3月20日は高野理事長のいる旭市に災害復旧ボランティアに成田JCとして行ってきました。
旭市は千葉県の中で最も被害を受けた地区の一つであり、飯岡地区の海岸沿いはメディアでも放送されていましたが、筆舌に尽くしがたい状況になっています。
成田市も被災をしていますが、生活に大きな支障をきたすほどの市民も現在はなく、平穏さを取り戻しつつあり、我々としても千葉県内だけでなく全国で援助が必要な処へ手を差し伸べなければならないと思います。
千葉県内の各地の青年会議所の方もボランティアとして参加を予定しました。
そして、7:30に諸岡専務の米屋さんの観光センターにみんな集まりました。
今回の参加者は
メンバーでは吉岡直前、成尾監事、鳥海理事、山本さん、大藤さん、諸岡専務、原副理事長、伊藤副理事長、平野委員長、私
10翼のリーダで五十嵐君、大竹君、篠塚さん、阿部さん、林さんが参加
合計15名で臨みました。
必要な荷物を積み込んで出発前のわずかな休息。
やる気満々の山本さん。
ほんと大丈夫かよ?って心配顔で見ている大藤さん。
結局、大藤さんが心配していたことが現実になります。
前日、鎌ヶ谷JCの斉藤理事長が旭を往復するのに車の燃料が不安であるとの相談を受けていたので我社で補給するために皆と一度別れて、会社に向かいました。
斉藤理事長をはじめとする多くのメンバーの方が旭にボランティアとして参加していました。
自分たちの燃料の心配がありながらもボランティアに行くと言う心意気は素晴らしいです、それのお手伝いを出来た事もJCのネットワークだな~
困ったときはお互い様です。
斉藤理事長にも募金をお願いしました(笑)
旭市のボランティアセンターに着くと大変多くの人達が来ていました。
会場が人で埋め尽くされています。
登録と送り出しが全く追いつかず、せっかくのボランティアもある意味足止めとなってしまっています。
ここまで人が来るって想定していなかったんじゃないのかな?
たしかに安全が最優先ですし、秩序が無ければボランティアは成り立ちません。
オリエンテーションを受けて派遣先を決めない事には何も話が進みません。
このような事は経験しないにこした事は無いのですが、こういう非常時には準備がとても大切だと思いました。
私自身もとても良い勉強になりました。
ボランティアを効率よく機能させるボランティアがとても重要であると感じる瞬間でした。
我々は到着後40分程度でオリエンテーションを受ける事が出来ました。
数々の注意を受けました。
・安全を最優先する事
・被災者の感情を考慮して写真をむやみやたらにとらない事
他にもいくつか注意事項がありました。
真剣なまなざしでオリエンテーションを聞いているメンバー達。
ジャンバーと半袖と言う季節感を迷わせるコントラストの原副理事長と平野委員長(笑)
オリエンテーションも終わり、派遣先を決めてもらい為の列に並ぶことに。
後ろまで続く長い行列。
本当に多くの人々が参加されていました。
すると八日市場の大木理事長を発見
胸に土木のシールが張られ、スペシャリストとして登録されていました。
八日市場の皆さん、ほかにも多くのメンバーが来られていました。
隣町の非常事態に誰よりも早く駆けつけていたようです。
我々よりも早く被災地へと向かっていきました。
我々もしばらく並んでいると、要請が掛かりました。
今回のボランティア活動は5人が1小隊となって活動します。
すると2小隊10人のチームを探していたようで、我々に白羽の矢が立ちました。
まだまだ、皆並んでいましたが思いのほか早く現場へと行ける事となりました。
送迎をお願いすると時間がとてもかかるので成尾さんの車で現場まで向かう事にしました。
現場まで向かう途中ですが、本当に大変な状況になっています。
進めば進むほど状況は悪くなり、もし自分に置き換えたらどこに希望を見出していいか分からないかもしれません。
流石にこの状況をもの珍しそうに写真に収めるのは心が痛みます。
なので現場の状況は全くとりませんでした。
我々が派遣されたところは、特にひどいところでした。
目の前に木材やコンクリートがボロボロになって山積みなっています。
そうです、家が津波で滅茶苦茶に破壊されているのです。
家主のおじいちゃんは我々を快く向けいれてくれ、何度も済まないねとお礼をしてくれました。
我々もできる限りの事をしようと作業を開始しました。
すると旭市の消防団の方も見られて作業をしましたが、一向に減る気配もありません。
結局、その個所は重機を用いて撤去することになり我々は隣の家の手伝いに回る事にしましt。
隣の家では津波により家財道具が駄目になり2階から布団やら家具やらをしたに落としていました。
そんな中、2階からとても幼い声が聞こえます。
年のころは小学校2,3年生でしょうか、一生懸命家財道具を落としています。
その子はその被害を受けた家のお子さんのようです。
一生懸命、小さな体で自分の体重位の一輪車をフラフラになりながら押していました。
彼を見て、自分にできる事は本当に少ないんだなと思ってしまいました。
もう少し多くのメンバーで手伝いに来て上げられれば良かったなと後悔した瞬間でもありました。
つかの間の休憩時間。
みんな疲労の色が顔に出ています。
なぜか伊藤副理事長はチノパンにブルゾンと言う普段着で参加しています(笑)
お昼をまたいで土砂の運搬を終え、少し遅いお昼を取る事に。
我々の作業していた場所は通りを挟んで反対側が海になっています。
本当に海の前なのです。
愛妻弁当を食べ疲れ切った体にエネルギーを補充する山本さん。
最後の頃はヘロヘロでした(笑)
大活躍の元リーダーの大竹君、五十嵐君。
後ろのガードレールは津波の被害で倒れています。
平野委員長の会社「平野電設」のヘルメットをかぶる吉岡直前。
当日はメンバーやリーダーと平野電設のヘルメットをかぶった人たちがたくさんいました(笑)
そして、自分たちの持ち場も終わり、すぐそばで作業していた諸岡チームに合流しました。
お寺が丸ごと流されてしまっていました。
そこで撤去作業をすると緊急地震警報が一斉に携帯から鳴り出しました。
すこし揺れただけでしたが、とても驚きました。
こんな状況の下で復旧作業をしている皆さんは本当に大変です。
女性リーダー達は屋内の清掃をしてくれていました。
井戸水の為、水がとても冷たかったようですが、最後まで一生懸命やってくれていました。
我々の持ち場も終了し、車まで戻る事に。
その道すがら、カメラを構えて家屋や復旧作業の様子をシャッターに収めている人がいました。
その人の格好は革のパンツにブルゾンを羽織って全く作業をしに来ている様子でもありません。
我々の様に腕にシールを張っているのでなく、いいアングルを探すために本当に近くまで寄っています。
職業カメラマンかもしれませんが、私は怒りを感じました。
報道の腕章をしているわけでもなかったのでどういう立場の人か分かりませんが、無神経すぎる気がしました。
被災した人々の事を考えたら今必要な事はそんな事では無いと思います。
最後にちょっと嫌な気持ちになりましたが、無事に皆ボランティアセンターに戻ってきました。
さっきまで疲労困憊過ぎて動きも緩慢だった山本さんですが、カメラを前にするとこうなります(笑)
まだまだ支援は必要です、みなさん力を貸してあげてください。
皆さん、お疲れ様でした。