~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

名を穢すは己が放つ言葉

2010年11月29日 | diary
人の穢れというのが如何なるものか、例えば物理的に汚いとか、生活のリズムが不規則だとか、そういったものは確かにある。
しかしながら、結局のところその大元というのは自己の言葉による穢れなのではと思うところがある。
己の言霊が和魂を穢すのである。

またこれは負の循環をもたらし得る。
否定的な思考というのは全肯定にはなり得ない。
寧ろ、否定的に人の魂にまとわりつくのだ。
意識すべきである。

2010年11月29日 | diary
幕末、愚公家定は豆を炒るのが大の楽しみで、慶喜公はその無邪気な様に大変な落胆を覚えたという。

思うのだが、家定の悲劇はどうしようもなく将軍に祭り上げられた事ではなかろうか。
大奥の女人共は彼を甘えに甘えさせ、常人なら誰しもが出来うる事柄に尋常ならざる賛辞を与えたという。
これは狂気の沙汰である。

しかしながら、そのような状況が起こり得るというのは、その背後にもやはりどうしようもない状況が存在するという事でもある。
そしてその状況とは、基本的に人の好き嫌いの反応であり、無思慮、無関心、いやそもそも状況を悪化させるのは鈍感な大元なのだ。

くだらない。そこに憤りを感じる。