ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

―― ツツマムシ ――

2007-11-30 16:12:51 | Weblog
【画像の説明】
 
 ツチノコと遭遇しやすい場所は何処かと思い、過去の目撃データーを調べてみた。その結果、山菜採りに出た先で目撃するケースが多いとわかった。他には農作業中や草刈中といったように、自宅の敷地内や田畑が多いようだ。
 この統計からもお分かり頂けるように、ツチノコは深山幽谷へ出かけなくても身近に生息しているという証である。つまり、日本全国津々浦々で広範囲に棲息しているのであって、人間が足を踏み入れないような所は勿論の事、人家近くの土手や里山にもツチノコの生活は展開されているのだ。
 人跡未踏の山奥や滅多に人の行かない場所は、視野を狭める樹木や藪の為にツチノコとの遭遇確率が極めて低くなるだけである。しかもそんな場所でツチノコを探そうと思ったら想像以上の苦労を強いられる事は必至であろう。それだからこそ、ツチノコを発見しようとするなら、目撃が多発している人里近くの田畑や山菜採りのポイントなどが望ましいのである。
 そこでお奨めするのが、山菜採り中にツチノコと出遭った現場、である。それも数年以内の目撃情報であるなら可能性が高い。その情報を入手する事が第一段階である。インターネットの直接検索で「ツチノコ」と打ち込めば、それらしき情報は入手可能だ。当然、最新情報とは限らないが、「居る所には居る」であって、目撃現場の様相が変わっていなければポイントと考えるべきでなのである。
 ツチノコは嫌われ者なので、一度目撃した人は怖がって二度とそこへは近づかなくなるものだ。それに同調して、噂を聞きつけた人たちもその場所に近づかなくなる。それ故「居る場所」が保全されるという事になるのである。
 ただし、北陸・信越・東北などの山間部は、6月上旬でも根雪が行く手を塞いでいる事もあるので歩行時は注意が肝要である。
 誠にお恥ずかしい話だが、私は6月に新潟方面へ探索に行った際、根雪の重みでしな垂れていた枝の脇を歩いていて、枝を踏んづけてしまった。瞬間、枝は雪の重さから解放されたのか物凄い勢いで反発すると、私の顔面を強打したのだ。私は突然、暗黒の闇の中に黄色い光の粒を見た後、その場に失神してしまったのである。同行者はおらず、1時間以上粗目のような根雪の上に寝かされたのだった。運良く意識を取り戻したから良かったが、打ち所が悪ければあの世へ誘われていたかも知れない。何の危険も無さそうな場所でも、こういった事故は起き得るものなので用心されたい。
 ところで、日本には所有者のいない山は存在しないという事実をご存知だろうか。どの山も私有でないとするなら、公有だという事になるのだ。中には許可を得ねば立ち入れない山もあったりする。この点は事前に確認する必要が大である。つまり、地元の人は顔馴染だから勝手に入山が許されても、余所者はそういう訳にはいかない事がしばしばあるのだ。
 また、ツチノコ探索に飽き、山菜でも摘もうと思った時も地元の目に注意を向ける必要がある。特に、貴重な山菜となると地元民との間でいろいろ厄介なトラブルになるので気をつけたい。これは私の苦い経験から口を酸っぱくして言うのである。
 と言うのも、私が東京近郊の某山へ探索に行った折、同行した悪友が綺麗な清流に出来たワサビ畑を発見した。この悪友は日頃から傍若無人な輩で、そのワサビ畑にあったワサビを根こそぎ抜き取ってしまったのだ。そして事もあろうに根の部分を自分のリュックに仕舞い込んだのである。私はそのワサビ畑のやや下流でマムシを観察していたのだが、上流から大量のワサビが流れてきたので悪友の犯行を知ったのだった。私は悪友を急き立て、急いで下山すると愛車に飛び乗った。ワサビ泥棒は警察沙汰になると知っていたからだ。この日、無事に帰宅できたから良かったものの、一歩間違えれば窃盗罪で惨めな思いをしたはずだ。
 という具合に、ツチノコ探索と言えど良識を持って行動しなくてはならないのである

■ ツツマムシの話 ■
 これも新潟へ探索に行ったときの話だ。
 近年、地震で大揺れに揺れた中越地区へは、渓流釣りの穴場だった事もあり何度も行った。私がまだ二十代前半の頃のツチノコ探索ポイントであったから、既に30年は経過していることになる。何故、私が中越地区にポイントを定めたかというと、たまたま父の渓流釣りのお供で新潟へ行った時、宿泊した民宿でツチノコの目撃情報を聞きこんだ事が発端である。当時、関西から東の地域ではツチノコの情報が乏しかった所為もあり、私は民宿で聞いた釣り人のツチノコ目撃談に惹かれてしまったのだ。
 前記した根雪に埋もれた枝に叩かれた事件の前日のことだが、私は宿泊していた民宿の近くを当てもなく探索していた。既に昼を過ぎたので、民宿で昼食をと思って林道を歩き出した時、前方から二宮金次郎のように背中に柴のようなものを背負った爺さんがやって来た。目礼すると、爺さんは立ち止まって話しかけてきたので付き合う事にした。しかし、方言が酷くて相槌もままならない。そこでツチノコのイラストを取り出し「こんな形のヘビを見たことありませんか?」と話題を変えてみたところ、爺さんは首をかしげながら「ツツマムシに似てる…」と呟いた。私はこの「ツツマムシ」という名称を期待していたのだ。
 爺さんの家は今にも傾きそうな古い農家で、庭先にムシロを広げて婆さんと息子夫婦がゼンマイの仕分けをしていた。爺さんは私を、東京からツツマムシ探しに来た人だ、と紹介してくれた。この時、ツツマムシと聞いて50歳過ぎの息子さんが私に話しかけてきた。その息子さんによると、ツツマムシはゼンマイ採りに行くと岩場の上で日光浴していて、普通のマムシより太く短く人が近づいても平気な顔で逃げようともしない、と教えてくれた。
 それから三十分ほど、この息子さんは慣れない標準語を使ってツツマムシについて語ってくれた。お陰で私は誰よりも「ツツマムシ」を詳しく知る事ができた訳だが、いざその場所に案内してくれと息子さんに頼むと難色を示した。爺さんや婆さんは案内してやれと言う。しかし、岩場は危険だし二時間以上の山歩きが必要だから、東京の人には無理だと息子さんは突っぱねる。
 結局、凡その場所だけを訊いて私は辞去したのだが、民宿に帰ってから五万分の一地図で確認すると、かなり等高線が入り組んでいて登山装備が必要のように思えた。それでも翌日、私はその岩場へと向った。そしてその途中、例の失神事件が元で岩場を目前にしてリタイヤしたのである。
 私は痛む顔面を半ば氷と化した雪で冷やしながら民宿に戻ったのだが、心配してくれた民宿の主が私に事情を尋ねる。仕方なくツツマムシの一件を話すと、主は大笑いして私に「ツツマムシはいるが、ゼンマイのある岩場は大嘘だよ」と言った。主の話では、ゼンマイはこの時期の農家にとって貴重な現金収入源だから、ゼンマイの穴場を他人に漏らすはずは有り得ないという事なのである。今となっては事の真偽は分からぬが、このとき私は主の一言で岩場行きを断念したことは事実だ。

 そしてその数年後、私はツツマムシが二種類に分かれていることを知った。一つは通常のマムシの極端に太く短いタイプで、信州から越後のかなり標高の高い山に生息するらしい。勿論、マムシだから毒がある。いわば肥満したマムシという外見のものである。
 もう一つはツチノコと同じ行動をする種類だ。これはツツマムシのツツを漢字で「筒」と解釈するとA型
ツチノコに該当する。俗に言う栃麺棒とか擂粉木タイプのものだ。
 多分、この二者が混同されどちらも「ツツマムシ」になってのではないだろうか。当然だが、このツツマムシという呼び名は真正のツチノコにも用いられており、信州や越後方面では太く短いヘビは全てツツマムシなのである。

★またもや1月の公演に向け脚本を書かなければなりません。ですからブログの不規則が 生じました際はお許しください。

 ということで、また次回をお楽しみに!

■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
   
   http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995


―― ツチノコの角と耳 ――

2007-11-28 17:33:01 | Weblog
画像の説明】
 
 昔、雑誌で読んだ記事の中に、ハンターがツチノコを撃ち殺したという話が載っていた。この話が面白いのだ。
 昭和46年の晩秋、石川県小松市在住のハンターが近くの山へ狩猟に行った。すると、連れていた猟犬が何の変哲もない草むらに向って激しく吠えたてる。そこで目前の草むらを注意深く見守っていると、突然コブラのような蛇が鎌首を持ち上げたという。初めて出遭ったこのヘビは、目の上に耳とも角ともつかない突起が有り、大きな口を開けて今にも飛びかかってきそうな勢いだ。これに危険を感じたハンターは散弾銃の引き金を引いたというのである。至近距離から発砲したためコブラのような怪蛇は粉々に砕け散って、辺りに四散したそうである。当時、ツチノコは余り知られておらず、射殺したハンターは新種のヘビだと思ったということだ。

 以上が、その時に読んだ記事のあらましである。私はこの記事を読むまでツチノコに「角」や「耳」がついていたという目撃談は、何かの見間違いか、恐怖心による錯覚、だと考えていた。しかし私は、このハンター氏の目撃談の中に、「目の上に耳とも角ともつかない突起が有り」と語られている箇所を読んで「おや?」と思ったのである。と言うのは、私がツチノコを間近で見た幼少時の第一印象が、ゴツゴツした頭の起伏がワニに似ているという強い印象を持っていたからだ。
 では、ツチノコの体は起伏に富んでいるかというと、決してそうではない。ゴツゴツして起伏に富んでいるのは、粗い鱗で被われた頭部だけである。既にご存知であろうが、ツチノコの胴体部分は普通のヘビ同様つるりとした感じだ。これは土中の穴を匍匐する際、ツルツルしていた方が進みやすいからである。
 ツチノコのように土中に掘った穴を行き交う生き物にモグラがいる。モグラはスコップのような前足を使って巧みに穴を掘る。また、土中の穴を駆け回るネズミ類にしても、穴を掘るためには前足を使う。このモグラやネズミを常食としているツチノコは、彼らの作った穴を伝わって獲物を探すと言われている。その説が正しいとするなら、ツチノコは自分の通りやすいサイズの穴を拡張する必要が生じるはずだ。その時、手足の無いツチノコとしては、嫌でも頭を使うしか方法が無いのは自明の理である。
 身の幅が7~10cmのツチノコが、身幅5cm前後のモグラやネズミの作った穴を進むには、その頭を利用して穴を拡張する必要がある。途中、木の根や岩盤といった障害物にも出くわすはずだ。そんな時、軟い頭皮では耐久性に乏しいであろう。悠久の時の流れの中で、ツチノコの頭部は必然的に堅くゴツゴツした頭皮に変化したのだと思われる。そして、何かの役割を担うようにもなったのではないだろうか。
 
 結果、上記の理由からツチノコの「角」或いは「耳」と思える突起は、堅く厚味を帯びた鱗だというのが私の個人的見解である。しかもこの鱗は、ツチノコが興奮した際、まるで怒髪天を衝く状態で立つのだ。
当然の事だが、まだ誰もツチノコの頭部を調査研究した事が無い。故に、推論の域を脱していない事をお断りしておこう。案外「角」や「耳」のある種類がいるかも知れないからだ。

■ 新聞に掲載された突起のあるツチノコ ■
 ツチノコに於ける角状の突起に関して面白い写真がある。それは昭和40年代に寸又峡で撮られ、新聞に載ったツチノコ写真である。手元に当時の新聞記事が無いため写真をお見せできずに残念だが、掲載された写真には切通しの山道を背景に長めの円錐形をしたツチノコが写っている。しかも亀のように頭を胴体に引っ込め、その首の付け根付近から前足のようなものが出ているのである。その前足のような突起物は山道を踏みしめるような格好で出ているが、天地を逆にしてみるとその突起物が「角」か「耳」か、といった具合に見えるのだ。それもかなり大きな三角状の突起である。
 この写真は昭和48年のツチノコブーム真っ盛りの6月17日付けで読売新聞がスクープしたものだが、いかんせん亀のように頭を引っ込めて鼻先だけ覗かせているだけであり、ツチノコ独特の丸みを帯びた太さとは違いスリムであった。尚且つ、一対の三角状のヒレのような突起物が災いして、いつの間にかフェードアウトしてしまった写真である。ところが、後年になって様々な目撃報告を調査しているうち、その写真に写っていたのは紛れもなくツチノコだと確信するようになったのである。その大前提となったのが、三角状の突起と胴体に頭を引っ込めるという、ツチノコならではの生態であった。
 
 この写真が撮られた時、被写体となったツチノコは切通しの斜面から転がり落ちてきて、バサッと音を立てて着地したという。そして怪蛇は全身をカメラの蛇腹のように縮めて跳びかかってきそうになったため、撮影者は慌てて逃げ出したそうだが、私はこの全身をカメラの蛇腹のように縮めたという現象も、ツチノコ特有の動作だと思っているし、全身を縮める事が出来れば頭を胴体に引き込むことも可能なはずだと思ってもいるのだ。
 この撮影者はツチノコの生態に明るくなかった為、裏返しのツチノコをそのままの状態で判断してしまったらしいが、蛇腹状に全身を縮めたのは跳びかかるためではなく、起き上がるための動作であったはずだ。
 いずれにせよ、その引き込んだ頭部に出ていた一対の三角状突起物こそ、ツチノコの頭部を被う厚く硬い鱗なのだ。即ち、この起立した鱗を元に倒した時は、ツチノコの頭がワニの表皮のようにゴツゴツして見えるという訳である。
機会が有ったらその写真をご覧頂きたい。見れば見るほどツチノコの奇異が伝わってくるはずである。

■ 突起する鱗は方向舵? ■
 ツチノコが斜面を転って来る時、頭を引っ込め新聞紙を丸めたような状態で、頭と尻を交互に起点として縦にバウンドしながらドスンドスンと転がる場合がある。あたかも飯綱落としさながらだ。他にも、体を横にしたままでゴロゴロと回転するケースや、ボールのように丸まってコロコロ転がってくる場合の三種が知られている。
 ツチノコにとって、これら三種の使い分けがどのようになっているか私には分からない。だが、斜面から下ってくるツチノコを目撃した者の誰もが、この三種類の転がり方のどれかを見ているのだ。そして、斜面を転がり落ちて来て静止する際、ツチノコは必ずと言っていいほど獲物に対峙できる間合いを取っている。その殆どが、目撃者の足元近くで確実に静止するから不思議である。抜きん出た三半器官の発達としか思えない離れ業である。それにしても奇妙なのは、加速がついてかなりの勢いで転がっているのに、手足の無いズングリとしたツチノコがどうやって方向を定めているかという点だ。これこそ私にとって奇妙奇天烈妙不思議なのである。
 
 山の斜面からボールを落としたとしよう。ボールは直線的に転がるはずだが、途中でちょっとした凸凹があっただけで、その方向が大きく変化するのは当たり前のことだ。仮に、斜面の上から1mほどの丸太を横にして転がしてみたとする。これにしても障害物によってあらぬ方向へと変化するはずであり、最悪の場合は樹木などに衝突する可能性が甚だ大きいであろう。ただし、ボール状よりも直進安定性は保持できていると考えられる。ところが、前述の飯綱落としなどは接地部分が少ないだけに、障害物に触れた瞬間、横倒しになる可能性が大である。それにも拘わらず目的の場所へ転がって行き、正確に静止するという芸当は尋常では考えられない事である。
 そこで引き合いに出したいのが頭の突起物だ。転がっている最中、この突起物が方向舵の役をしているのではないか、という発想である。左右の突起物を使う事で、直進性を保持するという考えだ。特にボール状に丸くなって転がる場合は有効ではないだろうか。それとは別に、横になったまま転がる場合は全身の鱗を立てたり戻したりすることで、ある程度の修正が行われると考えられなくもない。だが、飯綱落としに関しては何とも答えようがないのである。それ以前に、なぜあのようい奇妙な動作で斜面を転がる必要があるかが不思議なのだ。
 寸胴のツチノコが丸まったり、そのまま横になって転がるという理由は分かる。実に合理的な動きだからである。しかしながら、何を好き好んで頭と尻を斜面に打ちつけながら下らなければならないのか。この問題点を考えるようになって30年以上経過した。しかし、摩訶不思議なツチノコの行動に対して未だに答えを見出せずにいるのだ。どなたか、適切な解釈のできる方はいらっしゃいませんか?

 取り敢えず、ツチノコの目の上部には分厚く堅い鱗があって、これが興奮時などに逆立つ為に「角」だ「耳」だという目撃談に繋がるのだ。そしてこの鱗は、もしかしたら方向舵の役割をしているかも知れないのである。いずれにしてもツチノコの生体もしくは死体を確保しなければ解答されないであろう難問である。いつの日にかその習性が公に曝されることを、今は期待するだけである。

 ということで、また次回をお楽しみに!


※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく下記メルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
 
   http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995


―― ツチノコは卵を産むか? ――

2007-11-26 17:24:29 | Weblog
画像の説明】
 
 30年も前の話なので些か旧聞の類に属するがお許し願いたい。
 当時、俳優業をしていた私は共演者の誰彼構わずツチノコについて語っていた。たまたまTBSの木曜座にレギュラー出演している時、ご一緒したHBさん(金八先生等に出演。現在70代)が、私のツチノコ話に食いついてきて、ツチノコは大人しく可愛い生き物だと言いだした。このHBさんが体験した信じ難い話は以下のとおりである。

 HBさんが仕事で兵庫県宝塚近辺へロケに行った。春先のポカポカした日だったという。撮影の待ち時間が長かったこともあって、HBさんは暇潰しに現場近くの草むらで植物の観察をすることにした。今を盛りと咲き乱れる春の花々を眺めていると、草むらの合間にキラキラ光るものがある。不思議に思って近づいて目を凝らすと、太く短い手足の無い生き物がタマムシ色の光沢を放っているではないか。
 世にも奇妙な光を放つこの生物の正体を確かめようと、屈み込んだHBさんは指呼の距離から観察を始めたそうだ。長さは30cmに満たないが太さは10cmほど有って、タマムシのように光り輝く身体には大きめの鱗がビッシリと並んでいたという。頭部は普通のヘビより大きく、頭の大きさに比例して大きな目をしていたそうだ。この大きな目がキョロキョロ動くのが可愛らしく思えたHBさんは、きっと無害で大人しい生き物だろうと思うと、無謀にも両手で掬いあげるように持ち上げたのだ。
 その生物は思った以上に重たかったが、嫌がりもせずジッとしていたという。暫く手の上に乗せて観察していると、遠くで自分の名を呼ぶスタッフの声がする。出番が回ってきたのだ。そこでHBさんはこの生物をどうすべきか思案したそうだ。手足が無ければどう考えてもヘビである。共演している女優さんたちが怖がるのではないか、今は大人しくしているが急に暴れ出して誰かが咬まれないとも限らない。HBさんはあれこれ思案した揚句、その生き物を足元に下ろして現場へと立去ったのだった。
 それから数年が経ち、マスコミによるツチノコ報道が頻繁になってからツチノコだったと知ったHBさんは、改めて後悔したそうだ。

 この体験談は当ブログの「捕獲されたツチノコ PART Ⅲ」で書いた大友康二氏の例とよく似ている。他人への迷惑を考慮して一旦は手掴みしたツチノコを手放すというのは、なかなかできる事ではない。まして懸賞金の懸かっている現在では有り得ない事である。このお二人のどちらかが利己主義の方だったなら、ツチノコはとうの昔に認知されていたかも知れないのだ。そう思うと残念でならない。
 ところで、HBさんの体験に出て来たツチノコがタマムシ色に輝いていたというが、実はこれと似た輝きを持ったツチノコを目撃した人は他にもいるのである。その目撃者たちが語った比喩を引用すると「雄キジのような青緑色をしていた」、「青黒く光っていた」等というもので、私が目撃した4回のうち2回は黒光りしていた事も、光沢という特徴では似ていると思う。
 では、なぜ光沢が有るのか。そう突っ込まれると明確に答える事はできないが、凡その回答は出来なくもない。それは、土中や樹木の洞を生活根拠地とする生物の中に黒色系で光沢を放つものがいる、という漠然とした回答である。例えば「モグラ」や「クワガタムシ」等がそうである。また、それとは別に「ドバミミズ」等は、身体の一部が光沢を放っている。その他、鳥類には光沢の有るものが多いし、蛇族にも結構いるようだ。だからという訳ではないが、ツチノコが光沢を放っていても何の不思議もないように思うのだ。多分、生活環境によるものだと思えるのだが……。

■ またまたTVです ■ 
 まだ企画の最終段階らしいのですが、関西テレビ系の関西ローカルで、来年の1月から毎週月曜日24:35~30分間、大槻ケンジ氏と高野秀行氏がオカルトについて語り合うと言った内容の番組。その2話目でツチノコを特集するというものだ。
 それにしても、どうしてこの頃になってツチノコが取り沙汰されるのか不思議である。もしかしたら来年あたりにツチノコが捕獲される前兆なのではないだろうか。そう信じて…来年は頑張るぞ!


▲▼ ツチノコは卵を産むか? ▼▲
 
 ツチノコを爬虫類と考えた場合、その繁殖生態が「胎生」か、或いは「卵生」の2パターンであるから確実にこのどちらかに該当するはずである。尚、昔は体内で卵を孵化させて出産するものを「卵胎生」と言っていたが、近年は「胎生」という言い方で良いらしい。以下にその説明文を掲げたのでご照覧下さい。

 『爬虫類ではトカゲやヘビにおいて、卵生から胎生まで、さまざまな子どもの産み方があり、かつては中間的なパターンを総称して卵胎生と言っていました(カメとワニはすべて卵生です)。しかし、サメ類と同様、近年は卵胎生という言い方はしません。いわゆる卵胎生と一口に言っても、体内で卵を形成する際に卵殻を形成しない場合もあります。また、卵殻を形成して、体内でかなり発生を進めてから産卵し、産卵直後に卵が孵るという場合もあります。』
 
 ツチノコが「胎生」もしくは「卵生」なのか、この二つのどちらかという事になる。しかし、ツチノコの出産シーンを目撃した者は皆無である。しかも卵の殻を見つけた者もいない。そうなると推測で話を進める事しか出来ない事になる。
 正直な話、ツチノコの生態に関する事は研究者側の推測が殆どである。中にはツチノコに餌付けしていた者や懐に抱いて養っていた老婆はいても、この人たちですらその不可思議な生態の全てを掌握している訳ではない。それ故、ツチノコの「卵生」か「胎生」かという問題は始末に終えないのである。
 日本国内の蛇族を見回してみると、マムシは「胎生」である。普通の蛇は「卵生」であるから、これは蛇族の中でも珍しいパターンと言えなくもない。だが、国内限定で見るから珍しいのであって、海外では「胎生」の蛇は数多く存在している。
 そこで、ツチノコを「ヘビ」と考えずに「トカゲ」だと考えた場合はどうであろうか。やはりトカゲにも「卵生」と「胎生」の2パターンが有り決定打は得られないのである。
 こうなると、卵が先かニワトリが先かと言った、難しい話になってしまいそうなので、独断と偏見に満ちた私の考えを述べてみたい。ズバリ言って、ツチノコは「胎生」である。根拠は「胎生」の爬虫類全般を調べてみて、ツチノコと特徴が似通っているものの多くがその繁殖生態に「胎生」をとっているからである。
 当然、異論をお持ちの方は多々いらっしゃることでしょうが、いずれにしてもツチノコの雌を捕獲してその生態を徹底研究しない事には、明らかな答えは得られないのである。

 ということで、また次回をお楽しみに!

■ お知らせ ■

ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。

   http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995

―― ツチノコに毒は有るか? ――

2007-11-24 16:11:39 | Weblog
【画像の説明】
 
 二十数年前、新宿御苑の傍でスナックを経営していた事がある。そんな或る日、常連で出版社勤務の荒井氏と共に三十前後のインテリ氏がお見えになった。会話が弾むうちツチノコの話になった途端、そのインテリ氏は顔を曇らせ体験談を語り始めた。
 それによると、荒川上流の寄居町に住んでいたインテリ氏は大の犬好きで、その日も生後三ヶ月ほどの子犬を連れて荒川の河原へ散歩に出かけたという。この子犬はかなり血統の優れた親から生れた自慢の子犬で、高額で買い取ったインテリ氏は溺愛していたそうだ。
 この愛犬を遊ばせながらインテリ氏は河原の野草を採取し始めた。暫くするとキャンキャンと愛犬の声がする。その声がただならぬ泣き声だと判断したインテリ氏は、慌てて声のする方へ駆け出した。ところが、河原は折からの夏草が丈を伸ばしているため愛犬の姿が見つからない。それでも必死で草を掻き分け探していると、とんでもない光景に行き当たってしまった。
 なんと、我が愛犬を真っ黒で太く短い怪蛇が大きな口を開けて咥えていたのだった。驚きながらよく見ると、愛犬は物凄い力で首を噛みつかれていて、声を出すことも出来ないで足をばたつかせている。しかも首からは大量に血が流れ出していた。このままでは食い殺されると思ったインテリ氏は周囲を見回し、目についた枯れ枝を拾い上げるとその怪蛇に突進したそうだ。そして満身の力を込めその枯れ枝を怪蛇の背中に振り下ろしたという。ところが、枯れ枝は芯が弱かったのか簡単に折れてしまい、怪蛇には何の影響も与えなかったのである。この段階で気が萎えてしまったと、インテリ氏は述懐していた。
 河原なので足元には無数の石が転がっている。だが、石を投げれば愛犬に当る可能性もある。どうすれば良いかインテリ氏が手を拱いていると、怪蛇は愛犬を咥えたままズルズルと後退りを始めたという。その後方には藪が控えている。藪に入られてはお手上げだと、勇気を奮い起こしたインテリ氏は怪蛇の胴腹を蹴り上げたそうだ。この時、空気の抜けたサッカーボールのような感触が足に伝わったという。
 足蹴にされた怪蛇は愛犬を放して垂直に立ち上がると、その格好のまま後退しながら何度も大きな口を開閉させたそうだ。インテリ氏は怪蛇から目を離さぬよう、そっとしゃがんで石を拾い上げた。そして投げつけようと腕を振上げた瞬間、怪蛇は斜めに跳んで猛烈な勢いで近くの繁みに姿を消したという。一難去ったインテリ氏が愛犬を手にした時は、既に断末魔の状態だったそうである。

 私はこの話を聞いた当初、インテリ氏の愛犬はツチノコの毒にやられたものだと思った。当然、インテリ氏もそう考えていたのだが、後年になってツチノコ無毒説を信じるようになった私は、その時の死因は出血多量によるものだと考えるようになったのである。
 余談ではあるが、これと似た体験談は幾つかあるようだ。また、ツチノコと戦った犬の話なども聞き及んでいる。中には勇敢な猫がツチノコに噛み付いた話もある。これらの幾つかは裏付けもしっかりしているので、近々このブログで取上げてみたいと思う。
 

■ TV収録 ■ 
 昨日、CXの「アンビリーバボ」の収録があった。都内の公園でロケしたのだが、その際、「なぜ日本人はツチノコに感心を抱くか?」という質問をされた。私はいろいろ薀蓄を語ったが、後になって肝心な事を言い忘れていたことに気づいた。その言い忘れとは「ツチノコという名称が可愛いから」という一語である。
 私は思うのだが「キノコ」「タケノコ」「イヌノコ」「ネコノコ」「トリノコ」等々、この「ノコ」という響きがとても可愛らしく感じるからこそツチノコは日本人に興味をもたれるんではないだろうか。漢字を当てれば「の子」である。つまり、言葉の響き具合で可愛らしさが強調されるといった具合だ。地方によっては「ノ」を「ン」に置き換える言い方をするが、これも可愛らしい響きだと思うのである。例えるなら「ツチノコ」を「ツチンコ」とか、「雪の子」を「ユキンコ」とか。
 折角のテレビ出演なのに、語るべきを語らずに終え、トーンダウンの昨日であった。


▲▼ ツチノコに毒は有るか? ▼▲
 
 ツチノコに毒が有るか否かという質問をよくされる。それだけ関心事なのであろう。だが、毒の有無に関してはまだ分かっていない。そもそもツチノコ自体が未知の領域であるのだから、その断片を決定付ける事は不可能だ。しかも、ツチノコと呼ばれる生物は数種類に分類されているのだから尚更である。
 ツチノコに咬まれた犬が傷を負っただけで死に至らなかったという事例は数例ある。殆どが咬み傷だけで事無きを得ているが、元来、犬や猫、他の中型哺乳類は、マムシに咬まれても患部の周辺が腫れる程度で、致命傷とはならないものだ。このマムシの毒性を持ってしても、咬まれた野生動物は患部に何がしかの変化を見せるのだから、ツチノコには毒が無いと考えたくなるのである。
 仮にツチノコに毒が有ったとしたら、その毒性はネズミや鳥などの小動物にのみ有効であって、中型以上の哺乳類や人間には害を為さないのかも知れない。
 
 不思議なもので、ツチノコに咬まれた人間の話は聞いた事が無い。だが、目撃者に跳びかかって来たという話は幾つもある。ところが、ツチノコは跳びかかっては来ても決して人間に咬みつくことはせず、寸前で方向転換して逃げているのだ。もしツチノコが毒を有するのであれば、跳びかかった時に咬みついて当然ではないだろうか。
 毒ヘビを見分ける方法に「頭が三角形」だという説がある。この説は大間違いで、三角頭ではない毒蛇も多く存在しているのが現実だ。日本では古くからマムシだけが毒蛇として君臨してきたが、最近になったヤマカガシも毒蛇の仲間入りをした。マムシは前牙類の毒蛇で、ヤマカガシは後牙類の毒蛇に分類され、マムシの持つ毒性は出血毒、ヤマカガシは神経毒だという。しかし、大昔からヤマカガシの咬症被害は殆ど知られておらず、先述したように日本国内では毒ヘビと言えばマムシだけだったのだ。
 このマムシは興奮すると頭を三角形に膨らませる。この三角形頭が毒の有無に直結して考えられた結果、毒ヘビは三角頭だと言う説に発展してしまったのだ。既にご存知とは思うが、普段のマムシはさほど三角状の頭ではないのである。
 ツチノコはガマガエルの頭部のような三角形をしている。これを見た人は誰しも毒蛇だと思うに違いない。それだけ毒蛇は三角頭だという説が浸透しているからに他ならない。

 結局、ツチノコ有毒説の根拠は、三角頭は毒蛇という概念の成せる業であって、決して信憑性の高いものでは無いのである。だから私は、ツチノコが無毒だと信じるに至ったのだ。いずれにせよ、咬まれてみれば自ずと明確な答えが打ち出せるであろうが、好き好んで咬まれるバカはこの世に存在しないであろう。
 
 序に書くが、ツチノコの顎には驚くべきパワーがあるようだ。そこらを徘徊しているヘビなど一刀両断で真っ二つにされるほどのパワーである。例えるならスッポンのようだ。この顎に秘められたパワーが有れば、毒を持つ必要性は無いはずである。

 ということで、また次回をお楽しみに!

■ お知らせ ■

ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
     http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995

―― ツチノコの鳴き声 ――

2007-11-22 20:04:33 | Weblog
【画像の説明】
 ツチノコは、あの太く寸足らずな体で木に登るという。そしてあの細い尻尾を小枝に巻きつけ振り子のように体を振ったり、じっと動かずにぶら下がっているともいう。ちょっと信じ難い話だが、そんな状況を目撃した人が幾人もいるのだ。例えば、深大寺植物公園で樹上から飛んできたツチノコが目撃されたし、茨城県土浦市田村町近くでは、数人の児童が木に登っているツチノコを目撃している。他にも山本素石氏の名著「逃げろツチノコ」の中にも木に登るツチノコの話が登場している。
 そこで疑問に思うのは、あの肥満した体でどうやって木に登るかということだ。ある目撃者によると、枝と枝との間隔を利用して体を絡みつかせながら巧みに登っていくという事だが、その際、枝に噛みついてバランスを取るような事はしないようだ。
 これは想像だが、枝振りの良い木であったらよじ登ったりせず、そのまま枝を目がけてジャンプしてもおかしくない。つまり、上手いこと二股に分かれた枝に体を預ければそれで済むからだ。いずれにしてもツチノコは並外れた運動能力の保有者である。穴掘り、跳躍、木登り、水泳、回転と、運動選手顔負けのアスリートだ。こんな運動能力抜群の奴を捕まえようと思ったら、自分も体を鍛えなければ太刀打は不可能であろう。そうと分かっていても、ツチノコ捕獲に備え体を鍛えることは難題の一つである。
 
★ 愛猫の急病 ★
 飼い猫のゴンという名のアメショーが血尿して、今にも死にそうなほどテンションダウンしてしまった。慌てて動物病院へ行くと「尿道結石」だとの診断。皮下注射を打ってもらい九死に一生を得たようだ。この注射の効き目には驚きである。自宅に戻って1時間もすると、いつもどおりの状態を取り戻したからである。だが、まだ完治には時間がかかりそうなので監視の目を緩める訳にも行かず、私の日常生活に多大な支障を来たしている。そんな都合でブログが後回しになった事をお詫びします。

★ テレビ放映 ★
 先日のNHK・BS2に引き続き、またしてもTV出演の話が舞い込んだのである。今度はCXの「アンビリーバボ」という番組だ。何故この時期にツチノコなのか意図はまだ分からないが、おいおいその詳細をブログにて解説したいと思います。


▲▼ 蛇に四足 ▼▲

 私が初めてツチノコを見たのは昭和34年の初夏であったが、ほぼ同時期に蛇と蜥蜴のかけ合わせのような不思議な生き物も見ている。場所は中野区の鷺ノ宮である。

 幼稚園の帰り道、私はいつものように妙正寺川に沿った歩道を歩いていた。かなり温度の高い日だったように記憶している。汗をかきかき歩いていると、川とは反対側にある白鷺診療所の敷地内の草むらで、麦藁帽子を被ったランニング姿のオジサンが、鍬を振上げては振り下ろす動作を繰り返しているのが目についた。
 川沿いの歩道と診療所の敷地は高さ1mほどの生垣で遮断されていたが、私はそのオジサンの形相にただならぬものを感じたため、足を止めて垣根の隙間から目を凝らして見入っていた。どうやらそのオオジサンは何かを退治しているようだった。
 やがてオジサンは目的を達成したのか、腰の手拭いで汗を拭き取りながら鍬の先に紐のようなものを引っ掛けてこちらに近づいて来た。そして、私の直ぐ傍にある押し戸を開け汗まみれの姿を現した。私は鍬の先にぶら下がっているものを至近距離から見て驚いた。何とそれは、手足のついたヘビだったのだ。長さは7、80cmほどだが、胴体の前半部分に前足が、そして後半部分には後ろ足が有り、絵で見る龍のように指まで付いていた。
「坊や、気持ち悪いだろ?」とオジサンに言われ、私は無言で肯いた。そのヘビともトカゲとも分からぬ生き物は体のあちこちを鍬の先で切られていたが、かろうじて繋がっている状態だった。だが、まだ息が有るのか身を捩じらせている。私はゆっくり観察できると思って喜んだ。ところがオジサンはその怪生物を無造作に妙正寺川へ放り込んでしまったのだ。私はその怪生物の顔を間近で見たいと思い流れを追った。しかし、灌漑されているので川は深くえぐられ、私のいる道との高低は1m以上あった。当時、まだ幼稚園児だった私の力では、怪生物を掬い上げる事は出来なかったのだ。
 この幼児体験した生き物の事は十数年後にツチノコを調べ初めて「蛟(みずち)」だと知った。因みにツチノコは「野槌(ノヅチ)」である。その蛟は水神の眷属であり、野槌は山の神の眷属だという。私は6歳にして山と水の神様に使える生き物をほぼ同時期に見た事になる。こんな目撃体験者は滅多にいるものではないであろう。果たして誇るべきか、呪うべきか、答えに窮する体験である。


▲▼ ツチノコの鳴き声 ▲▼

 ヘビの鳴き声を聞いた事がありますか? 「有ります」と答えた人は、ヘビが震わせる尻尾の振動音を鳴き声と勘違いしたか、或いはヘビの出す噴気音を鳴き声と勘違いしたのではないだろうか。原則としてヘビは鳴かないというか、声を出さない生き物である。考えてみると、声を出さない生き物は爬虫類や魚類といった、鱗グループである。勿論、昆虫も声を出さない。だからセミの鳴き声といっても、あれは声ではないので論外である。ただし、カエルは明らかに鳴き声を出している。両生類だから声を出すのではない。同じ両生類でも終生無言を押し通すものが大半だ。即ち、声帯の有無によるためだ。
 
 ツチノコが爬虫類であることは、多くの目撃者による「鱗」が有ったという証言から明白である。そうなると、ツチノコが鳴き声をあげたとしたら動物学的に尋常ならざるモノになるわけだ。ところが、この「鳴き声」を聞いた人がかなりの数に上るのだ。しかも、声を聞いたという殆どの人が、ツチノコを目撃している最中に聞いているのだから声の主がツチノコだったと断定できるのである。
 では、そのツチノコの鳴き声とはどのようなものか。実は、2パーターンの鳴き声を有しているのである。一般的に言われる「チーッ」とか「チッ」と聞こえる声と、太く低い響くような「グァア~」という、まるで牛蛙を踏み潰したような不気味な声の2パータンである。前者は攻撃時や危険を察知して逃げる時に発する声で、後者は求愛の時期に巣穴から発する声である。

 私は利根川の河川敷で探索中、後者の「グァア~」という声に震え上がった事がある。最初に野兎がススキの繁みから私の歩いていた砂利道に飛び出してきた。捕まえようとしても私の手を嫌って、少しばかり移動するだけだ。妙な兎だと思っていると、脇のススキがガサガサと揺れて「グァア~」という、この世のものとは思えない地の底から響くような鳴き声がした。瞬間、野兎が私の足元に擦り寄ってきた。私はこの怪しい声を発するものが野兎を追いかけていた事を知った。
 全神経を集中してススキの繁みを凝視し続けた。というよりも、極度の恐怖感でその場に釘付けにされてしまった、という表現の方がこの場合は適切である。今にもススキの繁みから何かが飛び出してきそうな雰囲気だ。その何かとは、この時点でツチノコとは考えなかった。何故なら、ツチノコの鳴き声は「チーッ」という声だとしか認識していなかったからだ。
 声の大きさから考えると、かなりの体格をした中型哺乳類のような気がしたのだが、ススキの繁みにそのような動物が隠れられはしないと、すぐに自分の考えを撤回した。その正体を突き止めたいと思う気持ちと裏腹に、繁みの中から何かが睨んでいる気がして体は硬直したまま全くいう事をきかなくなったいる。
 手には捕獲棒、腰にはサバイバルナイフが有る。しかし、武器が有るにも拘らず、金縛りの緊縛を解き解す精神力が失せていた。目に見えない何物かに怯えたまま、私は5分以上も棒立ちになっていただろうか。やがてススキの繁みが微かに揺れた。それと同時に金縛りから解放されたような気になった。野兎も私の足元を去って砂利道の反対にある小藪に去って行った。
 私は声の主が何であったのか暫く考えていて、ふと山本素石氏の「逃げろツチノコ」の一編を思い出し新たに戦慄した。その話は私の体験と酷似していて、ツチノコに追われた野兎が、通りかかった男に救われるといった内容であった。一度あった事が二度あるとするなら、ススキの藪陰から私を睨んでいた何かはツチノコであって不思議ではない。更に言わせて貰うなら、あの不気味な「グァア~」という鳴き声もツチノコの発した紛れもない肉声だということになる。

 この体験の翌年、茨城県土浦市田村町でツチノコの鳴き声について驚くべき話を耳にした。それによると、ツチノコは土中から「グァアーグァアー」または「グワッグワッ」と、異性を求めて鳴くのだという。しかもその声は低く不気味だというのである。この話の主はツチノコを目撃したこともあるので信憑性はかなり濃厚だ。私は自分自身の体験と重なるこの話から、自分が利根川の河川敷で聞いた鳴き声がツチノコのものだと信じるようになったのだが、あれ以来、一度も聞いていない。
 最近は、頻繁に多摩川の河川敷へ行くが、鳴き声らしきものを聞くとすれば、カエルか野鳥の類だけである。たまに牛蛙が「モウーモウー」と鳴きはするが、利根川の河川敷で聞いたあの不気味な声とは似ても似つかない響きなのだ。水辺の鳥の中に「グワッグワッ」と鳴くものもあるが、私の聞いたのはもっと低音で響きのある鳴き声だった。
 或る物知りの人が、私の聞いた鳴き声をヒキガエルの声だという。もしやと思った私はヒキガエルについて調べてみた。しかし、ヒキガエルはリズムがあって高めの全く違う鳴き方である。
 果たしてあの不気味な鳴き声は、ツチノコの発するものなのであろうか。どなたかお心当たりの方は是非ご一報願いたくお願い致します。

【更なる後日談】
 この利根川河川敷での体験を酒の席で未確認生物研究会S氏に語った事がある。双方、かなり酩酊しての会話だった為にS氏は何をどう聞き間違えたのか、山本素石氏の書かれた「逃げろツチノコ」に出て来る先述の件と混同したまま手嶋会長に報告してしまったのだ。折から「ツチノコの正体」を執筆中だった手嶋会長はその真偽を正そうと、私に何度も連絡したそうだ。ところが私との連絡が取れず、原稿の締め切りに間に合わせる為S氏から聞いた話をそのまま書き込んでしまったのである。その「ツチノコの正体」に書かれているのが以下の内容である。

『副会長の神佑輔が利根川の河川敷で探索していると子兎が藪の中から飛び出してきた。捕まえようとしたら、黒光りするやつが追いかけて来て、チチッと鳴いた。神はその迫力に気圧されて一度は逃げ腰になったという……』(手嶋蜻蛉著「ツチノコの正体」より)

 お分かり頂けると思うが、私はツチノコ?の「グァア~」という鳴き声を聞いただけである。酒の席で語った話に尾鰭が付くとこんな事にもなり兼ねないのだ。


 ということで、また次回をお楽しみに!

■ お知らせ ■

ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
   http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995



―― 続き ――

2007-11-19 23:09:06 | Weblog
【画像の説明】
 ツチノコの特徴のひとつに「尻尾」が挙げられる。この尻尾を、目撃者の大半が「ネズミの尾のように細くチョロッとしていた」と証言している。ところがワニの尾を縮めたような尻尾のツチノコが目撃されるケースも多くある。真正ツチノコのB型とC型は太く短い体形と鱗の粗さでは酷似しているが、何故か尻尾の形状は別物なのだ。また、頭部に関してもBとCでは異なっており、Bは三角頭でCは蛇に近いようだ。案外、BとCは全くの同一種であって雌雄の差が頭部と尾部に現れているのかも知れない。もしこの推論が正しいとするなら、B型はメスでC型はオスだと考えて正解であろう。
 同じツチノコという名称の枠内に存在するA型は、普通の蛇よりやや太めだが、尻尾だけが極端に細いという特徴を有している。とは言え、蛇のようにスリムとは言いがたい形状のものが大半なので、ツチノコ枠に組み込まれているだけなのだ。このA型に関して平たく言ってしまえば、B型とC型以外のツチノコということで大別されただけである。それ故、A型のバージョンの豊かさには頭を抱えたくなるほどだ。つまり、ビール瓶体形以外のやや太目の怪しい蛇の全てが、このA型に組み込まれているという事である。

★ 疲労困憊 ★
 
 昨日で舞台公演が終了した。私は演出と脚本以外に音響も担当する為、公演中は息を抜く事ができない。それはそれで有り難く結構な事なのだが、今回は音響機器にトラブルが発生し、出るはずの音が出なかったり、高音部がガリったり、音割れ、音消え、その他諸々で精神的に疲労困憊してしまったのだ。やはり山野にあってツチノコを追いかけている方が、私には向いているのではないだろうか。


▲▼ 不気味な体験/続きの続き ▼▲


■■ 監視(続き)■■

<前回の尻>
『私はゆっくりと周囲を見回した。しかし、目に映るのは普段目にしている景色と変わらない。聞こえてくる音からも何の緊迫感も伝わってはこなかった。今のは気の所為だったのかと思い直した直後、私はとんでもないものを発見してしまい再び硬直してしまった。
 たった今まで寝ていたすぐ傍の草が、15cm程の幅で左右に延々と押し倒されているのだ。』

<続きは此処から↓>
 その15cm程の跡は、私の寝ていた場所を取り囲むように付いている。その跡が何処から来て何処へ去って行ったのか、それは一目瞭然であった。つまり、とても分かり易い跡のつけ方だったからである。その跡は、棚田の右から左方向へ一直線についていたからだ。なぜ右から左だと分かったかというと、草の倒れ具合で判断できたのである。では、この15cmの跡を付けたのは何者のなせる業であろうか。
 私は頭の中にその答えを導き出して戦慄した。直径15cmの大蛇だと考えたからだである。15cmの直径というと、15cm×3.14=47.1cmである。ほぼ一升瓶の太さではないか。そんな大きな蛇が私の寝ている周りをグルグルと徘徊していたのだ。もしかしたら私を餌だと思って近づいて来たのかも知れない。太さから推して4m以上の大蛇であろう。そんな奴が至近距離をウロウロしていたらパニックである。
 大蛇である可能性は高かった。と言うのも、近所のオバサンが山菜を採りに来て3m以上もあるアオダイショウと遭遇したというのも、この近くの山だったからだ。私はその這い跡を追いかける勇気は湧かなかった。ツチノコならまだしも、大蛇では相手が悪すぎる。
 呆然と立ち尽くしていると、またもや襲ってくる不思議な感覚。多分、大蛇が繁みの中から私を監視しているのだろう。この日、早々にその場から立ち去った私は、それ以後、この棚田に近づく事はなかった。

※ ツチノコ探索に出かけ、不気味な体験や不思議体験はかなりあった。しかし、先述の「怪光」やこの「大蛇の這い跡」は、数ある不気味体験の中でも屈指のものだ。
 ところでその「怪光現象」だが、この類の体験者はかなりいるらしい。よく聞く話としては、登山者が遭難した時、不思議な光に導かれ九死に一生を得たとか、半死半生状態の時、眩い光が現われ命を長らえた、といった内容がそれである。私はUFOに関連付けて考えたが、霊的なものだったのかも知れないし、はたまた幻想だったのかも知れない。兎に角、不思議と名の付くものは答えが出ないから不思議な訳で、答えが得られれば当たり前に知られている事だったりするものだ。
 大蛇の這い跡に関しては、ああいう跡を残すものが大蛇しかいないという先入観から「大蛇」だと決め付けてしまうので、例え車の轍であっても大蛇の這い跡になってしまうものだ。しかし、私の寝ている周囲を蛇行したものが、人工的なものでなかった事は明らかである。
 三浦半島に遊びに行って民宿に泊まった時、そこの爺さんが教えてくれたのだが、アオダイショウの大蛇は意外に人懐っこくて、寝ていると布団に入ってきたり、寝ている人の首の上を這って行くという。これは親愛の証だと言うのだ。これと似た話を、上野の山でホームレスをしている男性から聞いたこともある。それによると、ブルーシートで作られたテントの隙間から入り込んで来たアオダイショウの4mサイズの奴が、人恋しそうに添い寝をするかのごとく、明け方まで横たわっていたという。しかも、一週間に3度も同じことをされたというのである。太さは一升瓶ほどで、たまらなく臭かったそうだ。
 ホームレス氏は上野公園内で体験したと話してくれたが、その体験場所が場所だけに、まさか上野の山に大蛇と言うのはちょっと信じ難い話であった。多分、上野動物園から逃げ出した大蛇ではないかと調べてみたが、大蛇の脱走は記録に無いという。案外、ペットとして飼っていたニシキヘビの類を動物園に捨てたのかも知れない。どうであれ、人間を餌として捕食する意志の無い大蛇は、自ら身を寄せてくる事も有るのだ。そうすると私の場合も、大蛇自らが身を寄せてきたのであろうか。些か疑問である。


★前回と今回はツチノコから逸脱した内容であった。次回からは話をまたツチノコに戻したいと思う。


■ お知らせ ■

ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
    http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995


--- 不気味な体験 ――

2007-11-17 12:45:16 | Weblog
画像の説明】
 「ツチノコってどんな顔?」と訊かれたら、物凄く怖い顔をしているとしか答えようがない。真正のツチノコを目撃した人はそう答えるはずだ。では一歩踏み込まれて「何処がどう怖いのか」と問われると些か答えに窮してしまう。怖いから怖いのだが、やはり間近で見た印象では目と口元に凄味を感じると返答するだろう。中には、可愛らしかったとか、カエルに似ていたと言う人もいるけれど、それらは真正のツチノコではなく、他のタイプを見ての感想だと断言できる。兎に角、マムシの頭に鷲か鷹の目玉を付け、それを足して2で割って足で踏んづけたような、何とも醜悪で獰猛な顔をしているのだ。そんな強面のツチノコに上目遣いで睨まれたとしたら、正常な神経の持ち主なら思わずフリーズしてしまうことだろう。下手をすれば心臓発作も有り得るのではないだろうか。もう一度あの顔を間近で拝ませてもらいたいものだ。


★飲み過ぎたのに…★
 
 昨日が舞台の本番初日でした。満席の中、小さな失敗もなく何とか終えた。出演者の島隆一君から浅草の神谷バー特製「電氣ブラン」を貰った。40°の強さで薬のような臭いのする酒だ。一度飲んでみたかったので、初日終了を祝ってガブ呑みした。一夜明けた今、何故か壮快な気分がする。酒を飲みすぎて壮快感を味わったのは初めてである。そんな訳で、昨日の続きが書けそうだ。


▲▼ 不気味な体験/続き ▼▲

■ 夜道を照らす怪光 ■

『私は手にした懐中電灯を気忙しく上下させながら歩いていた。すると突然、何の前触れも無く懐中電灯の明かりが消えたのである。叩いても振っても、ウンともスンともだった。生れて初めて経験する漆黒の闇だ。舞台上の暗転中より真っ暗だった。』(昨日はここまででした) 

<続き> このまま立ち往生していては埒が明かない。私は手探りで歩き始めた。極端に狭まった道は、幅が60cmほどだ。この細道をナメクジのような歩度で進んだのである。
遠くで祭囃子のような太鼓の音が聞こえてくる。どうやら盆踊りが始まったようだ。それなのに自分は山の中でもがき苦しんでいる。「車で行けば良かった」と後悔の念を抱いた時、信じられない事が起きた。急に周囲が明るくなったのだ。
 淡い街灯の明りに似た光が、私の行く手を照らし出している。この奇々怪々の現象に直面して私は戦慄を覚えたのだった。というのは、この光の先に死者の世界への入り口が待ち受けていると思ったからだ。私は恐る恐る後ろを振り返ってみた。そこには漆黒の闇が広がっているだけである。そして視線を前方に戻そうとして、自分のすぐ右横が崖になっている事を知った。足を滑らせたらそれまでだ。同時に私は、この淡い光に助けられたことも知ったのだった。ところが、私の記憶はここを境にして消滅しているのだ。次に目にした光景は、盆踊りの会場で地元の人たちが楽しそうに集っている風景なのだ。
 私は盆踊りの行われていた広場まで、どうやって山の中を下ってきたのか全然記憶にない。不思議といえば余りにも不思議な話である。この説明不可能な体験を他人に語った事は無い。語ったところで信じてもらえないと思ったからだ。だから一人であれこれ推測をするに留めておいたのだが、最近になって親しい人たちにポツポツと語るようになった。その結果、UFOに拉致されてインプラントを施されたのではないかという、なるほどと思える考えを聞くに至ったのである。
 私が「なるほど」と思ったのには以下の理由がある。それは、俗に言う「空白の時間」がUFO拉致事件と酷似しているだけではなく、懐中電灯が使用不能になったのもUFO接近時によく起こる電気系のトラブルと同じで、しかも、この体験の後に空中を飛んでいる夢を何度も見ているからに他ならない。

 この体験の謎解きは神のみぞ知るであって、人知を越えた遠大な力が働いたものだと結論づけたい。いずれにせよ、私は長野の山の中で不思議な体験をした事は事実なのだ。


■■ 監視 ■■

 東京都八王子市と日野市の境に平山城址公園という、源氏の侍大将の平山季重の居館を公園化した場所がある。この公園は小高い山の頂にあって、春は桜を、そして秋には紅葉を楽しみながら散策するような自然に満ちた公園である。この公園から南に下ると東京薬科大学の敷地が続いている。今から30年ほど前は、その敷地内の各所に「マムシ多し危険」と書かれた立て札が乱立していた。確かによくマムシを見かけたが、咬症被害が出てからはマムシ駆除が施され、その姿は極端に減ってしまったようだ。
 この平山城址公園から八王子市長沼町の一帯にかけて、ツチノコ出没の噂が飛び交ったのは昭和49年頃からで、当時、その長沼町に住んでいた私としては、欣喜雀躍して探索に精を出したものだった。記憶が曖昧なのだが、私は昭和50年の5月下旬頃に薬科大学近くの使用されていない棚田の付近を、ツチノコ探索ポイントとして毎日のようにうろついていた。そこで不気味な体験をしたのである。
 その日も午前10時頃、私は爬虫類の甲羅干しタイムに合わせ、薬科大学近くの棚田に向った。たった3面だけのあまり段差の無い小さな棚田は、伸びた芝のようなライトグリーンの草に覆われ、カエルたちのパラダイスであった。この10センチほどに伸びた草は、まるで芝刈り機で切り揃えたように同じ高さで生え揃っていた。だからという訳ではないが、私はその草を踏まないように歩く事にしていた。勿論、棚田の中の畦道も足を踏み込む事はしなかったのである。
 この棚田をU字型に小さな山が取り囲んでいて、山の斜面に幾つか不可解な穴が空いていた。これをツチノコの巣穴と決め込んで探索を繰り返していたのだが、その日はポカポカ天気も手伝って、私は畦道の草の上で転寝をもよおしてしまった。小一時間ぐらい寝たであろうか。目覚めた私が再び巣穴を見回ろうと立ち上がった時、ただならぬ気配に全身が硬直した。
 気配はすれども影は無し、といった状況だ。ただただ異様な気配を感じるのだ。何かに見られているらしい。それも敵意を持った何かだ。太陽は既に南天に近づいている。眩しいほどの日差の中で見えない何かに監視されているようだ。
 私はゆっくりと周囲を見回した。しかし、目に映るのは普段目にしている景色と変わらない。聞こえてくる音からも何の緊迫感も伝わってはこなかった。今のは気の所為だったのかと思い直した直後、私はとんでもないものを発見してしまい再び硬直してしまった。
 たった今まで寝ていたすぐ傍の草が、15cm程の幅で左右に延々と押し倒されているのだ。


 おっと、集合時間になってしまいました。続きはまた明日という事で!!



―― 夜道を照らす怪光 ――

2007-11-16 12:06:55 | Weblog
【画像の説明】
 最近ネット上で「ねこ鍋」なるものが流行っている。海外でも人気が有るらしく、その人気を聞きつけた映像出版社がDVDや写真集として売り出すらしい。他にも「空飛ぶネコ」という写真も話題になっていて、こちらも写真集になるという。猫で儲かるなら、ツチノコでも良くはないだろうか。そう思って描いたのが上掲の「ツチナベ」である。「空飛ぶツチノコ」は当たり前すぎて面白くはないが、ツチナベは愛嬌が有って人気が出そうだ。だから「ねこ鍋」人気が下降線を下り始める前に、何とかしてツチノコの生体を確保して鍋にぶち込みたいと熱望する今日この頃である。そう言えば、昔「なめねこ」というものが巷を闊歩したが、案外「ナメツチ」でもメガヒットするかも……いやいや、有り得ないでしょうね。
 

▲▼ 不気味な体験 ▼▲

 ツチノコの探索中に不気味な体験や不思議な経験をすることは数多い。特に、一人で探索に出かけた時に多く経験するものだ。そんな時、場所が鬱蒼として木々に覆われた山の中だったりするとパニックを起こすこともある。またある時など、硬直して動けなくなったことすら経験している。そんな体験のいくつかを綴ってみたい。

■ 夜道を照らす怪光 ■

 以前、このブログに書いた長野県下高井郡山ノ内町に二度目の探索を試みた時の体験だから、昭和49年の夏のことになる。
 
 私は山ノ内町大字夜間瀬にある「長元荘」というロッヂに宿泊して探索に明け暮れていたのだが、その滞在中に麓の村で盆踊りが催されると知って出かける事にした。夕食を済ませて長元荘を出た時は既に日も傾いていた。私が懐中電灯を持って玄関に向うと、帳場から出てきた長元荘のご主人が「夜道は危険だから車で行きなさい」と、そう進言してくれた。しかし、私はどうしても歩いて行きたいと説得した。するとご主人は不承不承、麓の村までは一本道で40分ほどの道程だと教えてくれた。
 外へ出ると、満天の星明りに照らされ懐中電灯が不要なほどだった。やがて五分ほど下った辺りで枝道を発見した私は「多分、麓までの近道に違いない」と判断し、迷わず枝道に足を向けた。結構な道幅のある枝道だったが、懐中電灯で用心深く足元を照らして歩く事にした。
 暫く歩いていると、それまで頭上に輝いていた満点の星が全く見えなくなっていることに気づいた。不思議に思い懐中電灯で頭上を照らすと樹木が天を覆っているではないか。まるで木々に蓋をされたような状態なのである。引き返して本道を行こうかとも思ったが、私は面倒くささも手伝いそのまま懐中電灯を片手に、緩やかな傾斜を歩き始めた。
 時折、懐中電灯の明りを目指して蛾や小虫が飛んでくる以外、これといって何の変哲も無いなだらかな坂道だった。しかし、五分ほど歩いた時、一変して道幅が狭くなりデコボコ道に豹変したのだ。しかも歩くたびに木の枝やクモの巣が顔を撫でるという按配である。
 私は手にした懐中電灯を気忙しく上下させながら歩いていた。すると突然、何の前触れも無く懐中電灯の明かりが消えたのである。叩いても振っても、ウンともスンともだった。生れて初めて経験する漆黒の闇だ。舞台上の暗転中より真っ暗だった。
 
 と、ここまで書いた時、非常呼集がかかってしまいました! 実は、今日が公演の初日です。   続きは今夜かな?



―― 捕獲されたツチノコ PART Ⅲ ――

2007-11-14 10:42:35 | Weblog
【画像の説明】
 ツチノコの肋骨は9対だという説がある。その根拠となっているのは、先般このブログでも触れた長野の徳竹則重氏の発言に起因している。徳竹氏は捕獲したツチノコを食べようと思い皮を剥いて肉と骨を分離させた際、ちゃんと肋骨の数を数えていたからだ。他にも、山形の某寺に保管されているツチノコの骨や新潟のY氏が所蔵する骨なども、その肋骨の数は9対ほどだ。しかし、その骨の主の生前がツチノコだとは断定されていないため、現況では徳竹氏の言葉を信じる以外に手立てが無いのである。
 

▲▼ 捕獲されたツチノコ PART Ⅲ ▼▲

● 大友康二氏の例 (未確認生物研究会/会報27号より)
 
 今から40年程前の元日の新聞に、蟹場(ガニバ)温泉裏の沢で大胆にもツチノコを手掴みにしたという人の記事が載っている。話題の主は当時秋田県の保健体育課指導主事であった大友康二さんである。のちに保健体育課長などを勤められ、当町の人々にとってもお馴染みの名前である。
 昭和42年6月中旬、大友さんは保健体育課の同僚と土、日を利用して乳頭温泉郷の蟹場温泉にタケノコ採りに来ていた。温泉の経営者は鬼川正さんで、昭和37年から田沢湖町の教育長をしていた関係もあって、親しい県の関係者などがよく遊びに来ていたものであった。
 2日目の午後2時ごろ、風倒木のそばに、蛇の概念とは全く違った、頭と尾が小さく、ズングリしたカツオブシのような、長さ約70cm、胴回り15cmから20cm、下腹が赤みがかったヤマカガシの変形のようなヘビを発見した。
 いざ、強敵ござんなれ、と、子供の頃から鍛えた大友流「ヘビ獲りの術」で難なくこの怪物を手取りにた大友さんは、異常な腹部に何かを呑みこんでいるものと思い、吐き出させようと試みたものの筋肉が堅く、これまで見た蛇とは全く異質な生き物だと気がついた。
 とにかく秋田市まで持って帰ろうと帽子に包んでバスに乗ろうとしたが、バスを待つ行列の中には子供や婦人も多く、そこは教師の良識でバス停近くの沢に釈放して帰ったということである。
 それがツチノコという大変な代物で賞金までかかっていると知ったのは、その後1年ばかり経ってからであった。問題は、その子孫が健在か否か、である。

※この大友さんの体験談を斐太猪之介氏が著書に於いて書かれていたが、それほど詳しい内容のものではなかった。そのため読んでいてフラストレーションを感じたものである。
今になって捕獲のあらましが詳らかになり、今さながらに残念な気持ちにさせられる。何故、バスではなくタクシーとか、もしくは知人を車で迎えに来させなかったのかと、我が事のように悔やむ事しきりである。これが未確認生物の未確認たる所以だと分かっていても、ツチノコの事となると知らぬ間に童心に返ってしまうものだ。


●福島県会津若松市○○氏の例 (未確認生物研究会/会報27号より)
 
 現在自分は43歳です。福島県会津若松市で飲食店に勤務しております。趣味はカメラですので、暇を見ては近くの山や川へ出かけて行っては野鳥や植物などを撮影しております。
 一昨年(平成12年)の5月下旬のことですが、自分は当時12歳の長男を連れて東山温泉の近くへ写真を撮りに行きました。天気は上々でポカポカと暖かでした。あまりにも天気が良かったので車を止め川原で遊ぶことにしました。自分はトランクに仕舞っておいた釣竿を取り出してセットして、まだ冷たい川の中に入って餌の川虫を捜し始めました。でも季節が早いのか川虫が取れません。それでも意地になって捜していると長男の和明の叫び声がしました。見ると和明は棒で何かを叩いています。その姿が普段とはとっても違って見えたので自分は走って和明の所へ行って驚きました。
 なんと和明は黒ずんで口の大きな太い蛇を叩いていたのです。黒い化け物は逃げようとしないで向ってくるそぶりを見せるので、自分は和明の危険を感じ足元にあった石を両手で持ち上げ、化け物に叩きつけました。そうしたら運良く化け物の頭に石が当りました。頭は潰れた様ですが体が物凄い勢いで左右に動いています。自分は和明の棒を取って化け物の背中を押えました。
 そのうち力が弱くなって化け物は動かなくなりました。でも息を吹き返しそうなので、慎重に化け物を調べてみましたところ、体は50センチあるかないかの長さなのに太さは茶筒ぐらいあります。顔は潰れたのでどんな顔か良く分かりませんが、皮膚が鱗のようで亀の甲羅のように見えます。手や足は無いので蛇だと思いました。色は黒と茶色を混ぜた様な色です。背中は死んで腐った魚の様な鱗がびっしりです。でも所々に色のうすい模様になっているのでニシキヘビの様に見えます。全然動かなくなったので顔を近づけて見ましたところ、とても生臭いにおいがしました。
 自分が不思議に思ったのは化け物の尻尾がとても細いことです。太いお尻からミミズのような尻尾が出ているのです。だから初めのうちは内臓の一部が飛び出したのかと思いました。でもそれは尻尾です。そしてもっと不思議に思ったのは腹です。普通のヘビは蛇腹なのにそうではありません。筋の無いツルツルした皮でした。自分は10分以上もその化け物の死体を見ていたのですが和明が気持ち悪がるのでそこから去りました。でも化け物が何だったのか不思議でなりませんのでいろいろな人に聞いてみました。そうしたら何人もの人がツチノコだと言うのです。それで自分もそう思う様になりました。自分の母はゴロタだと言います。年寄りの間ではそういう風に言う様です。
 この前、市内の本屋さんで偶然手嶋先生の本を見つけました。買って帰って読んだら自分の殺したのがツチノコだとよくわかりました。そうして自分のとった行動が残念になったのです。どうして死体を川原に置いてきてしまったのだろうと残念なのです。あの時のツチノコの絵を思い出しながら書きましたから同封しますから何かに役立ててください。もしよかったら電話をお願いします。
 番号は○○○です。  手嶋蜻蛉 様    ○○○○  (原文のまま記載)

※上記の手紙は、手嶋会長の著作「ツチノコの正体」を読んで本部に送られてきたものです。ご本にとは電話でお話しましたが、朴訥とした典型的な東北人という感じの方で、手紙に登場する和明さんという息子さんとも会話をもてました。ツチノコとの遭遇体験から二年以上経た時点でも、親子共々いまだ興奮冷め遣らずといった状態でした。ツチノコを河原の石で殴殺した○○さんはとても珍しい苗字の為、ご迷惑を考えた揚句に敢えて○○さんとしております。
 この○○さんは帰宅後、カメラを持っていたにもかかわらず肝心なツチノコを写し損ねた事に気づき、再び車を飛ばして河原へ戻ったそうです。しかし、河原にはツチノコの血痕と殴殺に用いた石はあったものの、いくら探してもツチノコの死体は見当たらなかったという、余りにも残念な後日談もあります。多分、大型の猛禽類に持ち去られたのだろうと、口惜しそうに語っておられた○○さんの声が印象的でした。
<イラストはYahooフォトにてご覧下さい>


● その他の捕獲例について
 
 PARTⅠ~PARTⅢで綴った捕獲例以外にも、まだまだ捕獲例は数多く在する。過去に発刊された「逃げろツチノコ」や「山がたり」等にもその種の話は多いのだが、ローカル新聞や週刊誌のトピックス等にもツチノコ捕獲談は登場する事がある。過去、これらのトピックスを全国規模で網羅する媒体が無かった為、人の目に触れる機会も少なく世に埋もれている話はかなりの数に上るはずだ。
 しかしながら、インターネットの普及に比例してツチノコの目撃談や写真等がポツポツ登場し始めている事実は、今後に大いなる期待を抱かせるに足るものであり希望とも言えるのではないだろうか。こう考えると近い将来、思いがけないニュースが全国を駆け巡る可能性もあるのだ。
 もし、何処かでツチノコの死体をみつけたら、何も考えず(財)日本蛇族学術研究所
へ持ち込んで欲しいと熱望する。そして万が一にも生体を捕獲した場合も同様である。これは捕獲したツチノコの生死に関わらず、学術的見地からの証明を第一と考えた場合、絶対に必要なことであるからだ。

 尚、ツチノコ捕獲例に関しては当ブログの10月18日の記載分を参照して戴きたい。これまで3回に分けて「捕獲例」を列挙してきたが、これが総べてではありません。まだまだ多く存在しますので、また折を見てお知らせしたいと思います。

 またもやお時間がきてしまいました。16日から舞台の本番を迎えるためブログが不規則となりますので、ご容赦願いたく思います。では、またのご笑読をお待ち申しております。


■ お知らせ ■

ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のYAHOOフォトからお願い致します。
 http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995


―― 捕獲されたツチノコ PART Ⅱ ――

2007-11-12 13:02:58 | Weblog
【画像の説明】
 私の知人で芸能マネージャーをしていた青木氏は栃木県の出身である。その青木氏が子供の頃、自宅近くの土手の中ほどで大きな穴を見つけた。小雨が降っていたにも関わらず、穴の中を覗きたくなった青木氏は土手の草むらに踏み入ったという。その薄暗い穴の中に何かの顔が見える。好奇心にそそられ更に近づくと、得体の知れない蛇のような生き物が這いずり出てきてその半身を持ち上げたそうだ。危険を感じた青木氏は手にしていた傘でガードしながら、コブラのように垂直に立ったその生き物を凝視した。大きな口、大きな目、そして太く茶褐色の胴体だった。ややあって青木氏が恐怖を感じその場から逃げ出そうとすると、怪蛇は大きな口を開け傘に跳びかかってきた。「ボコツ」という鈍い音がして、怪蛇が傘に体当たりした。手にした傘から伝わる衝撃の大きさは相当なものだったという。これに恐れをなした青木氏は、後ろも振り返らず一目散に走って逃げたという。後日、近所の友だちと語らって、怪蛇と遭遇した現場に出かけたが、幾ら探しても怪蛇はおろか大きな穴も見つからなかったそうだ。
(上の画像は青木氏の遭遇をイメージしたものです)


▲▼ 捕獲されたツチノコ PART Ⅱ ▼▲

● 手嶋会長の例
 
 私が籍を置く「未確認生物研究会」の手嶋蜻蛉会長は台湾で生まれ育ち、戦後になって福岡県の深倉という在所に引き揚げて来た。この地にご尊父の実家があったからだ。そこは福岡県と大分県の県境で、英彦山(ひこさん)という霊山が聳えている。
 手嶋会長が深倉に来て間もなくの事、旧日本軍が貯蔵していた爆薬を進駐軍が警告も無しに爆発させ、多数の犠牲者を出す事件が起きた。この爆発によって、山が平地に変形したという。たまたまこの爆発地点は手嶋会長の通学路に当っていて、雨が降ると人間の死体や家畜の死体が現われたそうである。そんな死体の中に、ひときわ変わった姿のものがあった。それは土の中から頭を出したまま死んでいたのだが、大きな口をして鱗の粗い蛇のような姿であった。
手嶋会長は興味を惹かれ、一緒にいた二人の学友と共にその死体を引っ張り出した。当然、初めて見る太く短い奇怪な蛇だった。しかし、台湾から引き揚げて間のない会長は、それが日本には当たり前に知られている蛇だという感覚しかなかったそうだ。しかも、たまたま通りかかった古老が「それは徳利蛇だ」と言ったがために、尚のこと当たり前の蛇だという意識が強まり、掘り出した死体を棒の先に引っ掛けそのまま近くの川に流してしまったのである。今になって思えば、それこそが我々を魅了してやまないB型ツチノコであったわけだ。

※手嶋会長は何故かご自身の年齢を明かさないが、推察すると70歳であると思える。そうだとすると、この出来事は凡そ60年前である。それから逆算すると、会長は10歳頃の苦い体験が原動力となって現在もツチノコを追い求めているという事になるのである。もし、ツチノコを未確認生物と理解していたなら、無造作に川に放り込んだりはしなかったはずだ。ツチノコの「幻」たる所以は、得てしてこのような状況での捕獲が多いためなのである。

● 渡辺作智氏の例(三一書房刊「ツチノコの正体」より)
 
 岐阜県小坂町お渡辺作智さんは、自分のイモ畑を回っていてツチヘンビ(ツチノコ)に出遭った。ちょうどビール瓶ほどの太さ、長さもそんなものだ。
 何度も見ているがこの度のものはピョンとも跳ばない。じっとしているから杖で突いた。それでも動かないので、杖にかけて横に流れる飛騨川の支流へ捨てた。岸辺の浅いところに落ちたが、まだ呼吸をしていた。
 家に帰ったが、気になって一時間後に畑に行ってみた。
 すると裏返しになって黄色い腹を見せ、半分ほど水に浸かって死んでいた。作智さんは流れの中にそれを押しやった。山麓に近い隣りの畑で化学肥料を施していたそうである。

※無抵抗のツチノコを目の前にして、この体験も誠にもって残念至極な話である。多分、渡辺氏は欲得でものを考えない性質だからこのような行動をとれたのであろうが、我々にしてみれば「勿体ない」の一語である。せめて死骸をアルコール漬けにするとか、写真を撮るとか出来たろうに…。
 毎度の事だが、ツチノコを捕獲する人は偶然に、である。だから興味を持たない人が大半だ。現在までどれだけ多くのチャンスが掻き消えたことか。だからいつまで経っても「幻」なのだ。

● ガッちゃんの例
 
 未確認生物研究会に通称を「ガッちゃん」と呼ばれる九州男児がいる。運転が得意なのでいつも彼がハンドルを握り、我々はその沈着?な運転に身を任せて探索に繰り出すのだが、このガッちゃんの故郷というのがツチノコだらけらしいのだ。場所は熊本県と宮崎県の県境でとにかく大変な僻地らしい。
 彼は現在40代半ばだが、高校を卒業して上京するまでの18年間、この僻地で何度もツチノコとの遭遇を繰り返していたというのである。時には、我が家(農家)の土間にツチノコが入り込んで叩き出したり、またある時は鶏小屋に侵入した狂暴なツチノコと竹の棒で遣り合ったりと、ツチノコ談議には事欠かない経験者なのだ。しかし、一度も捕獲は考えた事がなかったと言うのである。何故なら、地元では「俵蛇」と言って、昔から神格化されている存在だったからだ。
 そんな彼が高校生の夏、裏の畑で農薬をかぶって瀕死のツチノコと遭遇した。普段見かけるビール瓶サイズとは違い、一升瓶ほどあるキングサイズだった。そいは足で突いても動こうとしない。触るぐらいなら罰も当らないと思ったガッちゃんは、両手で掬い上げるように持ち上げたそうだ。
 猫よりも重量感があり、間近で見ると黒光りする大きな鱗が目立ち、斑紋のあることも分かったそうだ。全体的にブヨブヨした感触ではあったが、背面の鱗の部分だけは硬かったという。
 ガッちゃんは感心して観察していたが、その姿を野良仕事に出てきた爺さんにみつかってしまった。爺さんは目を吊り上げて「直ぐに捨てろ!」と怒鳴る。逆らっても仕方ないので、そのツチノコを藪の中に捨てたのだが、死んだように動く気配はなかったそうだ。結局、その後は都会に働きに出て、それ以来ツチノコとは出遭っていないそうである。

※この話を聞いた時、誰もがガッちゃんをバカ呼ばわりした。しかし、この捕獲事件はガッちゃんが未確認生物研究会に入会する以前の話なのだから仕方ない。元々、何事にも無頓着なガッちゃんらしい体験である。もしも、これが現在のガッちゃんなら捨てはしないだろう。だから私はガッちゃんと会うたびに「早く田舎に帰った方がいい」とけしかけるのだが、都会生活が気に入ってしまった彼には馬耳東風のようだ。


◎また、お時間がきてしまいました。間もなく舞台が本番を迎えるため不規則ですが、またのご笑読をお待ち申しております。


■ お知らせ ■

ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.co.jp

※ ツチノコ関連の画像は下記のURLからお願い致します。
  http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995