【写真の説明】
先日このブログにて展開した「ツチノコらしき死骸写真」へのコメントが届きました。発信人は「(財)日本蛇属学術研究所/堺先生」からです。通称「蛇研」と呼ばれるこの研究機関は、群馬県藪塚の日本スネークセンター内にその研究施設を有し、日本最大の蛇族研究機関として広く世間に知られています。届いた内容は後述しますが、その中で「頭の形と模様からデスアダー(コブラ科)の一部のようにも見えます。」と提起されました。上の写真を見比べて下さい。確かに似ています。果たして……。
【昨日のニュースから】
405年生きた二枚貝発見される 最長寿の生き物 2007年10月30日01時06分 (asahi.com)
大西洋のアイスランド沖海底から引き揚げられた二枚貝が400年あまりも生きていたことが明らかになった。これまで知られている動物の中で最も長生きとみられる。英バンゴー大学が28日、ウェブサイトで明らかにした。 この貝は大きさが約8.6センチ。昨年、同大学の研究チームが採集した中にあった。貝殻は、温かくエサのプランクトンが豊富な夏場に成長するため木の年輪のように1年ごとに層ができる。それを顕微鏡で数えたところ、年齢は405年から410年の間で、これまで最長とされていた二枚貝よりさらに約30年長いという。 研究チームは「この貝が若いころ、英国ではシェークスピアが『マクベス』や『ハムレット』を書いていたのだ」と、長寿ぶりをたたえた。採集時は生きていたが、年齢を調べる時に肉をはがしたため、偉大な生涯を終えたという。
■…この貝が生れた405年前というと、西暦1602年である。日本ではその翌年、徳川家康によって江戸幕府が開かれている。そう考えると、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代、そして平成まで五つの時代を生き長らえた事になる訳だ。400年と言えば途方も無く長い年月である。その間、暗い海の底で何を考えながら生きてきたのであろうか? そんな疑問を抱いたのは私だけだろうか?
▲▼ いざ出陣! ▼▲
一昨日は「老眼鏡損壊」のために座礁してしまったので、続きということになります。
A班とB班の2グーループに別れた参加者は、バスに乗って最新目撃現場へと向った。私が組み込まれた班は茶畑が探索ポイントに指定され、もう一方の班は木立ちの中の廃屋がポイントとなった。ただし、私がAだったかBだったか、二十年近く経った今となっては曖昧なので、取り敢えずA班にしておこう。
バスを降り、探索現場の茶畑を目にした瞬間、私は「出そうな場所だな」と唸ってしまった。どうという茶畑ではないのだが、雛壇になった畑の境界部分が150cmほどの高さの石垣になっており、そこに無数の隙間が開いていたからだ。また、茶畑の隅には大きな倒木があったり、捨石が積まれていたり、まるで蛇のために棲家を提供しているような状態であった。しかも畑だから日当りもいいし、近くには用水池も有る。
指定された探索時間は2時間だが、自由行動である。初めて訪れた場所で2時間と言うのは酷だが、午後からのイベントを考慮しての制限では仕方ない。参加者を観察していて分かった事は、家族連れの大半がハイキング気分だということ。中には迷彩服で統一した兵隊モドキのグループもいたが、何処を探せば良いのか探しあぐねている。早い話が、参加者の99%がツチノコは何処を探すべきか分かっていないのだ。
そんな中で、人相の悪い二人組みが鼻をヒクヒクさせて石垣や倒木の下を覗き込んでいた。明らかにプロの蛇捕り職人である。彼らは嗅覚を利用してツチノコを探しているらしい。マムシは「栗の花の匂い」がすると言われている。だからツチノコもマムシと同様の体臭を発散させている、という発想なのだろう。
私は懐中電灯を片手に石垣に出来た穴を片っ端から覗き込んだ。どうやら懐中電灯を持って来たのは私だけのようだ。それだけに他の参加者は私を好奇の目で見詰めている。そんな時、穴の中に巨大な目玉が二つ輝いているのを発見して、私は思わず後退りしてしまった。遂にツチノコと接近遭遇かと思うと、嫌でも心臓の鼓動が高鳴った。私は震える手で懐中電灯の明りを穴の中に向け、全神経を集中した。ところが、懐中電灯の明りに照らし出されたモノは、迷惑そうに瞬きをするとても大きなヒキガエルだった。
ヒキガエルが潜んでいるという事は、この石垣の周辺に彼の天敵となる生物がいないという証である。そう判断した私は石垣に見切りをつけ、最上段の茶畑に接する斜面に移動した。
五月上旬は新緑の季節である。斜面に生えた草の丈もまだ低い。だから斜面全体の形状が手に取るように分かり、私はすぐさま幾つかの穴を発見した。どれも直径は5センチ程で、冬眠から目覚めたネズミやヘビなどが利用しているように思えた。斜面はかなり急角度だが、夏場になれば茶畑と接している最下部は雑草に覆われ、ツチノコが巣穴を作るには絶好の場所と言えそうだ。このように、東白川村の茶畑一帯はツチノコ目撃の期待感を漂わせているのだ。
この日のイベントのメインは、ツチノコ捕獲者に100万円の賞金を提供するというものだった。その賞金目当てにプロのヘビ捕りまで参加していたようだが、あの人数で繰り出したのでは、その足音を感じただけでツチノコはおろか他の小動物でさえ身を潜めてしまうはずだ。それ故、少人数でじっくり腰を据えて探索すれば、ここは最高の場所だと私は考えた。もし許されるものなら、茶畑の周囲に霞み網を張り巡らせ、逃げ道を塞いでから徹底調査を行いと思ったものだ。過去に、霞み網に絡んで身動きの取れなくなったツチノコの話があったので、こういう場所ならそれも可能だと思ったからである。
探索前、ツチノコ捕獲以外にも賞品が出ると説明があった。生き物なら何でもいいらしい。それなら蛇でも捕まえてやろうと思い、斜面から少し離れた草むらに建っている古びた物置小屋に行ってみた。そこは農作業の道具を置く小屋だったが、その入り口脇に大きなトタン板がべた置きになっていた。私は直感で「この下にヘビが潜んでいる」と確信が持てたのだ。そこで、トタン板の端をそっと掴んでゆっくりと捲り上げてみた。
すると尻尾が現われた。もしかしたらツチノコではないか、そう思いつつ更に捲り上げて驚いた。全身を現したのは、丸々と太ったヤマカガシの大物だった。
そのヤマカガシは睡眠中だったのか、身動きもせずまどろんでいるように見えた。私はトタン板を放り投げるが早いか、そいつの頭を足で踏んだ。瞬間、我が身の異変に気づいたヤマカガシは身をくねらせて抵抗を始めたが、どっこい後の祭りである。
この時点で賞品として何が授与されるか分からなかったが、取り敢えず生き物をゲットしたので気が休まった。しかし、ヤマカガシをビニール袋に入れようとしたが入りきらず、手に下げたまま探索を続ける破目になってしまった。そこで気づいたのだが、そいつがだらんと全身を伸ばした時の長さは、優に1m40cm以上だったことだ。この数字はかなりのもので、滅多に拝めるものではない。多分、私が出遭ったヤマカガシの中で、この時のものが一番の大物だったのではないだろうか。それに体色の鮮やかさも実に見事なものだった。こいつをぶら下げて茶畑を歩き回っていたのだから、周囲の参加者たちは気持ち悪がったに違いない。そうこうしているうちに探索タイムが終焉を向え、近くの広場?へ移動させられた。
広場にはテントが建ち並びさながら縁日のような賑わいで、マスコミ関係者も多く見受けられた。こんなに参加者がいたのだろうかと、思わず目を疑ったほどだ。ほどなく本日の結果が発表され、中央に設けられた野外ステージに授与者が呼ばれた。当然、その日のツチノコ捕獲は無かったが、大物爬虫類捕獲者として私はステージに立つ事になった。と言うか、爬虫類を捕獲したのは私だけという結果だったのだ。
他の参加者たちの手にしたビニール袋の中身の大半は植物だった。それも山菜である。誰も真剣にツチノコ探しなどしていなかった事が伺えて、私は恥ずかしさがこみ上げてきた。つまり、賞金目当ての強欲野郎だと思われてしまったのではないか、そう考えたからである。
賞品は両手を使わなければ抱え切れないほど沢山有った。全て東白川村の土産品である。電車利用の私にとってこれは厄介な荷物だった。そこで、近くにいた家族連れの方々に進呈すると非常に喜んでもらえ、賞金目当ての誤解が少なからず解消されたようで気も楽になった。そこへ役場の係員氏が突然表れ、仕切りに私に頭を下げる。訳を尋ねてると、私が捕獲したヤマカガシを逃がしてしまったと言う。私にとって気にもならない事なのに係員氏は平身低頭だった。そのお詫びだと言ってまた土産物を戴いたが、これも人に譲ってしまった。
やがてイベントは終り、私を除く参加者全員が家路に着いた。私は泉麻人氏と名刺交換をすると、後日の再会を約束して役場へと向った。ツチノコとの出遭いは明日のイベントに持越しである。役場から指定された旅館にチェックインしたが日没までまだ間があった。私は地図を取り出し、旅館近辺を探索する事にして外へ出た。真っ先に向ったのが東白川村を縦断する「白川」であった。さほど水量の豊富な川ではないが、流石に水が澄んで山紫水明を思わせるに充分な風情である。
川に沿って路があるので上から覗き込むように川下に向った。私の狙いは白川に注ぎ込む支流である。ふと対岸の先を見ると田圃が広がっていて脇に小川が流れているようだ。近くの橋を渡って田圃まで行くと、小川は田圃に隣接する山間から流れている事が分かった。私は小川の流域に茂る雑草を除けながら、ツチノコの巣穴を求めて遡上した。
気づくと、辺りは小川が転じて沢になっていた。岩魚でも棲んでいそうな雰囲気だ。巣穴探しに夢中になって山の中ほどまで登ってしまったのだ。夏にはまだ早いのにカジカが鳴き、頭上を覆う木々によって辺りは薄暗い。聞こえるのは水音だけだ。渓流釣りに行くたびに見かける景色と変わらないのだが、ここはツチノコのメッカ東白川村である。周囲の岩肌の隙間から、ツチノコがこちらを睨んでいるような気がして身震いさせられる。
「そろそろ戻ろうか…」と気が萎えた時、カサカサと微かな音が聞こえてきた。目を凝らして音のする方をよく見ると、川上から押し流されて堆積した枯れ枝の上で、何かの尻尾のようなものが震えている。本体は枯れ枝の山の中に潜っていて見る事ができない。そうなると怖いもの見たさで確かめたくなった。私は息を殺して近づくと、その震える尻尾を凝視した。
どうやら蛇の尻尾のようだ。同時に、かなり太い胴体からその尻尾が生えている事も分かった。太い胴体に細い尻尾、ツチノコではないか! 戦慄と衝撃が私の身体を駆け抜けた。我が脳味噌は捕獲の指示を出しているのだが、全身が震えて手が出せない。腰に携えた捕獲棒を握り締めるのが精一杯だった。
私がどうすべきか躊躇っていると、尻尾がするすると枯れ枝の中に消えて行くではないか。ここでチャンスを逃したら後顧に憂いを残すだけである。私は怖さも忘れ素手で枯れ枝を鷲摑みすると、片っ端から払い除けた。次の瞬間、尻尾の主が姿を現した。同時に私は「アッ!」と叫んで身を引いた。
出てきたのはデブのマムシだった。しかも汚らしい灰色で、毒々しい銭型紋だけが妙に浮いて見えた。枯れ枝の掴み具合が悪ければ、あと少しで咬まれる処である。冷静さを欠くとピンチを招くものだ。事無きを得てほっとしたが、突然「マムシの八人連れ」という言葉を思い出してしまった。近くにウヨウヨいるかも知れない。しかも日が沈みかけている。こうなるとツチノコどころではない。
私は疾風のような勢いで川を下った。こういう時、渓流釣りで培われた沢下りのテクニックがものを言う。それこそアッと言う間に田圃まで戻っていた。旅館に戻って気づいたのだが、手には擦り傷、足には打撲、おまけに懐中電灯と捕獲棒を落としていたのだ。
その夜、懐中電灯を失したため夜間探索ができず暇を持て余していると、地元の方がスナックに行きませんかと声をかけてくれた。私は喜んでその方ついて行った。着いた先は小粋なスナックであった。地元の方々と呑み交わしながらツチノコ談議に花が咲き、乗りに乗った私は梯子しながら午前4時まで飲みまくった。うかつにも明日のイベントの事も忘れてである。
2日目のイベントのことは殆ど覚えていない。まるで脳味噌がアルコール漬けにでもなったように、思考力はゼロ、歩けばフラフラ、食欲不振、自分がなぜ東白川村にいるのかさえ判然としないような状況だった。
不思議なのは、スナックであれだけ飲んで更に梯子までしたのに財布の中身が減っていない、いや、逆に所持金が増えていたのだから不思議なのだ。どうしてそんなに呑んだのかも思い当たらなければ、どうやって地理不案内な私が旅館に辿り着けたのか、それも謎である。
覚えているのは、イベントの探索中にシマヘビを捕まえて再び表彰されたことと、TVの取材を受けた事ぐらいだった。そして、どういう手段で東京へ帰りつけたか分からないが、帰宅してポケットを探るとテレビ局のディレクターらしき方の名刺が出てきた。その名刺には「おはようナイス・デイ」という番組名のロゴが印刷されていた。
果たしてテレビ取材で何を話したのか、いつ放送なのか、皆目見当もつかないまま日を送っていると、イベントで出会った泉麻人氏から電話があった。「ツチノコに関する資料を全て貸して欲しい」との内容だった。
早速、中型のダンボール箱に詰め込んだ資料を、名刺に書かれていた住所宛に宅急便で送った。その後、泉麻人氏とはツチノコの事で何度かやり取りをしたが、いつまで経っても幻でしかないツチノコに業を煮やしたのか、プッツリと連絡が途絶えてしまった。
私はその後、幾度も東白川村へ行こうと試みた。だが、その夢が叶ったのは十数年後であった。しかし、ツチノコ探索とは無縁の状況での来訪であった。もし、一週間の暇が出来たら、私は絶対に東白川村へ探索に行くだろう。それだけツチノコ捕獲の可能性を秘めた場所だからである。
ツチノコ捕獲と山紫水明な景色をお望みの方は、是非、行かれてみては如何でしょうか。大自然の楽しさを満喫するにはもってこいです。因みに、ツチノコ捕獲イベントは毎年5月3日が開催日です。詳細は東白川村のHPでお確かめ下さい。
尚、東白川村に於ける目撃例等は、「ツチノコ 東白川村」で直接検索されると出てきます。
次回は冒頭に掲げた「死骸写真」の続編です。
■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。詳細は11月中旬にお知らせできるでしょう。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!
★11月3日(20時~)のNHK・BS2もお見逃しないようにお願い致します。
※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。
※zero1995zero@ybb.ne.jp
先日このブログにて展開した「ツチノコらしき死骸写真」へのコメントが届きました。発信人は「(財)日本蛇属学術研究所/堺先生」からです。通称「蛇研」と呼ばれるこの研究機関は、群馬県藪塚の日本スネークセンター内にその研究施設を有し、日本最大の蛇族研究機関として広く世間に知られています。届いた内容は後述しますが、その中で「頭の形と模様からデスアダー(コブラ科)の一部のようにも見えます。」と提起されました。上の写真を見比べて下さい。確かに似ています。果たして……。
【昨日のニュースから】
405年生きた二枚貝発見される 最長寿の生き物 2007年10月30日01時06分 (asahi.com)
大西洋のアイスランド沖海底から引き揚げられた二枚貝が400年あまりも生きていたことが明らかになった。これまで知られている動物の中で最も長生きとみられる。英バンゴー大学が28日、ウェブサイトで明らかにした。 この貝は大きさが約8.6センチ。昨年、同大学の研究チームが採集した中にあった。貝殻は、温かくエサのプランクトンが豊富な夏場に成長するため木の年輪のように1年ごとに層ができる。それを顕微鏡で数えたところ、年齢は405年から410年の間で、これまで最長とされていた二枚貝よりさらに約30年長いという。 研究チームは「この貝が若いころ、英国ではシェークスピアが『マクベス』や『ハムレット』を書いていたのだ」と、長寿ぶりをたたえた。採集時は生きていたが、年齢を調べる時に肉をはがしたため、偉大な生涯を終えたという。
■…この貝が生れた405年前というと、西暦1602年である。日本ではその翌年、徳川家康によって江戸幕府が開かれている。そう考えると、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代、そして平成まで五つの時代を生き長らえた事になる訳だ。400年と言えば途方も無く長い年月である。その間、暗い海の底で何を考えながら生きてきたのであろうか? そんな疑問を抱いたのは私だけだろうか?
▲▼ いざ出陣! ▼▲
一昨日は「老眼鏡損壊」のために座礁してしまったので、続きということになります。
A班とB班の2グーループに別れた参加者は、バスに乗って最新目撃現場へと向った。私が組み込まれた班は茶畑が探索ポイントに指定され、もう一方の班は木立ちの中の廃屋がポイントとなった。ただし、私がAだったかBだったか、二十年近く経った今となっては曖昧なので、取り敢えずA班にしておこう。
バスを降り、探索現場の茶畑を目にした瞬間、私は「出そうな場所だな」と唸ってしまった。どうという茶畑ではないのだが、雛壇になった畑の境界部分が150cmほどの高さの石垣になっており、そこに無数の隙間が開いていたからだ。また、茶畑の隅には大きな倒木があったり、捨石が積まれていたり、まるで蛇のために棲家を提供しているような状態であった。しかも畑だから日当りもいいし、近くには用水池も有る。
指定された探索時間は2時間だが、自由行動である。初めて訪れた場所で2時間と言うのは酷だが、午後からのイベントを考慮しての制限では仕方ない。参加者を観察していて分かった事は、家族連れの大半がハイキング気分だということ。中には迷彩服で統一した兵隊モドキのグループもいたが、何処を探せば良いのか探しあぐねている。早い話が、参加者の99%がツチノコは何処を探すべきか分かっていないのだ。
そんな中で、人相の悪い二人組みが鼻をヒクヒクさせて石垣や倒木の下を覗き込んでいた。明らかにプロの蛇捕り職人である。彼らは嗅覚を利用してツチノコを探しているらしい。マムシは「栗の花の匂い」がすると言われている。だからツチノコもマムシと同様の体臭を発散させている、という発想なのだろう。
私は懐中電灯を片手に石垣に出来た穴を片っ端から覗き込んだ。どうやら懐中電灯を持って来たのは私だけのようだ。それだけに他の参加者は私を好奇の目で見詰めている。そんな時、穴の中に巨大な目玉が二つ輝いているのを発見して、私は思わず後退りしてしまった。遂にツチノコと接近遭遇かと思うと、嫌でも心臓の鼓動が高鳴った。私は震える手で懐中電灯の明りを穴の中に向け、全神経を集中した。ところが、懐中電灯の明りに照らし出されたモノは、迷惑そうに瞬きをするとても大きなヒキガエルだった。
ヒキガエルが潜んでいるという事は、この石垣の周辺に彼の天敵となる生物がいないという証である。そう判断した私は石垣に見切りをつけ、最上段の茶畑に接する斜面に移動した。
五月上旬は新緑の季節である。斜面に生えた草の丈もまだ低い。だから斜面全体の形状が手に取るように分かり、私はすぐさま幾つかの穴を発見した。どれも直径は5センチ程で、冬眠から目覚めたネズミやヘビなどが利用しているように思えた。斜面はかなり急角度だが、夏場になれば茶畑と接している最下部は雑草に覆われ、ツチノコが巣穴を作るには絶好の場所と言えそうだ。このように、東白川村の茶畑一帯はツチノコ目撃の期待感を漂わせているのだ。
この日のイベントのメインは、ツチノコ捕獲者に100万円の賞金を提供するというものだった。その賞金目当てにプロのヘビ捕りまで参加していたようだが、あの人数で繰り出したのでは、その足音を感じただけでツチノコはおろか他の小動物でさえ身を潜めてしまうはずだ。それ故、少人数でじっくり腰を据えて探索すれば、ここは最高の場所だと私は考えた。もし許されるものなら、茶畑の周囲に霞み網を張り巡らせ、逃げ道を塞いでから徹底調査を行いと思ったものだ。過去に、霞み網に絡んで身動きの取れなくなったツチノコの話があったので、こういう場所ならそれも可能だと思ったからである。
探索前、ツチノコ捕獲以外にも賞品が出ると説明があった。生き物なら何でもいいらしい。それなら蛇でも捕まえてやろうと思い、斜面から少し離れた草むらに建っている古びた物置小屋に行ってみた。そこは農作業の道具を置く小屋だったが、その入り口脇に大きなトタン板がべた置きになっていた。私は直感で「この下にヘビが潜んでいる」と確信が持てたのだ。そこで、トタン板の端をそっと掴んでゆっくりと捲り上げてみた。
すると尻尾が現われた。もしかしたらツチノコではないか、そう思いつつ更に捲り上げて驚いた。全身を現したのは、丸々と太ったヤマカガシの大物だった。
そのヤマカガシは睡眠中だったのか、身動きもせずまどろんでいるように見えた。私はトタン板を放り投げるが早いか、そいつの頭を足で踏んだ。瞬間、我が身の異変に気づいたヤマカガシは身をくねらせて抵抗を始めたが、どっこい後の祭りである。
この時点で賞品として何が授与されるか分からなかったが、取り敢えず生き物をゲットしたので気が休まった。しかし、ヤマカガシをビニール袋に入れようとしたが入りきらず、手に下げたまま探索を続ける破目になってしまった。そこで気づいたのだが、そいつがだらんと全身を伸ばした時の長さは、優に1m40cm以上だったことだ。この数字はかなりのもので、滅多に拝めるものではない。多分、私が出遭ったヤマカガシの中で、この時のものが一番の大物だったのではないだろうか。それに体色の鮮やかさも実に見事なものだった。こいつをぶら下げて茶畑を歩き回っていたのだから、周囲の参加者たちは気持ち悪がったに違いない。そうこうしているうちに探索タイムが終焉を向え、近くの広場?へ移動させられた。
広場にはテントが建ち並びさながら縁日のような賑わいで、マスコミ関係者も多く見受けられた。こんなに参加者がいたのだろうかと、思わず目を疑ったほどだ。ほどなく本日の結果が発表され、中央に設けられた野外ステージに授与者が呼ばれた。当然、その日のツチノコ捕獲は無かったが、大物爬虫類捕獲者として私はステージに立つ事になった。と言うか、爬虫類を捕獲したのは私だけという結果だったのだ。
他の参加者たちの手にしたビニール袋の中身の大半は植物だった。それも山菜である。誰も真剣にツチノコ探しなどしていなかった事が伺えて、私は恥ずかしさがこみ上げてきた。つまり、賞金目当ての強欲野郎だと思われてしまったのではないか、そう考えたからである。
賞品は両手を使わなければ抱え切れないほど沢山有った。全て東白川村の土産品である。電車利用の私にとってこれは厄介な荷物だった。そこで、近くにいた家族連れの方々に進呈すると非常に喜んでもらえ、賞金目当ての誤解が少なからず解消されたようで気も楽になった。そこへ役場の係員氏が突然表れ、仕切りに私に頭を下げる。訳を尋ねてると、私が捕獲したヤマカガシを逃がしてしまったと言う。私にとって気にもならない事なのに係員氏は平身低頭だった。そのお詫びだと言ってまた土産物を戴いたが、これも人に譲ってしまった。
やがてイベントは終り、私を除く参加者全員が家路に着いた。私は泉麻人氏と名刺交換をすると、後日の再会を約束して役場へと向った。ツチノコとの出遭いは明日のイベントに持越しである。役場から指定された旅館にチェックインしたが日没までまだ間があった。私は地図を取り出し、旅館近辺を探索する事にして外へ出た。真っ先に向ったのが東白川村を縦断する「白川」であった。さほど水量の豊富な川ではないが、流石に水が澄んで山紫水明を思わせるに充分な風情である。
川に沿って路があるので上から覗き込むように川下に向った。私の狙いは白川に注ぎ込む支流である。ふと対岸の先を見ると田圃が広がっていて脇に小川が流れているようだ。近くの橋を渡って田圃まで行くと、小川は田圃に隣接する山間から流れている事が分かった。私は小川の流域に茂る雑草を除けながら、ツチノコの巣穴を求めて遡上した。
気づくと、辺りは小川が転じて沢になっていた。岩魚でも棲んでいそうな雰囲気だ。巣穴探しに夢中になって山の中ほどまで登ってしまったのだ。夏にはまだ早いのにカジカが鳴き、頭上を覆う木々によって辺りは薄暗い。聞こえるのは水音だけだ。渓流釣りに行くたびに見かける景色と変わらないのだが、ここはツチノコのメッカ東白川村である。周囲の岩肌の隙間から、ツチノコがこちらを睨んでいるような気がして身震いさせられる。
「そろそろ戻ろうか…」と気が萎えた時、カサカサと微かな音が聞こえてきた。目を凝らして音のする方をよく見ると、川上から押し流されて堆積した枯れ枝の上で、何かの尻尾のようなものが震えている。本体は枯れ枝の山の中に潜っていて見る事ができない。そうなると怖いもの見たさで確かめたくなった。私は息を殺して近づくと、その震える尻尾を凝視した。
どうやら蛇の尻尾のようだ。同時に、かなり太い胴体からその尻尾が生えている事も分かった。太い胴体に細い尻尾、ツチノコではないか! 戦慄と衝撃が私の身体を駆け抜けた。我が脳味噌は捕獲の指示を出しているのだが、全身が震えて手が出せない。腰に携えた捕獲棒を握り締めるのが精一杯だった。
私がどうすべきか躊躇っていると、尻尾がするすると枯れ枝の中に消えて行くではないか。ここでチャンスを逃したら後顧に憂いを残すだけである。私は怖さも忘れ素手で枯れ枝を鷲摑みすると、片っ端から払い除けた。次の瞬間、尻尾の主が姿を現した。同時に私は「アッ!」と叫んで身を引いた。
出てきたのはデブのマムシだった。しかも汚らしい灰色で、毒々しい銭型紋だけが妙に浮いて見えた。枯れ枝の掴み具合が悪ければ、あと少しで咬まれる処である。冷静さを欠くとピンチを招くものだ。事無きを得てほっとしたが、突然「マムシの八人連れ」という言葉を思い出してしまった。近くにウヨウヨいるかも知れない。しかも日が沈みかけている。こうなるとツチノコどころではない。
私は疾風のような勢いで川を下った。こういう時、渓流釣りで培われた沢下りのテクニックがものを言う。それこそアッと言う間に田圃まで戻っていた。旅館に戻って気づいたのだが、手には擦り傷、足には打撲、おまけに懐中電灯と捕獲棒を落としていたのだ。
その夜、懐中電灯を失したため夜間探索ができず暇を持て余していると、地元の方がスナックに行きませんかと声をかけてくれた。私は喜んでその方ついて行った。着いた先は小粋なスナックであった。地元の方々と呑み交わしながらツチノコ談議に花が咲き、乗りに乗った私は梯子しながら午前4時まで飲みまくった。うかつにも明日のイベントの事も忘れてである。
2日目のイベントのことは殆ど覚えていない。まるで脳味噌がアルコール漬けにでもなったように、思考力はゼロ、歩けばフラフラ、食欲不振、自分がなぜ東白川村にいるのかさえ判然としないような状況だった。
不思議なのは、スナックであれだけ飲んで更に梯子までしたのに財布の中身が減っていない、いや、逆に所持金が増えていたのだから不思議なのだ。どうしてそんなに呑んだのかも思い当たらなければ、どうやって地理不案内な私が旅館に辿り着けたのか、それも謎である。
覚えているのは、イベントの探索中にシマヘビを捕まえて再び表彰されたことと、TVの取材を受けた事ぐらいだった。そして、どういう手段で東京へ帰りつけたか分からないが、帰宅してポケットを探るとテレビ局のディレクターらしき方の名刺が出てきた。その名刺には「おはようナイス・デイ」という番組名のロゴが印刷されていた。
果たしてテレビ取材で何を話したのか、いつ放送なのか、皆目見当もつかないまま日を送っていると、イベントで出会った泉麻人氏から電話があった。「ツチノコに関する資料を全て貸して欲しい」との内容だった。
早速、中型のダンボール箱に詰め込んだ資料を、名刺に書かれていた住所宛に宅急便で送った。その後、泉麻人氏とはツチノコの事で何度かやり取りをしたが、いつまで経っても幻でしかないツチノコに業を煮やしたのか、プッツリと連絡が途絶えてしまった。
私はその後、幾度も東白川村へ行こうと試みた。だが、その夢が叶ったのは十数年後であった。しかし、ツチノコ探索とは無縁の状況での来訪であった。もし、一週間の暇が出来たら、私は絶対に東白川村へ探索に行くだろう。それだけツチノコ捕獲の可能性を秘めた場所だからである。
ツチノコ捕獲と山紫水明な景色をお望みの方は、是非、行かれてみては如何でしょうか。大自然の楽しさを満喫するにはもってこいです。因みに、ツチノコ捕獲イベントは毎年5月3日が開催日です。詳細は東白川村のHPでお確かめ下さい。
尚、東白川村に於ける目撃例等は、「ツチノコ 東白川村」で直接検索されると出てきます。
次回は冒頭に掲げた「死骸写真」の続編です。
■ お知らせ ■
ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。詳細は11月中旬にお知らせできるでしょう。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!
★11月3日(20時~)のNHK・BS2もお見逃しないようにお願い致します。
※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。
※zero1995zero@ybb.ne.jp