功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

午後3時40分頃に新総裁がどなたになるかの決着をみる見通しです。(2021-09-28 21:01:53)

2021-09-28 22:02:11 | On the Road
▼これは、「高市選対」すなわち高市総裁を誕生させるための「総裁選挙対策本部」 ( 選対 ) の参議院版です。
 参議院は、自由民主党の同じ派閥であっても、衆議院とは違う独自性を持っているのです。それが参議院の伝統です。
 ぼく自身は、完全無派閥であり、もともと自律して動いていますから、あまり「参議院の独自性」を意識しません。
 しかし「高市選対・参議院版」がある以上は、そこに全出席しました。

▼終わると、高市番の記者さんたちに取り囲まれ「どんな話でしたか」という質問です。
 しかし、内容はオフレコと決められていますから、ぼくが勝手に明かすことは、もちろんしません。
 このブログも、無条件の公開情報ですから、基本的には同じです。

▼ただ、充分な熱気のある会合でした。
 言える範囲のことで申せば、「第1回目の投票で過半数をとる候補はいないだろうから、上位ふたりの決選投票に高市候補が残れるよう、最後まで努力を尽くそう」、「決選投票のふたりに高市さんが残ったとき、第3位、第4位の候補と連携がとれるよう、今から動いておこう」と申し合わせました。


▼あす9月29日水曜は、総裁選が実際にはどのように進んでいくのか。

▽まず午前9時半ごろから、自由民主党の各都道府県連にて、党員・党友票の開票が始まります。
 昼前には、全国集計が終わるとみられますが、それが漏れてしまうと、そのあとの議員投票に影響します。
 だから党本部と各都道府県連は、秘が保たれるように注意するはずです。

▽一方、高市選対は、午前11時に衆議院の第2議員会館の会議室に集まり、高市早苗候補の最後の励ましと送り出しをやります。
 ぼくも、もちろん参加します。

▽正午から、都内のホテルで行われる「総裁選投・開票」の「選挙人受け付け」が始まります。
 自由民主党の議員は選挙人ですから、ぼくも受付を済ませて、指定席に着席します。

▽議員投票の前に、4候補の最後の演説があると思っていたのですが、どうやら無いようです。
 個人的には、あるべきだと考えます。

▽午後1時を期して議員の投票が始まり、壇上で開票が行われ、午後2時20分頃に、党員・党友票を合わせた第1回投票の投票結果が判明します。

▽もしも、ここで過半数を制する候補が現れれば、新総裁の決定です。
 しかしきょう9月28日火曜の午後6時までの情勢、すなわち総裁選の本番前日の夕方の情況では、おそらく決選投票になります。

▽その場合、決選投票は午後3時ごろから始まります。
 そして午後3時40分頃に新総裁がどなたになるかの決着をみる見通しです。

▽この自由民主党・新総裁が、10月初旬にも開かれる国会で首班指名を受け、新しい内閣総理大臣となります。

▼このブログに「もうブログを書くな、見るな。選挙運動だけをやれ」と、命令してきた人がいます。
 あ~あ。
 高市さんを当選させたいがための暴走ですね。なんで見知らぬ人に命令、指図されなきゃいけないのか。その憤激を抑えて、悪意はないのだろうと考えています。
 高市候補が、総裁選の途中でやむにやまれず支持者に向けて「やめましょう」と呼びかけられた、あの問題、「ひいきの引き倒し」です。

 いずれにしても、今から動く可能性があるのは議員票です。
 オールドメディアが安直な常套句として使う、「引き剥がし」 ( どの候補を支持するか決めている議員に、別の候補の支持に転じるよう働きかけること ) とは、志の低い、嫌な言葉です。
 そうではなく、古事記も日本書紀も「宝」と明示している日本国民のこれからを考えるために、先ほど超重鎮の議員に電話をしました。
 同時に、北朝鮮がまたしてもミサイルを発射したことに対応して、安全保障の分野にも取り組む夜です。
 いつも通りに、すべて同時進行です。




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予期したとおりに、党の旧弊とも直面(2021-09-28 05:28:22)

2021-09-28 08:22:57 | On the Road
▼かつて共同通信政治部の総理番記者、つまり政治記者としてはまだ経験が浅いころ、それまでに事件記者と経済記者の経験を積んでいても、すこし驚くことは沢山ありました。
 たとえば、竹下登総理 ( 当時 ) の地方遊説に同行したとき、「自民党は高度成長を成し遂げた政党だ」と、ふだん穏やかな竹下総理には珍しいほど力を込めて演説なさったのを、いくらか不可思議な気持ちで聴きました。

 日本の高度成長期は、ふつう西暦1954年、昭和29年の末から、東京オリンピック ( 1964年 ) 、大阪万博 ( 1970年 ) を終えた西暦1973年、昭和48年の秋あたりまでとされています。
 ぼくで申せば、社会人になる、すなわち共同通信に入る6年ぐらい前に完全に終わっていました。高度成長期は、幼児、子ども、学生です。厳しい親の元で育ったこともあるとは思いますが、恩恵は何も実感、記憶がありません。
 ぼくの世代にして、そうです。
 それを、たった今の成果のように、総理は演説時間の大半を費やして強調された。

 竹下総理は物事を大仰には決して言わないひとでしたから、余計に、「あ~、そうか、自由民主党は過去の成功体験に浸 ( ひた ) る体質のある政党なのか」という最初の実感があったのでした。


▼そこから長い年月と経験を経て、今まさかの事実として、その自由民主党の議員でいて、総裁選のさなかに居るわけです。
 予期したとおりに、党の旧弊とも直面しました。
 今回の総裁選が、これまでにない新鮮な試みの側面を、一部ではあっても持っているからこそ、本質的な旧弊も立ち現れてきます。

 総裁選の議員の投票日を明日に控えて、いま夜明けに確信しています。
 遙か昔に偉大な達成があったのは事実です。しかしそれを、実は深い部分で今もなお「成功モデル」として依存している体質を、打破しなければなりませぬ。
 この総裁選は、その出発点でもあるべきです。

 すると、そもそも旧態依然の感覚で切って、報道しているオールドメディアもまた、違うのです。
 これは失望や絶望ではなく、逆です。
 日本に真っさらな伸びしろがあるという希望ですから。




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この番組は、BS放送のなかで評価が高い番組ではないかと思います。(2021-09-28 04:25:20)

2021-09-28 08:15:11 | On the Road
▼2年近く前のことでしょうか、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の記者会見を終わったあとだったと思います。
 数人の記者が残って、ぼくに補足質問をしていました。
 当然ながら、こうしたときも丁寧に、正面からすべて答えます。

 それも終わり、会見場から出ようとしていたとき、あるテレビ局の若い女性記者が「うちの○○ ( 番組名 ) に出てもらえないですか」と仰いました。
「ご要望があれば、参加しますよ。オファーがないだけです」
 ありのままに答えました。
 その記者は「えっ」と驚き、「じゃ、番組に伝えていいですか」と眼がすこし輝きました。
「ええ、もちろん」



▼この番組は、BS放送のなかで評価が高い番組ではないかと思います。
 いつも必ず、国会議員が出ているようでした。
 そして、この番組からは一切、何の連絡もありません。

 ぼくは、こうなるだろうなと予想していました。
 あの女性記者は間違いなく、番組に伝えたと思います。
 しかし決してオファーはありません。

▼これが、ぼくとテレビ局との現在の関係です。
 別にこの番組、この局に限ったことではありません。
 少なくない人が、すでにご存じのことです。

 それは、モリカケ報道がいちばん盛んな頃に、予算委員会で、当事者の加戸守行・元愛媛県知事に参考人としておいでいただいて客観的な事実関係を初めて明らかにしたとき、ほとんどのメディアがこの国会審議、しかもNHKが生中継していた審議を無かったことにした、その時に、多くの主権者・国民が気づかれたのでした。

 オールドメディアが青山繁晴という国会議員はこの世に居ないことにしているのは、いわば、すでに公然たる事実です。

▼そのなかで、ぼくの理解者だという趣旨を仰るかたから「あなたはメディアから逃げている。直接的反撃の少ない、本とか、独立講演会とか、動画とかだけで話して、メディアの番組を、恐れている、逃げている」、「高市さんも急にメディアの露出を増やして、すこし哀れだ」、「高市さんはなぜ、知名度を上げることを優先してこなかったのか。河野さんはそれをやって来たのに」という長文のコメントが来ています。
 いずれも言葉の引用ではなく、趣旨です。元の言葉はもっと長いですから、意味を要約しました。
 ただし「恐れている、逃げている」という言葉はナマのままです。正確には「恐れているか、逃げているように見えます」とお書きになっています。

▼ぼくがいつ、恐れて、逃げたのでしょうか。
 この人生で、ただの一度もそのようなことをしたことがありませぬ。
 また、まことに恐縮至極ながら、ぼくの命である本を書くこと、みんなの無私の志が集う独立講演会、真摯に真正面からすべての問題とぶつかっている動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」、これらを逃げだと仰ることは、申し訳ないですが、当たりませんね。

★高市さんについても、事実はまるで逆でしょう。
 高市さんが積極果敢に総裁選に打って出られたから、やっとメディアがいくらかは取りあげるようになったのでしょう。
「哀れ」とは一体、何でしょうか。
 毅然と、戦う、日本女子です。

▼定年にもなったと仰る人生の立派なベテランが、このように仰る世の中です。
 このかたもまた、日本国の宝である主権者です。
 そして、こうしたかたが最も多いということはありませんが、そう珍しいわけでもまったくありません。

 暮夜、鬱屈しては、夜明けの美しさを見て、また気を持ち直す日々がずっとずっと続く背景のひとつには、これがあります。
 やがてぼくが戦死したあと、ぼくのことはもう思い出さなくていいですから、この問題提起だけは思いだしてください。
 社会がこうした「味方撃ち」を払拭していかなければ、腐敗権力の思うがままになります。

▼以下は余談です。

▽これも今までに何度も事実のままに申しあげたことですが、ぼくが国会議員になってからオファーを断ったテレビ番組は、「TVタックル」と「朝生」だけです。 ( 日程がどうしても合わなかった時は、当然ながら別の話です )
 しかしメディアの世界は、良くいえばヨコの連絡がある、悪くいえば仲間内でツルむから、こうした情報はパッと広がります。
 番組のディレクターからすれば、「受けてくれないかも知れない人」はなるべく避けたい、よく分かります。
 ただし現況は、BS放送の実例を冒頭に挙げたように、すでに違います。積極的な忌避でしょう。

 しかしいずれにせよ、オファーする、しないはテレビ局であれ何であれ、メディアの完全な、そして尊重されるべき自由です。

▽また、前出の人生のベテランのかたに限らず、世に意外なほど知られていないのは、テレビ番組に「出演」するひとと芸能プロダクションとの深い関係です。
 非常に多くの学者・大学教授、作家、評論家がほんとうは芸能プロダクションと契約をなさるか、密接な関係を持っておられます。
 ぼく自身にも、民間の時代に、ある著名な芸能プロダクションから「契約してもらえば、ギャラが格段に上がります」、「お嫌なら契約の事実は隠しますよ」とオファーがあり、即座にお断りしました。
 それでももう一度ありましたが、再び、即座にかつ丁重にお断りしました。

 芸能プロダクションと無縁のまま地上波のテレビ番組に参加していた頃、ある作家はいつも、「ウチの事務所が」と胸を張るように話されていました。
 ウチの事務所とは、ご自分の事務所、たとえば議員会館の青山繁晴事務所のようなことを仰っているのではなく、ご自分が契約なさっている芸能プロダクションのことなのです。
 作家が、良き無頼派 ( ぶらいは ) だった時代は、とっくに滅んでいます。
 大手の芸能プロダクションと契約しているのが、むしろ自慢なのですね。

 この人はやや違いますが、大手の芸能事務所との契約を仲間内では自慢しつつ庶民に隠す人もいます。
 かつて、やしきたかじんさんが奮闘されつつ亡くなり、大規模な偲ぶ会が大阪で開かれました。
 ぼくは、たかじんさんと番組をご一緒した最後という立場に過ぎませんから、会場の隅にひっそりと立っていました。
 すると有名な評論家のおふたり、具体的には大学教授と新聞社の幹部が「どこの芸能プロダクションがいちばんギャラが良くて、番組に出してもらえるか」という話を、熱心にヒソヒソと話しています。
 次第に声が大きくなります。誰も居ないと思っているのでしょう。
 ぼくは盗み聞きになるのが嫌で、身体をひょいと前へ出しました。

 そのときのおふたりの表情はなかなかに印象深いものでした。
 おふたりは、おそらく、ぼくが芸能プロダクションに一切、属さないことをご存じだったのでしょう。何ともばつの悪そうなお顔になって、そそくさと離れて行かれました.

▼やがて夜が明けます。
 おおきな地球、宇宙のなかではちっぽけな地球が、自転と公転を正確に繰り返してくれる。
 それを想うだけで、気持ちが晴々、はればれとしてきますね、みなさん。

 総裁選も、あときょうの1日だけです。
 見えざる最期の努力を尽くします。議員票はまだ動いています。
 オールドメディアは「議員同士で、票の引き剥がしをやっている」と手垢の付いた表現で報じています。
 それは派閥の思惑の話でしょう。
 派閥政治を批判するふりをしつつ、いちばん派閥政治にどっぷり浸かっているのが、メディアですね。

 こちらはそんな思惑では、1ミリも動きません。
 胸にあるのは、「民は宝」、その古代からの日本国の理念です。
 今回の候補のなから、どなたが新総理になれば、中国製の武漢熱が日本国民にもたらした命、健康、生活、仕事、教育におよぶ危機から脱することに直結できるか、自由民主党とその政権のまつりごと ( 政 ) が、主権者・国民に「民が疎 ( おろそ ) かにされている」という憤りと悲しみをもたらしたことを、いちばん克服できるか。
 それは高市早苗候補だと、静かに考えています。





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