
最後にもう一度
「どこに住んでても全部が被爆者に
もうなってるか、これから必ずなる」
とおしゃいました。
そして2つのことを守るようにと。
どんな僅かな変化でも
日記のように記録をすること。
異常な状態のときかかりつけの医師に診てもらうこと。
カルテに証拠を残す為。
皆さんも参考にされてください。
肥田先生は94歳で
今なお最前線で戦っておられる。
つい自分はいいけど
子供達だけでも助けたい
と考えがちだったのが
ガツンと頭叩かれました。
自分の命に責任を持つ
なんて意識して考えたことさえ
なかったので。
1日1日
丁寧に理想的に生きていきたい。
生き抜きたい。
そして
世界で唯一の被爆国に生まれた誇りを持って
原発を核兵器を無くす。
強いおかあちゃんになるぞ。
そう強く想いました。
もう一度
肥田先生のお話聞きたいな~。
息子を連れて行けばよかったな。
よろしゅおあがり。