日曜日の夜だったか、夜 救急車が県道を登って行きました。今年になって何回もあります。
近場だとサイレンが止まるので 外に出て、灯りの場所を確認しますが、その夜は鳴り続けるので 近場ではありません。
じきに サイレンを鳴らしながら下ってきました。
『あ〜 誰か運ばれたのだわ』『間に合うとよいな〜』など思います。
二日後に、夫が『○○の○ちゃんが亡くなったらしい』と。あの救急車で運ばれたのだと思いました。
国道に葬儀を知らせる案内が立っていましたが、新聞のお悔やみ欄には載っていません。講組の方からの知らせもありませんでした。聞けば その講組も解散したようです。
亡くなった方は、昔 湯平の石畳で肉屋さんをされていました。母も私も足を運んでいました。ご夫婦とも穏やかで温和な性格でした。
肉屋さんを閉めてからは 上の方の県道沿いに お住まいで、お目にかかる機会は減りましたが、会えば 懐かしく お話をしました。
葬儀で聞いたのは 救急車で運ばれるも 命をつなぐことはできなかったと。
もし、病院が近くにある所に住んでいたら間に合ったのかもしれないとか思うと 僻地の医療を考えさせられます。
脳梗塞や心筋梗塞だと、治療までの時間が命を左右します。
おりしも 五島列島からヘリコプターで運ばれる途中で悲しい事故がありました。
医療の僻地を感じる出来事が続きました。住んでいる場所によって 命のバトンがつながれないのは 悲しいことです。
酷い時には30分くらいその場に留まっています。
受け入れ先がなかなか見つからないようで、人手不足や病床不足は深刻なようです。
因みに広大病院は家から歩いて5分あまりの距離ですが、緊急時に運ばれていないような気がします。
ドクターヘリは時々来てていますが・・・・
広島は県内4つの県病院を広島駅裏に統合する予定ですが、今まで通っていた人達はどうなるのか・・・・
救急車さえ来れば安心という時代は過ぎたのかもしれません。
都会でさえ 受け入れ先が決まらない状況があるのですね。コロナの時は なおさらだったでしょう。
むやみやたらにタクシー代わりに救急車を呼ぶのも困ったものです。
広島に県病が4つもあることも驚きましたが、さらに それを一カ所に統合するのは もっと驚きです。利用者は大変でしょうね。困った世の中になりつつあります。