40周年記念式典・祝賀会

2011年11月29日 | 日記

11月20日、式典当時の朝を迎えました。

 

ホテルの外に出ると大きな看板が立てかけられています。

何とも言えない気持ちで見ておりました。

 

0周年理事長という100人に一人しか経験できない貴重な経験をやらせてもらえた今年。

心の何処かでは自分には務まらない、もっと良い適任者がいると思いながら過ごした予定者段階から本当に色々な事が有りました。

東日本大震災がありその影響で計画停電が実施され延期を余儀なくされたこの式典・祝賀会に至るまでは

長いようで来てしまえばあっと言う間だったのかもしれません。

 

今年は色々な試みをしてきました、あまり過去のとらわれることなく、当たり前だと思った事もやめたり。

来年当初から新法人でのスタートを必達にしたのも40と言う区切りを我々にとって特別なものに感じて貰いたいためでもありました。

 

最近の成田の理事長はやらなかったプレジデンシャルリースをかけたり(笑)

今までやった事ない真っ赤なアスコットタイを締めてみたり。

それを遠くから見たI先輩には「小幡君、首から血流してない?」なんて言われたり(笑)

 

今回思った事は自分が一番楽しませてもらったと言う事です。

一番大変な役目を引き受けちゃったな~って思って過ごしていた私が間違いでした。

 メンバーの皆が本当に一生懸命がこの日まで頑張ってくれているのを力にあまりなれずに来たのに申し訳なくお思いました。

 こんなに楽しい経験を自分一人がするなんて本当に申し訳なく想いながらも最後まで一番楽しませてもらいました。

 

今回改めて感じた事は成田JC対するOBの方々の想いでした。

歴代理事長の登壇の時は36名もの歴代が舞台に上がってくれました。

前日のリハーサル行うまでは36人と言う人数がどれほどの物か分からずに適当に立ち位置決め手たのですが、

怖くなって実際36人たったらどうなるか?とやってみたら、ステージを全て使うほどの人数だと分かった時の皆の慌てよう(笑)

 

50周年はあのステージでは絶対に全員が登壇できない事が確定しました(笑)!

他のLOMの理事長からも歴代理事長が40年たった今でもあれだけ参加してくれるのは羨ましいと言ってもらいました。

本当に私もその通りだと思いました。

 

また、特別会員の方に多数参加してもらえましたし、佐倉JCのOB会の皆さんにも来て頂けた事。

 先輩たちの繋いでくれたこのJCのバトンは落とすことなく、次の世代に引き継がなくてはならないと思わせてもらえた瞬間でした。

 

本当に幸せな事ばかりでした。

 

そして、何より嬉しかったのは、祝賀会の挨拶で壇上に立った時に成田のメンバーが会場左側に一列に並んだのを見た時です。

100%の出席とまでは行きませんでしたが45名も数えるメンバーが一列で並んでくれてるのを見て、感謝してもしつくせない想いで一杯でした。

これだけの人達が一緒に頑張ってくれるんだと思ったら、ゾクゾクしてきました(笑)

 

今年は「理事長も大変な年になったね、やりたいことも出来なくて」とOBの方々やメンバーの皆から同情されることが多かったんですが、

正直、ここに来るまで一度も辛いと思った事はありません、飲んでる時以外は(笑)

「理事長は孤独である」と言われますが、この1年、一人で飲んだことは有りませんでしたし。

一緒に笑って過ごす仲間達がいつも傍にいてくれて、一緒に皆で活動する事が何よりもやりたい事だったので。

 

逆に一人にさせてほしいと思った事は何度かあります(笑)

 

はっきりって、この式典・祝賀会は夢の中にいるかのような感覚であっと言う間に過ぎて行ってしまったため、

写真も取ってなければ記憶もあいまいなので詳しく書けません(笑)

 

ただ、ビンゴ大会やシンガポール旅行を掛けたじゃんけん大会は出来れば参加者で参加したかった事とだけが思い出です(笑)

 

また、今回分かった事は

素人ゆえの設えと言い訳するのはいけないので、参加された皆さんに不愉快な思いをさせないように

精一杯のおもてなしをメンバー皆と誓い合い、感謝の気持ちを表現させてもらいました。

40年間の感謝をこめて。

 

ただ、過剰なおもてなしは時には害になると言う事が分かった事です。

  

 

俗人の我々にはこの方の「心尽くしのおもてなし」は時として命をかけて受けなくてはならないようです(笑)

 

柏のH直前を筆頭に大変多くの人々が〇岡さんの接待に命がけで応えてくれたので有り難い限りです(笑)

 

ただ、来年の新年会回りがとても不安になってきました・・・

 

 

 

メンバーのみんな、本当にこの日まで頑張ってきてくれてありがとうございました。

 

 

 

 


40周年記念式典・祝賀会前日

2011年11月25日 | 日記

11月19日、とうとう式典・祝賀会が明日に迫ってまいりました。

本来の開催日6月19日のPRを1ヶ月かけて24LOM回ったあの新年会回りから10ヶ月(笑)

五か月遅れの開催まであと1日。

記念誌の対談を市長と行ったのが3月10日。

 

本来であれば、準備万端のはずですが前日であるにもかかわらずやらなきゃいけない事が一杯(笑)

 

産業祭りに参加されている中根先輩に500番の認証番号を取った経緯を聞きに行ったり。

大雨の中、原次年度理事長と二人でずぶ濡れになりながら、高本先輩の会社から竹をホテルに搬入してたり。

夏休みの最終日の宿題よりも激しい追い込みを掛けました。

 

そして、何故かビューホテルに泊まる事になりました(笑)

前日から泊まり込みでリハーサルをやるのは成田JCでは中々ありません。

皆の緊張感がヒシヒシと伝わってくる中、私は一人で挨拶の練習に勤しんでおりました。

 

他の委員会の委員長やメンバーが沢山応援にも駆けつけてくれ、控室は入れないほどの人数に。 

成尾監事は結婚式に参加したまま我々のスタッフルームにやってきましたが、やはり監事講評で頭がいっぱいで結婚式が楽しめなかったようです(笑)

 

座席表のチェックや名前の確認等色々と直前になってやる事が沢山ありました。

黙々と事務作業を続ける人間と当日のリハを何度も繰り返し、立ち位置や動線の確認を何度もしたり。

 

日本に出向経験のある私にはこの光景は日本では見た事が有りましたが、まさか成田で見ることが出来るとは・・・

スゲー追い込まれてんじゃん!

やれるじゃん、俺たち!

 

何とか12時を回った辺りで 明日の式典・懇親会ある程度の目処がたったので皆で食事に行ってきました。

 

総務委員長の岩舘君は、約一年間この事で頭が一杯であったと思います。

決起大会でのレンタカーでの彼の狼狽ぶりは多分このせいでしょう(笑)

 

本当に今まで大変であったと思います。

 

梁本委員長もこの一年間はとても大変だったと思います。

いつも仕事が忙しい彼がその睡眠を削って頑張ってました。

あの大きな目の充血がこの日が近づくほどに日に日にひどくなってくのを見てると、彼の大変さが伝わってきました。

 

しかし、二人の委員長はどんな事があっても逃げずに、委員会メンバーと共にずっと頑張ってきました。

 

そんな二人を見ていると45周年の時はもう安泰だなと(笑)

 

自分達があれだけ頑張れれば、後輩たちに対しても自信を持って接することが出来ると思います。

 

こう考えると35周年の時の総務委員長の私は当時の理事長の赤海さんにしたら最悪な委員長でしたね(笑)

赤海さんの口癖は「お前は本当に口だけで、何もやらない!」と

当時は「何言ってるのこの人?」って感じでしたが、「やる」ってこういう事を言うんだね(笑)

 

後輩たちに教えてもらいました。

自分でやらないで、人にやらせるのは得意なようです・・・

 

そんな事を考えながら、何故かビューホテルに泊まる事になった私は自分の部屋に戻って挨拶の練習を繰り返しました。

 

とうとう式典当日。

一番緊張してるのは多分、俺です(笑)

 

 


11月第1例会

2011年11月22日 | 日記

11月7日はビューホテルにて11月第一例会が開催されました。

今回担当したの研修委員会。

最後の担当例会です。

 

今回の例会のコンセプトは「ニューフェイス例会」

入会2年目までの会員に例会をつくってもらい、委員会運営のプロセスを体験してもらおうと言う例会以外も研修が行われると言う例会?です。

ですので、9月の初頭からこの例会はスタートしておりました。

 

佐久間君をニューフェイスの委員長として、副委員長が設楽君。

自分たちの通常の委員会活動がある中、時間を割いて、都合18回にも及ぶ委員会を2か月間の短時間で開催しておりました。

 

流石にこの姿勢には頭が下がりました。

 

私の考えでは疑似体験をしてもらえれば良い、それをコントロールする研修委員会の研修的な要素で考えていたのですが、

 

いざ、例会が開催されると、いつもの例会と全く遜色もない、もしかするといつも以上にキッチリと行われた例会となりました。

 

理事長あいさつの時には担当委員会は壁際に整列するのですが、今回壁際に並んだのは14名!

2年未満の会員が現在18名いるとの事。

実は最大派閥です!

 

思わず理事長挨拶で

「最大野党のニューフェイスの皆さんの顔色を窺いながら会の運営をしなくてはいけないと痛感しました」

と言った時のニューフェイスのしたり顔は怖かったです(笑)

 

今回の例会内容はディベートです。

リーダーとして言葉の重要性をニューフェイスが焦点を当てた今回の例会です。

 

まず始めにニューフェイス委員会でデモンストレーションを行いました。

そのお題は

 

「原次年度理事長は痩せるべきか、痩せざるべきか?」

 

どうでも良い事が白熱した議論を生んでいます(笑)

 

結果・・・

「痩せる必要はない」が勝利しておりました(笑)

 

本人は大変困惑しておりました(笑)

 次年度理事長をいじるNF軍団!

これが最大野党の力か?

来年の回の運営は・・・

さて、原次年度はどうなるのか?

 

でも、痩せたほうが良いよ!

 

来年、私も痩せます!

 

会員全員が各テーブルに分かれてテーブルごとのお題でディベートが開催されました。

我々の対戦相手。

相手にとって不足あり!勝ったも同然です!

 

勝つだけでなくコールドゲームにしてやります!

 

そしてジャッジは

林君と野路君

 

一戦目のお題は

映画を見るなら

「字幕あり」

「吹き替え」

 

私は基本字幕ありしか見ませんが、我々チームは吹き替え側をする事に。

自分の意見とは違っていてもゲームですのでそれに沿って理論展開をして行かなくてはなりません。

 

一戦目は勝利!

 

2戦目は休日は

土日が良い

平日が良い

 

これも私は土日派なのですが、平日側となりディベート開始。

 

ルールがあり皆役目があったのですが、今回の私は最後の主張をしました。

かなり熱弁をふるって、勝った!確信したのですが、

ジャッジの林君から、「最後の主張は最初の立論に関係のない余計な話もしていたのでマイナス1点!」

 

私のせいで負けました(笑)

口は災いの元です。

 

 

お蔭で一勝一敗の五分となってしまいました。

なんか負けた感があります、あの面子と同点と言うのは。

 

それにしても、今回の例会はとてもキッチリ素晴らしい設営でした。

見学者の方の対応もキッチリしていましたし、ニューフェイスあんて括っては失礼な例会でした。

 

やはり、ここに至るまでの準備と委員会の盛り上がりがあったからだと思います。

 

ニューフェイスの横のつながりも強くなったようですし、本当に良い例会でした。

 

担当委員会がよく此処まで引っ張ってきてくれたなと思います。

 

さて、原次年度痩せる?痩せない?

 

皆さん、お疲れ様でした。

 


空港成長戦略会議

2011年11月22日 | 日記

11月17日は成田市大会議室にて空港成長戦略会議が行われてました。

 

会場に入ると、彼が最高のポジショニングをしています。

 

 

今回は仕事を頑張っているぞ!的な感じの画で取ってほしいとの要望が有りましたので仕事している的なショットで。

全然開始前の寛いでいる時間でしたので、これはヤラセです(笑)

 

来年からは多賀財務がブログ書いてくれれば、この地域の情報は全て完璧に網羅出来るはずです。

ぜひ、理事長のゴーストライターをやってくれませんか?

 

久しぶりの成長戦略会議ですが、委員の皆さんは顔なじみですので、開始まで談笑されています。

 

この会議の専門委員はその道の第一人者が多いので意見などが的確で聞いていて勉強になる事が多いです。

 

今回の会議では報告事項が多かったのですが、全ての委員が集まっての会議で、皆さんはとても忙しいので効率よく会議を行わなければなりません。

と言う事で今回初めて「論点ペーパー」と言う物が用意されました。

今回の会議の論点は3つ

1.成田空援隊及び成田ブランド推進プロジェクトチーム

2.成田ブランド推進プロジェクトチーム

3.全体

 

となっていました。

 

前回の会議から動き出したプロジェクトが「成田ソラガール」です。

これは論点2の成田ブランド推進プロジェクトチーム(グルメ班)の活動報告でした。

 

成田ソラガールとは「成田」と言えばのご当地グルメ「成田スイーツ」を開発しようと言うPTです。

 

コンセプトも「空飛ぶスイーツ」と明確に打ち出されていました。

 

内容は明かしていいものかどうなのか、何とも言えませんので、ソラガールの方々から発表されるのを待ってください。

 

その成田ソラガールの構成メンバーですが、市役所女性職員が中心となって構成されています。

このプロジェクトにかける情熱は並々ならぬものを感じます。

 

この会議の中オブザーバーの経産省の方が言っておりましたが、自治体職員の意識変革に成功している良い事例である。

 

このオブザーバーの方は地域キーパーソン会議を立ち上げ地域力の向上を目的として色々な地域で活躍している人々を国を挙げてサポートするという仕組みを作った方です。

その経産省の官僚は

今回のこの成長戦略会議に出席され、この会議は成功事例である。

国としても出来る限りのサポートしていく準備はある。

世界に打って出るならその道筋は用意する

と我々の想像をも超える程のバックアップを用意しておりました。

 

まず、1月にパリで開かれる会議か、2月にニューヨークで開かれる会議に来なさい!との事。

 

私は12月31日で理事長職が終了しますので、この会議の委員も交代となります。

もしかすると原次年度理事長の一発目の大仕事はパリでの会議出席かもしれません(笑)

マイレージカードはちゃんと作っておいた方がよさそうです。

勿論、平野専務も同行だよね?

 

プロモーションの話で面白い話もありました。

それは今では日本人にもお馴染みのハワイのプロモーションについてです。

 

今でこそ、沢山の観光客でにぎわうハワイですが、以前は今ほどの人気があったわけではありません。

そのハワイのプロモーションを仕掛けたのが当時路線をもっていたユナイテッド航空だそうです。

飛行機の利用者を増やすために何をしたのかと言うと

 

世界中のカメラマンを大量にハワイに送り込んだそうです。

 

これは何を意味するかと言うと

イメージとメディア性を前面に出してPRを行う事だったそうです。

ハワイの自然を目の前にすれば、カメラマンも自然とシャッターを切り、プロは自分の作品を人に見てもらうために展示を

したり、新聞・雑誌社に売り込む。 

あっと言う間に広がりを見せ、アメリカ本土をはじめ、多くの地域の人々の獲得に成功したとの事。

 

人の心の染み入るのに言葉以外の沢山の方法があるんです。

 

ご当地グルメで大成功した富士宮市は富士宮焼きそば研究会が行政をも支えているとの事。

富士宮焼きそば研究会の徴収するロイヤリティー(1%)は地域振興基金として行政に寄付されているそうです。

その額はなんと、1,700万円にも及ぶとの事。

 

大変勉強になりました。

 

また、会議において、相手の心を掴む企画力を養うのに必要な手法として

GISOVというフレームワークが有るそうです。

 

Goal (定量的な最終目標)

Issue(課題)

Solution(解決方法)

Opretion(実行手順)

value(価値)

 

これらを全て明確にして行く事が相手の心に響きやすい企画・提案がしやすいのであるとの事。

確かに、相手のプレゼンでこの中の一つが抜けてしまったら、なんかモヤモヤしますよね。

 

来年度、議案を作られる委員長はこの事を参考にしてみたら、議案が作りやすいかも。

 

そして、会の終わりにはスイーツの試食会が有りました。

 

空援隊については、隊長の諸岡専務や吉岡直前、浅野副理事長、小泉委員長、有賀君に聞いてください。

彼らの方が私より数万倍詳しいので、私が書くことは薄っぺらすぎて恥ずかしいです。

 

最近、成田市では映画やドラマなどの撮影がかなりの回数行われています。

全国的に見てもかなりの数だそうです。

 

文化会館や観光プロモーションかの壁にその撮影風景をパネルにして飾ってみてはどうですか?と

市長に提案させてもらいました。もし飾られていたら、私の仕業です。

飾られなかったら、市長の仕業です(笑)

 

みなさん、お疲れ様でした。

 

 

 

 


成田市民憲章制定40周年 記念の集い

2011年11月07日 | 日記

11月3日は成田市民憲章制定40周年 記念の集いが市役所6階大会議室にて開催されました。

吉岡直前、小泉委員長、小椋副委員長、私の4人で参加しました。

 

 

昭和46年11月3日に当時の長谷川録太郎市長が市民の幸せを願い未来へ理想像を掲げるために制定したのです。

 

成田青年会議所は成田市民憲章推進協議会のメンバーとして名を連ねております。

成田市民憲章推進協議会は市民憲章の普及・公用及び市民憲章に基づく市民活動を積極的に推進するため組織されていて、50名の委員で構成されています。

任期が2年であるため、吉岡直前が2年目の任期を務めていて、40周年記念の集いの実行委員でもあり、運営や募集などもやられておりました。

私はどちらかと言うと唯の参加者です(笑)

 

今回参加して知った事ですが、市民憲章と言うのは実はとても大きな意義のある物なのです。

成田市内で行われている色々な活動は市民憲章と深く関わっていて、市民憲章にのっとって行政も協力しているのだそうです。

 

市民憲章にある

「親切な心で平和な成田をつくりましょう」に基づき「折り鶴平和プロジェクト」が行われたり。

「自然と文化を大切にし美しい成田を作りましょう」に基づき成田環境ネットワークが組織され

 

と大きな関連性を持っているようです。

我々成田JCでは市民憲章と深く関係するものとして「少年の翼」があります。

記念誌にも載っておりました。

 

また、我々の先輩方が提案して「街路8路線の愛称」が決まったそうです。

現在でもそれが市内に根付いていて現在では22路線まで愛称がつけられているとの事。

http://www.city.narita.chiba.jp/sisei/sosiki/shoko/std0006.html

 

市のHPに書いてあります。

色々な活動が有る中で我々の先輩方の足跡が残っていると言うのは我々もやらなければいけない気にさせて頂けました。

 

その後の行列ができる法律相談所でおなじみの菊地弁護士が記念講演をしていました。

 

講演の中で、日本の国語教育は読み書きに重きを置いているが、話すと言う事があまりない。

人前で話をすると言う事が日本人があまり得意でないのはそれも理由にあるのではないかと言っておりました。

 

我々としても他人に想いを伝えると言うのが重要であるとは認識していますが、中々上手でないので億劫になっているような気がします。

自分自身も挨拶を求められることが有りますが、出来る事ならやりたくないなと思う事が多くありました。

しかし、慣れと言うのは恐ろしいものであまりそういう事も思わなくなっている自分がいる事に気づいたりしてます。

 

メンバーの皆も折角の機会を大事にして欲しいなと思います。

「嫌だ」と思うか、それとも「折角のチャンスだから」と思うか、この差は大きいと思います。

 

 

そうやって頑張ってると

このようにムカつくくらい物怖じしない男になります。

 

皆さん、お疲れ様でした。