夫婦でシネマ

夫婦で見た映画と、個別に見た映画について感想をかいてます。全て映画館で見た映画で、ミニシアター系の映画をたくさん紹介!

許されざる者

2013年10月26日 | や行の映画
Story
1880年、開拓が進む江戸幕府崩壊後の北海道。人里離れた土地で子どもたちとひっそりと暮らす釜田十兵衛(渡辺謙)だが、その正体は徳川幕府の命を受けて志士たちを惨殺して回った刺客であった。幕末の京都で人斬(き)りとして名をとどろかせるも、幕府崩壊を機に各地を転々と流れ歩くようになり、五稜郭を舞台にした箱館戦争終結を境に新政府の追手をかわして失踪。それから10年あまり、十兵衛に刀を捨てさせる決意をさせた妻には先立たれ、経済的に困窮する日々を送っていた。そこから抜け出そうと、再び刀を手にする彼だが……。(Yahoo!映画より)
2013年/日本/李相日監督作品





評価 ★★★★

脚本はオリジナルのイーストウッドの「許されざる者」とほぼ同じでしたが、この作品は日本的な味わいがあって、また別の映画を観ているような感じになり、すごく良かったです!
やっぱり、謙さんはイイですね。カリスマ性があって、また見栄えがいいので、スクリーンに映っているだけで、本当に絵になる。彼が演じていなかったら、こういう作品には説得力を持たせることができず、どこか陳腐な印象を残して、終わっていたのではないかと思えました。

娼婦役を演じた女優さんたちも良かったです。いつも思うのですが、小池栄子さんは本当に上手い!安定した演技力があって、自分の与えられた仕事をきっちりこなすような、実力派の女優さんだなと思います。それに対して、忽那汐里さんは、まだ若手ということもあって演技は今ひとつでしたが、彼女は華があるというか、とにかくスクリーンに登場するだけで絵になる女優さんなので、これからが本当に楽しみな女優さんですね。

印象に残っているシーンは、やっぱり何と言ってもラストの売春宿での殺陣シーン。仲間を無惨に殺された復讐のために、謙さんが敵陣へたった一人、乗り込むシーンなのですが、ここは鳥肌が立つくらい格好良かった!このシーンにいくまで、じわじわと物語を上手く展開させていたこともあって、余計にこのラスト、盛り上がったというか、シビレましたね~。
もちろん、元の脚本が素晴らしいということもありますが、イーストウッド版では銃のみでの戦い?だったのに対して、こちらは刀も加わるので、スクリーンから痛いのも伝わってきて、余計にリアルで格好良かったです。

正直、この映画を鑑賞する前は、オリジナルのイーストウッド版には勝てないだろうと、どこか決めつけていたのですが、こちらはこちらで味わい深い印象を残して、とっても良かった。
しいて言えば、音楽がちょっとうるさかったかな。。盛り上がるところで、いかにもそういう音楽がかかると、ちょっと興ざめというか、もう少し抑え気味にした方が私はもっと惹き込まれていたように思います。
でも、こういう過去に大ヒットした作品をもう一度リメイクし直して、素晴らしい作品に仕上げたことには本当に脱帽!李相日監督の作品は、毎回違う驚きがあって、しみじみ凄い監督さんだなと思いました。





評価 ★★★★

オープニング。十兵衛は畑を耕していますが、イーストウッド版では豚を飼っていました。まずここで草食人種と肉食人種の違いが明確に描かれていましたね。
モーガン・フリーマン演じた相棒が柄本明。途中から同行する青年が柳楽優弥。ジーン・ハックマン演じた暴力的な保安官が佐藤浩市。この保安官にこてんぱんにやられたリチャード・ハリスが國村隼。という具合にイーストウッド版と対比しながら観るのが楽しかった。特に柳楽優弥をアイヌとの混血に設定したことで物語に奥行きが出ています。自分のアイデンティティに悩む青年の役ですが、彼を同行させることで自我を見いだす旅としてのサブストーリーが重要な意味をもってきて、映画の最後にほのかな希望を抱かせた感じがします。
明治新政府。侍達の時代の終わり。開拓が進む北海道。彼らの周りで否応無く時代が変わっていくという背景もオリジナルとは違った特色を出していたと思います。

イーストウッド版でもそうでしたが、人を殺すことの罪深さ、哀しさというものが強烈に描かれています。犯人の一人にとどめの引き金を弾くことがどうしても出来ずに慟哭する柄本明が印象深い。彼がかつて謙さんに言った「人間とは変われないものだぜ」がはね返ってくる。彼はどうしても謙さんのような無慈悲な殺人者にはなれない。ここで生じた迷いが彼を悲惨な結末に導いたのではないかと思いました。

映画のクライマックスですが、イーストウッド版では『娼婦を人間らしく扱え。さもないと皆殺しにする。』と語るイーストウッドの背後で星条旗がはためいていました。これと同じことを日の丸でやったらギャグになりかねないので、謙さんは物書きに対して『余計なこと書いたら殺す』と言うのに留めています。イーストウッド版では国家という視点があるのに対して、謙さんの方はより個人に、十兵衛に対する視点で描かれている。そもそも二つの映画はベクトルが異なっているのではないでしょうか。
この謙さんが娼館に殴り込みをかけるクライマックスは迫力がありました。良く出来たアクション映画というのはクライマックスのアクションのために物語を練りに練って盛り上げるものだと思うのですが、この映画は難しいこと抜きに単純にアクション映画として観ても優れていると思います。
謙さんが大石一蔵に刺した剣が折れる・・・妻は許してくれなかった。燃える娼館・・・アイヌの妻が亡くなるとその家を燃やす風習がある、という台詞がありました。妻はついに十兵衛の元を去ってしまったのか。

復讐を遂げた後、雪原を行く十兵衛の姿で映画は終わります。これはそのままプロローグの雪原を逃げる十兵衛の場面につながります。全ては元の木阿弥。十兵衛は永久に許されざる者としてさまようしかない。このラストシーンから明らかなように、イーストウッド版よりも厳しく残酷な結末となっているのが大きな違いです。
イーストウッド版は、女子供を殺しても最後はヒーローさ、と超大国アメリカのエゴと受け取られかねない部分がありますが、謙さんの方は決して許されることはなかった。雪原の凍りつく寒さが感じられるような終幕です。

イーストウッド版と謙さんのリメイク、どちらが優れているか決めつけるつもりは毛頭ありません。ただ、このリメイクは非常に有意義なものだったというのが見終わった後の感想です。





映画『許されざる者』公式サイト


(「許されざる者」2013年 10月 松本シネマライツ にて鑑賞。)

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