みなさん、おはようございます。
来る日も来る日も、苦難ありて・・・という日本人の今とも思えますが、そこから視線を広げて大きく見れば、明らかに日本はしっかり立っています。
議員になる前に目撃してきた世界の裸の姿は、にんげんの最後の尊厳を保つことすら、諸国の人々が苦しみ抜く、飢えと傷病と死と戦乱がむしろ当たり前でした。
おかげで不肖ぼく個人は、精神のど真ん中に、新しい太い柱ができました。何ものにも怯 ( ひる ) みません。打ち負かされません。
しかし一方で、世界の現場は何も変わっていません。
日本を支えてきたもの、決して喪ってはいけないものは何か、それをみなさんのおひとりおひとりと一緒に考え続け、護っていくと、あらためて今朝、決意しています。
ぼくに対して日々、やって来るのはみなさんからの苦情、ご不満が大半です。いずれも理解します。
非難ごうごうの五輪を含め、ぼくは、すみませんカタカナも使いますが、ぼくらの祖国をエンカレッジ ( encourage ) 、勇気づけることに徹しています。ディスカレッジ ( discourage ) 、水を差し勇気を喪わせることは致しませぬ。
カタカナでもあえて述べたのは、世界の知友に向けてもいつもこう宣言しているからです。
これは、ぼくなりの生き方です。その生き方に基づいて、公務も発信も、おこないます。
たった今の日本には、まず第一に、まつりごと ( 政 ) における、確たる国家観、歴史観に基づく指導力が必要です。
指導力の発揮には、勇気も必要です。それは蛮勇ではなく、謙虚な勇気でなければなりませぬ。
来る日も来る日も、苦難ありて・・・という日本人の今とも思えますが、そこから視線を広げて大きく見れば、明らかに日本はしっかり立っています。
議員になる前に目撃してきた世界の裸の姿は、にんげんの最後の尊厳を保つことすら、諸国の人々が苦しみ抜く、飢えと傷病と死と戦乱がむしろ当たり前でした。
おかげで不肖ぼく個人は、精神のど真ん中に、新しい太い柱ができました。何ものにも怯 ( ひる ) みません。打ち負かされません。
しかし一方で、世界の現場は何も変わっていません。
日本を支えてきたもの、決して喪ってはいけないものは何か、それをみなさんのおひとりおひとりと一緒に考え続け、護っていくと、あらためて今朝、決意しています。
ぼくに対して日々、やって来るのはみなさんからの苦情、ご不満が大半です。いずれも理解します。
非難ごうごうの五輪を含め、ぼくは、すみませんカタカナも使いますが、ぼくらの祖国をエンカレッジ ( encourage ) 、勇気づけることに徹しています。ディスカレッジ ( discourage ) 、水を差し勇気を喪わせることは致しませぬ。
カタカナでもあえて述べたのは、世界の知友に向けてもいつもこう宣言しているからです。
これは、ぼくなりの生き方です。その生き方に基づいて、公務も発信も、おこないます。
たった今の日本には、まず第一に、まつりごと ( 政 ) における、確たる国家観、歴史観に基づく指導力が必要です。
指導力の発揮には、勇気も必要です。それは蛮勇ではなく、謙虚な勇気でなければなりませぬ。
▼このエントリーのタイトルに、別れと記したのは、初めて純然たる音楽番組でMCを務めていた「オン・ザ・ロード」が7月31日土曜の放送を持って終了することになり、その最後の収録を終えたからです。
音楽ファンとは、とりあえずお別れです。
最後の収録が終わると、一緒にMCを務めてくださった西本淑子さんをはじめ、林プロデューサー、新橋スタジオのミキサーのひろくん、そしてクロスFM放送の坂田社長まで、みなさんがスタジオの外へ出て、涙ぐんで別れを惜しんでくださいました。
ぼくはこゝろのなかでは、もうひとつのスタジオ、渋谷スタジオのミキサーである丹羽ちゃんにも別れを丁寧に告げました。
思いがけず、ぼくのなかに秘めていた音楽の引き出しを開けてくださった番組と、何よりリスナーにとても感謝しています。
最後の収録のその最後では、いつも「ではまた来週」と申しあげていた言葉を、「ではまた逢う日まで」と致しました。
逢うは別れの始めなり、別れは逢うの始めなり。
収録が無くなることによって生まれる時間、大袈裟に聞こえるでしょうから申し訳ないですが、天が与えたもうた新しい時間を、しっかりと活かします。
聴いてくださった九州のみなさん、有償のラジコを使って聴いてくださった全国のみなさん、こゝろの底から、ありがとうございました。
4年10か月にわたったこの番組の良き思い出については、また日をあらためて、楽しく記したいと思います。
音楽ファンとは、とりあえずお別れです。
最後の収録が終わると、一緒にMCを務めてくださった西本淑子さんをはじめ、林プロデューサー、新橋スタジオのミキサーのひろくん、そしてクロスFM放送の坂田社長まで、みなさんがスタジオの外へ出て、涙ぐんで別れを惜しんでくださいました。
ぼくはこゝろのなかでは、もうひとつのスタジオ、渋谷スタジオのミキサーである丹羽ちゃんにも別れを丁寧に告げました。
思いがけず、ぼくのなかに秘めていた音楽の引き出しを開けてくださった番組と、何よりリスナーにとても感謝しています。
最後の収録のその最後では、いつも「ではまた来週」と申しあげていた言葉を、「ではまた逢う日まで」と致しました。
逢うは別れの始めなり、別れは逢うの始めなり。
収録が無くなることによって生まれる時間、大袈裟に聞こえるでしょうから申し訳ないですが、天が与えたもうた新しい時間を、しっかりと活かします。
聴いてくださった九州のみなさん、有償のラジコを使って聴いてくださった全国のみなさん、こゝろの底から、ありがとうございました。
4年10か月にわたったこの番組の良き思い出については、また日をあらためて、楽しく記したいと思います。