~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

吾が神は何を教え給ふ

2009年10月18日 | diary
今日は町田の雄心館道場を経て、川崎市高津区の鐵心館道場での「多人数掛け」講習会に赴く。
合氣道におけるこの「多人数掛け」は、所謂武道における花形的稽古であると思うが、やっていて本当に楽しかった。生きた心地がした。
別段、合氣道はフルコンタクトの格闘技では無いが、そこで繰り広げられる命のやり取り云々がより活力を増したのかもしれない。

さて・・・
ときにこの鐵心館道場について、今日初めて気がついたのは前の職場の本当に近くにあった事だった。
因みにその頃、私は鬱屈した心理状態の解消に合氣道を求め始めていたのだが、何故かここの道場に至る事は無かった。それがとても不思議に思えた。
そういえば先月、子供の部の指導のお手伝いをさせて頂いたとき、私の不注意からある女の子を怪我させてしまった事があった。幸いにも怪我は大事に至らず、今、その女の子は元気に道場に通っているが、己の迂闊さに猛省した。
この迂闊さは、私のこのときの対応にもあるが、それを諫めた四段の若先生の言葉を思い出す。要約すれば「事故はかくして起こるもの。それを感じられ無い者に、天地はかように教える事はない。」といったものだ。

ときに、私が今のような生活を送るようになってから半年経とうとしている。折しも私がこの生活を送る事になったその日に、ある人物が私の関心事の中にふと入り込んで来たのだが、その人物と入れ替わるというのは、かくも数奇であるとしか言いようが無い。


色無くも 香り惑わす 金木犀


帰り際、駅にて女性の悲鳴を聞いた。
ふと見ると、黒スーツを身に纏った長身の、ちょっと尋常でない精神状態の老人がその女性と共に駅員に囲まれていた。
不意に老人は駅員の一人の頭を小突き、110番となった。

それと他にも、帰りに駅で質の違うスーツとネクタイを纏った人物を見かける。
どこかで見たような気がして、思わず胸元を見ると、おそらく議員バッチだろうか、そんな人物だった。
失礼にも凝視してしまったが、相手方は軽く会釈をしてくれた。
こちらも会釈するべきだったと後で思った。

憤死

2009年10月07日 | society
中川昭一という国士が死んだ。
ここで我々が心に留めておかなければならないのは、どんな政治家であれ、その死がどれだけ特別であるかという事である。

ときに、中川氏の死の原因が「憤死」であるとしたらどうであろうか?
ともなれば今後、永田町に中川氏の姿を見る者、多数現れるのではないかと、密かに思う。

分裂か統合か?

2009年10月02日 | diary
先日の夢への考察はあながち間違ってはいなかったようだ。夢2の続きを見た。

お祭りのようである。夕暮れ時、場所は学校のグラウンドのようだ。
皆、横一列に並んで私の曲(「Lily」)を合唱をする(※1)。
この合唱を先導するのは、小脇にギターを抱え、私に[音楽的グルーヴ]の存在について示唆してくれたブルースギタリスト千賀明三(あきみっぁん)氏だった(※2)。
この合唱に不足な感覚は覚えなかった。
そしてふと夜空を見上げると、楕円状の月が双子のように並び照り輝いていた。


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※1:この曲は歌詞は用意していない。だが夢の中では「月よ、遠き月よ、来たれ」と始まる歌詞があった。

※2:ちなみに[音楽的グルーヴ]に関して、これをこう称するのは的確ではないかもしれない。
というのも、私の感性の獲得物にそれが無く、また体現も出来ていないからである。