ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

--- 不気味な体験 ――

2007-11-17 12:45:16 | Weblog
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 「ツチノコってどんな顔?」と訊かれたら、物凄く怖い顔をしているとしか答えようがない。真正のツチノコを目撃した人はそう答えるはずだ。では一歩踏み込まれて「何処がどう怖いのか」と問われると些か答えに窮してしまう。怖いから怖いのだが、やはり間近で見た印象では目と口元に凄味を感じると返答するだろう。中には、可愛らしかったとか、カエルに似ていたと言う人もいるけれど、それらは真正のツチノコではなく、他のタイプを見ての感想だと断言できる。兎に角、マムシの頭に鷲か鷹の目玉を付け、それを足して2で割って足で踏んづけたような、何とも醜悪で獰猛な顔をしているのだ。そんな強面のツチノコに上目遣いで睨まれたとしたら、正常な神経の持ち主なら思わずフリーズしてしまうことだろう。下手をすれば心臓発作も有り得るのではないだろうか。もう一度あの顔を間近で拝ませてもらいたいものだ。


★飲み過ぎたのに…★
 
 昨日が舞台の本番初日でした。満席の中、小さな失敗もなく何とか終えた。出演者の島隆一君から浅草の神谷バー特製「電氣ブラン」を貰った。40°の強さで薬のような臭いのする酒だ。一度飲んでみたかったので、初日終了を祝ってガブ呑みした。一夜明けた今、何故か壮快な気分がする。酒を飲みすぎて壮快感を味わったのは初めてである。そんな訳で、昨日の続きが書けそうだ。


▲▼ 不気味な体験/続き ▼▲

■ 夜道を照らす怪光 ■

『私は手にした懐中電灯を気忙しく上下させながら歩いていた。すると突然、何の前触れも無く懐中電灯の明かりが消えたのである。叩いても振っても、ウンともスンともだった。生れて初めて経験する漆黒の闇だ。舞台上の暗転中より真っ暗だった。』(昨日はここまででした) 

<続き> このまま立ち往生していては埒が明かない。私は手探りで歩き始めた。極端に狭まった道は、幅が60cmほどだ。この細道をナメクジのような歩度で進んだのである。
遠くで祭囃子のような太鼓の音が聞こえてくる。どうやら盆踊りが始まったようだ。それなのに自分は山の中でもがき苦しんでいる。「車で行けば良かった」と後悔の念を抱いた時、信じられない事が起きた。急に周囲が明るくなったのだ。
 淡い街灯の明りに似た光が、私の行く手を照らし出している。この奇々怪々の現象に直面して私は戦慄を覚えたのだった。というのは、この光の先に死者の世界への入り口が待ち受けていると思ったからだ。私は恐る恐る後ろを振り返ってみた。そこには漆黒の闇が広がっているだけである。そして視線を前方に戻そうとして、自分のすぐ右横が崖になっている事を知った。足を滑らせたらそれまでだ。同時に私は、この淡い光に助けられたことも知ったのだった。ところが、私の記憶はここを境にして消滅しているのだ。次に目にした光景は、盆踊りの会場で地元の人たちが楽しそうに集っている風景なのだ。
 私は盆踊りの行われていた広場まで、どうやって山の中を下ってきたのか全然記憶にない。不思議といえば余りにも不思議な話である。この説明不可能な体験を他人に語った事は無い。語ったところで信じてもらえないと思ったからだ。だから一人であれこれ推測をするに留めておいたのだが、最近になって親しい人たちにポツポツと語るようになった。その結果、UFOに拉致されてインプラントを施されたのではないかという、なるほどと思える考えを聞くに至ったのである。
 私が「なるほど」と思ったのには以下の理由がある。それは、俗に言う「空白の時間」がUFO拉致事件と酷似しているだけではなく、懐中電灯が使用不能になったのもUFO接近時によく起こる電気系のトラブルと同じで、しかも、この体験の後に空中を飛んでいる夢を何度も見ているからに他ならない。

 この体験の謎解きは神のみぞ知るであって、人知を越えた遠大な力が働いたものだと結論づけたい。いずれにせよ、私は長野の山の中で不思議な体験をした事は事実なのだ。


■■ 監視 ■■

 東京都八王子市と日野市の境に平山城址公園という、源氏の侍大将の平山季重の居館を公園化した場所がある。この公園は小高い山の頂にあって、春は桜を、そして秋には紅葉を楽しみながら散策するような自然に満ちた公園である。この公園から南に下ると東京薬科大学の敷地が続いている。今から30年ほど前は、その敷地内の各所に「マムシ多し危険」と書かれた立て札が乱立していた。確かによくマムシを見かけたが、咬症被害が出てからはマムシ駆除が施され、その姿は極端に減ってしまったようだ。
 この平山城址公園から八王子市長沼町の一帯にかけて、ツチノコ出没の噂が飛び交ったのは昭和49年頃からで、当時、その長沼町に住んでいた私としては、欣喜雀躍して探索に精を出したものだった。記憶が曖昧なのだが、私は昭和50年の5月下旬頃に薬科大学近くの使用されていない棚田の付近を、ツチノコ探索ポイントとして毎日のようにうろついていた。そこで不気味な体験をしたのである。
 その日も午前10時頃、私は爬虫類の甲羅干しタイムに合わせ、薬科大学近くの棚田に向った。たった3面だけのあまり段差の無い小さな棚田は、伸びた芝のようなライトグリーンの草に覆われ、カエルたちのパラダイスであった。この10センチほどに伸びた草は、まるで芝刈り機で切り揃えたように同じ高さで生え揃っていた。だからという訳ではないが、私はその草を踏まないように歩く事にしていた。勿論、棚田の中の畦道も足を踏み込む事はしなかったのである。
 この棚田をU字型に小さな山が取り囲んでいて、山の斜面に幾つか不可解な穴が空いていた。これをツチノコの巣穴と決め込んで探索を繰り返していたのだが、その日はポカポカ天気も手伝って、私は畦道の草の上で転寝をもよおしてしまった。小一時間ぐらい寝たであろうか。目覚めた私が再び巣穴を見回ろうと立ち上がった時、ただならぬ気配に全身が硬直した。
 気配はすれども影は無し、といった状況だ。ただただ異様な気配を感じるのだ。何かに見られているらしい。それも敵意を持った何かだ。太陽は既に南天に近づいている。眩しいほどの日差の中で見えない何かに監視されているようだ。
 私はゆっくりと周囲を見回した。しかし、目に映るのは普段目にしている景色と変わらない。聞こえてくる音からも何の緊迫感も伝わってはこなかった。今のは気の所為だったのかと思い直した直後、私はとんでもないものを発見してしまい再び硬直してしまった。
 たった今まで寝ていたすぐ傍の草が、15cm程の幅で左右に延々と押し倒されているのだ。


 おっと、集合時間になってしまいました。続きはまた明日という事で!!