ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

―― 捕獲されたツチノコ PART Ⅱ ――

2007-11-12 13:02:58 | Weblog
【画像の説明】
 私の知人で芸能マネージャーをしていた青木氏は栃木県の出身である。その青木氏が子供の頃、自宅近くの土手の中ほどで大きな穴を見つけた。小雨が降っていたにも関わらず、穴の中を覗きたくなった青木氏は土手の草むらに踏み入ったという。その薄暗い穴の中に何かの顔が見える。好奇心にそそられ更に近づくと、得体の知れない蛇のような生き物が這いずり出てきてその半身を持ち上げたそうだ。危険を感じた青木氏は手にしていた傘でガードしながら、コブラのように垂直に立ったその生き物を凝視した。大きな口、大きな目、そして太く茶褐色の胴体だった。ややあって青木氏が恐怖を感じその場から逃げ出そうとすると、怪蛇は大きな口を開け傘に跳びかかってきた。「ボコツ」という鈍い音がして、怪蛇が傘に体当たりした。手にした傘から伝わる衝撃の大きさは相当なものだったという。これに恐れをなした青木氏は、後ろも振り返らず一目散に走って逃げたという。後日、近所の友だちと語らって、怪蛇と遭遇した現場に出かけたが、幾ら探しても怪蛇はおろか大きな穴も見つからなかったそうだ。
(上の画像は青木氏の遭遇をイメージしたものです)


▲▼ 捕獲されたツチノコ PART Ⅱ ▼▲

● 手嶋会長の例
 
 私が籍を置く「未確認生物研究会」の手嶋蜻蛉会長は台湾で生まれ育ち、戦後になって福岡県の深倉という在所に引き揚げて来た。この地にご尊父の実家があったからだ。そこは福岡県と大分県の県境で、英彦山(ひこさん)という霊山が聳えている。
 手嶋会長が深倉に来て間もなくの事、旧日本軍が貯蔵していた爆薬を進駐軍が警告も無しに爆発させ、多数の犠牲者を出す事件が起きた。この爆発によって、山が平地に変形したという。たまたまこの爆発地点は手嶋会長の通学路に当っていて、雨が降ると人間の死体や家畜の死体が現われたそうである。そんな死体の中に、ひときわ変わった姿のものがあった。それは土の中から頭を出したまま死んでいたのだが、大きな口をして鱗の粗い蛇のような姿であった。
手嶋会長は興味を惹かれ、一緒にいた二人の学友と共にその死体を引っ張り出した。当然、初めて見る太く短い奇怪な蛇だった。しかし、台湾から引き揚げて間のない会長は、それが日本には当たり前に知られている蛇だという感覚しかなかったそうだ。しかも、たまたま通りかかった古老が「それは徳利蛇だ」と言ったがために、尚のこと当たり前の蛇だという意識が強まり、掘り出した死体を棒の先に引っ掛けそのまま近くの川に流してしまったのである。今になって思えば、それこそが我々を魅了してやまないB型ツチノコであったわけだ。

※手嶋会長は何故かご自身の年齢を明かさないが、推察すると70歳であると思える。そうだとすると、この出来事は凡そ60年前である。それから逆算すると、会長は10歳頃の苦い体験が原動力となって現在もツチノコを追い求めているという事になるのである。もし、ツチノコを未確認生物と理解していたなら、無造作に川に放り込んだりはしなかったはずだ。ツチノコの「幻」たる所以は、得てしてこのような状況での捕獲が多いためなのである。

● 渡辺作智氏の例(三一書房刊「ツチノコの正体」より)
 
 岐阜県小坂町お渡辺作智さんは、自分のイモ畑を回っていてツチヘンビ(ツチノコ)に出遭った。ちょうどビール瓶ほどの太さ、長さもそんなものだ。
 何度も見ているがこの度のものはピョンとも跳ばない。じっとしているから杖で突いた。それでも動かないので、杖にかけて横に流れる飛騨川の支流へ捨てた。岸辺の浅いところに落ちたが、まだ呼吸をしていた。
 家に帰ったが、気になって一時間後に畑に行ってみた。
 すると裏返しになって黄色い腹を見せ、半分ほど水に浸かって死んでいた。作智さんは流れの中にそれを押しやった。山麓に近い隣りの畑で化学肥料を施していたそうである。

※無抵抗のツチノコを目の前にして、この体験も誠にもって残念至極な話である。多分、渡辺氏は欲得でものを考えない性質だからこのような行動をとれたのであろうが、我々にしてみれば「勿体ない」の一語である。せめて死骸をアルコール漬けにするとか、写真を撮るとか出来たろうに…。
 毎度の事だが、ツチノコを捕獲する人は偶然に、である。だから興味を持たない人が大半だ。現在までどれだけ多くのチャンスが掻き消えたことか。だからいつまで経っても「幻」なのだ。

● ガッちゃんの例
 
 未確認生物研究会に通称を「ガッちゃん」と呼ばれる九州男児がいる。運転が得意なのでいつも彼がハンドルを握り、我々はその沈着?な運転に身を任せて探索に繰り出すのだが、このガッちゃんの故郷というのがツチノコだらけらしいのだ。場所は熊本県と宮崎県の県境でとにかく大変な僻地らしい。
 彼は現在40代半ばだが、高校を卒業して上京するまでの18年間、この僻地で何度もツチノコとの遭遇を繰り返していたというのである。時には、我が家(農家)の土間にツチノコが入り込んで叩き出したり、またある時は鶏小屋に侵入した狂暴なツチノコと竹の棒で遣り合ったりと、ツチノコ談議には事欠かない経験者なのだ。しかし、一度も捕獲は考えた事がなかったと言うのである。何故なら、地元では「俵蛇」と言って、昔から神格化されている存在だったからだ。
 そんな彼が高校生の夏、裏の畑で農薬をかぶって瀕死のツチノコと遭遇した。普段見かけるビール瓶サイズとは違い、一升瓶ほどあるキングサイズだった。そいは足で突いても動こうとしない。触るぐらいなら罰も当らないと思ったガッちゃんは、両手で掬い上げるように持ち上げたそうだ。
 猫よりも重量感があり、間近で見ると黒光りする大きな鱗が目立ち、斑紋のあることも分かったそうだ。全体的にブヨブヨした感触ではあったが、背面の鱗の部分だけは硬かったという。
 ガッちゃんは感心して観察していたが、その姿を野良仕事に出てきた爺さんにみつかってしまった。爺さんは目を吊り上げて「直ぐに捨てろ!」と怒鳴る。逆らっても仕方ないので、そのツチノコを藪の中に捨てたのだが、死んだように動く気配はなかったそうだ。結局、その後は都会に働きに出て、それ以来ツチノコとは出遭っていないそうである。

※この話を聞いた時、誰もがガッちゃんをバカ呼ばわりした。しかし、この捕獲事件はガッちゃんが未確認生物研究会に入会する以前の話なのだから仕方ない。元々、何事にも無頓着なガッちゃんらしい体験である。もしも、これが現在のガッちゃんなら捨てはしないだろう。だから私はガッちゃんと会うたびに「早く田舎に帰った方がいい」とけしかけるのだが、都会生活が気に入ってしまった彼には馬耳東風のようだ。


◎また、お時間がきてしまいました。間もなく舞台が本番を迎えるため不規則ですが、またのご笑読をお待ち申しております。


■ お知らせ ■

ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。発売は2月10日頃で、全国の「セブンイレブン」で4万部の限定販売です。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

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