~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

ほつまつたゑ

2005年11月13日 | society

”漢字が入って来る以前の日本には今の日本語に類する言葉が無かった。”

と、今までの私達は習ってきた。

しかしながら、近時、ホツマツタエを代表とするヲシテ文献の発見・研究によって、それが間違いであり、漢字流入以前にも今の日本語のオリジナルの存在、また日本における先史文明の存在が、ようやく明らかにされようとしている。勿論、それを決定付けるには、今後の考古学的発見が必要とされるが、ともかく、これまでの日本史にとっては革命的な出来事であるに違いない。

○だが思うに、特に日本の言語的特異性というのは、このような文献の発見以前にも、普段我々が、どのように自国の言語を扱うかによって考察出来るのではないだろうか。またそういった意味では、ヲシテ文献はそれを考える良いきっかけにもなるかもしれない。

因みに、今の日本語というのは、文書として表されるとき、五十音を基調としたひらがなと漢字によって構成される。だがそれは、中国で発明された漢字を用いていながら、中国の語法とは違った使用をしている。

勿論、これまで日本語が中国の文化的影響を受けてきた事は確かである。現在でも、四(文)字熟語など、その影響を垣間見る事が出来る。

○だが問題は、他国の言語を用いるとき、基本となる言語体系の存在でもある。

それを考えるに、和製英語という奇妙な用法がある。これは私的に云えば、日本語に等価の英単語を宛てながら、日本語を話すというものである。因みに、これを漢字(中国語)に変えると、和製中国語ということになろうか。

他にも、ハングルの例が挙げられるだろう。朝鮮半島は民衆への圧制という、悲惨な歴史的な背景があるが(詳しくは崔基鎬の著書を参照)、朝鮮語も然りである。だが、さまざまな影響を受けながらも、今日まで朝鮮語がその特異性を有しているのは、やはりオリジナルの輝きのなせる業ではないだろうか。

○ときに、ここで一つ仮定を立ててみる。それは漢字輸入前に、もし日本語のオリジナルが存在しなかったのなら、今の日本語はどのようなものになっていたかである。

答えは簡単だ。日本語は中国語の亜種になっていたに違いない。それはすなわち、北京語と広東語の違い程のものになっていただろうという事である。

だが現実はどうであろうか?我々日本人は中国語を話しているだろうか?また書いて読んだりしているだろうか?

我々日本人は、漢字も、英語も使うが、話している言語は日本語である。

○最後に、日本語のオリジナル性について語った訳であるが、これまでの日本語教育は、前日の算数の話では無いが、危うさを感じざるを得ない。因みに、余談ではあるが、教育そのものに関して、ヒトラーがそれを予言していたという("第5章:「東方が巨大な実験の場になる」──『永遠の未成年者集団』の出現"を参照)、少し恐ろしい話もあるが、ともかく無知な子供への刷り込み作業というのは、徹底して行われているようだ。

そう考えると、このヲシテ文献の発見・研究というのは、ある意味、太古の日本の神々が、日本の世直しのために与えたツールなのかもと思えたりする。