ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

目撃多発地帯 (2)

2007-10-31 16:03:36 | Weblog
【写真の説明】
先日このブログにて展開した「ツチノコらしき死骸写真」へのコメントが届きました。発信人は「(財)日本蛇属学術研究所/堺先生」からです。通称「蛇研」と呼ばれるこの研究機関は、群馬県藪塚の日本スネークセンター内にその研究施設を有し、日本最大の蛇族研究機関として広く世間に知られています。届いた内容は後述しますが、その中で「頭の形と模様からデスアダー(コブラ科)の一部のようにも見えます。」と提起されました。上の写真を見比べて下さい。確かに似ています。果たして……。


【昨日のニュースから】
405年生きた二枚貝発見される 最長寿の生き物  2007年10月30日01時06分 (asahi.com)
大西洋のアイスランド沖海底から引き揚げられた二枚貝が400年あまりも生きていたことが明らかになった。これまで知られている動物の中で最も長生きとみられる。英バンゴー大学が28日、ウェブサイトで明らかにした。  この貝は大きさが約8.6センチ。昨年、同大学の研究チームが採集した中にあった。貝殻は、温かくエサのプランクトンが豊富な夏場に成長するため木の年輪のように1年ごとに層ができる。それを顕微鏡で数えたところ、年齢は405年から410年の間で、これまで最長とされていた二枚貝よりさらに約30年長いという。  研究チームは「この貝が若いころ、英国ではシェークスピアが『マクベス』や『ハムレット』を書いていたのだ」と、長寿ぶりをたたえた。採集時は生きていたが、年齢を調べる時に肉をはがしたため、偉大な生涯を終えたという。  

■…この貝が生れた405年前というと、西暦1602年である。日本ではその翌年、徳川家康によって江戸幕府が開かれている。そう考えると、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代、そして平成まで五つの時代を生き長らえた事になる訳だ。400年と言えば途方も無く長い年月である。その間、暗い海の底で何を考えながら生きてきたのであろうか? そんな疑問を抱いたのは私だけだろうか?


▲▼ いざ出陣! ▼▲

 一昨日は「老眼鏡損壊」のために座礁してしまったので、続きということになります。
 
 A班とB班の2グーループに別れた参加者は、バスに乗って最新目撃現場へと向った。私が組み込まれた班は茶畑が探索ポイントに指定され、もう一方の班は木立ちの中の廃屋がポイントとなった。ただし、私がAだったかBだったか、二十年近く経った今となっては曖昧なので、取り敢えずA班にしておこう。
 バスを降り、探索現場の茶畑を目にした瞬間、私は「出そうな場所だな」と唸ってしまった。どうという茶畑ではないのだが、雛壇になった畑の境界部分が150cmほどの高さの石垣になっており、そこに無数の隙間が開いていたからだ。また、茶畑の隅には大きな倒木があったり、捨石が積まれていたり、まるで蛇のために棲家を提供しているような状態であった。しかも畑だから日当りもいいし、近くには用水池も有る。
 
 指定された探索時間は2時間だが、自由行動である。初めて訪れた場所で2時間と言うのは酷だが、午後からのイベントを考慮しての制限では仕方ない。参加者を観察していて分かった事は、家族連れの大半がハイキング気分だということ。中には迷彩服で統一した兵隊モドキのグループもいたが、何処を探せば良いのか探しあぐねている。早い話が、参加者の99%がツチノコは何処を探すべきか分かっていないのだ。
 そんな中で、人相の悪い二人組みが鼻をヒクヒクさせて石垣や倒木の下を覗き込んでいた。明らかにプロの蛇捕り職人である。彼らは嗅覚を利用してツチノコを探しているらしい。マムシは「栗の花の匂い」がすると言われている。だからツチノコもマムシと同様の体臭を発散させている、という発想なのだろう。
 
 私は懐中電灯を片手に石垣に出来た穴を片っ端から覗き込んだ。どうやら懐中電灯を持って来たのは私だけのようだ。それだけに他の参加者は私を好奇の目で見詰めている。そんな時、穴の中に巨大な目玉が二つ輝いているのを発見して、私は思わず後退りしてしまった。遂にツチノコと接近遭遇かと思うと、嫌でも心臓の鼓動が高鳴った。私は震える手で懐中電灯の明りを穴の中に向け、全神経を集中した。ところが、懐中電灯の明りに照らし出されたモノは、迷惑そうに瞬きをするとても大きなヒキガエルだった。
ヒキガエルが潜んでいるという事は、この石垣の周辺に彼の天敵となる生物がいないという証である。そう判断した私は石垣に見切りをつけ、最上段の茶畑に接する斜面に移動した。
 五月上旬は新緑の季節である。斜面に生えた草の丈もまだ低い。だから斜面全体の形状が手に取るように分かり、私はすぐさま幾つかの穴を発見した。どれも直径は5センチ程で、冬眠から目覚めたネズミやヘビなどが利用しているように思えた。斜面はかなり急角度だが、夏場になれば茶畑と接している最下部は雑草に覆われ、ツチノコが巣穴を作るには絶好の場所と言えそうだ。このように、東白川村の茶畑一帯はツチノコ目撃の期待感を漂わせているのだ。
 
 この日のイベントのメインは、ツチノコ捕獲者に100万円の賞金を提供するというものだった。その賞金目当てにプロのヘビ捕りまで参加していたようだが、あの人数で繰り出したのでは、その足音を感じただけでツチノコはおろか他の小動物でさえ身を潜めてしまうはずだ。それ故、少人数でじっくり腰を据えて探索すれば、ここは最高の場所だと私は考えた。もし許されるものなら、茶畑の周囲に霞み網を張り巡らせ、逃げ道を塞いでから徹底調査を行いと思ったものだ。過去に、霞み網に絡んで身動きの取れなくなったツチノコの話があったので、こういう場所ならそれも可能だと思ったからである。
 探索前、ツチノコ捕獲以外にも賞品が出ると説明があった。生き物なら何でもいいらしい。それなら蛇でも捕まえてやろうと思い、斜面から少し離れた草むらに建っている古びた物置小屋に行ってみた。そこは農作業の道具を置く小屋だったが、その入り口脇に大きなトタン板がべた置きになっていた。私は直感で「この下にヘビが潜んでいる」と確信が持てたのだ。そこで、トタン板の端をそっと掴んでゆっくりと捲り上げてみた。
 すると尻尾が現われた。もしかしたらツチノコではないか、そう思いつつ更に捲り上げて驚いた。全身を現したのは、丸々と太ったヤマカガシの大物だった。
 そのヤマカガシは睡眠中だったのか、身動きもせずまどろんでいるように見えた。私はトタン板を放り投げるが早いか、そいつの頭を足で踏んだ。瞬間、我が身の異変に気づいたヤマカガシは身をくねらせて抵抗を始めたが、どっこい後の祭りである。
 この時点で賞品として何が授与されるか分からなかったが、取り敢えず生き物をゲットしたので気が休まった。しかし、ヤマカガシをビニール袋に入れようとしたが入りきらず、手に下げたまま探索を続ける破目になってしまった。そこで気づいたのだが、そいつがだらんと全身を伸ばした時の長さは、優に1m40cm以上だったことだ。この数字はかなりのもので、滅多に拝めるものではない。多分、私が出遭ったヤマカガシの中で、この時のものが一番の大物だったのではないだろうか。それに体色の鮮やかさも実に見事なものだった。こいつをぶら下げて茶畑を歩き回っていたのだから、周囲の参加者たちは気持ち悪がったに違いない。そうこうしているうちに探索タイムが終焉を向え、近くの広場?へ移動させられた。
 
 広場にはテントが建ち並びさながら縁日のような賑わいで、マスコミ関係者も多く見受けられた。こんなに参加者がいたのだろうかと、思わず目を疑ったほどだ。ほどなく本日の結果が発表され、中央に設けられた野外ステージに授与者が呼ばれた。当然、その日のツチノコ捕獲は無かったが、大物爬虫類捕獲者として私はステージに立つ事になった。と言うか、爬虫類を捕獲したのは私だけという結果だったのだ。
 他の参加者たちの手にしたビニール袋の中身の大半は植物だった。それも山菜である。誰も真剣にツチノコ探しなどしていなかった事が伺えて、私は恥ずかしさがこみ上げてきた。つまり、賞金目当ての強欲野郎だと思われてしまったのではないか、そう考えたからである。
 賞品は両手を使わなければ抱え切れないほど沢山有った。全て東白川村の土産品である。電車利用の私にとってこれは厄介な荷物だった。そこで、近くにいた家族連れの方々に進呈すると非常に喜んでもらえ、賞金目当ての誤解が少なからず解消されたようで気も楽になった。そこへ役場の係員氏が突然表れ、仕切りに私に頭を下げる。訳を尋ねてると、私が捕獲したヤマカガシを逃がしてしまったと言う。私にとって気にもならない事なのに係員氏は平身低頭だった。そのお詫びだと言ってまた土産物を戴いたが、これも人に譲ってしまった。
 やがてイベントは終り、私を除く参加者全員が家路に着いた。私は泉麻人氏と名刺交換をすると、後日の再会を約束して役場へと向った。ツチノコとの出遭いは明日のイベントに持越しである。役場から指定された旅館にチェックインしたが日没までまだ間があった。私は地図を取り出し、旅館近辺を探索する事にして外へ出た。真っ先に向ったのが東白川村を縦断する「白川」であった。さほど水量の豊富な川ではないが、流石に水が澄んで山紫水明を思わせるに充分な風情である。

 川に沿って路があるので上から覗き込むように川下に向った。私の狙いは白川に注ぎ込む支流である。ふと対岸の先を見ると田圃が広がっていて脇に小川が流れているようだ。近くの橋を渡って田圃まで行くと、小川は田圃に隣接する山間から流れている事が分かった。私は小川の流域に茂る雑草を除けながら、ツチノコの巣穴を求めて遡上した。
 気づくと、辺りは小川が転じて沢になっていた。岩魚でも棲んでいそうな雰囲気だ。巣穴探しに夢中になって山の中ほどまで登ってしまったのだ。夏にはまだ早いのにカジカが鳴き、頭上を覆う木々によって辺りは薄暗い。聞こえるのは水音だけだ。渓流釣りに行くたびに見かける景色と変わらないのだが、ここはツチノコのメッカ東白川村である。周囲の岩肌の隙間から、ツチノコがこちらを睨んでいるような気がして身震いさせられる。
 「そろそろ戻ろうか…」と気が萎えた時、カサカサと微かな音が聞こえてきた。目を凝らして音のする方をよく見ると、川上から押し流されて堆積した枯れ枝の上で、何かの尻尾のようなものが震えている。本体は枯れ枝の山の中に潜っていて見る事ができない。そうなると怖いもの見たさで確かめたくなった。私は息を殺して近づくと、その震える尻尾を凝視した。
 どうやら蛇の尻尾のようだ。同時に、かなり太い胴体からその尻尾が生えている事も分かった。太い胴体に細い尻尾、ツチノコではないか! 戦慄と衝撃が私の身体を駆け抜けた。我が脳味噌は捕獲の指示を出しているのだが、全身が震えて手が出せない。腰に携えた捕獲棒を握り締めるのが精一杯だった。
 私がどうすべきか躊躇っていると、尻尾がするすると枯れ枝の中に消えて行くではないか。ここでチャンスを逃したら後顧に憂いを残すだけである。私は怖さも忘れ素手で枯れ枝を鷲摑みすると、片っ端から払い除けた。次の瞬間、尻尾の主が姿を現した。同時に私は「アッ!」と叫んで身を引いた。
 出てきたのはデブのマムシだった。しかも汚らしい灰色で、毒々しい銭型紋だけが妙に浮いて見えた。枯れ枝の掴み具合が悪ければ、あと少しで咬まれる処である。冷静さを欠くとピンチを招くものだ。事無きを得てほっとしたが、突然「マムシの八人連れ」という言葉を思い出してしまった。近くにウヨウヨいるかも知れない。しかも日が沈みかけている。こうなるとツチノコどころではない。
 私は疾風のような勢いで川を下った。こういう時、渓流釣りで培われた沢下りのテクニックがものを言う。それこそアッと言う間に田圃まで戻っていた。旅館に戻って気づいたのだが、手には擦り傷、足には打撲、おまけに懐中電灯と捕獲棒を落としていたのだ。
 その夜、懐中電灯を失したため夜間探索ができず暇を持て余していると、地元の方がスナックに行きませんかと声をかけてくれた。私は喜んでその方ついて行った。着いた先は小粋なスナックであった。地元の方々と呑み交わしながらツチノコ談議に花が咲き、乗りに乗った私は梯子しながら午前4時まで飲みまくった。うかつにも明日のイベントの事も忘れてである。

 2日目のイベントのことは殆ど覚えていない。まるで脳味噌がアルコール漬けにでもなったように、思考力はゼロ、歩けばフラフラ、食欲不振、自分がなぜ東白川村にいるのかさえ判然としないような状況だった。
 不思議なのは、スナックであれだけ飲んで更に梯子までしたのに財布の中身が減っていない、いや、逆に所持金が増えていたのだから不思議なのだ。どうしてそんなに呑んだのかも思い当たらなければ、どうやって地理不案内な私が旅館に辿り着けたのか、それも謎である。
 覚えているのは、イベントの探索中にシマヘビを捕まえて再び表彰されたことと、TVの取材を受けた事ぐらいだった。そして、どういう手段で東京へ帰りつけたか分からないが、帰宅してポケットを探るとテレビ局のディレクターらしき方の名刺が出てきた。その名刺には「おはようナイス・デイ」という番組名のロゴが印刷されていた。
 果たしてテレビ取材で何を話したのか、いつ放送なのか、皆目見当もつかないまま日を送っていると、イベントで出会った泉麻人氏から電話があった。「ツチノコに関する資料を全て貸して欲しい」との内容だった。 
 早速、中型のダンボール箱に詰め込んだ資料を、名刺に書かれていた住所宛に宅急便で送った。その後、泉麻人氏とはツチノコの事で何度かやり取りをしたが、いつまで経っても幻でしかないツチノコに業を煮やしたのか、プッツリと連絡が途絶えてしまった。

 私はその後、幾度も東白川村へ行こうと試みた。だが、その夢が叶ったのは十数年後であった。しかし、ツチノコ探索とは無縁の状況での来訪であった。もし、一週間の暇が出来たら、私は絶対に東白川村へ探索に行くだろう。それだけツチノコ捕獲の可能性を秘めた場所だからである。
 ツチノコ捕獲と山紫水明な景色をお望みの方は、是非、行かれてみては如何でしょうか。大自然の楽しさを満喫するにはもってこいです。因みに、ツチノコ捕獲イベントは毎年5月3日が開催日です。詳細は東白川村のHPでお確かめ下さい。
 尚、東白川村に於ける目撃例等は、「ツチノコ 東白川村」で直接検索されると出てきます。

次回は冒頭に掲げた「死骸写真」の続編です。

■ お知らせ ■

ツチノコのDVDが付録にセットされた「未知動物の特集本」が発売されます。詳細は11月中旬にお知らせできるでしょう。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますのでお楽しみに!

★11月3日(20時~)のNHK・BS2もお見逃しないようにお願い致します。

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※zero1995zero@ybb.ne.jp


 


ツチノコ目撃多発地帯 (1)

2007-10-29 23:03:36 | Weblog
【写真の説明】
拡大表示しないと見づらいですが、これは知る人ぞ知る「東白川村」に於ける『第1回槌の子捕獲大作戦』の記念写真です。期日は平成元年5月3日~4日の2日間だったと記憶しています。初イベントにしてはアトラクション等も盛りだくさんで、両日共になかなかの賑わいだったことが印象的でした。


■本日のニュースから■

UFO文書の調査約束=65年の「円盤墜落説」で根負け-NASA 10月29日9時0分配信
【ワシントン28日時事】
米航空宇宙局(NASA)は28日までに、1965年の「未確認飛行物体(UFO)墜落説」に関連する文書が部内に存在するかどうか調査することを明らかにした。米メディアが伝えた。UFO墜落情報の公開を求める米ジャーナリストが数年前に起こした訴訟の過程でNASA側が根負けし、文書の有無を詳しく調査すると約束した。 

■上の記事を読んでつくづく考えてしまいました。いつになったらUFO問題は解決するの だろうかと。
 私が「空飛ぶ円盤」という言葉を初めて聞いたのは4歳ぐらいの頃でした。それなの  に、あれから50年も経過した現時点でも未だに「謎」とされているUFOは、世界規模 でニュースとなり話題になっているにも関わらず、半世紀以上のミステリーとして君臨 しているのは何故だろうか?
 このUFOをもってして「未確認」ということは、ツチノコが「未確認」のレッテルを貼 られるのは当然のことだろう。そう考えると「ネッシー」や「雪男」が未確認扱いなの も当然であって不思議はない。果たしてこの「未確認」という前置きを冠した諸々は、 白日の元にその正体を曝す日が来るのであろうか。
 

▲▼ 第1回・槌の子捕獲イベント ▼▲

 今回、東白川村の特集を書くに当り、過去に集めた膨大な資料や覚書を参考にしようと、家中ひっくり返して大捜索を展開した。ところが肝心なものは一切見つからず、以前パソコンに取り込んでおいた記念写真だけが画像資料となってしまった。そのため記憶の糸を手繰りながら話を進める事しかできないが、なぜ私がこの東白川村に執着するかというと、この人口3000人の村こそが、日本に於ける最大のツチノコ目撃多発地帯だからである。

 平成元年5月に岐阜県加茂郡東白川村で「第1回・槌の子捕獲大作戦」なるイベントが開催されるという情報をは、愛読していた週刊文春のコラムによって入手した。その記事を書いていたのはコラムニストの泉麻人氏で、「どのようなイベントなのか興味が湧いたため参加することにした」というような内容であった。
 この記事を読んだ私は、あの合掌造りで有名な「白川郷」と「東白川村」がオーバーラップしてしまい、物見遊山のつもりで出かけてみようと思い立った。そこで目的地の情報を得るのが先決と考え、紀ノ国屋書店へ行き東白川村の詳細を記した出版物を探した。しかし、納得のできるものが見当たらず断念。代わりに「5万分の1」地図を買い込んで帰宅、入念に東白川村の地形を調べ始めた。すると想像していた以上にツチノコの住環境に適している事が分かり、目撃が多発するのも当たり前のように思えたきたのだ。
 善は急げと言う。私は東白川村役場に電話をかけると、3日と4日の2日間の参加を申し込んだ。ところが、担当の方から「お一人様1日だけです」と断られてしまったのである。幾らなんでも岐阜の奥地まで行き、日帰りはきつい。そう考えていた私は、2日間でないと嫌だと駄々をこねてみた。流石に手を焼いたのであろう、その担当者氏は泣く泣く私の要望を聞き入れてくれたのだった。
 そして数日後、東白川村の役場から封書が届いた。中にはイベント開催時の集合場所や式次第、広報誌等と一緒に会員カードが同封されていた。ナンバーは0002である。どうせだったら0001が良かったのだが、先頭ナンバーは大坪信也さんという地元のツチノコ会長さんに渡されたと、後から聞かされた。

 東白川村でのイベント開催日はゴールデンウィーク中だった。もし車で行けば渋滞に巻き込まれる可能性がある。私は電車の利用が最良だと考え料金を算出してみたのだが、なんだかんだで2万5千円ほどかかる事が分かった。それにイベント参加料や宿泊費等を合算すると、約5万円の出費だと知れた。いつものことだが、ツチノコ探索には金がかかるものだ。しかしながら道楽に投資は付き物と、苦笑した事を思い出す。

 いよいよ開催当日、東京駅から乗り込んだ下り新幹線は150%の乗車率であった。自由席券で充分だろうと高を括っていた私は椅子取り合戦に破れ、とうとう名古屋まで立つ羽目になった。通路も連結部も想像を越えた混雑で、立錐の余地も無いとはこの事だと身をもって知らされた。
 名古屋から名鉄線そして犬山線と乗り継ぎ、指定された白川口の駅に何とか到着した。駅前の広場にはツチノコの絵柄をプリントしたハッピを着て、かなりの数の役場関係者が出迎えていた。その後方には数台のマイクロバスが停まっていて、それに乗って東白川村まで行くのだと説明を受けた。
 バスの窓外に見える景色は山紫水明であって、決して深山幽谷ではなかった。凡そ20分ほどで村役場に着くと、大きな会議室に通された。見回すと、家族連れが目立つ中、地元のテレビ局スタッフがベーカムを担いでウロチョロしている。私は暇を持て余し、隣りの真面目そうな青年に「このイベントに泉麻人っていうコラムニストが参加してるらしいよ」と話し掛かけた。青年は「そうですか」と手短に答えたので、私は二の句を継いで「どんなアホだろうね?」と、ついつい調子に乗って口走ってしまった。すると青年は「僕が泉麻人です」と笑顔で返してきた。
 私はどう答えるべきか迷った末、「なんだ、利口そうな顔してるんだな」と、汚名挽回のための一言を発するのが精一杯であった。そこから打ち解けあえたのか、彼が大人だったのか、スムーズに会話が成立するようになったのは、怪我の功名だったと言うべきかも知れない。
 やがて地元目撃者の体験談が語られ、泉麻人氏が紹介された。そして私も唐突に指名され、過去の目撃談を披露することになってしまった。予期せぬ不意の出来事だったが、結婚式のスピーチより上手く喋れたように思えた。その後、昼食を出されたように思うが、記憶が定かでない。

 そして2チームに分けられた参加者たちは幻のツチノコを求め、最新目撃現場へと向ったのである。

 本日は老眼鏡を粉砕してしまった為、ここが限界です。続きはまた明日。
 
■ お知らせ ■

ツチノコのDVDが発売されます。詳細は11月中旬にお知らせできるでしょう。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますからお楽しみに!

11月3日(20時~)のNHK・BS2もお見逃しないようにお願い致します。

※ツチノコに関する御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、 下記のメルアドへお願い致します。

※zero1995zero@ybb.ne.jp


 



―― 白昼の戦慄 ――

2007-10-25 22:56:30 | Weblog
【上掲写真の説明】

 昨日(24日)、多摩川河川敷探索中に以前このブログで紹介した新藤十二氏と偶然出くわした。新藤氏は二本の大型ペットボトルの中に、捕獲したばかりの小さな蛇を一匹ずつ入れていた。その一方がこの可愛らしい「ヒバカリ」である。私は国産の蛇を殆ど見てきたが、なぜかこのシンプルなヒバカリにだけは遭わずじまいだった。だから手にとって間近で見るのは初めてである。
 このヒバカリという蛇は性格が大人しく、まず咬まれる事はない。勿論、無毒である。それなのに咬まれたら「そのヒバカリの命」と言われ、毒蛇として忌み嫌われていた時代もあったという。
 私は飽きるまで手のひらに乗せて楽しんだが、本当に可愛くて美形?の蛇である。出来ればペットとして飼いたいと思ったが、世話の手間暇を考えて断念した。だが、直に触れる事が出来、天にも昇る心地であった事は言うまでも無い。ヘビ嫌いの方でもヒバカリなら触れるはずです。機会があったら是非お試し下さい。 

【昨日のニュースから】
24日午後1時45分ごろ、長野県の軽井沢―長野間で長野新幹線が停電、東京発長野行き「あさま523号」(8両編成)が、駅間で緊急停止した。 同県御代田町で、黒こげになった蛇が架線に引っかかっているのが見つかり、JR東日本は、蛇がショートさせたとみている。職員が蛇を取り除き、約1時間後に運転は再開。乗客約3100人に影響が出た。 JRによると、ヘビは長さ1メートル以上あり、アオダイショウらしいという。
 
 上の記事を見て、今年は例年よりヘビの活動期間が長いと感じた。当然、新藤氏の捕獲もそれを裏付けている。この分では11月になってもヘビ達はまだ姿を現すのではないだろうか。そうであれば、今年のツチノコ探索期間は延長すべきである。たかが一片の新聞記事で、妙に心が弾むのは私だけかもしれない。

▲▼ !白昼の戦慄! ▼▲

 この処、野暮用の連続で多摩川河川敷への探索が疎かになっていた。今日はなにが何でも探索と決め込み、多摩川へ向った。車ではありません、電車利用です。いつものように京王線に乗車して百草園駅に着いたのが午前10時である。河川敷方向に歩き始めると、折からの好天気に着ていた上着を脱いだほどだ。
 目指すは「ツチノコらしき写真」が撮れた浅川脇の巣穴だ。足音を忍ばせ風下から近づいた。そっと穴の入り口を覗き込むと、5本立てておいた枝の右2本が倒れている。やはり何かが使用中の穴なのか、それとも愉快犯の悪戯か、などと考えながら首から下げたビデオカメラを穴に近づけた。そして私が腰を屈めた瞬間、とんでもなく不思議な体験をすることになった。
 その時、付近には誰も居なかった。いや、滅多に人がやって来るような場所ではない。それにも関わらず、私が撮影しようと腰を屈めた瞬間、何者かが私の左臀部を押したのである。その反動で私はつんのめってしまった。一瞬、誰かの悪戯だと思った私は、「誰だ!?」と怒鳴って振り返った。ところが誰も居ない。周囲には人間様が身を潜めるような場所も無い。辺りは静寂で、聞こえるのは浅川の水音だけだった。
 「人の手で押された感触は勘違いではない、それなのに誰もいない、透明人間か?」等と、あれこれ頭の中を考えが過ぎる。すると鳥肌が立ってきた。こうなると何も考えず退散するのが賢明だ。私は巣穴の写真を撮るのも忘れ、一目散に逃げ出した。
 
 過去、姿が見えず明らかに人間と思えるものに触れられた事が数度ある。そのどれもが室内であった。だから今回のように白昼屋外でというケースは初めてなので、とても衝撃だった。このように書くと「嘘だ」と思う人が多いだろうが、最近はいつも舞台公演に使っているホールでちょくちょく被害に遭う。ある時は肩を叩かれ、また在る時は腕を引っ張れるなど、被害といっても「またか!」程度のものだが…。
 他にも場所は違うが似た経験がある。それはかなり荒っぽい性格の霊なのか、私は磨いていた皿を五分ほどの間に3回も叩き落とされた事がある。それを見ていた「現代ぷろだくしょん」の山田火砂子監督が、「今のは亡くなった私の母がやったのよ」と笑いながら教えてくれた。こうやって原因というか張本人が特定できれば納得もする。つまり、姿が見えないだけに相手が誰なのか知りたくなるからだ。
 また、誰なのか瞬間的に分かった時もある。その時は祖母の葬儀で私が喪主を務めていた。疲れた私が一服しようとしていると、葬儀屋が「間もなく出棺ですから」と声をかけてくれた。私はどうしても吸いたくてついついタバコを咥えて火をつけてしまった。その瞬間、姿の見えない何者かに思い切り右手を叩かれたのだ。この時、叩いたのが亡くなった祖母だとすぐ理解できた。こういう場合は怖さより新鮮な驚きに包まれるものだ。
 私は「霊」体験が豊富な所為か、霊現象の「見えた」「聞こえた」「触られた」が異常に多い。しかし、真っ昼間に屋外というのは予想外だった。霊的現象はツチノコと同じで「出る所には出る」ものだと決め込んでいただけに、驚きも倍増したのである。もし前もって「ここらは出るよ」という情報でも有れば、さして驚く事も無かったはずだ。
 ところが、この戦慄すべき体験には更なる不思議が待ち構えていたのだ。それは当日消化の後日談とも言うべき副産物である。その後日談は最後に述べる。

 ▲▼ 新藤さんと鉢合わせ ▼▲

 白昼の戦慄を肌身で感じながら私は対岸に渡った。いつもより渇水している浅川を渡河するのは簡単だった。渡り終えて振り返えれば5、60メートル先が戦慄を覚えた地点である。しかし、見るのは気が引けたのでそのまま多摩川河川敷のポイントに直行する事にした。
 小砂利の多い道を歩いている時、ふと砂利道の写真を撮っておこうと思い立ちカメラをセットした。良き習性というべきか、私はカメラのレンズを入念に拭いた。そしてローアングルで1回だけシャッターを押した。2.5型のモニターに映った画像は可も無く不可も無しであった。この時に撮った1枚が後日談の元になるのである。その話はまた後で。
 暫く歩いていると、前から痩せて小柄な人がやって来る。「新藤さん!」「来てたのか」と、赤銅色の顔が笑みを作った。久し振りに会った心新藤氏は、午前中にシマヒヘビとヒバカリを捕まえたと言う。「ヒバカリ」と聞いて私の心は躍った。
 土手脇に止めてある新藤氏のワンボクスカーの後部座席は、数え切れない程のヘビ捕りグッズで埋め尽くされていた。そのグッズの最上部に二つのペットボトルが無造作に置かれていて、この中にヒバカリが入れられていた。このヒバカリというヘビは、とてもスリムな体型でしなやかな紐のようだ。オマケに光沢を放つ茶色のボディーは、高貴な感じさえ漂わせている。とても国産のヘビとは思えない魅力の持ち主だ。
 もう一つのペットボトルにはシマヘビが入れられていた。ところが、このシマヘビは異常な攻撃精神の主で、食いつくことしか頭に無いようだ。元来シマヘビは大人しい性格だ。手掴みにしても余り抵抗はしない。それに比べてアオダイショウと来た日には、ちょっと油断するとパクリと噛みつく。ある動物学者はアオダイショウが大人しく、シマヘビが攻撃的だとその著書で説明しているが、とんでもない誤解である。
 私はアオダイショウに咬まれた事が数度ある。しかしながら、シマヘビに咬まれたのは皆無だ。その事は新藤氏も同意見で、他人からすればどうでも良い事で我々は大いに盛り上がってしまった。それから1時間ほどの間、私は先ほど経験した白昼の戦慄もすっかり忘れ長話に花を咲かせたのだった。
 そんな話の流れの中で、浅川縁のツチノコの話題になった。新藤氏は手嶋名誉会長から連絡を受け、昨年の十月中旬に浅川の遊歩道を2日間に渡り深夜から夕方まで見張ったという。結果は出なかったが、私と同様、雑木林の中に無数の巣穴らしき穴を見つけたと語っていた。
 気がつくと午後になっていた。新藤氏の釣りを邪魔しては申し訳ないと思い、私は重い腰を上げる事にした。別れ際、ペットボトルから出したヒバカリと記念撮影をし、満足感を得た私は蛇籠の調査に向った。

▲▼ 蛇籠の中は蛇の巣窟 ▼▲

 蛇籠は、河川の氾濫を防止する目的で作られた小規模な堤防である。その構造は至って簡単で、太い針金を編んで籠状にし、中に手頃な大きさの石を無数に入れた隙間だらけの土嚢のようなものだ。この隙間に蛇たちが入り込むのだ。聞いた話では、冬場にここぞと思う蛇籠の針金を切断し、中の石を取り除いていくと、数十匹単位で蛇たちがまどろんでいるらしい。これがマムシだったら一匹数千円で買い取ってもらえるから一寸したアルバイトだ。ただし、河川は建設省の管轄なので、もしも見つかったら一大事だ。だから決して蛇籠荒らしはやめておくべきだと思う。
 
 余談だが、利根川の河川敷で蛇籠の撤去作業が行われた際、ブルドーザーによって破壊された蛇籠の中から無数の蛇が這い出してきた。工事関係者が珍しがって見ていると、一匹の太くて短い一升瓶のような蛇が飛び出して、物凄い勢いで枯れ草の中に逃げ込んだという、こんな蛇籠に纏わる話を思い出してしまった。
 
 果たしてツチノコも他のヘビ族と共に冬眠するのだろうか? そうだとすると、呉越同舟という事になる。ここでちょっと寄り道になるが、なぜ呉越同舟と表現したのか説明したい。
 ツチノコの習性の一つに、自分のテリトリーを侵犯するものへの報復心があるらしいのだ。例えば、ツチノコ目撃現場付近で首や胴を切断されたマムシやアオダイショウの死骸をしばしば見かける事がある。物知りに言わせると、これは縄張を侵されて怒り狂ったツチノコの仕業だと言う。ただし、ツチノコは噛み千切ったヘビを食べはしない。ただ殺すだけだそうだ。
 そうなると、ヘビにとってツチノコは仇敵になるわけだ。だから一緒の穴で冬眠するのが不思議でならない。案外、寝る時はお互い関係無いのかも知れない。実に奇妙な行動だと思う。

 この蛇籠が多摩川や浅川には延々と続いている。もしかしたら河川敷のツチノコはこの蛇籠を冬場の棲家としている可能性も考えられる。と言って、蛇籠を掘り返すこともできないから確かめようが無い。実にもどかしい限りである。

▲▼ 勇気を奮ってもう一度 ▼▲

 蛇籠の調査を終えた時点の収穫は、一体のシマヘビの抜け殻を拾得しただけだった。私に言わせると、ヘビの抜け殻は拾得物のようなものである。何故かと言えば、その断片を財布に入れておけば金運に恵まれるという、一種のアイテムだからである。しかし、ヘビにも脱皮上手と脱皮下手がいる。上手な奴だと芸術的な美しさで脱皮する。下手な奴になるとズタズタだ。この日の奴は後者だった。仕方がないので一部分を切り取って財布に仕舞い、残りは泳いでいる鯉にくれてやったが食べようとせず、引っぱりまわしているだけだった。
 
 私は対岸に渡らなければ駅に行けない。対岸へ行くと言うことは再び「白昼の戦慄」を味わう可能性を秘めている。しかし、二週間以上放置していた巣穴の写真を撮らなくては来た甲斐が無い。躊躇いつつも渡河してしまった私は、勇気を奮って浅川縁の巣穴へ足を運んだ。そして一瞬の早業でシャッターを押すと、更なる早業で倒れた枝を元に戻して魔除けの言葉を口ずさみながら駅を目指した。

▲▼ その日の後日談 ▼▲

 家に帰り着くと疲労困憊が祟って寝込んでしまった。目覚めてみると既に夜の9時である。ボーッとしたままパソコンに向かい、河川敷で撮った写真を取り込んだ。ところが、どの写真もホワイトバランスが悪かったのか、画質不良の状態なので加工作業を施さざるを得なかった。
 1枚ずつ丹念に色調を調整している時、砂利道を撮った写真の一部にゴミのような粒が写っているのが目に止まった。だが、レンズは磨いていたのでゴミの付着は有りえない。何だろうと興味を抱いた私は、写真を拡大する事にした。「おや?」頭の中を3文字のアルファベットが過ぎった。
 「UFO」のようだ。皿を二枚重ねたような感じのシンプルなタイプに見える。殆ど矢追純一大先輩の世界である。私は矢追さんに写真を添付メールしようと思ったが、こんなケシ粒のようなUFOじゃ笑って相手にされないと考え直し、それならば独自に究明してやろうとパソコンを駆使する事にした。
 ところが、低画質で枚数を多く撮ろうとする癖が祟ってしまったのか、丁寧に拡大作業を行っているにも関わらずデジタル特有のブロックで囲まれてしまう。これではUFOなのか否か釈然としない。しかしUFOであるなら「白昼の戦慄」と何か関係が有るのではないか?
 飛躍して考えると……私の尻を押したのはUFOではないかというバカげた発想だ。すると以前に撮ったツチノコらしき巣穴の中の生物は、UFOに監視された宇宙生物だったことになる。

 まるでUFOに取り憑かれた中学生のようだが、日に二度も不可思議な現象に出遭えば、そんな発想も有りのような気になってくるものだ。「尻押し事件」に「UFO写真」…共通性はあるのだろうか? 兎にも角にも変な一日であった。

 因みに「UFOディレクター」の矢追純一さんとは、二十年程前に仕事でご一緒させて頂いたので、UFOというと直ぐに矢追さんを思い出してしまう。特に端正な顔立ちが印象的で、誰に似ているかと問われれば、私は「土方歳三」と答えるでしょう。昔の矢追さんは本当に似ていたんです! 今はどうかな?
 そう言えば、私が執拗に通う浅川と多摩川の合流点は、土方歳三の生家から目と鼻の先です。

 では、今日はこの辺でお終い。宇宙人に拉致れないよう注意して寝る事にします。

■ お知らせ ■

ツチノコのDVDが発売されます。詳細は11月中旬にお知らせできるでしょう。その中で私の談話や山形で撮影された「死骸写真」も登場しますからお楽しみに!

11月3日のNHK・BS2もお見逃しないようにお願い致します。特に親類縁者の方々は必ずご覧下さい。また笑いのネタが増えて楽しめるはずです。

◆いつものようにYAHOOフォトに写真を載せています。http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995

★河川敷関係は「多摩川河川敷ETC」をクリックして下さい。ここにUFO写真やヒバ カリも載せています。その後の巣穴の写真は「10月5日」をクリックです。

※ツチノコに対する様々な御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントで なく、下記のメルアドへお願い致します。

※zero1995zero@ybb.ne.jp


 



4度目の目撃

2007-10-24 04:54:41 | Weblog
 先ずは上の写真をご覧下さい。なんだと思いますか? 実は「縄文土器」なんです。そんな時代に作られた土器に、なぜかツチノコらしきモノが貼り付けられているんです。この衝撃的事実を知った時は驚き桃の木洗濯機でした。縄文時代はツチノコって身近な存在だったのかも知れませんね。

 この土器は長野県富士見町にある札沢遺跡の出土です。アカデミズムな御意見によると、これは「仔マムシの偶像化」であるという事だが、私にはツチノコにしか見えません。いくら縄文人でもマムシだったらもっと長く表現するはずだし、芸術的に見ても細部までリアルに表現しているのだから、長いものを短くするとは思えないのであります。よって私はツチノコだと勝手に判断いたします。
 では、縄文時代はいつ頃なのか? 調べてみましたので下をご覧下さい。
               ↓
『縄文時代は、年代でいうと今から約1万6千5百年前から約1万年前、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器ないし新石器に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる(出典:フリー百科事典「ウィキペデイア」)』
 
 正直、歴史の勉強を怠っていた私は、縄文時代がそんなに大昔だとは知りませんでした。そこで考えたのですが、縄文人はツチノコをペットとして飼っていたのではないか、或いは食用に繁殖させていたのではないか、という他愛も無い事です。いずれにしても、ツチノコはいきなり降って湧いてきたのではなく、遥か有史以前の大昔から人々に知られる存在だったという事です。

☆本日は前振りが長くなってしまいました。では、本題に移りましょう。

 ▼▲ 4度目の目撃 ▲▼
 平成11年、いや12年だったかも知れないが、その年の9月中旬だった。折からの大型の台風によってあちらこちらの河川で被害続出というニュースを聞き、いつも探索に行っている利根川の河川敷が心配になった。そこで視察を兼ねて河川敷へ向った。
 台風一過の利根川はかなりの荒れようで、河川敷の広範囲にわたりゴミや泥が撒き散らかされたようになっていた。案の定、いつもの探索ポイントも半ばゴミに埋もれていた。そこで私はゴミ溜に足を掬われながらその被害を調査し始めた。そして、その作業も終ろうとした頃、ポケットの中の携帯電話が鳴った。呼び出し音は敢えて奇をてらって「ドラエモン」だった。無人の河川敷に鳴り渡るあの名曲、といったところだ。
 電話してきたのは、あの韓国の歌姫「キムヨンジャ」さんの従姉妹の女性タレントであった。ところが風が強くしかも向かい風だったため先方の声が聞き取れない。そこで私は180°の回転を余儀なくされた。

 振り返るような格好で体を回した直後、20メートルほど先の葦原で黒光りした異様なモノが飛び上る姿を目撃あしたのだ。それは真っ黒で平べったいヒラメかカレイのように見えた。そいつが垂直に2メートルはジャンプしたのだ。河川敷に生えている葦は、丈が私の背よりも高い。だから2メートルと判断できたのだ。
 距離的に離れている為、目、尻尾、鱗、腹板などの細部は観察できなかったが、頭部と胴体の区別はハッキリと分かった。一瞬の出来事だった割には総てがスロー再生されたように長く感じられたからだ。その黒いヒラメはバサッというような音をたてて着地した。
 走ればほんの一寸の距離である。ところが足元はゴミと泥が混ざり合って歩くのがやっとの状態だ。とても走れたものではない。携帯電話の向こうでは「聴いているんですか!」と声が荒立っている。私は曖昧に会話をしながら雪中を歩くような足取りで葦原へ向った。やっとの思いで辿り着いたのはいいが、黒いヒラメの跳び上がった地点が分からない。それもそのはず、葦原は何処も彼処も同じ風景である。
 携帯電話を耳にあてがい片手で葦を除けながら捜索すること約5分。とうとう不可能を悟り諦めるに至ってしまった。と言うのも、ガサガサ大きな足音を立て、しかも電話で話しながらでは意味をなさないと判断したからだ。
 その後、この4度目の目撃で得たものは何であったのかを考えた。もし黒いヒラメがツチノコだったとするならば、ツチノコはジャンプ時に丸い体を広げて平べったくなるということだ。この習性は3度目の目撃で理解していた事だったが、改めて確証を得た思いである。つまりツチノコはその跳躍時の習性として、空気抵抗を削減させ飛翔時間の増幅を図る事が出来る、ということになる。そして体を平たくする事で着地時に於ける衝撃も和らぐという計算が成り立つ事にもなるのだ。更に加筆するなら、着地時の接地圧の問題を考えればなるほどと肯けるはずである。

 この目撃体験を最期に、その後は目撃も遭遇も果たしていない。だが、この4度の目撃以外にもそれらしき目撃は2度も有る。しかしながら、ツチノコと判別し難い状況だった為、その2度に関しては目撃モドキだと思う事にしている。この目撃体験に関しては機会を見つけてお話したい。


ツチノコに対する様々な御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

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※ 「目撃時のイメージ画像」「縄文土器の画像」は、いつものようにYAHOOフォトをご参照下さい。
http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995 



3度目の目撃

2007-10-22 03:57:47 | Weblog
 本日のお飾り画像は ↑ ツチノコが威嚇する際に行う「鎌首」を持ち上げた状態のイメージです。ですが、この画像に「舌」は敢えて描いておりません。何故かと言いますと、通常の蛇は舌の先が二股に分かれていますが、目撃者の体験を訊くと「二股であった」とする人と、「二股ではなく普通の動物と同じであった」とする二つの意見に分かれているからです。腹板に関しても目撃者によっては有無が有るようです。
 この舌や腹板の疑問以外にも「角の有無」「鱗の大小」「尻尾の形状」「目玉の大小」「毒牙の有無」といった、共通性に欠ける様々な目撃証言が存在します。ですから、ツチノコの全体像を描こうとしても、確定的なものは不可能という訳です。これらの問題点を明確にしない限り、真のツチノコ像など描けるはずがありません。ですから、ツチノコのイラストやフィギュア等も、総て大まかなイメージということになります。


 ◆◆ 資料が消えました… ◆◆

 例の「死骸写真」の鑑定を依頼したアカデミックな3団体からは、まだ音沙汰が無い。いつになるのだろう。永久に待たされるのか? そんな事を考えながら「さあ、今日は東白川村について書くぞ!」と気負って参考資料を漁っていて、肝心な写真の数々が紛失していることを発見! 心当たりを隈なく探してはみたものの、部屋中にゴミをぶちまけただけだった。あるべき物が消える…これもツチノコに纏わる怪奇現象の一部なのかも知れない。いや、きっとそうに違いない。
 この資料捜索作業に追われ、ブログの更新は滞るし、多摩川河川敷の探索へも行けなくなった。一応、ここニ、三日は晴天との予報が出ているので、多摩川への探索は良いとしても、ブログの更新に支障を来たすのはどうかと思う。
 結局、東白川村特集は後回しという事になってしまった。だからと言って、決して東白川村と縁が薄いわけではない。平成元年の5月、記念すべき東白川村の第一回「ツチノコフェスティバル」では、大きなヤマカガシを捕獲して優秀賞を頂いた実績も持っているし、我が未確認生物研究会と東白川村は、固い絆で結ばれているから決して縁がない訳ではないのだ。
 そんなこんなで本日の更新は急遽変更、代わって私の目撃談をお話する事にする。私は過去4度の目撃と謳っているが、実際は他にも不確実な目撃モドキが2件ある。この2件の目撃に関しては甚だ自信が持てないのである。何故なら目撃時間が瞬間的だったり、視力の低下によって焦点が霞んで見えた等の理由からだ。
 既に1度目と2度目は記しているので、寄り道をしながら3度目の目撃談から語る事にする。

▲▼ 未確認生物研究会との出会い ▼▲

 目撃談を語る前に、私と未確認生物研究会の出会いを説明しておこう。
 平成7年と言えば今から12年前になる。この年、現在主宰をしている劇団の旗揚げや戦争映画の製作で私は多忙を極めていた。やっと自由な時間が持てたのは11月に入ってからだった。そんな或る日のこと、ボケッとテレビを見ていると、ワイドショーでツチノコのニュースが流れていた。その中で、年配のツチノコ研究家が登場して解説を行っていたのだが、その的を得た適切な説明と学術的な解説に思わず引き込まれてしまった私は、何も考えずその番組を放送しているテレビ局に電話を入れた。無論、その年配の方の連絡先を知るためである。
 番組の担当者から教えられた電話番号の市外局番は045、つまり横浜である。何も躊躇う事無く番号をプッシュして待つこと数コール、たった今しがた聞いたツチノコ研究家の声が返って来た。私は初めての電話であることを告げ、名前を名乗った。すると驚いた事に、先方は私のことを知っていると言う。正に蛇の道はヘビとでもいうべきか、その甲斐あって話はトントン拍子に進み「未確認生物研究会に入会しないか」と持ちかけられたのである。私はツチノコに関して単独行動を旨としていだが、この瞬間から考えが変わった。つまり、任意の団体で活動するのも良さそうだと素直に思ったのだ。そして私は日を改め未確認生物研究会の代表である手嶋会長の事務所を訪れた。
 
 その事務所は横浜郊外の池部町という、かなり都会的でない町にあった。駅から歩くこと30分、地図を片手にやっとたどり着いたそこは、事務所とは名ばかりで、地元の酒好きが屯する居酒屋であった。店内に入って更に驚いたのは、会員と名乗る者たちの殆どが馬賊の末裔か山賊の子孫、はたまた刑期を終えたばかりの前科者のような風体だったからである。流石の私もこれには面食らってしまった。
 この荒くれ達を統率するのが手嶋会長である。居酒屋とコンビニ、それに印刷会社も経営しているという。それだけに恰幅も良く押しが利く。一応、未確認生物研究会という団体の代表という表向きだが、私の初対面の印象は何々組の組長といったイメージであった。その会長から「副会長にならんか?」と、いきなり予想外の言葉を投げかけられたのだ。瞬間、居並ぶ古参会員たちの目が一斉に私に向けられた。彼等の目は、新参者の私に対する嫉妬の眼差しではなく、歓迎の眼差しだった。
 断れば拉致されそうな雰囲気である。そこで私は、年が明けてからという条件を提示して、何とかその場を切り抜けたつもりだったが、結局のところ副会長に就任してしまったのである。そして翌平成8年の春から本格的な探索活動に参加した。この年の課題は茨城県取手市の利根川河川敷の徹底探索であった。しかし、シーズン中に大きな成果を得られなかった為、翌年に持ち越す事に衆議一致。
 明けて平成9年春、前年に引き続き利根川河川敷に探索の手は向けられた。しかし、新たな作戦会議の結果、利根川から車で1時間圏内の土浦市田村町へも探索範囲を拡大すべきという意見が出され、ゴールデンウイークを利用しての大探索計画が実行される事になった。某大学の探検部なども参加しての大掛かりなものだった。その大作戦の最終日、私は3度目の目撃を果たす事になるのだ。

■■ 土手を駆け上がる黒い稲妻 ■■ 
 1日目と2日目は利根川河川敷の探索だった。初日に罠を仕掛け、翌日それを検分したが成果が無く、意気消沈だった。そして3日目は田村町のポイント探索だった。早朝から聞き込み調査を開始して、新たな情報入手を目論むという算段だ。聞き込み先は殆どが農家である。休日なので家で寛いでる方が多く、情報収集は捗った。だが、真新しい目撃や遭遇は幾つも無かった。

 午前10:00を期して探索を開始。爬虫類の甲羅干しタイムを狙い撃ちする作戦だった。この戦略は、最新目撃地点を包囲するように参加メンバーが円形に散開し、徐々に包囲網を狭めて行くというものだが、この日は8人程でポイントを取り囲んだ。個々の間隔は十数メートルほどだ。
 開始して間もなく、初参加の大学生が「出た!出た!」と大声を上げた。私は誰よりも早くその大学生の元に駆けつけた。顔面を蒼白にして震えている大学生が、必至で足元を指差している。見れば大人の腕の太さほどあるヘビを踏んでいる。思わずツチノコかと思いよくよく見ると、かなり長さの有るシマヘビであった。私はシマヘビの首根っ子を掴んでぶら下げてみた。このシマヘビは日光浴の途中だったらしく、抵抗する気配も無い。だらりと下がった体長は優に私の身長を越していた。そこで私は掴んでいる腕をいっぱいに伸ばしてみた。すると、2メートル近い大物である事が分かった。重さもそれなりである。居合わせた誰もが驚き感心するほどの大きさであった。私が得意満面の表情でこの大物をぶら下げた写真を撮ってもらったのだが、この写真も行方不明になっている。
 昼飯後、ポイントを移動して再び探索を開始した。2時間ほど集中したが何の成果も無い。参加者は連日の探索で疲れたのか、休憩する者が目立ち始めた。午後3時、会長の判断で幕が下ろされた。
 
 会長のワンボックスカーは参加者で満席だった。その後に私の車が続く形で帰路についたのだが、少し走った坂の途中で会長の車が急停車した。どうやら運転手の交代らしい。私はブレーキを踏んだままでタバコを燻らせていた。そのため運転席側の窓を全開に開け放っていた。左手になだらかな斜面、右手は土手になっていてその上に人家が建っている。のどかな風景だった。風も無く小鳥の囀りだけが聞こえてくる。
 その時だ、右手後方の土手からガサガサという落ち葉を踏み鳴らすような音が聞こえてきた。反射的に音のする方に振り向くと、真っ黒い黒光りした猫ぐらいの大きさのものが、土手を駆け上がってゆく。
 「黒猫?」「カラス?」「イタチ?」・・・その黒光りする物体は、急斜面をもの凄い勢いで駆け上がると人家の植え込みを飛び越えて消えてしまった。と言うか、私の位置から植え込みの中が見えなかったのだ。今のは何だったのか? その場で冷静に考えて気づいた事は、その物体の動きが高速の尺取運動で前進していた事と、形状がマイマイカブリの幼虫に似ていたことだった。つまり、全体にあまり丸みを帯びておらず、平べったく見えたのだ。残念ながら下草のため尻尾の有無は確認できなかった。
 目撃時間は4、5秒だったが、距離は5メートル以内と近かったので全体が良くわかった。目はとても大きく、何かに追われてでもいたのか必死な感じ受けた。黒光りした体は全体が大きな鱗で覆われていた。頭部もかなり平たい。約3メートルの斜面を上がるのに、7回ぐらいの尺取運動で終えた。最期にジャンプした時は、更に全体が平たくなったが、この時も尻尾は目えなかった。腹部は白色だった。しかし瞬間だった為、腹板の有無が観察できずに残念であった。
 我に返った私はこの一大事を会長に知らせようとしたが、既に会長を乗せた車は遠ざかっていた。

 その後、この斜面の上に建っている人家は我々のターゲットとなったが、巣穴らしきものを発見しただけでいつしか忘れ去られる存在となってしまった。ところが、それから数年後、私が目撃した地点から10メートルほど坂を下った地点で、探索の折にお世話になる吉田さんの娘さんが接近遭遇するという事件が起きたのである。この時、娘さんは大型犬を連れて散歩中だった所為か、跳んできたツチノコは鎌首を持ち上げて威嚇行動をとったそうだ。この体験談にはとても興味深い経緯があるので、後日お話する事にしたい。

 次回は「4度目の目撃」をお話します。

ツチノコに対する様々な御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.ne.jp

※ 「目撃時のイメージ画像」は、いつものようにYAHOOフォトをご参照下さい。
http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995 


死骸写真の現状

2007-10-18 21:27:16 | Weblog
本日はまず上の写真の説明から入ります。
当ブログの初日に書き込んだツチノコ初目撃のイメージカットです。まさにこんな感じで堂々と畦道を塞いでいました。後にも先にもこれほどの接近遭遇は経験しておりません。その他の目撃イメージ画像をYAHOOフォトに載せていますのでご覧下さい。


 ◆◆ ツチノコの死骸!? その後の経過 ◆◆

 今回の山形県最上郡大蔵村の湯の台牧場で加藤玲氏が撮影、そして佐々木幸也氏がブログで公開した謎の生物の死体写真は、そのインパクトも手伝い中々の評判です。別に謎解きを強要している訳ではありませんが、未知なる物に対する好奇心の表れでしょうか、様々な御意見を頂きました。今はまだ確たる解説のできる状況ではない為、その対応に半ば嫌気がさしているといった状態であります。
 
全くの余談になりますが、前述の加藤玲氏と佐々木幸也氏の顔写真をメールで添付送信して頂いたのですが、かなり精悍な面構えだったのには驚きました。この風貌ならツチノコと言わず、大蛇と取っ組み合いをしてもGOOD、といった顔立ちです。ですからこのお二人には、山形県と秋田県の県境に聳える鳥海山へ行って頂き、伝説となっている10mを越す大蛇の捕獲をお願いしたい気持ちでいっぱいです。
この話、決して冗談ではありません。私が籍を置く未確認生物研究会の古強者たちが、みんな尻込みをしたという因縁の大蛇なんです。来年の話をすれば鬼が笑うかも知れませんが、来夏はこの鳥海山の大蛇が私のターゲットであります。幅30cmもある這い跡を残すような大蛇ですから、当然、捕獲などは考えておりません。撮影するだけで充分です。捕獲は佐々木氏と加藤氏のスノーモービルのチームにお任せします。
この大蛇の這い跡を取材した動画を http://www.zero-kan.com/ このURLからご覧いただけます。トップページのメンバー紹介、「代表者の正体」横のツチノコ画像をクリックすると、最下段のプロモーションにアップしてあります。どうぞお楽しみ下さい。(期間限定なのでお早めに)

 そもそもツチノコにはミステリーが付き纏うもので、今回も同様に二つのミステリーに包まれている。つまり、『袋に入れて棚に置いた死骸が翌日には消え去っていた』そして『アオジタトカゲに酷似しているにもかかわらず手足の痕跡が無い』という、説明不可能なこの二点がミステリーなのだ。
 私はツチノコの怪異には慣れているのであまり不思議には思いませんが、一般の方々がいろいろ詮索してもそれは至極当然の事だと思います。が、ツチノコの「捕獲」「死体発見」「写真に撮った」という体験談には必ずミステリーが絡んでいて、とても驚ろかされるものなのです。
 その代表的な例を幾つか挙げるなら・・・・

■某地方新聞の記者がたまたま捕獲されたツチノコの生体を撮影し、翌日の新聞に掲載し た。この新聞の発行部数は3千部ほどだが、その数年後に新聞社は倒産。ツチノコがブ ームになってから大騒ぎで掲載した新聞を捜したそうだが、とうとう一部も発見できな かった。(「逃げろツチノコ」より)

■大阪郊外の富田林で、越冬中のツチノコをブルドーザーのキャタピラが直撃。そのツチ ノコは煎餅状態になってしまったが、死体は建設現場の誰かの手に渡ったという。だ  が、その工事を請け負っていた建設会社は間もなく倒産。いくら調べても煎餅ツチノコ の行方を突き止める事が出来なかった。(同上)

■「ツチノコを捕獲した」という電話を受けた当会の手嶋名誉会長が現場に急行。胸をと きめかせて箱を開けると、中には普通のマムシが一匹。捕獲者曰く「捕らえた時は太く て短かった」と。

■当会の会員から「真正ツチノコの死体をゲット!」という緊急連絡。現場に到着すると 一転俄かに掻き曇り、嵐のような天候になった。ツチノコの死体は河原に置いてあると 言うので猛ダッシュ。ところが増水した川は、既にツチノコを流し去った後だった。

■例の吉井町の一件もそうだ。初めにツチノコを目撃したNさんは草刈機でツチノコに傷 を負わせてしまった。この個体は50cmほどの真正ツチノコだったという。二、三日 後に近所の主婦が用水路で見つけたツチノコの死骸は、明らかに鋭利な刃物で切りつけ られた痕跡を残していた。だが、なぜか太い栃麺棒のような長めのスリコギ型に変身し ていたのである。その死骸は丁寧に葬られたが、それを知った町役場のS氏が掘り返し て某大学に鑑定依頼した。結果は、既存のヤマカガシらしいとの鑑定で、「ツチナロ」 と命名された。(現地で直接ご本人様方に確認)

■福岡県の嘉穂町で農作業中の主婦が農薬散布の影響で弱っているツチノコを捕獲。すぐ さま地元のマスコミに連絡。ところが、幾日待ってもマスコミのマの字もやって来な  い。それどころか、隣り近所の人が「祟るから逃がせ」と迫る。仕方なく元の畑に逃が した直後、マスコミが登場。しかし、いくら探しても時すでに遅しであった。(現地に 行きご本人よりお聞きしました)

■某カメラマン氏が湖畔の情景を撮影中、親子連れと思える数匹のツチノコを撮影。その 後、ツチノコブームによって被写体の正体を知り、慌ててフィルムを探したが未だに行 方不明。(逃げろツチノコ)

■某所で発破の飛び石に当って死んだツチノコの死体を見つけた人が、哀れんで道端に埋 葬。丁寧な石積みまでして供養した。この話を聞きつけたツチノコ愛好家に請われ、そ の場に案内して掘り返してみたが骨も残っていなかった。(逃げろツチノコ)

■埼玉県飯能市での話。近所の河原でツチノコの死体を発見したAさんは、死体を自宅に 持ち帰り瓶の中に入れてアルコールに漬けて保存した。数日後、新聞社の記者が現れ瓶 を見せた時にはツチノコの腹部が腐って裂け、その裂け目からカエルの手足が露出。新 聞の記事には「ツチノコ発見! 実はカエルを食べたヘビだった」と、面白おかしく書 かれてしまった。これに憤慨したAさんだったが、アルコール濃度が薄い為にどんどん 腐敗が進んでしまい、ついにツチノコを捨ててしまった。その後、思いなおして死体を 捜したが見つからず仕舞いであった。(事件から30年経って私が電話でお話した時も まだマスコミの対応にお怒りだった。カエルを呑んでいなくても、太くて短かったそう である)

 ツチノコに関するミステリーはまだまだ有ります。取敢えず代表例として挙げました。
どうであれ、完全個体が捕獲されればミステリーも砕け散るのでしょうが、それまでは怪異なる現象が続く事は明白です。
 私はもう34年もツチノコとお付き合いしてきて、まだ答えを探しているような状況です。いうなれば、ツチノコミステリーに呪縛されマヒしているようなものかも知れません。ですが、その呪縛の解ける日が来る事を信じ、日々調査を続けているのです。だからこそ、ツチノコ存在の確固たる証拠を求め、誰に嘲られようとものともせず、ひたすらツチノコ道を邁進しているのです。
 ちょっと熱が入り大袈裟な表現が多くなりました事をお詫び致します。たかがツチノコです。簡単に考えるようにしましょう。そこで、今回の写真の件も簡単に考える事にしてみると、手足の無い太くて短いヘビの死骸を写真に撮った、ということになります。その正体を追求するからいろいろと波風は立つし頭を痛めてしまう訳です。つまり、総ての人がツチノコは存在するという概念を持てば、なんの問題もないのです。とは言っても、物事の考え方は十人十色で難しいものです。

 最近は地震が多い所為か集中力が欠乏気味です。私は磁場の乱れや電流の影響を受け易い体質なので、地殻の不安定な時期は多分に私自身も不安定です。こうして横道に逸れるのが何よりの証拠なので、急いで横道から脱出します。
 
 この度の死骸写真は、背面だけではなく腹面も写されていた事が鍵となっている。というのも、様々な方からメールを頂いたりこちらから具申したりして得た御意見に目を通すと、背面に関しては「アオジタトカゲ」である、という断定論が多数を占め、腹部に就いては断定論が急激に減少する傾向があるからだ。故に腹部を撮り忘れなかった撮影者の功績が鍵となった、ということである。
 
 既に述べたが、アカデミックな機関へも死骸写真を送って回答を待っている状況だ。ただ、公の機関になればなるほど慎重な姿勢で取り組む為、決定的な回答が寄せられない事は先刻承知である。だからと言って、在野のアマチュア研究家の判断だけに委ねるのは如何なものだろうか。公正を欠いては後顧に憂いを残す結果となり兼ねないであろう。
 あの有名なニューネッシー騒動の結末はあまりにもショックだった。あれがホウジロザメだったとはとても思えない。いくら物的証拠が不足していたにせよ、もっと調査の方法があったはずだ。こういう結論が導き出されない為にも、執拗に調査を展開させることが重要なのではないだろうか。
 
 本日の締め括りに、京都大学・理学研究科動物学教室・疋田努助教授のお話です。
 
 爬虫類学者たちは爬虫類の種を色や模様,体の形などの形態的な情報によって爬虫類の種を区別してきた.たとえば,ヘビとトカゲをどうやって見分けるのかについて見てみよう.ヘビ類はトカゲ類の祖先から進化してきたグループで,四肢が退化し,有能の捕食者として多様化した.では,四肢の有無によってこの2群を見分けることができるかというと,そう簡単ではない.トカゲ類では多くのグループで並行的に四肢の退化が生じており,四肢の退化したトカゲ類はかなりの数にのぼる.一方,原始的なヘビ類には退化した痕跡的な後肢が残っている.だから,四肢の有無でヘビとトカゲを区別することはできないのである.耳孔の有無,腹板(腹側の幅の広い鱗)の有無,まぶたが可動性のような特徴を組み合わせて,区別する必要がある.腹板があればヘビ類だが,腹板を持たないからといってトカゲではない.原始的なヘビ類の腹面は,トカゲ類と同様に同形の小さな鱗におおわれる.ヘビ類は眼は空いたままで,まぶたを閉じることができない.透明化したまぶたがコンタクトレンズのように眼をおおっているのである.トカゲ類ではまぶたが動くが,ヤモリ類のようにある種のトカゲ類ではまぶたが固着して,眼をおおう鱗が透明化し,ヘビ類と同様になっているものもある.ヘビ類では耳が退化し,耳孔も失われている.一方,トカゲ類ではたいてい耳孔が空いているが,一部のトカゲ類ではヘビ類同様に耳の穴は鱗でおおわれ鼓膜も消失している.(以下は割愛させて頂きます)

 今日もまた、小難しい話にお付き合いさせてしまい恐縮しております。ここまでお付き合いくださった貴方は、よほどのツチノコ愛好家かその反対論者のどちらかでしょう。いずれの御仁であられようと、個人の考え方は尊重すべきものです。ツチノコに対する様々な御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※zero1995zero@ybb.ne.jp ・・・いきなり「バカ野郎」と言った書き出しをされる方 は、もっと冷静にお願い致します。ツチノコを喧嘩のネタにしては可哀想ですから。

※「ツチノコらしき死骸写真」は、いつものようにYAHOOフォトをご参照下さい。
http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995 



★ 中間報告 ★

2007-10-16 00:23:06 | Weblog
◆◆ ツチノコの死骸!? 中間報告 ◆◆

 昨日は「ブログ・冬山馬日記」の執筆者である佐々木氏が多忙のため連絡が取れず、まんじりともしない一夜を過ごしたが、本日18:00に先方より私の携帯に連絡が入った。佐々木氏と携帯電話で話し合うのは初めてである。その電話で改めて概要を聞き終えた時、撮影者の加藤さんから直ぐに連絡をさせますと、佐々木氏に便宜を図って頂いた。以下の9行は撮影者の加藤玲氏から直接窺った内容である。

 今年の4月の初め、飼育している牛に干草を補給するため貯蔵してある干草の梱包を解いた。すると圧縮された干草に混じって、今まで見た事も無い奇妙な生き物の死骸が現われた。「いったい何の死体だろう?」と興味が湧き、気持ち悪さも忘れて手にとって観察した。全長は20cm程で手足が無い。裏返した腹部は幅のある蛇腹になっていた。取り敢えず写真を撮る事にして、そのグロテスクな死骸を床に置き、背面と腹面の写真を携帯電話のカメラに収めた。そして数時間後にその写真を添付メールで佐々木氏に送った。その写真を佐々木氏がブログに掲載した。
 元来、その手のモノには興味が無かったので、コンビニの袋に入れて牛舎の棚に置いたのだが、翌日になると跡形も無く消え去っていた。多分、カラスに持って行かれたか風で飛ばされたのだろう。

 という、発見時の経緯である。私は加藤氏に、外から干草の中に侵入できる可能性を訊ねてみた。その問いに対し加藤氏からは、「梱包されているので不可能です」との答えが返ってきた。そうなると問題はその干草が何処で生産加工されているか、である……。
 現在の出荷元はオーストラリアとアメリカだと加藤氏から教わった。この瞬間、日本産ツチノコの夢は無惨にも打ち砕かれた訳だが、外国産ツチノコという可能性が一挙に浮上してきた事にもなる。

 私は「ツチノコ」だと断定して記している訳ではない。既に日本国内では、オーストラリア産の干草の中からアオジタトカゲが発見されたという報告が幾つかあるからだ。しかし今回のように、『有るべき四足の痕跡すら無い』などというケースは聞いたこともない。しかも腹部は幅の広い腹板(蛇腹)状だったという。
 私は当初、二、三日あれば何等かの結論が得られると甘く考えていただけに、この複雑怪奇な写真を前にして頭を抱え込んでいる状態なのだ。

 仮にこの四足の無い生物がオーストラリアで干草の中に入り込み、そして圧死したのであるなら、オーストラリアにも四足の無いツチノコのような生物が棲んでいるということになる。こうなってくると、国内のツチノコだけで手一杯な私が、更に枠を広げなくてはならず余りにも荷が重過ぎる。
 そこで、この写真を公の研究施設へ送り、アカデミックな見地から御意見を伺おうと思いたった。同時に、長期間にわたりアオジタを飼育している方からも、率直なご感想を拝聴したいと考えている。この件は緊急に実行すべく既に準備を整え始めているので、近日中に新たなニュースとしてお届けできるはずだ。

■私的検分結果■

 拡大写真を具に観察して疑問に思った事は・・・・

① 圧縮されて死亡したにしても、頭部が大きく短すぎる。【ツチノコも頭が大きい/ア  オジタは長い】
② 死骸の腹面に四足の痕跡がない。【ツチノコは足が無い/アオジタは足が有る】
③ 尾部がワニのようにギザギザと山形になっている。【ツチノコやアオジタには見られ  ない特徴である】
④ 口先が尖っている。【ツチノコやアオジタ類はここまで極端に尖っていない】
⑤ 目が小さい。【ツチノコは目が大きい/アオジタは目が小さい】
⑥ 胴体が寸足らず【ツチノコで言うなら五八寸タイプ/アオジタも胴体部分は短い】
⑦ 幅広の腹板が微かに腹部後半から尾部にかけて写っているが、これは背面から繋がっ  た模様の延長かも知れないので、今後の調査課題に上げたい。
⑧ 鱗の有無が不明。撮影者の加藤氏もこの点は記憶が定かではない。
⑨ 背面を覆うように細い縦縞が浮いている。(ツチノコやアアオジタには見られない特  徴である)
⑩ 尻尾がやや短く太い。(ツチノコならCタイプ/アオジタはもう少し長い)
※ 尾部に関して加藤氏は「先端は千切れておらず写真のまま」だとのこと。

 疑問だらけである。手足が無いが特徴はアオジタトカゲに似て、ワニの尻尾で口先が尖った怪物・・・UMAの範疇だ。こんな写真を見つけなきゃ良かったのだが、見てしまったのだから正体を究明したくなるのは人情というものだ。どなたか、納得できる解答をお寄せ下さい。心よりお待ちいたしております!!

※ 御意見・御感想・目撃情報等は zero1995zero@ybb.ne.jp へお願い致します。
※ いつものようにYAHOOフォトの写真をご参照下さい。
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果たしてツチノコの死骸か?

2007-10-14 01:08:08 | Weblog
■死骸写真との遭遇■

 早朝からパソコンと睨めっこが始まった。本日のブログは課題が「東白川村」である。それ故、改めてツチノコ情報を抽出する作業に勤しんでいたのである。
 検索の手を変え品を変えしながら、真新しい情報がないかディスプレイに見入っている時だった、とんでもない写真が目に飛び込んできた!
「嘘だろ!?」・・・その写真を見た瞬間の第一印象だった。
 どこから見ても干からびたツチノコに見えるのだ。だが、何かの冗談かも知れないと思い直しもした。何故かと言うと、この死骸の載ったブログの更新日が半年も前の4月4日の日付だったからだ。この半年の間に騒がれなかったのだから、私が疑っても当然である。だが、「何と質の悪い冗談だろう」と思ってはみたものの、冗談や悪戯にしては手が込んでいない事が却って不自然に思えてくるのだ。
 もしかしたら本当にツチノコの死骸ではないだろうか……。再びそう思うと黙っていられなくなり、ムラムラと探究心が燃え上がってしまった。ひとたび火が点くと止まらない性格だ。早速、その「冬山馬日記」と題されたブログの最新ページに以下の文面を書き込んだ。

投稿者:JIN 2007/10/13 12:18
初めまして。唐突に失礼とは存じますが、過去のブログ(2007.4)に載ったツチノコらしき写真はその後どのような結果となったのでしょうか? 私は34年以上、ツチノコに魅了され続けている者です。詳細を知りたいと思い書き込みました。宜しくお願い致します。
▲すると、ブログ主のマスター氏から、10分ほどで解答が書き込まれていた。

投稿者:マスター
2007/10/13 12:30
JINさま! ようこそいらっしゃいました! ツチノコ発見!とメンバーからの写メールを投稿し、翌日、デジカメ持参でブツも預かって来る手筈でしたが、牛舎の棚に置いてた筈のブツが袋毎無くなっていました! 前日、風が強かったので吹き飛ばされたか、カラスに持っていかれたかのどちらかです! 海外物の干し草の中にあったのですが、その後は出て来ません!残念な事をしました。
また発見したら投稿致します! お役に立てませんで、申し訳ありませんm(__)m

▲そして数分後、下に掲げたEメールが私のPCに届いたのである。

【四月の記事の件でコメント頂きました、冬山馬日記のマスターこと佐々木と申します。発見場所は、山形県最上郡大蔵村の湯の台牧場というところです。過去三年ほど、牛も飼っていませんでしたが、昨年の11月から、大阪本社の田村畜産という会社が村から借り入れ、400頭弱の牛を飼育しております。そこの従業員で、私が会長を務めるスノーモービルクラブのメンバーが仕事中に発見して写メールをくれました! 牧草の買い入れ先は、隣町(私の住む新庄市)の明治飼料なんですが、輸入先を問い合わせたところ、教えてもらえませんでした! ぶしつけですが、写真を添付致しましたので、ブログにもコメントしましたが、ご紹介いただけると幸いです。】

▲ 下は私の返信メールです。

佐々木 様
迅速に返事を頂き恐縮です。写真を一見したところ、その姿形はまさにツチノコそのものです。背中の模様はアオジタトカゲに似ておりますが、頭の大きさは違うようです。ツチノコも腹部はトカゲのように腹板(蛇腹状)でないものと、蛇のような腹板を有したモノがいるようです。いずれにしても、この死骸の行方が気にかかります。もし宜しければ、私のブログや知人のサイトでも疑問提起してみたいと思います。
因みに「ツチノコで頭がいっぱい」というタイトルが、私のブログです……云々云々(以下省略)

 このようなやり取りが一時間の間に行われた。そして興奮が治まりかけた頃になって、私は「アオジタトカゲ」とこの死骸が極似していると思い始めたのである。。そこで、私は疑問を晴らすべくその類似性について調べ始めた。

① 背面の縞模様及び体色の共通性について。
② 腹部、尾部等、体型の差異について。
③ 四足の痕跡について。

この3点を軸に調べてみると、①と②はほぼ共通している事が分かった。だが、最も重要な③に関しては、アオジタトカゲの可能性を否定する結果となった。つまり、この死骸には四足の痕跡が全く見受けられなかったからである。

 では、いったい何という生き物の死骸なのか?

 更に資料を検分すると同時に写真を撮った本人の話も踏まえた上で、改めてこのブログ上で結論を出したいと思います。という事で、次回をお楽しみに!
■冬山馬日記■・・・http://star.ap.teacup.com/wintersamba/ (4月4日のページ)

※ 御意見・御感想・目撃情報等は zero1995zero@ybb.ne.jp へお願い致します。
 いつものように、Yahooフォトに写真を載せていますのでご参照下さい。

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東京のツチノコ PART Ⅳ(後編) 

2007-10-12 23:56:26 | Weblog
東京のツチノコ PART Ⅳ(後編)  さあ、捕獲のチャンスですよ!

 前回の解説で航空写真①~⑥の目撃現場を説明したが、③だけが取り残されてしまいました。ただし、これは意図的に③を残したのであり、説明し忘れた訳ではありません。
兎にも角にも、東京のツチノコは今日で卒業です。私としてはツチノコという幻の怪蛇が、東京にも存在していると分かって頂ければそれで充分なのであります。勿論、ツチノコの存在自体を頭から信じていない方にとっては「アホ!」の一語で片付いてしまいますが……。それであっても、私はツチノコが東京にも生息している、何も深山幽谷まで出向く必要はないんだ、そう公言して憚りません。

■■■ その後の新藤さん ■■■

 多摩川と浅川の合流点付近で2000年5月にツチノコを目撃した新藤十次さんは、その後、我々の「未確認生物研究会」会員となり、地道に探索を繰り返しておられるのだが、最初の目撃から凡そ3年経った平成15年4月下旬、またしてもツチノコとの遭遇を果たしたのである。場所は、初回の目撃現場から直線距離で100メートルほど離れた所だった。
 
■ 新藤さん第二の目撃(2003/4 写真③の地点)
この日はポカポカした陽気で、いかにも爬虫類が日向ぼっこをしそうな天気であった。多摩川の土手脇に車を止めた新藤さんはトランクからヘビ捕り用の捕獲棒を取り出すと、ゴムの長靴に履き替えヘビが日光浴をしそうな場所を求めて探索を開始した。たまに吹いてくる風はまだ肌寒さを感じたので、木陰は避けて草むらや道端の陽だまりにポイントを絞ったという訳である。
 1時間ほど集中して探索したが、この日はヘビやトカゲも見当たらない。仕方なく移動をする事にした新藤さんだったが、根川という用水路の橋の上にさしかかった時、用水路に張られたフェンスの下に不自然な枯れ木のような物を見つけて立ち止まった。その枯れ木との距離は4mほどだが、目を凝らして良く見ると、何とそれはツチノコであった。しかも、3年前にすぐ近くで目撃したものと全く同じ形をしている。
 ツチノコだと分かった瞬間、総ての音が遮断され心臓の鼓動だけが耳の奥に響き渡った。気づかれてはまずい、緊張の張り詰める中で新藤さんはそう考えた。しかし、ツチノコは昼寝でもしているのか、体を棒のように伸ばしたまま動く気配がない。ましてや運の良い事に、そのツチノコは新藤さんに対して頭を逆向きにしているのだ。まさに千載一遇のチャンスが到来したのである。
 全神経を足元に集中した新藤さんは、ツチノコの背後1mに接近した。だが、ツチノコはピクリとも動かない。フェンスは護岸用のコンクリートの上に垂直に立てられていて、これが障害となりそうだ。乗り越えるには高すぎるし、気づかれる可能性が大きい。しかも網状になったフェンスの穴には手が入らない。
 だが、コンクリートとフェンスの間には10cmほどの隙間がある。この10cmの隙間に運をかける事にした新藤さんは、慎重に捕獲棒の先をフェンスとコンクリートの間に差し込んだ。狙いはツチノコの首根っ子である。捕獲棒の先端が震えながらも徐々にツチノコに近づいて行く。まるでナメクジが地を這うようなゆっくりした動きだ。やがて、棒先があと少しで目標を捕らえようとした時だ。
 新藤さんの腕がフェンスの金具に触れ鈍い音をたててしまったのだ。瞬間、ツチノコは猛烈に体を波打たせ、凄い速さでフェンスを潜り抜けると、草むらの繁みに逃げ込んでしまったのだ。慌てて後を追った新藤さんが、辺りの草木を押し倒して探し回った事は想像に難くない。だが、結果は徒労に終ったのである。

 上記の体験談は、未確認生物研究会の会員の間では有名な話である。そして新藤さんは多摩川河川敷で二度もツチノコを目撃し、二度とも「隙間」に邪魔されて地団駄を踏む結果になったのである。こういう体験は本人にとって甚だ不名誉ではあろうが、そんな失敗だけが新藤さんに付き纏っている訳ではないのだ。
 あの広大な河川敷で、ツチノコのものと思える巣穴を最初に発見したのは新藤さんである。その貢献によって我々は円滑な探索を進める事が出来る訳で、多摩川河川敷のツチノコを語るに於いて、新藤さんの経験は大きなウエイトを占めているのである。

◆東京のツチノコ/総括◆

 既にかなりの文字数を使い「東京のツチノコ」の目撃談等を記してきたが、先般のブログでも述べたように、東京都23区内でツチノコを目撃したという情報は私の一件のみで、それ以外の目撃は総て都下の南多摩を中心とした地域に於いてである。
 ツチノコの情報を盛んに収集していた時期、私は八王子市内に住んでいた。この事は既に触れているが、南多摩地区での目撃談を多く収集できたのは、やはり地元の利というものではないだろうか。だとすると、西多摩郡や北多摩郡も深く調査すればそれなりの成果があるのかも知れない。だが、多摩丘陵地帯に目撃例が多いのは、「この地域にツチノコが生存するに於ける必要不可欠な要素が含まれている」、そう考えられなくもないのである。つまり、ツチノコが生きていくために必要な自然環境が、この南多摩地区には多く残されている、という事ではないだろうか。
 更に穿った考えをするなら、西多摩郡のように山深い地域ではツチノコと人間の出遭いが滅多に起こらない、と考える事も出来なくない。言うなれば、地元の人にしか知られず、公の存在にならないということだ。
 ツチノコマニアの方の多くに有りがちな事だが、好んで山深い場所を探索しているようである。たまたま山仕事の老人が目撃したとか、ワラビ採りの主婦が出遭ったとか、渓流釣りの釣り人が遭遇したとか、その手の情報を入手したばかりに深山幽谷へ足を踏み入れる結果になるのだろうが、山であれ丘であれ、平野であれ河川敷であれ、誰かがツチノコと遭遇したというのであれば、その付近には種を維持するためにそれなりの数のツチノコが棲息しているはずである。と言うことは、探索に骨の折れる深山幽谷より、探索しやすい人里近くを繰り返し調査する方が効果的ではないかと思うのだ。
 この「効果面」を考えた時、多摩川の河川敷などは打ってつけのポイントである。また、町田市の小山田地区なども捨て難い魅力を持っている。
 
 ツチノコと言えども「水」がなくては生きてゆけない。これは生物の宿命である。当然、ツチノコ探しに於ける最大のキーワードと言うかポイントは、近くに「水場」があるか否かだ。これが最も肝心な探索の要となるのだ。「ツチノコ探しは水場から」である。

 次が、棲家を作れるような山裾の「斜面」もしくは丘の斜面の有無である。勿論、河川の氾濫を防止する為の人工的な土手でも良い。ツチノコや他の小動物が穴を掘る事が出来るような斜面であれば、棲息の可能性は充分に考えられるからだ。また、民家の庭先の石垣などもポイントとして上げられる。例外として考えられるのは、倒木の洞や人家の縁の下などである。

「水」の次は「光」だ。ツチノコは夜行性の土中生物である。この事は多くのツチノコ研究者が口を揃えて言うから定説となっているが、付け加えるなら、日の出ている間は巣穴となっている迷路のようなトンネル内で時間を過ごし、日没と共に穴から出てきて活動をはじめる、という習性を意味しているのだ。
 この巣穴に欠かせない条件がある。それは日当りの良い場所だ。斜面で言うなら「南向き」または「東向き」を好み、決して日の当らない場所に生活根拠地を設けないのがツチノコの特性なのだ。

 「水」「斜面」「光」…この三大要素が有れば、その付近には餌となる小動物なども多くなる。だから遠出をせずに捕食活動に従事できるということだ。

 何故ツチノコが夜行動物だと分かるのか? これは単純な疑問である。答えとしては「目」の大きさから推察できるというしかない。言うなればツチノコは「フクロウ」のように大きな目をしているからだ。もし完全なる土中生物なら「モグラ」のように目が退化して小さくなるはずだ。
 目撃者の何割かの人が、ツチノコの目には瞼が有ったと証言しているが、それとて「フクロウ」の瞬きと同じである。日差の強い日中に穴から出てきた瞬間、瞼が無いと瞳孔はどうなるか? 当然ツチノコは瞼を半分閉じて光の入射を半減させる。そして徐々にアイリス調整を行って適応させるのだ。そんな状況のツチノコと出遭った人は、その目つきの悪さに震え上がる事だろう。

 話が脱線転覆したようです。ツチノコの習性などについては後日お話する事にしますので、まずは道筋を修正して本題を進めたく思います。

■■ 総 括 ■■
 結論から言いますと、東京で目撃されるツチノコは2種類です。目撃数の少ない「真正ツチノコ」と、ややスリムな体型の「南多摩タイプ」です。この2種を「未確認生物研究会」では、前者が「Bタイプ」後者を「Cタイプ」と呼んで区別しています。BとCは共に棲む場所によって体色が著しく変わります。ですから、体色の違いは当たり前と考え、ツチノコの個体識別はその体型で判別することになります。
 では「Aタイプ」とはどのような体型なのか……。体型的には太目だがやや長く、目撃例はあまり多くありません。代表的なのは岡山県の吉井町(現・赤磐市)でツチノコ騒動の元を作ったタイプです。
 BやCほど奇抜な行動パターンはありませんが、このAタイプも未知なるヘビです。物に例えるなら「栃麺棒」とか「擂り粉木」というところでしょうか。
 
 このAタイプがマスコミを賑わしたが為に、最近は単なる奇形蛇までがツチノコとして騒がれるようになってしまいました。しかもこれ等は頭を抱えたくなるように品揃えが豊富です。ですから「モドキ」と考えてください。ツチノコモドキです。
 例えば、ツチノコの象徴的なあのネズミのようなヒョロッとした尻尾を手玉に挙げ、何処から見てもただのアオダイショウなのに、尻尾が急に細くなっているからツチノコだと大騒ぎしたり、体にコブがあってゴツゴツして太いからツチノコに違いないだとか、この手のツチノコ論は数え上げたら枚挙に暇がありません。

 本来、ツチノコという名の由来は、農機具の「槌ノ子」です。藁を打つ時に用いる太い円筒形の木です。これは太くて短い農具です。まさに「ツチノコ」を目撃した人が「槌ノ子」に似ていた、と言い得て妙なる物体なんです。それにも拘らず、細長い既存のヘビを捕まえ、その一部分がツチノコと似ているから「これもツチノコだ」と言うのは言語道断です。
 その程度の異形のヘビなら、何年もツチノコ探しをしていれば必ず出くわします。そんな中には、シッポの部分が切れていて、細長い筒のようになったジムグリもおりました。しかし、既存のヘビと分かっていればそれで一件落着です。兎に角、ツチノコは太くて短いヘビの俗称です。未知の蛇や奇形蛇を意味する言葉ではありません。
 
 いけません、また横道に逸れましたので軌道を修正します。

■多摩川河川敷に2種混在■
 航空写真①、②、③で目撃された怪蛇は、ほぼ「真正ツチノコ」と言えるでしょう。④、⑤、⑥で目撃されたものはCタイプのツチノコと考えて間違いないはずである。浅川を渡ると多摩川と浅川に挟まれた中州状の河川敷で、おそらくBタイプの真正ツチノコは、この河川敷の②と③の中間点にある小高い丘の斜面に棲家を構えているでしょう。根拠としては、先述の新藤十次氏が、この斜面でツチノコの巣穴と思える大きな穴を発見したからであり、ここがツチノコにとって生活環境を満たすに足る場所だからである。当然ながら、この巣穴は徹底調査を行い、しかるべき確証は既に得ているのである。
 
 この②と③で目撃されたツチノコはBタイプの「真正型」だと先に述べたが、昭和四十年代にK氏によって目撃されたツチノコも「真正型」である。しかも川を泳ぎ渡って這って行った先が②の方向だったことからも、前記した斜面には古くから棲みついているように考えられるのだ。早い話が、この狭い一角に取り残されてしまった、という考えである。多分、かなり昔に上流から流されてきたか、延々と河川敷を下ってきたか、或いは浅川を渡った数百メートル先の丘陵地帯から生活の場を移したか、大方そのどれかが該当すると思います。
 
 そこで提案ですが、真正タイプのツチノコを捕獲するなら②と③の中間に位置する斜面一帯、Cタイプの捕獲を試みるなら浅川縁の⑥というのはどうだろう? どちらの可能性が高いかと問われれば、五十歩百歩であり、どちらも軽装備で探索可能である。
 暇が有って毎日のように調査を重ねれば、必ず何某かの結果が得られるであろう事は間違いないと断言します。私も五十歳を越え、連日の探索は少々しんどくなってきていますが、あと2,3年は頑張りたいと思っておりますので、ライバルの出現は大きな励みにもなります。どなたか是非、この河川敷の探索に心血を注がれませんか? そのような方と現地でお会い出来たなら、ブログには書けない極秘情報もご提供致します。
 尚、④と⑤で目撃されたCタイプのツチノコは、その生息域が河川敷を流れる根川の最下流を中心に活動している事が分かる。しかしながら、この根川の川縁は雑草が多く、探索には不向きなのである。このCタイプは、Bタイプと比べてスリムな特徴を生かし、ちょっとした小穴でも棲家にする可能性を秘めている。そうなると、根川の川縁は右岸も左岸も石を積んで護岸されているため、大小様々な隙間が開いており、そこを入念に調査するのは至難の業と言えるのだ。
 はっきり言って、私はこの人工的に出来た石積みの穴がCタイプたちの棲家だと確信している。だが、足場も悪く草木の丈も高いし手が出せない状態である。それ故⑥の浅川縁なら可能性は高まると判断したからだ。
 ⑥の浅川縁のCタイプだが、目撃例は殆ど無いに等しい。近くの住民に聞いて回っても、それらしい蛇のことを誰も知らない。しかし私は、昨年10月の目撃から推して、河川敷から浅川を渡ったCタイプが戻るに戻れなくなって棲みついていると考えたのだ。実地調査を幾度も繰り返した結論からも、Cタイプの棲息はかなり濃厚である。
 いずれにしても、多摩川と浅川の合流点の中洲に閉じ込められたツチノコが、対岸に渡っても何等の不思議もないのだ。現地に行ってみればお分り頂けると思うが、⑥は本当に狭い範囲の雑木林である。ここ以外には、対岸から渡った来た生き物の生息場は有り得ないのだ。

 長々と綴った「東京のツチノコ」でしたが、そろそろ終りのようです。ブログには書いていませんが、東京に於けるツチノコの未確認情報はまだまだあります。それらの情報の詳細を洗い出し、調査、探索に赴くには数年の時間を要するでしょう。まずは確実な情報をと思い、多摩川河川敷に絞り込んだ次第です。ご納得のいただけない方は、下記のメール宛にお願い致します。

 次回は日本で最多のツチノコ目撃数を誇る「東白川村」をテーマに取上げたいと思います。また、お目を通して頂ければ光栄です。

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