~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

おっぱいがロケットか?ロケットがおっぱいか?

2009年03月31日 | society

強力な軍事報復を警告=「日本の牙城を無慈悲に粉砕」-北朝鮮

3月31日20時45分配信 時事通信


 【ソウル31日時事】朝鮮中央通信は31日の論評で、北朝鮮が「人工衛星」と称して発射の準備を進めている長距離弾道ミサイルを日本が迎撃した場合、北朝鮮は「再侵略戦争の砲声」とみなし、「最も強力な軍事的手段によってすべての迎撃手段とその牙城を無慈悲に粉砕する」と警告した。韓国の聯合ニュースが伝えた。
 論評は、日本が北朝鮮の衛星打ち上げをミサイル開発とみていることについて、「相互尊重」をうたった2005年9月の6カ国協議共同声明を認めない立場を宣言し、「6カ国協議のテーブルをひっくり返す行為だ」とけん制した。 

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これはなかなかの詰み将棋である。

そもそも「ロケット」とは大気圏脱出用の乗り物以外に、ナチスドイツのV2ロケットの如き爆弾輸送手段としての転用が可能である。
後者を俗に「ミサイル」と呼ぶが、どちらにしても日本の空域に弧を描くように打ち上げられるものなら、領空侵犯として迎撃が可能である。

だが気になるのは、「”牙城”とはいかなるものか?」である。
これを単に日米の軍事施設と見るなら容易い。
他にも、「皇居」や「国会議事堂」、もしくは「東京」や他大都市などと見るのも容易い。
しかしながら、戦略の目的たる攻撃対象は具体的な破壊を生み出す事ばかりを前提としない。

正直、「打ち落としてくれ」と言わんばかりの声明である。
狙いは「威嚇」、もしくは「挑発」にあるとみて良い。
つまり、これは並行してある事柄なのである。

「威嚇」の場合、無視すれば実質、日本は従来通り軍事力行使が不能と看做し、次は「核弾頭ミサイル」で脅しかねない。
「挑発」の場合、ミサイルディフェンス(以下MD)を機能させるのが目的であるため、ある種の斥候のようなものであろうか。
ここでMDが機能しない場合は、新兵器は無効と看做し、次は「核弾頭ミサイル」で脅しかねないし、また機能しても、「平和目的とした人工衛星打ち上げ実験のためのロケット」を破壊した事により「核弾道ミサイル」で脅しかねない。
まあどちらにしても、その先にあるのは強大国との優位な話し合いの立場に持っていくための布石だろう。

どちらにしても、この場合における国防とは「撃たせない」、「撃たせる状況を防ぐ」事にある。
それは「ロケット」でも、可能性がある限りは防ぐべきである。
そういった意味では、MDは「本土決戦」の高射砲なのである。
またミサイルによる「報復」も「最終手段」であって、もはや「国防」ではない。

そして今回は「ロケット」である。ミサイルではない。
つまりは、攻撃能力の無い「ロケット」でMDをも無効化する、といった作戦であろうか。

さながら、「これまでの大人たち」の期限日が近づいているようにも見えてきた。
賢明な為政者の出現を願うばかりである。


誇り

2009年03月31日 | society
ついさっき、小田原駅近くの喫煙所で、知らないおじさんからタバコをねだられた。
別に何の事もなく一本差し出し、火までつけたのだが、後になって気がついた事がある。

おじさんは私が立ち去る時、「有難う、有難う」と云ってくれたが、それはつまり、そのおじさんには人としての「誇り」が、まだ残っているという事だ。
また同時に、これまで、そこの喫煙所でこのようなやりとりをしたことは無かったのだが、今回この経験を通して感じるのは世相の暗さである。

これからもっとこういう事柄が増えてくるだろう。
勿論、私もどのようになるかは分からない。
直感的に、心身を鍛える必要性を感じてならない。

催眠的ヒューマニズム

2009年03月30日 | society
実は今、本当に書きたい事が一つあるのだが、まだ時節に達していないと看て書かないでおこうと思う。
そこで今回は、ヒューマニズムについてさらりと触れておく。

ヒューマニズム」の台頭の歴史については、正直なところ、ちゃんと追ってきてはいないので良く分からない部分が多い。
しかし昨今のこの「括り」というのが俗化してきたのは本当に最近のものらしく、世界中でこれが広がっていると認識するに至ってる。
だがこの「括り」もまた、その根幹において、どこかしら催眠術的な、一種の実感を伴わない世間の潮流としてあるように思える部分がある。

ときに「スタートレックシリーズ」には教示的なものが多く、私も媒体的化学反応を起こすことが多々あるが、その一つに「Qの自殺」(「スタートレック・ヴォイジャー」より)というものがある。
この「Q」とは全知全能の存在で永遠の命を持つが、その存在意義としてはそれらの「連続体」が安寧な生活を送る事に宇宙の調和につながるといった、成程、本来宗教的な伝統の片鱗を垣間見る事の出来る存在である。
エピソードでは、自殺を許容しない「Q文化」において、とあるQが「自殺する権利」を求めて地球人に保護を求めるものだ。
ストーリーの成り行きとしては、「Q連続体」代表のとある「Q」と、保護側代表との折衝の末、自殺の自由を求める「Q」にその権利を「認めうる」に達する。

ちなみに、この「Q」が何故、「自殺をする権利」を求めてきたかと言うと、それは「Q」の「永遠の命」に帰属する。
そして彼の場合、「終わりが無い」ので「変革もありえない」といったものであろうか。
人間社会にこれをあてはめた場合、ある面、世代交代の不可能性を引き起こす問題であろうが、そういった意味では、彼「Q」の主張は「連続体」すべてに対する「抗議」であったかもしれない。
勿論、「永遠の命」を持つ「Q」にとっては、子供をつくる必要もなかったために、後に続くエピソードで「新生Q」の方法を示唆するエピソードが生じる必要があったが、ともあれ、「催眠的ヒューマニズム」に対する教示的なエピソードであると云える(つづく)。


サイコロの話

2009年03月24日 | society

「進歩」を「進化」とCMなどで煽り始めたのは、私の少年時代からだったと思う。
私はそれの、正確ではない用法に不満を感じていたが、そのような潮流が「俗化」してくるともはや手のつけられないものとなろうと想像できる。

例えば学校のテストで、純朴な学童が「技術の進歩」と答えるべき欄に「技術の進化」と書く。
するとその学童はそこの欄の点を取りそこない、下手すれば居残りで勉強させられることもあるだろう。

ときに「進化論」であるが、これは生物学上の一仮説である。
それを、いつの間にか人間社会における事柄をもジャングルに例えて用いるようになった訳なのだが、このような潮流は逆を言えば「退化」であろう。

例えばそれを「子育て」に関して当てはめるなら、非力な赤子は食っても良い存在になる。
勿論、「種の保存」という、これまた便利な言葉があるが、それがあっても実の子で無いならば食っても良い、ということになる。
これが進化論の一側面である。

「進化」というものは、学術上においては人間の思惟というものの介在を許しをしない事柄である。
それは、仮にA種、B種という種に関して、それをある場所に一同に介し、あえて「進化率」という事柄に当てはめるなら、それは両者それぞれがサイコロを振ってどちらが大きな目が出る確率が高いか、ということなのである。
そして案外、社会的な地位にある人々でも、このような点を見落としている場合が多いのが、世の人の常であろうか。


悲鳴

2009年03月24日 | society

MDで「当たるわけない」=北ミサイル、迎撃を困難視-政府筋
3月23日21時28分配信 時事通信

 北朝鮮が長距離弾道ミサイルとみられる「人工衛星」を打ち上げた場合に備え、政府がミサイル防衛(MD)システムによる迎撃を準備していることについて、政府筋は23日「突然撃ってきたら当たるわけがない」と述べ、迎撃は困難との見方を示した。
 政府筋は、ミサイル発射から7、8分で日本に到達するとされることから「浜田靖一防衛相が麻生太郎首相に報告した時にはもう終わっていて間に合わない」と指摘。その上で「見ているしかないだろう」と語った。 

引用終わり
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「日本国憲法」無効論というのがあったが、正確には「失効」なのではと思うところがある。
ちなみに、それの有効性に関しては、外国人の起草であっても、それは天皇の名において公布されてある点においてである。

ときに、「失効」となすのは、それが「占領下憲法である」と看做した場合である。
この場合、戦後、日本の独立の時点での「失効」と看做すのが適当ではないかと思う。

しかしながら問題としては、新憲法公布の際の可遡及的効果であろうか。
実際は、政府機関というものは戦前のものを引き継いでいる訳だし、即、ある省庁を廃止云々などという事にはならないが、法律上の問題が残る。

まあ法律上の問題ならさして心配することもないが、ここでの実際上の問題は権謀諤々な泥仕合(下手すれば内乱)であろうか。
そしてその主な陣営は、いくらか思いつくが、そのどちらにも恐らく自衛隊が利用される事になるだろうと思えてならない。

思いを巡らせれば、これと、これと、そしてこれがそれに乗じて横槍と、何ともしがたい詰み将棋のようなものだとも思えてくる。
まあリスク重視でみれば、直ぐに捨てようと考える事柄である事は間違いない。


新語というもの

2009年03月24日 | society
右翼左翼とは、もはや聞きなれた言葉であるが、どこぞの国の議会の何たらが由縁だとか、世界史の授業で習っている。
しかしながら、歴史の筋道というのは基本的に分岐するものだが、根幹にあるべきは国防であると考える。
そう捉えた場合、これら用語から窺えるものは、何者かの利便的な意図である。
つまりは、このような権謀諤々な新語を、安易に使うべきではない、という事である。

人間の政治

2009年03月22日 | society
維新は賢君やそれを支える優秀なものの存在によって(西郷も忘れない)、天皇はかろうじて守られ、朝臣、民草とも死なずに済み、この日本も何とか生き残ってきている。
しかもその移行期間とはわずか15年ほどで、その能力の高さを決定付けている。
まあ、そんな時代も先の大戦で衰退し、そして日本人の大御心が決定的に損なわれてしまったという見方もできるが、それは政治を引き継いだものの責任であろうと、歴史からは見られるであろう。

ときに、先の大戦の後、その後始末をした中心人物は、やはり幕臣系だった。
吉田茂、その人である(元土佐藩士、竹内綱の息子。後に元福井藩士の吉田健三の養子になる)。
何故、そこに注目するかは、別に今更何々、というわけでなく、そう云った関係に、歴史の連続性を見出せるからである。
正確には佐幕派と云うべきか、またさらにそれが白洲次郎の系統(三田藩)を伴ってくるというのに感慨深いものがある。

さて・・・こんなニュースがあった。

火災 旧吉田茂邸、ほぼ全焼…不審火か 神奈川・大磯

旧吉田邸放火、となれば、それは麻生太郎への攻撃と看做しても良いであろう。
重ねて強調しておくが、放火ならば、の話だ。

昭和喜劇

2009年03月21日 | diary

先日、ある人から面白い話を聞いた。
その方は、某有名企業で指導的な立場にいて、現在は引退されて違う家業をされている方なのだが、その方(以後Aさん)の学生時代の頃の話だ。

男盛りだった頃のAさんは、友人の誘いもあって、当時、流行のストリップ劇場に行くことになった。
田舎出のAさんにとって、この上なく心弾ませる出来事であった事は間違いないだろう。
そしてその余韻に浸りながら、下宿先の叔母さんの家につくと、どうも家人の態度が妙だった。

すると、叔母さんが「Aちゃん、何だかいかがわしいところに行ってきてないよね?」と尋ねてくる。
Aさんはどきっとして、なぜ分かったのだろうかと思いをめぐらせる。
思えばそのストリップ劇場の界隈には、Aさんの親戚も住んでおり、多分、それでバレた思い、正直に白状したらしい。
そして今後一切、そのような場所には行かない事を叔母さんに誓った。

しかし、そうは云っても悲しい男の性(さが)、Aさんは再び友人に誘われ、ストリップ劇場に行くことになる。
友人曰く、「今度のやつはもっと凄いんだぜ!」というからである。

分かっちゃいるけど、やめられない・・・。

そして、またまたその余韻に浸りながら下宿先に帰ってくる。
すると、そのときは家人全員(ちなみにAさんの下宿先の家人は全員女性)集まってAさんを待ち伏せしていた。
そのときの一部始終はこんな感じだったらしい。


叔母さん「Aちゃん、またあんなところ行ってたんでしょ!今度こそご飯抜きよ!!」
A「えー、俺、行ってないよ、そんなところっ!」
叔母さん「嘘おっしゃい!この間、Aちゃんの靴を磨いてたら、ストリップ劇場の半券がくっついていたんだからっ!!」


そしておばさんはAさんに、入場料95円(今の貨幣価値からすると4000円くらい)の半券を見せ付けられ、Aさんはとうとうカンネンした。
Aさんがその日、ひもじい思いをしたのは云うまでもない(笑)。

まあその後、Aさんがストリップ劇場に行ったか行かなかったかも云う必要も無いだろう。
しかしながら、まあ何とも植木等の映画のような、また漫画のような話である。



分かっちゃいるけど、やめられない・・・・・・。


ときに、この話を聞いて「私ならどう言い返しただろうか?」とふと思った。

親戚筋の女性方々に囲まれて男を立たせるわけには参りません。となれば、外へ行って男を立てるしかしようが無いでしょう!

なんて見栄は、きっとこの状況じゃ私も云えないでしょうね(笑)。










分かっちゃいるけど、やめられない(爆)


「ホップ・ステップ・玉砕」なんて性にあいません(笑)

2009年03月20日 | diary

ぶっちゃけね、日本の男っていうのはダンディズムなんていうもので身を装っちゃいけません。
ジェントルマンなんて呼ばれるのも、ある意味では不名誉だと受け取るべきです。
まあ白洲次郎は別として、こういった見栄の張り方は、なまじ日本男児としては格好が悪いら?

ちなみに白洲次郎のお話を出しましたが、この白洲さん、出自は立派なお武家さんの系統のようで、しかもその志も立派にお継ぎになさって、だから「プリンシパル」もさまになってる。
おれっちはそれを「」と呼んでいますが、この「品」というものも、日本の「大御心」が染み付いてなけりゃあ発揮できない
それが肝心なのです。


ときに最近のお偉いさんたちはどうも金の話ばかりで、権謀臭くて蓋をしたくなる
あと大教授の方々も、「中心を持たない概念は崩壊する」ってのは西洋のヨガの言葉ですが、権謀に固執していつの間にか「学賊」となってしまっている、という事に、思い改めてもらいたいです。

根の無い事柄は、この世界には一つもありゃしません。
それが分かれば、家康さんのも、果ては”けいきさん”のお心も分かってきます。
あと小栗さんの偉業ってのも、何とも偉大なもんだと思います。
それをあーだこーだというのは、「どこを見てんの?」って思います。


ファイル:Shogun-Tokugawa Yoshinobu.jpg

ファイル:Oguri Tadamasa.jpg

あ、そう云えば、徳川家康影武者説ってのもありますなぁ。
「影武者」が260年も続く幕府の下地をつくるなんざあ、それはもはや家康さんなんじゃないか?、と思った今日この頃(笑)。

ああ、もう一つ、明治天皇すり替え説(※)なんていう、大層不敬なもんもありますが、鉄太郎をお抱えになったお方が、どっかの漁師の子供なんざぁ考えられないです(笑)。
本当にそんな説信じてるお人がいるってのは、鉄太郎も驚きでしょう(笑)。

おお、鉄太郎ですが、「朝敵、徳川慶喜の家来、山岡鉄太郎、駿府の総督軍本営に罷り通る!」なんて、大声で、大切な信書を携えて官軍の中を突っ切るなんざあ大したものです。
日本男児としちゃあ、下腹三寸の一点に氣を練りに練って、これくらい堂々と口上を述べる舞台にあこがれます。


とまあ、おれっちの最近までの心情ですが、まあお見苦しいこと甚だしい。

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ホップ・ステップ・玉砕元ネタ

※つけたし:
こっちにも違うのがありますが(→ここ)、大変不尊な言い方になるかもしれませんが、天皇という存在は体力が無ければ到底、御勤めできるもんじゃあありません。
ひ弱だった明治天皇がそれをお自覚し、そして心身を鍛えられる。
神道」(かむながらのみち)から続く伝統である「武道」を通して思うのは、当たり前の事柄です。
あと岩倉派云々って話もありますが、それだからこそ、鉄太郎をお召抱えにならなければいけなかったというのは必定の理だったと云えます。
何というか、学賊っていうのはこういうのを言うんです。


トレンディー

2009年03月20日 | society
米内務省の科学者チームは、地球温暖化による海氷の減少で2050年までに北極圏に生息するホッキョクグマの3分の2が死滅すると発表。 地球温暖化に脅かされるホッキョクグマの親子 (米魚類野生生物局提供) 

「人間は醜い生き物である」という文言を字面受け取るのは愚かである。
それはこの一言というのは、決して人間すべてを指すものではないからだ。
むしろ、然るべきときにこういうべきである。

”人間の社会とはかくも歪なものである”


地上デジタルテレビジョン放送に関して、その施行の当初から疑問に感じていたのだが、それは多くの受け手にとっては全く無意味なものだからである。
推進する側にしてみれば、数々の利点を挙げ、純朴な消費者を煽り立ててきたが、この知恵比べは消費者側に軍配が上がりそうだ。

「経済弱者に地デジTV配布を」民放連会長(産経)

つまり、これはどういうことかというと、チューナー一つで見れるようになる放送というのを、さも特別なTVでなければみる事が出来ないようにのたまってきたツケであるといえる。
だから今度は「税金で何とかしろ」という主張であろうが、ネット利用者やPC環境でTVをみる人たち、他、また従来の大型TVを有した人にこれを配布しようとしても、結局断られるのが関の山、結果はごみの山であろう。


何というか、NHKのみんなのうたの「しろくまがかわいそう」もそうだが、こうも平然と不正直なこと、いやむしろ無知に漬け込む商法というのが最近のトレンドだということである。