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~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

正常性バイアス

2012年04月03日 | music

【もしも緊急地震速報がオーケストラだったら】


正常性バイアス」という心的整理現象がある。
東関東大震災を通して、津波に襲われ、命を失った人の中には「もう大丈夫だろう」といった心理で家に必要品を取りに行った人も相当数いるという。
... 当時、TVから聴こえてくるこの緊急地震速報の効果音も、「正常性バイアス」を経て、今回、このような作品となってアップロードされたのだろうと思う。

だが次は南海東南海、そして東海関東であろう。
その際、また如何なる「正常性バイアス」が働いてゆくか、一つ興味深いものがある、と思うところもまた「正常性バイアス」なのである。

ときにある韓国の青年が「日本は地震で滅びればいい」とYoutubeで発言して相当の非難を受けたが、彼もまた「正常性バイアス」の一つであろうと思う。
朝鮮半島は地震の少ない地域であるというが、決して「無い」とはいえない。
規模こそ日本の比でないが、朝鮮半島もまた大きな地震の周期に達している
という。


2010年10月26日 | music

宇多田ヒカルのツイッターでの書き込みが俄に話題を呼んでいるらしい。

宇多田ヒカル「今度出るutadaのベスト盤買わなくていいから」

思うのだが、彼女ほど一応認知度が高いミュージシャンであればアルバムの自主作成、自主販売をやればよいのに。
これまで創ってきた楽曲が惜しいのか、それとも親しい関係者を思ってのそれなのか分からないが、そういった選択肢もあるのではと。
 
成功例が平沢進ではないだろうか。



彼に関するwikiの下りにはこんなものがある。


著作権管理団体および、大手レーベルからの撤退

それまで権利関係に疎かった平沢は、自分の楽曲の権利が出版会社に永久譲渡という形で契約されていることを知る。
JASRACによって集金された金から出版会社を介して50%を天引きされた額がアーティストの手元に渡るが、その出版会社に納められた残りの50%の額がどのように運用されるのか説明を求めたところ「プロモーションに努める」との回答のみで、どのようなプロモーションを行い、どれだけの対費用効果があるのか、平沢が納得できるだけの具体的な回答が無く「自分の権利が自分の選んだ出版会社と契約できないのは如何なものか」と平沢曰く「一回ゴネる」。

現在、平沢の新作CDについて販売方法は所属事務所の直売によるインターネット通販が中心となっており、店頭在庫が存在する店舗はタワーレコードやHMVの様な大都市部などのインディーズレーベルを大々的に扱っているCDショップに限られ、「賢者のプロペラ」より前の旧盤の個別入手は極めて困難である。
ただし、一部映画のサントラ作品はそれには含まれず全国流通しており、また、版権がポリドールにある一部のアルバムについてはiTunes StoreにてAACファイルの形で入手することが可能になっている。
MP3ファイルについては公式ウェブサイト内において未CD化曲の販売を行っており、また、ニューアルバムをリリースする度に収録曲の中から一曲またはアウトテイク数曲を無料配信している。
(引用終わり)


産業が巨大化するということは中間マージンの増加を促す事になる。
そしてその中間業者の利益というのが、ある種の不純物を生み出す温床となる。
また中間業者そのものが巨大化した場合、生産者と需要者との距離はかけ離れて遠くなる。
言うなれば、大食らいなのだ。
業界はそれが顕著である。


※おまけ
光【キングダムハーツop】


醜い歌

2010年03月25日 | music
流行りの音楽をリサーチしなくなって久しいが、先日、たまたまMTVを観ていてクールだなと思った日本のバンドがいた。
残念ながらバンド名に特徴が無く、それを失念したが、新しいサウンドの開発は本当に水面下での作業になっている。
勿論、開発はいつの時代にも水面下で行われている訳だが、ただ現在というのは、水面は厚い氷で覆われていると言ってもいい。

ただ、前にも書いたかもしれないが、アニメ、ゲームミュージックの分野では開発は好調である。
ここ十年のそれを振り返るに、この分野は衰えを知らない。
というのも、BGMというジャンルが好き放題出来うる可能性を持っているというのもあろうか。それにテーマ性というのも重要である。

テーマ性に関して、流行歌というのは極めて危うい部分がある。特に、一人称視点の女流歌手の書く詩なんてのは馬鹿丸出しである。
それに最近のケバいムーヴメントも加味されるのだから始末が悪い。
曲も自ずとそれに見合ったものへと成り下がる。

はじめに言(ことば)が在(いま)し

2010年03月10日 | music
ロゴス賛歌 ( 1章 1~18節)”

はじめに言(ことば)が在(いま)し、
言(ことば)は神と共に在(いま)し、
言(ことば)は神であった。

この方は、はじめに神と共に在(いま)し、

すべてのことは彼によって成り、
彼によらずに成ったものは何一つなかった。

彼において成ったものは命であり、
その命は人々の光であった。

その光は闇の中で輝き、
闇は光に打ち勝たなかった。


(「ヨハネ福音書」より~引用


言葉はただの日常的な所作を促す道具ではない。
それを発する存在そのものを表す実体ではないかと思う。

シュタイナーによると、動物段階に沈黙していた人間という存在は、「ロゴス」の担い手として、地球紀に、内なる魂の働きを内部から響かせる能力を獲得したという(参考:シュタイナー「ヨハネ福音書講義」)。
またそれが「人間」と「動物」存在というものの隔たりを顕す事になる。

そして「ロゴス」の担い手としての人間の、最も顕著な創作は「」であり、また更に、それを昇華させたものが「歌詞」なのではと思うところがある。


攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL ED 謡Ⅲ-Reincarnation


吾が舞えば 麗し女(くはしめ) 酔いにけり
吾が舞えば 照る月 響むなり(とよむなり )
結婚(よばひ)に 神降りて(かみあまくだりて)
夜は明け 鵺鳥(ぬえとり)鳴く
遠神恵賜 (とほかみゑみため)



この曲は前にも「詩・唱・唄・歌」でこのブログで紹介した。
和風旋律というのは「グルーヴ感」というよりも、つつみを弾く「節」のような感覚であると、どっかで聞いた事があるが、そういった楽曲に余りにも合った歌詞である。
いや、「歌詞」というより、むしろ単独でも十分に存在しうる最高傑作なのではと思うところがある。
「ロゴス」の種子たる人間存在そのものを謡ったものであると言っても過言ではない。


自己批判

2010年03月10日 | music
まずはこの曲を聴いてもらいたい。

大いなる秘め神、守りし偉大なる和の龍(time 5:02 mp3 4.735kb)

これは私の曲であるが、これをして今回は自己批判を展開しようと思う。


フレーズを如何に取り込むかというのは、現代の音楽修養の方法にとって、最も音楽を奏でる近道として確立されたものである。
しかしながら、その反面、音楽的なアプローチの背後に存在する事柄を見落としやすい(グルーヴ感の問題もそうである)。
勿論、プロミュージシャンともなれば、そんなアプローチだけで認められるほど甘いものではない。すぐバレる。

この事に氣がついたのは、本当にここ数年の事である。
また和声についての重要性もそこにあると考える。

例えば「ドリアンモードで演奏をする」というのは「どういうことか?」というと、それは「サブドミナント&ドミナントの連続で、トニックに解決しえない演奏」と云いえるかも知れないが、これを具体的に表すには、実際、Ⅱ-Ⅴのコードを弾いてみるに限る。
その上で、ダイアトニックスケールを奏でれば、所謂、ドリアンモードの調性として聴こえてくる訳だが、こういった単純な事を如何に単純に解決出来るようになるか、それが音楽修養や理論の目指すところではないかと思う。

結局、音楽とは調性なのである。
仮に、調性外の音を奏でている、理解不能な音楽でも、そこには規則性が存在する。
だから結局、調性がすべてはないかと思う。



暴虐のプリンス

2010年03月09日 | music
先日、刹那のブログを勝手に紹介したが、今度は刹那の方でも私のブログを紹介してくれた。

瞬間劇場従兄弟

ありがとう、刹那。
お礼に勝手に私のブログに勝手にブックマークしておきます(笑)。



さて、私が「悪の道」に誘われた切欠というのはこの刹那であるが、成人してから「悪の道」のスパイラルに拘泥させていった切欠を作ったのはダニ・フィルスである。


ダニ・フィルス(Dani Filth 1973年7月25日-)

彼はイギリスのシンフォニックブラックメタルバンドクレイドル・オブ・フィルス(※1)のボーカルである。
超ハイトーンなシャウトボイスから超低音のデスボイスまで、かなりの広域な声質を持ったボーカリストで、ブラックメタル界でも屈指のボーカリストであるという事が分かる。

それと何よりも発する言葉のグルーヴ感が最高だ。
怒涛のごとく書き連ねた歌詞を、あのボーカルで歌い繋げる力量にも参る。
実際、数年前に来日した際(「Midian」の発売に合わせたライブだった)、その公演を連続2回見てきたが、こんなに興奮したライブを見たことは他に無い(事実、ロイヤルハントやG3のライブのときに寝ていた事があります、私)。
ふと、一昔前の大槻ケンヂ(※2)にも共通するところがあるなと思いながらも、とにかく、まさに天才なのである。


話を戻して、私を「悪の道」のスパイラルに拘泥させたアルバムを挙げる。


Cruelty And The Beast(邦題:「鬼女と野獣 」) (1998年)
(ジャケットは複数存在する→参照)


あれは忘れもしない、人生を欺くような作業に自己を無理強いしていた時である。
ふと、作業の安めにこのアルバムを聴くことにした。
暴虐の旋律というべき音の波が、しばらく、当時の6畳一間の下宿部屋に響き渡った。
するとどうしたことか、涙が出てきた。どうしようもなく、である。
その後、私は生き方を変えることにした。そして現在に至る。

ちなみに、このアルバムのタイトルテーマは女吸血鬼ことエリザベート・バートリという実在の人物である。
日本では、比較的最近の作品では映画「Vampire Hunter D: Bloodlust」(原作:菊地秀行Official)の敵役として描かれていたのを覚えている。


Vampire Trailer(画像はバートリ夫人)

バートリ夫人が本当に女吸血鬼であったか否かには異論もあるらしいが(wiki「冤罪説参照」)、ともかく、魔術的エネルギーに感化されたのか、いやいや、少なくとも音楽表現の可能性に動かされたのか分からないが、私の「拘泥」は、まさにクレイドル・オブ・フィルスからなのであった。


最後に余談だが、先月、刹那の4番目の兄弟の結婚式に参加したときに、これまでふと思っていた事を話してみた。


私「あのさあ、彼、刹那に似てると思うんだよ(と、ダニ・フィルスの写真を見せる)」
刹那「ん?似てねえよ(笑)」
私「似てるよ・・・いや、似てない?(写真と見比べている)」
刹那「似てないよぉ~(笑)」
私「ああ、似てないな・・・(笑)」




・・・まあ似てねぇよな(笑)。




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※1:公式ページではJava Onでフルコーラスの音源が聴ける。
※2:「詩人オウムの世界」が顕著ではないかと。



とくに「詩人はとある・・・」以下の語りは戦慄に鳥肌が立つ(参照)。




秘蔵の曲

2010年02月15日 | music
右手がこうではギターも弾けない。



しかも仄かに芳しい香りが漂ってきた。
そろそろ匂い消しを考えるべきか。

一方、愛器を見やる。



心なしか寂しいようにも思える。

今、石井妥師の「Hellsing」のサントラを聴きながらこの記事を打っているが、ここでまた私の構成成分に多く、音楽が関わっていることに気がつく。


Hellsing ― オリジナル・サウンドトラック RAID 糾襲

Hellsing ― オリジナル・サウンドトラック RUINS 吠虚


曲を創らねば・・・神に捧げるバラードを


故に、ここに秘蔵の曲を公開する。

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闇の序曲(time 2:51 mp3 2,016kb)

汝、暁に揺れて(time 5:20 mp3 5,022kb)

狂気の君-demo(time 0:55 mp3 2,170kb)

大いなる秘め神、守りし偉大なる和の龍(time 5:02 mp3 4.735kb)






拘泥

2009年08月08日 | music

布袋寅泰は非凡なギタリストであった。

Glorious Days
Glorious Days

HOTEI MATERIALS 1988 GUTARHYTHM LIVE
HOTEI MATERIALS 1988 GUTARHYTHM LIVE

布袋寅泰 / GUITARHYTHM
布袋寅泰/ GUITARHYTHM

Climb
Climb

UPSIDE-DOWN
UPSIDE-DOWN

「さよならアンディ・ウォーホル - Goodbye Andy Warhol」 Tomoyasu Hotei 布袋寅泰
さよならアンディ・ウォーホル

hotei tomoyasu/EMERGENCY
hotei tomoyasu/EMERGENCY


勿論、今でもそうなのだが、彼の音楽でその道に開眼した頃の印象と比べるから平凡なのだろうと思う。 

しかしながら、今、GUITARHTHMⅡのライブ盤(『GUITARHYTHM ACTIVE tour '91-'92』)を聴いているのだが、某のアンプから出るシングルコイルのテレキャスターの音、シンセサイザー、そして何よりも重厚なビートは、さながら至高の音楽的雰囲気に引き込んでくれる。

布袋寅泰 BEAT EMOTION
布袋寅泰 BEAT EMOTION

布袋寅泰 PRISONER
布袋寅泰 PRISONER

布袋寅泰 STARMAN

布袋寅泰STARMAN


GUITARHYTHM II

音楽そのものが余興であり、人の堕落の最たるものであるのなら、そんな堕落があっても良い。ただ只管、これに拘泥してゆくのは、これもまた真実、神秘体験であろうかと想うところがある。


呼気のリズム

2009年05月01日 | music
クラシックを伝える人とポピュラーのそれの隔たりというのを考えるに、一般的にはリズム、メロディ、ハーモニーの表面上の異なる様相を指し示しがちであるが、しかし、ポピュラーもやがて格式化してゆくのを看るに、それでは一概に云うことは出来ない。
クラシックも元々は流行音楽であったためだ。
ではポピュラーとクラシックの隔たりを考えるに、一体、何がそうさせているのか?
それは結局のところ、修養の部分ではないかと思う。

ポピュラーというのは、所詮は野の音楽である。
野性味のある音楽というか、まあ実験的企画モノといっても良いか。
そのため、あらゆるミスも音楽として許される事がある。だから実験的なのだ。
センスが全て、またその音楽は1代限りの、刹那の音楽であり、またこういった感覚で音楽をやっている人は驚くほど多い。

また修養の部分、先にセンスと述べたが、例えば「Groove」の問題、これは理解不能とされているし、またそうしている、若しくはそう思い込んでいる。
それは敢えて定義を嫌うポピュラーの性質上のものであるが、そもそも定義とは、一般化する上で教育上必要な感覚、方法を共有する上で不可欠な事柄であるのだが、これがなかなか広まらないのは残念な事である。
少なくとも、例えば武道にある「流派」は、始祖、宗家のまねびを延々と繋げ、発展させ加筆してきた性質のものとも言い得るが、ポピュラーにはそのようなものが畢竟、少ない。
だから一代限りのものなのだ。

他にリラックスの問題もある。
リラックスとは、音楽においては楽器を弾く上で余計な力の入らない自然な姿勢を学んだ上で実現可能であるが、ポピュラーにはそのような指摘も無い。
そのため、私もここ10年間、半ば騙され、運指に余計な力を入れるための訓練を余儀なくされた。
いうなれば、「堕落」(※1)させられたといっても過言ではない。


ときに最近、リラックスを心掛けて運指の訓練や演奏をしていて気がついた事がある。それは「呼吸」の問題である。

ある日、電車の中でウォークマンで大好きなギタリスト、三宅庸介先生(※2)の音楽を聴いていたときだが、曲中、複雑なパッセージとかになると、聴き手である私が全く無呼吸になる事があることに気がついた。
後に、自分で演奏しているときにそれを意識してみると、やはり音楽を聴いているときと同じように呼気んもリズムを喪失していた。これは悪い癖だ。

一見すると、何でもないことのようだが、呼気のリズムというのは、楽器演奏に関しては重要なものである。
前に知り合いの若手ジャズギタリストが、アドリブをとっている際、そのパッセージそれぞれにハミングしていたのを思い出したが、つまり、そういう事なのである。



※1:性善説とは、本来修養的用語であろうと考える。
本来、「善」である人間は、余計な姿勢をとらされることによって「悪」の状態となる。
不自然な姿勢や余計な力は人間の体を歪ませ、また且つ、精神をも歪ませてゆくのだ(類義語:健全な肉体に健全な精神は宿る)。

※2:この方は本当に別格なギタリストで、是非、リンク先音楽を聴いてもらいたい。
神のGrooveを理解している、日本では数少ないギタリストではないかと感じている。

音楽アカデミック

2008年10月20日 | music
音楽教本を読んでがっかりするのは、本当に基本的な事しか乗っていないところにある。
まあそれでも初学者には必須なテーゼが満載なのだが、特にジャズ教本云々に関しては、発展的なテーゼを見いだした事が無い。
ワザと複雑なもの云い、若しくは五線譜というハードルで以て、それに取り組む人を萎えさせる。
またそれを教える人間も、「好きなミュージシャンの曲を聴け」とか、ジャズを無理強いする事が多々ある。

とどのつまり、そういったアプローチをするのは、知らない、分からないのだと思う。
只の苦し紛れなのだろう。

あと「原理」を主張する人にも問題がある。
ロバート・フリップの場合、運指に関するそれを説明する際、心の使い方と人体工学的な着想がある事に気がつく(※)が(流石グルジェフ流の弟子と云ったところか)、彼のような一般的説明を出来る人は稀なようである。

ともあれ、これらは日本の音楽アカデミックの失敗なのだろうが、いつまで草木に音楽を語らせておくのだろうか。

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※つまりこういう事である。
まず良い姿勢(仙骨を立て胸を張らず肩に力を入れない状態)を心掛け、指先にエネルギーが溜まってくると思う(その際、指を緊張させない)。
これは心の訓練。

次に指板に手を添え、余計な力を入れずに押弦出来る力加減を覚える。
次にクロマチック訓練になるが、これには二つの原理がある。
一つは、それぞれ押弦した指を押したままにする方法。
もう一つは、1音1音、指を独立して押弦してゆく方法。
これは人体工学の原理。

とまあ、さながらヨガのようである。
だがこれこそ「音楽」(音を奏でる)の真意であり、“音を楽しむ”なんて本気で言っている無学な楽器弾きは死んでくれた方が人類のためになる。

神々の怨念

2008年10月11日 | music
まさに西洋音楽の代名詞たるロックという音楽ジャンルは、アンチキリストといった西洋人の潜在的不満によって醸成されたものである。
それが僅か、数十年という期間の中で、商業的要請と性的趣向が悪魔的でないという認識的変化によってチープサウンドに変化して行くわけだが、ともあれ、このような変化は、文化史的な経緯を看る限りはルネッサンスそのもののように感じる。

そしてそのロックがより硬化したものにメタルがあるが、ファンク的要素に固まるアプローチのものこそあれ、傾向として、最後の悪魔崇拝の牙城であるように思える。

しかしながら、この音楽に触れて、東洋人、特に日本人として思うのは、結局のところ、やはりルネッサンス以外の何物でも無いという事である。

というのも、我が国の神的観念というのは、唯一神によって支配されている訳では無いからである。
その点から観ると、彼らの喘ぎは、光輝の神ルシファーの怒りそのものであるという事だ。

また以前、日本で神道を学び、故国に帰り忘れられた神々を降ろす人物の話を書いたと思うが、ともあれ、メタルというのは、日本でいう祭りばやしのように、キリスト教に征服され、忘れられた力強い古き神々を讃えるものでは無いかと思うところがある。

妄執というやつ

2008年10月05日 | music
今朝方、某局の番組を見ていて思った事がある。
そのコーナーで、日本の音楽業界の今後について、そのキーマンを追ったものだった。

因みに、日本の音楽業界というのは全体で年商三千億、それを大手22社がシェアをするという、他と比べると狭い業界であるという。
それがレンタル、またネットによる音楽配信の煽りを受け、CDの売り上げが下がっている云々、それを打開するのが、今後の業界の課題であるとか、そういった内容だったと思う。
だがCDの売り上げ云々は、はっきり云って、もはや妄執でしかないのではと思う。
偏に、業界関係者に、パフォーマーに帰れと云ってやりたい。
そして具体的には、外食産業との提携が、業界失墜に対する一番の救いになると思うのだが。

流行歌手

2008年09月04日 | music

私は小中の頃、渡辺美里のファンだった。
ボーイッシュさが魅力の延びのあるパワフルな歌声、歌詞こそ乙女乙女して恥ずかしかったが楽曲に恵まれた、それこそスターたる存在であったと思う。

そしてもう一人、好きな歌手に荻野目洋子がいる。
正直なところ、世間でのアイドル然とした扱いからルックス以外は差して興味が無かった(※1)。
ただ高校の頃か、某CMのタイアップに彼女の曲「Steal Your Love」(※2)が選曲された事で、世間とは変わった趣向を持つ私も、かなり乗り遅れて「歌手・荻野目洋子」と受け取ることに至った。

動画
Youtube - STEAL YOUR LOVE

動画
Youtube - カメリアダイヤモンド ブティックJOY 80年代後半から90年代 色々
(タイアップ曲、荻野目洋子Steal Your Love」は5:06頃から)


おそらく、彼女の往年のファンにとっては、「ダンシングヒーロー」とか他色々思い入れがあると思う。
本当に私は、彼女の全盛期も終わり頃に飛びついたような感じだろう。


動画
Youtube - ダンシングヒーロー(1985)

動画
Youtube - ダンシング・ヒーロー(ライヴ) 1987.12


それにしても「Steal Your Love」が収録されたアルバム名が「流行歌手」(※2)とは、何とも皮肉めいた感じがする。
熱病の如き発作に人々が憑かれていた時代の象徴的存在であったのだろうか、その後はバンド、シンガーソングライターなどの自己プロデュース(所謂、業界人がのたまう。自己プロデュースという事は、つまり”放置”という事である)という冬の時代に差し掛かり、その注目度は失速してゆく。
しかし、それでも最後の世代として彼女に心を奪われた事は、まさに曲のタイトルのままであろうか。


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※1:私はショートヘアが好きなようである。そしてその原型は彼女であったように思える。
そのお陰で、ロングヘアの魅力に気がつくようになるまで、かなりの時間を要した。

※2:

流行歌手』(ビクター1992/6/3)

曲 目
01. ディス・イズ・ポップ
02.
ねえ(アルバム・ヴァージョン)
03. ロマンティックに愛して
04. スティール・ユア・ラヴ
05. あなたに帰りたい
06. コーヒー・ルンバ
07. ささやかなレジスタンス
08. 独り占め
09. 彼の災難
10. スターシップ
11. プレイ・ボーイ
12. ムーンライト・ブルー


何故かミュージシャンに語り継がれる「魔術の帝王」

2008年07月31日 | music
オジー・オズボーンの名曲「Mr.Crowley」に出てくるクロウリーという人物は英国に実在した魔法使いの帝王、アレイスター・クロウリーの事である。
私としては、彼がクロウリーをテーマにしたところに「流石は英国人」と思うところがあるが、それ以上に、この英国サブカルチャーな人物が魔術以外の分野で世界的に有名になった事は驚異であると云える。


アレイスター・クロウリー
(1875年10月12日 - 1947年12月1日)


さておき、今日に至ってこの「Mr.Crowley」はさまざまなアーティストたちによってカバーされている。

まずはオリジナル↓
動画
Ozzy Osbourne - Mr. Crowley

ギタリストは故ランディー・ローズ。当にオリジナルである。


次にカバー↓
動画
Yngwie Malmsteen and Tim Owens - Mr Crowley

正直、インギーがこの曲をカバーするとは思いもよらなかった。まあ改宗したのか?w
ギタープレイなどはまさにインギーなのだが、曲調は変わらず。
オリジナルの偉大さを感じる。
動画作者の用いた写真はおそらくクロウリー本人。


動画
Cradle of filth-Mr.Crowley

続いて英国の吸血鬼バンド、クレイドル・オブ・フィルスによるカバー。
歌詞以外、もはやブラックメタルらしい見事なアレンジがなされている。
あまりに見事すぎて、きっと魔術、そしてクロウリーに対するあやまったイメージを抱かされるかもしれないがw


動画
Taist of Iron - Mr. Crowley Cover

最後に、Taist of Ironという米国のバンドのカバー。
このバンドについて全く知識がないのだが、演奏能力の高さとボーカルのおネェちゃんのキャッツアイばりのレオタードタイツにウケた。
音源が良くないのが残念なところ。



ともあれ、今日に至るまで「Mr.Crowley」はカバーされてきているわけだが、これがある意味、歴史上の偉人物を語り継ぐ方法であると考えた場合、何やら感慨深いものである。