ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

【田圃とツチノコ】

2008-08-31 11:59:50 | Weblog
【毒蛇飼育男】

前回冒頭で書いた、毒蛇51匹を飼育していた男の危険性を考えていたら、私にも該当しそうなある事件を思い出してしまった。その事件というのは今から10年ほど前の事だが、一匹のマムシに纏わる不可解な出来事である。これからも起こり得る事なので、経緯を書いてみる。

10年ほど前の10月10日、天候も良かったので利根川河川敷にツチノコ探索へ赴いた。普段は車で行くのだが、この日は電車で行った。取手駅から徒歩1時間余で探索現場に到着。過去にツチノコが目撃された現場近くの農道で、草の中に身を潜めていたマムシを踏みそうになった。そいつは実に綺麗な赤マムシで、その色艶の美しさに感心した私は、持っていたサバイバルナイフの峰で首を押さえつけ捕獲を試みた。だが、その時になって入れ物が無い事に気づいた。そこで私は、急場しのぎの策としてコンビニの袋に入れて持ち帰る事にした。
この日は歩き過ぎた所為か、私は帰りの電車内でマムシの入った袋を握りしめたまま居眠りをしてしまった。やがて乗り換えの日暮里近くで目を覚ました時、左手で握り締めていた袋の縛り口の隙間から、マムシが10センチばかり体を出している光景が目に飛び込んできた。これには眠気もすっ飛んでしまったが、電車内の乗客は気づいていなかったのは不幸中の幸いだった。
私は慎重にマムシの首根っ子を押さえると袋の中へ仕舞い込んだ。これでひとまず安堵したものの、万一マムシが逃走していたら電車内はパニックだったろうと、冷や汗が滲み出た。

さて、このマムシだが、後日談がある。
当時、新宿歌舞伎町で演技養成所を営んでいた私は、マムシを自宅に持ち帰らずその養成所で飼う事にした。訪れるタレントたちはマムシを見て気味悪がったり、中には大喜びする者もいた。ところが、ニ、三日するうちに飼育するのが面倒くさくなってきた。しかも、マムシを入れているのは昆虫用の小さな透明ケースで、マムシもその狭さに辟易しているようだった。
そこで、何処かへ逃がす事に決断し場所を選択し始めた。すると、たまたま来合わせたI.Sという俳優が、「自分の住んでいる千葉県の茂原なら最適ではないか」と言い出した。私は言下に「じゃ、茂原に棄ててきてくれ」と頼んだ。
彼は手提げの紙袋に透明ケースを仕舞いこみながら「マムシっていくらぐらいで売れますか?」と訊いてきた。「三、四千円じゃないのかな」と答えた私に、彼は畳み込むように「何処で買い取ってくれますかね?」と訊ねる。そこで私は、「御徒町のヘビ屋なら買ってくれるはずだ」と答え、その場所の詳細を彼に説明した。

その翌々日、いつものように朝刊を読んでいた私は躍り上がって驚いた。それもそのはずで、朝刊には「上野公園で白昼サラーリマンがマムシに咬まれた」と書いてあったからだ。
上野公園がいくら自然に満ちているとは言え、マムシが生息しているとは考えにくい。御徒町のヘビ屋から上野公園までは至近である。マムシを買い取ってもらえなかったI.Sが、近くの上野公園へ放したのではないか、そう思った私が真っ先にI.Sを疑った事は言うまでも無い。
私は即座にI.Sに電話をして、「あのマムシを上野公園に逃がしただろう?」と訊ねた。彼は茂原の田圃に放してやったと言う。納得できない私は、何度も彼に真実を言えと迫ったが、彼は田圃に逃がしたと突っ撥ねる。このイタチごっこは数日続いたが、本人を信じるしかないという結論に到達した。
果たして「真実は如何に」であるが、今となっては究明しようもない。
咬まれたサラリーマンは命に別状は無かったにせよ、マムシの毒でかなり苦しんだはずである。その被害者がお年寄りや幼児であったら深刻な問題になっていたであろう。

現在、I.Sは三十代の中堅俳優でブラウン管にちょくちょく顔を出している。人品骨柄、誰からも信頼される真面目な青年である。そんな彼を疑った私は非常識極まりない人かも知れない、そう思う反面で未だに彼を疑っている部分もある。それだけ私にとっては重大事件であったのだ。
この事件を切っ掛けに、私はマムシやヤマカガシの捕獲は一切しない事にした。当然と言ってしまえばそれまでだが、触らぬ神に祟り無し、毒蛇は見るだけに留めたいものである。


【田圃とツチノコ】

私が初めてツチノコと遭遇したのは、田圃の畦道だった。何の変哲もない何処にでも在るような田圃であったが、ツチノコはその畦道いっぱいに鎮座していた。だからという訳ではないが、「何処を探せばツチノコにお目にかかる可能性が高いか」と問われれば、私は真っ先に田圃を挙げるであろう。
先ずは以下の囲み枠内の体験談をお読みいただこう。
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小学生の頃ツチノコらしい死骸を見ました。
親が田圃を耕耘機で掘り返していた時に土中から肉の塊が出て来たんです。引き裂かれてグチャグチャでしたが黒光りした皮膚があったのは印象的でした。また、通学路の途中にも田圃が沢山あり田植えの時期になると土中から死骸が浮き上がっていたのもよく見ましたよ。九州ですが探すなら田圃は有力だと思うなぁ。(2008/04/04(金) 12:30:51 ID:7+qVCZiuO)
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この体験談は「UMAサイト」のトビに書き込まれていたものだが、私はこの書き込みを読んで首を捻ってしまった。というのは、ツチノコが田圃で多く目撃されると言っても、それは畦道や農道であって、田圃の中の土中ではないからだ。おそらく、この書き込みをした方は、水田に生息する「ライギョ」か「ナマズ」の死骸を見間違えたのではないだろうか、そう思って首を捻ったわけである。
ところが、過去の目撃データーを頭の中で整理していた時、忘れかけていた体験談を思い出した。そして「もしかすると…」、そう考えを新たにし始めたのである。

その体験談の概略は………田圃でザリガニ捕りをしていた少年が、畦道と田圃の境目に出来た穴を掘り返していたら大きな穴に行き当たり、中を覗くと太くて短い蛇が現れた。そのヘビは少年に驚いたのか、猛烈な勢いで穴から飛び出すと、田圃の中をピョンピョン跳んで逃げて行った………という話である。

畦道は田圃から30センチほど高くなっているのが普通である。この畦道の下に穴を掘って日中は姿を隠しているツチノコが、夜になると穴から這い出して獲物を追うと考えるなら、耕運機や耕転機の犠牲になっても無理な解釈ではないと思い始めたのである。
上掲写真の左は月並みな田園風景であるが、白い☆印をつけた斜面の裾は田圃と直に接しているため、いろいろな生物の棲家となっている。当然、これらの生き物はその裾に当たる部分に穴を開けて棲んでいて、穴からは田圃が一望できる好環境となっている。その好環境をツチノコが利用して当たり前ではないだろうか。
ご存知のように、田圃の泥は柔らかくて粘土質である。穴を掘ることは容易で、作られた穴はそう簡単に崩れたりしないのが特徴だ。こうやって畦道の脇に出来た穴の中には、ザリガニやカエル、そしてヘビ等が巣食っている。
仮にであるが、誤って耕運機が畦道脇を耕してしまったら、そこを棲家とする生き物たちはズタズタにされその骸を曝す事になるはずだ。ツチノコとて同じで、無残な肉塊となり果てるのは想像に難くはない。この仮定が許されるなら、前掲の囲み枠で紹介した話も、あながち有りそうな話となってくる。

以前、茨城県下妻市付近の小貝川そばの田圃で、連日してツチノコの目撃が相次ぎ、私が籍を置く未確認生物研究会が調査に乗り出した。目撃現場に着いて驚いたのは、そこが変哲もない田圃だった事である。
先ずは巣穴探しと思っても、見渡す限り一面の田圃で、ツチノコが好んで巣を作る斜面など在りはしない。仕方なく、盛り上がった畦道の脇を丹念に見て回ったが、せいぜい目にするのはザリガニの穴だけで、これはと思うような大きさをした穴など存在しなかった。
しかし、この現場に何度か足を運ぶうちに意外なポイントを見過ごしている事に気がついた。そのポイントというのは、広大な水田の四辺であった。簡単に説明すると、この田圃は地上1メートル程の高さに土を盛って作られていて、その四辺がなだらかな斜面を形成していたのである。我々が車を停めた場所が田圃の一角にできた平地だったため、気づくのに時間がかかってしまったのだ。
早速、田圃の四辺を探索すると、それらしき穴がいくつか発見できた。僅かな斜面に作られた穴ではあったが、ツチノコの巣穴である可能性はかなり高かった。しかも田圃の土と同じなので掘り返すのはいともたやすかった。ところが、田圃の所有者との間でトラブルが発生し、我々は泣く泣くそのポイントを破棄する結果に陥ってしまったのである。

上記の経験を再考してみて、ツチノコは地面にちょっとした起伏や盛り上がりがあれば営巣可能なのではないか、という考えに行き当たった。
そこで、私が初めてツチノコに遭遇した49年前の中野区鷺宮4丁目の田圃を網膜に蘇らせてみた。毎日ザリガニ捕りに明け暮れていた田圃なので、記憶は鮮明である。
ツチノコ目撃地点は隣接する草叢と30センチ幅の用水路を隔てた畦道で、この草叢は水田地帯より5、60センチ高かった事を思い出したのだ。つまり、平地を掘り下げて出来た田圃だという事になる。この段差がツチノコに生活の場を与えたのであろう。そうでなければ、あんな田圃に体を隠す場所など在りはしない。今になって、私が幼児期に目撃したツチノコの隠れ家を見つけた次第である。

我々が足繁く通った茨城県土浦市の田村町も、ツチノコ目撃多発地帯は水田の傍らであった。ご当地へ行ってみると分かる事だが、霞ヶ浦と接するように広大なレンコン畑が在り、道幅5メートルほどの県道が集落との境界線を形成している。そして県道と平行するように小さな山が連っているのだが、この山の斜面の裾は小さなレンコン畑や水田と接しているのだ。地元で目撃される多くは、このレンコン畑や水田の付近で起きている。特に田村町一帯は他の地域では見られないほど起伏が在り、その段差がツチノコの環境に適しているようだ。
この田村町へは最近ご無沙汰しているが、過去の目撃者数や環境から推して関東圏内ではツチノコ生息の最有力候補に挙げられるであろう。また、狭い範囲での生息数を考えた場合、おそらく日本で一番ツチノコ密度の濃い地域であると断言できる。
探索ポイントは上述の「山の斜面の裾は小さなレンコン畑や水田と接している」という部分であり、実に足場の良い場所なので、女性でも気軽に探索活動のできる点が好ましい。しかしながら、総て私有地だということを忘れてはいけない。勝手に入り込むとトラブルになるので要注意である。

私は声を大にして「ツチノコは田圃を探せ!」と言いたい。今まで数多くの目撃証言を得てきたが、水田地帯で目撃されるケースが非常に多いからである。どうせ山中に分け入ってツチノコ探索を試みたところで、何処を探せばよいか途方にくれるのが関の山である。そうであるなら、過去に目撃例のあった水田地帯であればポイントの絞込みが容易で、目撃の確率も一層高まると言うものだ。だから「田圃を探せ」ということになる。

ここで田圃での目撃例を挙げていたら枚挙に暇がないほどで、それこそ何万文字も費やさねばならぬであろう。その目撃談の数々は折を見て触れる事にしたい。
ところで、「田圃を探せ!」とは言うものの、闇雲に探して歩いても無駄骨である。一に情報、二に情報なのだ。先ずは田圃で目撃したという情報を得る事が先決だ。それが多少古い情報であっても探索を試みるべきである。

毎度言うように、ツチノコの生息条件は「水・太陽・餌」である。田圃はこれらの条件を満たすに足る要素を多分に含んでいる。更に田圃は山などと違い、天敵の数も圧倒的に少ないのである。ただし、田圃に棲んでいるツチノコは猫や犬、上空を旋回する猛禽類などから発見されやすいというデメリットを抱えている事を忘れてはならない。それだけにかなり注意深くなっているはずだ。だから明るいうちは滅多に姿を現さず、穴から這い出たとしても近くの草叢に身を潜めてしまうのである。
農作業のために田圃に来た農家の人がほとんどツチノコと遭遇しないのは、その場所にツチノコがいないのではなく、ツチノコが人間を警戒して姿を見せないからだ。そう考えると、ツチノコが生息するであろう田圃は無限に在る事になってしまうが、全国の田圃に於けるツチノコ目撃例を考えてみれば、それ相当の数のツチノコが、田圃を生活の場としている事が推測できるのである。
田圃で生活するツチノコは、全国規模で考えて百や二百ではあるまい。おそらく千の数を越えるのではないだろうか。そして生息地の条件を問わないのであれば、それこそ万の数に達するツチノコが、国内には生息していると思えるのである。
普段はほとんど見かけないモグラが、国内にどれだけ生息しているか? ツチノコもモグラと同じ環境で生活しているのであれば、その生息数は未知数なのである。

先ずは「田圃を探せ!」、こんなことを言っている私は…脳を病んでいるのだろうか?


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【山の怪物追跡記/後編】

2008-08-27 20:22:28 | Weblog
【哀れ…毒蛇愛好家】

情けないと言うか、哀れと同情すべきか…。

毒蛇51匹を無許可飼育=愛護法違反で男を逮捕-指かまれ一時重体・警視庁
8月27日12時3分配信 時事通信

自宅でコブラなどの毒蛇51匹を無許可で飼ったとして、警視庁保安課などは27日、動物愛護法違反の疑いで、東京都渋谷区神宮前、港湾作業員柏木信一容疑者(41)を逮捕した。容疑を認めている。毒蛇の無許可飼育の摘発は同庁で初めて。同課は動機や入手先を追及する。調べによると、柏木容疑者は7月15日、都知事の許可を受けずに、自宅マンションで、アフリカ産コブラなどの毒蛇51匹を飼った疑い。同容疑者は単身者用マンションの1室にプラスチック製の飼育ケースを多数並べ、1匹ずつ入れて飼育。世界で最も毒が強いとされる全長約190センチのアフリカ産コブラ「ブラックマンバ」も含まれていた。柏木容疑者が同日、コブラに餌を与えようとして左手の指をかまれ、自ら119番して飼育が発覚。病院に搬送されたが、指の一部が壊死(えし)し、一時意識を失う重体となり、同課は退院を待って逮捕した。 

■毒蛇を51匹も飼育するとはツワモノである。しかも餌代や管理に相当額を費やしたであろう。その苦労は並々ならぬものがあったはずだ。それが、ひと咬みで露と消えた。この事件、考えようによっては、大事の前の小事ではないだろうか。万一その51匹が逃げ出したとしたら被害は甚大であったはずだ。更に考えを進めると、この毒蛇を使って故意に人殺しも可能である。また、飼い切れなくなって、その辺の野原に捨てる輩も現れるだろう。
毒蛇をはじめとして、毒を有する生き物は殺人兵器にも等しい。今後、銃刀法のような厳しい管理をお願いしたいものである。
                             
【山の怪物追跡記/後編】

本日は予定が崩れ朝から暇になった。早速、後編の転記をしたいと思う。

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一方、兵庫県城崎郡竹野町土生の増田雄司さん(当時二十歳)も、確実な目撃談を次のように語っている――。
昭和三十八年九月二日午後三時頃、自宅近くの山田へ刈り残しの稲を刈り取りにいった。八月下旬に稲刈を済ましたが、山水の取り入れ口のまわりだけ水が冷たくて成長が遅れていたので、刈り残した部分が三坪ほどあった。
わずかな稲なので、手早に刈り終わろうと、鎌を片手に畦道へ上がった。すると、畦ぎわのワラ屑の溜まった所に、ビール瓶より少し太目の丸太んこが転がっているのが目に入った。水田の中へ落ちた石や丸太はいつでも山道へ投げ棄てて、田はきれいにしておく習慣なので、何気なくその丸太に手を伸ばして拾い上げようとした。
すると、どうだろう。つかもうとした丸太んこが、ヒョイと首をもち上げた。ハッとして手を引込めた瞬間、丸太んこは立ち上がり、腰を折ったかと思うと、二メートルほども跳躍した。そして次々とウサギのようにピョンピョン飛んで、新しい稲の切り株の中を真っすぐに約二十メートルも走り、ついに山すその草むらへ姿を消した。

土生は、日本海に近い山の中である。谷の奥の方には松や雑木の林が続き、だらだら下がりの草地から段々畑になっている。平凡な谷筋の水田だが、思わぬできごとに、鬼気迫る思いで、呆然と立ちつくした。
「初めて見る怪物や。三角形の頭の先に目があったぞ。体長五十センチほどかいなァ。尻には、たしかネズミの尻尾のようなものがあった。五センチほどの長さやったか。顎がマムシの怒ったときのように張り出しておったが、どうも獰猛そうな形相やった。ビール瓶より確か太かったが、灰茶色に、うす墨をかけたような体色も気味悪かった。あの腐り丸太が、ピョン、ピョン飛び出したには全く驚いた――」
雄司さんは、ヘビを恐れる性質ではなかった。このはヘビの多い所で、家のまわりには腕くらいのアオダイショウやシマヘビは何匹もいるし、には、角のある大蛇の頭骨を祠っている家もある。しかし、「丸太んこヘビ」には驚いた。何処かの草陰からこちらを睨んでいるような気がして、稲刈りもせずに家へ逃げ帰り、父親の喜三郎さん(当時四十五歳)に、
「おぞい(恐ろしい)ヘビ見てなァ。まるで丸太んこやったぜ」
「ああ、あれかいや、ツチやわ。わあいも三、四年前、あの山田で見たわ。昔なァ、弘法大師さまがよ、マムシに咬まれはった。そん時のう、マムシ十匹を束ねてよ、以後人間に咬みついてはならん、と仰言ってのう、山へお放しになったげな。それがツチになったんや。あいつは里へは出てこんが赤マムシ十匹分の毒があるというぞ」

三角寛氏の「サンカの社会」という著書によると、難波高津宮の仁徳天皇は、第三皇子が十七歳になった時、河内国の多治比の里に宮殿を作ってやり、その皇子のために蝮部を創ってやったという。
部民には主として、因幡・但馬の火明隼人を召し集め、淀川流域の開発事業に協力させ、特にマムシを捕らえさせて強精剤(きずも)を作り、輸出さえしたという。この第三皇子は、後に反正天皇となり、別名を多邇比端歯別と呼ばれた。都は河内の丹比いまの松原市にあったというが、部民がその後定着したのは河内の狭山池付近だったらしい。この蝮部を中心に、丹後の多次米伊勢の多治郎、美濃の多治夫、近江の太二平など、各地に部民が広がっているが、いまも伝説的なヘビ捕りが残っており、伊勢のヘビ捕りが但馬へ来てノヅチを見つけたとしても、あまり突飛な話ではなさそうである。大体、古事記にいう、「野槌神」は、彼らヘビ捕りの親分のことを指差しているのではないだろうか。

河内や但馬とマムシは、歴史的に関係があるのだが、前述の九頭竜川上流でノヅチを追っていた田村竹石さんは、現在、堺の家へ帰り、今度は大阪府南河内郡河南町の葛城山の南斜面でノヅチの有力な生息地を見つけた。そのでは昨年出会った人もあり、近くの寺には、ノヅチの「龍骨」が伝世されているそうで、ノヅチが逃げ込んだ岩穴分かったというから、近く捕らえられるかも知れない。
しかし、この怪蛇は、のんきそうで素早く、時には木の枝や岩上に尻尾でぶら下がっていて、ネズミ、ヤマドリの幼鳥、ウサギの仔などを狙って数メートル飛ぶというから捕らえるのは難しい。四国では一生に一度しか出会えないヘビだと言われている。

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以上が「山の怪物追跡記」のノヅチ編である。この古い記事を読んでいて、私は新たに二つの発見をした。一つは、ツチノコではなさそうだが、兵庫県城崎郡竹野町土生の増田雄司さん方の近所に、角のある大蛇の頭骨が祀られているという話であり、二つ目は、大阪府南河内郡河南町の葛城山近くの寺に、ノヅチの「龍骨」が伝えられているという、物的証拠の残る記述である。
どちらも世間一般に公表された気配が無いため、とても興味を惹かれる話である。機会があったら調査したいと思うが、兵庫や大阪在住の方なら簡単に調べる事ができるだろう。案外、面白い展開に発展するかも知れないネタである。
ところで、強精剤の話が載っていたが、仁徳天皇の時代にマムシが滋養強壮の元になっていたとは驚きである。やはりマムシはパワフルなのかと、改めて感服させられた。
いずれにせよ、40年も昔、真摯な態度でツチノコに取り組んでいた方がいらしたことを、知っていただけただけで本望である。
余談だが……。
庭先に現れたツチノコに仰天したその家の主婦が、通りかかったタクシーの運転手に助けを求めた。するとその運転手氏は、落ちていたレンガでいとも簡単に叩き殺したという話がある。この出来事の顛末を確かめたくて蔵書を漁ったのだが、何処を探してもその話が見つからず困っている。どなたが詳細をご存知の方はお知らせ願えないだろうか。

次回更新は今週末、「田圃とツチノコ」についてです。


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【山の怪物追跡記・ノヅチ/前編】

2008-08-22 21:32:26 | Weblog
【嗚呼…ビッグフット】
ビッグフットの死体発見のニュースが流れたのは今月の16日であった。盛大な記者会見とは裏腹で、発見者の提示した資料写真は極めて少なく、初めから胡散臭さを漂わせていた。多分、インチキだろうと思っていたら、やはり的中した。以下に顛末を記す。
『米ジョージア州の森で見つかったとされる謎の猿人「ビッグフット」の遺骸は偽物だったと、ビッグフッド捜索団体が19日、サイトで発表した。
発見者とされる警察官のマシュー・ウィットンさんら2人はジョージア州の森の中で6月にビッグフットの遺骸を見つけたと主張。15日には捜索団体の協力で記者会見を開いた。同団体はサイトとインターネットラジオでこのニュースを伝え、冷凍庫に保存した猿のような動物の写真を公開していた。
しかしその後、同団体の関係者がこの物体を実際に調べたところ、ゴムに着ぐるみを着せた偽物だったことが判明。ウィットンさんら「発見者」の2人も後に嘘を認めたという。
2人は18日にCNNの番組「アメリカン・モーニング」に出演するはずだったが姿を現さなかった。また、記者会見でプロジェクト協力者として名前を出されたスタンフォード大学の人類学者は18日、そんな話は聞いていないと語った。
捜索団体によると、2人がなぜこんなことをしたのかは不明だが、発表に当たっては宣伝などに必要だと称して金銭を要求してきたという。今後2人には公正な裁きを受けさせるとサイトは言明している。 』

いやはや…誠にもって困ったものである。ロマンが打ち砕かれたばかりか、UMAがますます窮地に追いやられる結果となってしまったではないか。否定論者に恰好の材料を提示したことになるからだ。
しかし一瞬であったが、この詐欺師によって胸をときめかすことができたと考えれば、目くじらを立てるべきではないと思ったりもする。今はただ、本物が現れん事を祈るのみである。

【山の怪物追跡記/前編】

お待たせしました。前回お約束した「山と渓谷/1970年1月号」から、ノヅチの記事をご紹介いたします。ノヅチ=野槌、即ちツチノコです。先ずは、この記事の著者である“斐太猪之介”先生の略歴をご紹介したい。

斐田 猪之介(ひだ・いのすけ)…後に斐太と改名。
本名:井之丸喜久蔵 明治44年、飛騨古川に生まれる。
昭和8年朝日新聞社東京本社に入社。社会部、満州・マレー・スマトラ各地の特派員を経て、終戦後帰国。のち大阪本社特信課勤務。朝日新聞名古屋本社企画部長を経て、同社の客員記者。
兵庫県芦屋市に居を構え、野生動物の研究にその生涯を捧げた。ニホンオオカミの研究者として広く知られ、その研究過程で知ったツチノコの存在に興味を抱き、自著の「山がたり」三部作の中でツチノコの目撃談を取り扱った。山本素石氏と共にツチノコ研究のパイオニアと称されている。
著書【炉辺動物記】【山がたり】【続山がたり】【続々山がたり】【オオカミ追跡18年】等々。

という、斐太先生の経歴である。言うなれば、ツチノコのブームを作った陰の功労者である。すでに他界されておられるが、今から20年程前にはサントリーウイスキーのCMにも出演されていた程の有名人でもある。ただし、斐太先生を有名人へと押し上げたのは、ツチノコではなくニホンオオカミの研究による功績がもたらしたものである。

さて、この「山と渓谷/1970年1月号」に特別読み物として斐太先生が執筆された「“山の怪物”追跡記」であるが、この本が発行された1970年といえば、ツチノコがブームになる3年前である。今では「ツチノコ」は超のつくほど有名で全国区だが、1970年の段階では無名の新人歌手といった程度の知名度であった。しかも地方によってツチノコは呼び名が違う為、ツチノコとかノヅチと言われても知っている人は非常に稀であったはずだ。そんな環境の中、唐突にノヅチの存在を提起した斐太先生は、おそらく物事に動じない性格だったのではないだろうか。この当時、太くて短いヘビが転がるとか、跳躍して移動するなどと唱えただけで、世間から嘲笑されるか冷ややかな目で見られるのが関の山だったはずである。それを意に返ささなかったのだから、斐太先生は物事に動じない性格だと考えたのである。
ところで、この「“山の怪物”追跡記」だが、ニホンオオカミ編とノヅチ編に分かれていて、B5版の6ページにわたって活字で埋め尽くされている。試しに見出しやキャプションを除いた文字数を数えてみると約10000文字もあった。その他に写真1点とイラストが2点(上掲画像)掲載されていて、かなり読み応えのある分量である。だが、半分はニホンオオカミについて書かれているのであるから、ノヅチに関する記載は5000文字ということになる。これを400字詰め原稿用紙に換算すると12枚半となる訳だから、それでも結構なボリュームである。そこでこの5000文字を一気に転載しようと意気込んでみたのだが、一気では些か過重負担であると考え直し、姑息ではあるが二度に分けての転記としたい。

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【ノヅチ(野槌)】

さて、もう一つの怪物はノヅチ(野槌)という怪蛇である。広辞林には野の妖怪という説明がついているが、この蛇はニホンオオカミと同じように、日本の特産で、姿も習性も第一級の怪物である。一昨年出版した「山がたり」に初めて紹介したが、私のフィールド・ノートには早くから記録していた。
最初は小学校時代、飛騨の古川の家で、母から炉辺語りに聞かされた。それが、終戦後奥吉野の三之公谷へ動物の調査にゆくうち、西浦房太郎さんから、体から牛乳のような毒をにじませる金茶色のニシキヘビの話を聞き、息子さんから竜神の瀧にノヅチらしいものがいる話を聞いた。
なんでも渓流の中でアオバト(水を飲むとき以外は地上へ降りない)を呑んでいたので、アメノウオを突くヤスで突いたが体へ通らず、丸太んこのような奴が陸へ上がって山桑の幹を這い上がったというのである。私は古い疑いに火をつけられた感じであった。
それから間もなく、京阪神の渓流釣りグループ(ノータリン・クラブ)の会長で、京都の染色家である山本素石さんが、鴨川の上流で、有名なシシの猟場――雲ガ畑へアマゴ釣りに行った帰途、便意をもよおして、栗夜叉谷の林道へ百メートルほど入ったところ、昼下がりの明るい山道へ、突然丸太んこのような蛇が空中から飛んできて、すんでのことで咬みつかれるところだったというのである。
この話を本人から聞いて、幻のノヅチは急に現実のものになった。山本さんの場合は、ニ十年生位のスギの植林地と山道の間に雑草地帯があった。ノヅチはそのスギの枝から飛んできたのか、雑草の斜面から来たのか分からなかったが、「チィーツ」と鳴いて、目の前へ飛んできた。小石道に横たわったノヅチは、鱗をキラキラ光らせ体長四十五センチほどの短い体で、サイダー瓶より太かったというが、それにネズミの尻尾みたいな十センチほどのものがついている。頭は大人の手指三本を並べたほどのもので、気味の悪い目をギョロリ、ギョロリと動かして、上目使いに睨んでいるので、用達しも忘れバス道まで逃げてきたそうである。
山本さんはマス科の魚の研究者なので、その後もこの方面へ釣りにいって、土地の人々に怪蛇の話をした。すると、山一つ越えた貴船の二瀬で、山稼ぎの老人が、「昔から北山にはおるんや。ツチノコ(槌ノ子)は、あんたの出会った栗夜叉の奥、夜泣き峠のカヤ場が巣でのう。この辺りのもんはカヤ場は足を入れんことにしとる。崖から飛んでくる奴に当たったら死んでしもうぜ」といった。山本さんはこの怪蛇がツチノコかということで、動物図鑑を見たが、そんな蛇は記録されていなかった。そこでノータリン・クラブは、各地の渓流釣り場へ印刷物を配って、発見者には10万円出すと宣伝して情報を集めたのだが、摂津三田では「五八寸」、越前の九頭竜川一帯では「コロ」、岐阜県の郡上八幡の上流では「ツチノコ」、丹波では「スキドコ(鋤床)」、江州では「ドテンコ」、播州では「カラカサヘビ」、四国でも「ツチノコ」、九州では「コウガイ(笄)」などと呼ばれて、姿を見た人が相当いるが、秋田県南秋田郡五城目町の小玉康一郎さんも「奥羽山脈でも見た人がおり、最近犬が咬まれて死んだ」と知らせてくれた。
福井県の九頭竜川上流ではノータリン・クラブの田村竹石さんが、電源開発会社に勤めながら調べた結果、福井県はもちろん岐阜県側の石徹白方面に目撃者がかなりおり、その蛇の骨は竹篭のようだという人も出てきた。
また、滋賀県の愛知川上流の焼野というカヤ場で捕らえたものは体長八十センチ、一升瓶ぐらいの太さだったが、伊勢のヘビ捕りが持ち帰ったというし、十数年前に滋賀県の栗太郡太神山へヤマメ釣りにいった京都の篠田年也さんは、岩の上でグウグウ鼾をかいて寝ている変な蛇がいるので、石を投げたら飛んできたという。また福岡県鞍手郡宮田町では、アケビ谷にコウガイがいて、石を投げると口が笄のような形になり、背が三角になるといわれている。
では、ノヅチはどんな姿をしているのがほんとうか、ということについて、神戸のクラブ員、新田雅一さんが兵庫県かで調べた結果を紹介しよう。
兵庫県では揖保川流域、円山川上流の横行、道谷辺りに目撃者が多い。揖保郡太子町の小倉仙太郎さん、穴栗郡一ノ宮町の和田勝さんらの体験談を総合すると、長さは五十センチ内外、大体黒味がかった体色だが、海のゴンズイのような白い縦縞と黒い斑点がある。穴栗郡のアカガネ国有林では時々見られるが、和田さんものんびり寝ている姿を見たことがある。逃げる時はピョンピョンとカンガルーやウサギのように
跳ねるので容易に捕らえられず、時には斜面を輪になって転がったり、頭と尻を交互に起点として電光形に走ることもある。大体、谷川筋から少し上部のカヤの多い斜面に住む。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

前編はここで止めるが、既に「山がたり」三部作や「逃げろツチノコ」を読破された方には重複した内容だと思える。しかしながら、昭和48年のツチノコブーム以前の記事という稀少性を考慮すれば、贅沢を言っては罰が当たるというものだ。
因みに、上掲画像右側に描かれている「ノヅチの骨格」想像図は、新潟県小千谷市在住の渡辺政治さんが所蔵する「ツチノコの骨」をヒントに、斐太先生が書かれたものである。
私は以前このブログで渡辺政治さんの所有する骨は、ツチノコのものではないと書いた。もちろん、今もそう考えている。この点は、斐太先生と考えの異なる部分であるが、どちらが正しいかなど問題ではない。
一つの題材をあらゆる観点で想像する事に意義があるように思えるからだ。

では、次回の更新で後編をお楽しみ下さい。


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残暑お見舞い申し上げます

2008-08-15 19:24:00 | Weblog
【計画倒れ】

今年の夏は「金にならない忙しさ」の為、殆ど身動きがとれない。
年頭に立てた計画では、8月中旬から下旬にかけて「鳥海山の大蛇」を探索するはずであった。他にも、多摩川河川敷の夜間探索を徹底する予定を組んでいたが、「金にならない忙しさ」の所為でお流れになってしまった。
実行していれば、かなり面白い展開が期待できたはずの今夏であったが、暑く苦しい夏に変貌してしまった。私が久々にヤル気を出してツチノコや大蛇に取り組もうと思ったのに、このままでは轟沈である。せめて9月に予定している「東白川村の探索」と、「中国深圳でのツチノコ調査」だけは完遂させたいと願っているが、これとても危うくなりつつある現状だ。
そこで考えを巡らした。どういう考え方かと言うと、今後は冬から春先まで必死に働き、夏から秋にかけてツチノコの探索に専念する、というものだ。確かに理想的な発想であるが、こんな夢のような年度計画が実現するはずがない。来年の夏も、生きてゆく糧を得る必要上、年頭の計画は半分も実行されずに終わる事だろう。
働かずに済む環境に生まれ合わせなかった身の不幸を、嘆きに嘆く今日この頃である。

【古い記事/予告】

つい先日、Yahooオークションで「ツチノコ」と検索したら、意外な雑誌が引っ掛かって来た。「山と渓谷・1970年1月号」がそれである。商品紹介欄に掲載された写真は、私の体を震わせるに充分なインパクトを持っていた。(上掲写真・ヤフオクより転載)
欣喜雀躍した私は、何も考えずに入札した。入札者はまだ誰もおらず、開始価格は900円であった。そして昨日、900円のままで目出度く落札できたのである。しかし、お盆という状況を考慮すると、その本が届くのは20日頃であろう。将に一日千秋の思いとはこの事である。だが、無邪気に商品を待つ我が身を客観視した時、その幼稚な自分の姿に呆れ返ってしまったほどである。

という訳で、次回の更新は「山と渓谷・1970年1月号」を細大漏らさず紹介する予定である。本日は仕事の合間の走り書きにつき、内容の薄さはご容赦願いたい。


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★臨時★

2008-08-08 18:41:41 | Weblog
mixiの「☆ツチノコ・将来再確認生物☆」にも書き込みましたが…。
私のマイミクさんの日記で疑問提起されていた未確認生物です。
いったい何という生き物なのでしょうか?
ご存知の方はお知らせ下さい。

本日は臨時です。


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姿無き遭遇

2008-08-03 14:33:01 | Weblog
【お詫び】

本題に入る前に、更新がおろそかになった事をお詫びいたします。
7月20日の更新以来二週間もご無沙汰してしまったのは、自分の本業に追われていた所為であり、決して中国深圳へ行っていたのではない。私が深圳へ行ったのではないか、そう思われ方も多々いらっしゃっるようであるが、深圳へ行けるのはまだ先の事、これはこれでお許し願いたい。

一週間ほど前のこと、今やっている電網映画(ネットムービー)のロケで多摩川と浅川の合流点へ行った。今回の作品が満州崩壊時の日本軍兵士の話なので、勝手知ったる河川敷はもってこいの撮影現場だったからである。
久々の河川敷であった。さぞや雑草も繁茂している事だろうと予想していたのであるが、これが思ったほどではなかったのだ。例年、伸びに伸びた雑草に梃子摺らせていただけに、不思議な気持ちにさせられた。
今は8月上旬、まだ90日は爬虫類たちの天下である。改めて河川敷の徹底調査をすべきであると心に誓ったものの、一日も早く現在の束縛から解放されねば徹底調査もあったものではない。
今年の下半期は、映像製作と舞台公演が目白押しである。しかも中国へも行かねばならず、自分がもう一人いればと思い悩む今日この頃である。
このような事情により、今後もブログの更新が滞るであろうことをご理解願いたい。

【姿無き遭遇】

ツチノコを求め35年も探索活動を続けていると、姿は見えずとも明らかにツチノコではないかと思える状況に直面するケースと出くわすものだ。私は既に十回以上もそんな経験をしている。無論、視認できていないにも拘わらず、「ツチノコでは?」と考えるその心理が、思い込みの為せる仕業であることは先刻承知の上である。
ツチノコは愚鈍な生き物ではない。どちらかと言えば俊敏な…いやいや、「超俊敏」な動きをする生き物である。しかも、さほど大きな体格をしていないから始末が悪い。草深い場所や日陰などでは、視認どころではないはずだ。運良くジャンプをしていたり、鎌首を上げて威嚇行動をとっていれば別だが、瞬間移動さながらの動きが常である。これを目で追う事が出来るとするなら、それはよほど条件の良い場所に限られてしまう訳で、そんな好条件での目撃は理想としか言えないであろう。

例えば、茗荷畑を引き合いに出してみると、地上50~60cmに葉の先を揃えた茗荷の根元付近は、しゃがみ込んで中を覗くと意外に見通しが利くものだ。私は茨城の探索現場へ行くたびに茗荷畑を調査することにしているが、まず最初にする事と言えば、茗荷の放列を下から覗き込むことだ。茗荷畑の中に異物が潜んでいないかどうか確認を終えると、次のポイントへ移動するのである。ところが、覗き込んだ時は猫の子一匹たりとも存在していなかったはずが、私がポイント移動を始めた途端、茗荷の茎や葉が擦れ合うようにガサガサざわめき、何者かが動き出すのだ。慌てて這い蹲り茗荷畑の中を見回すが、何者かは決して姿を現さない。こんな経験は4回もある。
また、これと似た状況は、ススキの茂みでも経験したことがあるし、フキの群生した場所や雑草の生い茂った草むらでも経験済みだ。これら正体不明の何者かが、総てツチノコだったとは思わない。当然、ネコやイタチだった可能性は大いにある。しかし、既存の生物では答えが割り出せない状況もあるのだ。その最たる例が、以前このブログでも触れた「ススキの藪から鳴き声を発したツチノコ」の例である。これなどは姿こそ見えなかったが、明らかにツチノコ出現時のスチュエーションが総て揃っていた。だからツチノコだったと考えるのだが、歩いていた草むらの中を黒い塊が稲妻のように走った、などという程度の遭遇では、ツチノコとは言い難いのである。

夏の午前中で比較的に日差しの強い日は、ツチノコも草陰や木陰で獲物を待ち受けることが多いようだ。
体温調節の観点から考えれば当然の行動であるが、こんな状況下のツチノコと接近遭遇を果たし場合、前述のような「姿無きツチノコ」を体験する羽目になるのである。

【扁平・新たな説】

7月の中旬のことだが、撮影準備であたふたしている私の元に、「名無しの権兵衛」を名乗る方からメールが届いた。匿名のメールの殆どが冷やかしの類なので情報への期待をせず目を通したのであるが、読み進めるうちに「なるほど、なるほど」と感心してしまった。
この権兵衛さんのメールによると、ツチノコは跳躍している時の他にも扁平になる必要性が有ると説いていたのである。どういう事かというと、日照時間や気温によって外部からの温度を摂取する都合上、体の面積を広げる必要が生じるというのである。権兵衛さんご自身、過去三度にわたってツチノコを目撃されているそうで、同じ場所で同じツチノコを目撃したのであるが、春先に目撃した二度のケースは、いずれも石垣脇の土の上で扁平状態で「ノ」の字状で日光浴をしていたという。だからもの凄く太く感じたそうだ。長さは40cm程度のもので厚味の無い三角の頭は、胴体に比べて小さく見えたということだ。
他の一度は盛夏で、石垣に添って移動していたのだが、形状は他の二回とは違いビール瓶のように丸みを帯びていて、さほど太さは目立たなかったそうである。それ故、三角の頭が大きく見えたそうだ。
ご本人は、ノの字になって休んでいる時と、全身を伸ばして移動している違いかもしれないが、気温との密接な関係が有るように思えると強調されていた。
このメールを読んで三日ほど経った頃、私は目撃されたツチノコの詳細を知りたくなり、権兵衛さんから来たメールへ直接返信を試みた。すると、メールのエラー表示が出て、何度繰り返しても状況は変わらなかった。多分、メルアドを変更したか、考えたくはないが「冷やかし」だったのであろう。
いずれにせよ、体温を高めるために体を扁平にして日光の吸収を効率化するということは、充分に考えられる事である。これがツチノコに共通した習性面であれば、目撃者によって太さの差異が生じる事実に対し、何等かの解答を提示する材料となるはずである。
このブログを権兵衛さんがお読みになっていらしたら、ご連絡を頂きたいと思います。

【ツチノコ関連】

UMA全般に関する「UMA堂」という新しいサイトが立ち上がりました。
ここは動画配信が売りで、YouTube上のUMA動画やオリジナルを配信するのが特徴です。まだ立ち上がったばかりで内容の充実には時間を要するでしょうが、これからの期待感が膨らむサイトです。UMAの目撃体験募集中ですよ。
UMA堂…… http://www.uma-do.com/ 

そしてマルチで未確認現象やUMA等を扱う「不思議SNS」も先日立ち上がりました。不思議な物が好きな人は是非お勧めですが、mixiと似たシステムなので簡単な会員登録が必要です。夏休みの時間潰しを兼ね「不思議SNS」に集う同好の士を友達にしては如何でしょうか。
不思議SNS…… http://sns.fushigidane.com/ 


【ツチノコではないけれど…】

前々回の更新、槌ノ子イロイロで「奇ッ怪な話・実は……其の十六」をご紹介しましたが、これを書かれた保憲氏のHPに何とも表現しがたい「カッパの目撃談」が載っている。そのリアルな目撃状況もさることながら、直接目にしたカッパの姿が酷く想像力をかき立て興味を抱かせる。
夏の夜話にどうかと思い、以下に転載する。

「実は・・・・・・」 其の一 “ガタロー”編
昭和二十八年か二十九年の頃の事です。
終戦からは幾年かは経っていましたが、食料事情が余りかんばしく無かったせいか、自宅の近くを流れる淀川の支流付近に土地を借りて畑を作り、自給自足しておりました。
当時私は未だ小学校に入学したか否かくらいで両親や祖父母にただ付いて行くだけだったのです、が唯一つ楽しみがありました。其れは行き帰りに横切る川にありました。
そこには御影石で出来た橋が架かっており、小さな水門がありました。
樋が閉じられている日には、ふな、鯉、ハス、もろこ、めだか、どじょうなど無数の魚や、蛙、亀、スッポン、イモリなど爬虫類も見られ眺めていれば時間の経過を忘れるほど私にとっては楽しみな場所でした。
其の日もいつもと同じ様に、そろそろ畑仕事も終わり家に帰る様子なので、いつもの様に先に水門に駆けて行き、やはりいつもの様に樋を覗き込みました。と、其の瞬間、私は唖然としてしまいました。
そこには体長60cm程の巨大な蛙に似た生物がゆっくりとした動きで水面ギリギリに浮かんでいました。
まるでフィルムのスローモーションの様で、蛙が水面を泳ぐ時の様な動作をしていました。
全身が日本陸軍の戦車色、いわゆるカーキー色で何やらぬるっとした感じの皮膚でした。
頭も体も全体的に丸みを帯びたツルリっとした感じで、自分よりは小さく見えましたので、丁度幼児がうつ伏せになってゆっくり平泳ぎをしているような感じでした。
しばらく眺めていたところへ、祖母がやって来ました。
私は待ち兼ねた様に、「あれ何っ!! 」 て祖母に尋ねました。
すると祖母は、しばらく其れを見つめていたのですが、突然私の腕をつかみ、「ガタロやっ!! 」と叫ぶが早いか転ばんばかりに成っている私の手を引っ張って走り出しました。
私も以前から、川や池に「ガタロー」と言うのがいて子供を水中に引きずり込んだり、玉袋や尻こ玉を引き抜かれるので、気を付けろと聞かされていましたので其の驚きも半端じゃありませんでした。
何せ其の「 ガタロー」が目の前にいたのですから。
私は子供心に「 ガタロー」の話は、危ない所に遊びに行かぬよう、大人が作り出した脅しだと思っていました。
それにしても祖母も「ガタロー」とやらを見たのは、あの時が最初だった様で、「ガタロやっ!! 」 と叫ぶ迄の間 かなり思案していましたから。
その後私が中学三年生の頃に祖母も亡くなり、私も大人になって、時折 “一体あれって何だったんだろう” とは思い出す事はありましたが、さほど真剣には考えなくなっておりました。
ところが、昭和62年頃なんですが、何かで「河太郎」 と呼ぶ生物の名を目にした時、「ガタロウ 」と読めるな と思い 「 河太郎」とは河童のことらしいので、じゃあれは河童だったのかっと思い、本屋さんに駆けこみました。
水木茂著の「カッパなんでも入門」他数冊の本を取りあえず購入して家に戻り、以来「カッパ」について書かれている本を購入してはあの日、目にした妙な生物を本腰入れて調べ始めました。
やっぱり「 河童」のことを河内では「 河太郎 」と書いて「ガタロウ 」と言うそうで、所により「カワタロウ」とか「カワッパ」、「ガワッパ」などと呼ぶそうです。
現在のところ、著書の一部に記されていた「皿も甲羅も持たない種類もいた」と言う言葉で、自分の遭遇した妙な生物はこの当りでは絶滅直前の最後の生き残りの「河童 」だったのだろう、と思いました。  
(出展 http://www.kcat.zaq.ne.jp/ishidake/index.htm/mysterio.htm )

どうでした? 妙に生々しい感じで臨場感溢れる体験談だと思いませんか? なんか現実的で、「カッパってこういう生き物だろうな」と思わされてしまいました。
最近読んだUMA目撃談の中で、このカッパの話は白眉です。とても興奮してしまいました。
私はカッパを見た事はありませんが、その存在に関しては信じております。それこそツチノコの目撃者を上回るほど多くの人に目撃されており、その歴史もはるか大昔に遡る訳ですから、カッパは存在していて当たり前だと思っているのです。
未だその正体が不明のままのカッパだからこそ大いにUMA熱を滾らせる存在なのです。
何故か上記の一文を読んでから、カッパに魅了されてしまいました。暇を見つけッパも調べてみたいと思います。


ということで、本日は終了。暫くの間、ブログの更新が不規則になりますがご了承下さい。

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