ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

東京のツチノコ PARTⅠ

2007-10-01 06:14:12 | Weblog
 東京と言えば、銀座、六本木、渋谷に新宿というように、ビルの建ち並ぶ繁華な街しかイメージできない人がいる。だからそんな人に東京都内でツチノコを目撃したなどと言うと、それだけで変人か大嘘つきだと思われてしまう。思うのは勝手だが、見たものは見たのだから仕方がない。と言っても、このブログの初日に記述したツチノコ目撃談の時期は昭和34年である。たまたま私が目撃したのは東京23区内の中野区鷺ノ宮、つまり都内であったが、すでに48年も昔の話であって、今では想像もつかない自然環境の中で目撃したという前提があるのだ。
 この頃の中野区鷺ノ宮という所は、新宿まで電車で十数分という都会でありながら田圃と畑のオンパレードで、夏になるとカブトムシやクワガタムシが獲れ、はたまた町中を流れる妙正寺川には川魚はおろかカメまでおりました。それに、ヘビやトカゲがいっぱいいたし、イタチなども出没していたのでした。しかしながら、過去34年間にわたる聞き込み調査や会員諸氏からの情報提供などの結果、都内23区でツチノコらしきものを目撃したのは私だけだったのです。これは意外でした。そのため錯覚だったのかと考え、私の見たものはツチノコではなく「幻影」「大きなトカゲ」「瀕死のイタチ」等と自問自答を繰り返す日々が続きました。しかし、どう考えを巡らせても「ツチノコ」だったという答しか導き出せませんでした。
 もしかしたら……これは仮説ですが――もの好きな何某かが何処かの山へ遊びに行き、ツチノコを捕らえたとする。家に持って帰り飼育しようと試みたが飼い切れず、近くの田圃に逃がした。それを私が目撃した――ありそうな筋書きではないだろうか? 
 いずれにしても都内23区内の目撃者は、今のところ私だけだ。では、都下に目を移すとどうか。いやはや驚くではありませんか、重複してはおりますが、三十件近い目撃例があるんです。それも多摩川に沿った地域と、多摩丘陵地帯で多数の目撃談があるんです。

 ついこの間まで東京都下は、北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡、などと郡で分けられていました。俗に言う三多摩です。一応は東京都に組み込まれているだけで、埼玉県北多摩郡、山梨県西多摩郡、神奈川県南多摩郡、といった方がイメージできそうです。
 この三多摩の中で最もド田舎は西多摩郡で、そのド田舎加減は相当なものです。この西多摩郡の中でも取り分け山深い奥多摩町や檜原村、それに隣接する八王子市やあきる野市の一部などは、とても東京都とは思えない様相を呈していることを皆さんもご存知のはずです。ところが、ツチノコの目撃談が多いのはこの西多摩郡ではなく、前述したように多摩川流域や多摩丘陵の大半を占める南多摩郡だったのです。

 私は12歳まで中野区鷺ノ宮で暮らし、13歳から15歳を東村山市(北多摩)、そして16歳から27歳まで八王子市(南多摩)に居住していた、という変遷がある。つまり、昭和28年生まれの私は、昭和41年から昭和55年まで、北多摩郡と南多摩郡を肌で感じながら生活していた事になる訳です。だからツチノコブームが巻き起こった時、もしかしたら地元にも目撃者がいるのではないか、そう考えて南多摩郡一帯の聞き込みを敢行したという経緯あります。しかもリアルタイムで「町田市小山田でツチノコ目撃」の記事が新聞に載ったのだから驚きました。当然、私の活動に拍車がかかった事は言うまでもありません。町田市も南多摩郡の一部であり、私のテリトリーだったからです。その結果、数多くの目撃談を収集する事ができました。が、私自身は南多摩地区でのツチノコ目撃を果たしておりません。口惜しい限りです。以来、南多摩地区を中心に、私はツチノコ探索を続けて今日に至っております。

 さて、東京のツチノコを語る上で避けて通れないのが「多摩丘陵地帯」だと先触れしておきましょう。どうして避けて通れないかと申しますと、目撃例の多さもさることながら、この丘陵地帯で目撃されるツチノコの個体に一定のバリエーションがあるからなんです。特にハッキリしている事は、ツチノコの体色とその体型、そしてその行動だと言えるでしょう。
■体色…黒もしくはこげ茶色をベースにして、ヤマカガシに似た赤まじりの模様。
■体型…頭部は無毒蛇型で大き目。体長は60cm~80cm、尾部へ近づくに従って先    細る。太さはビール瓶ほど。鱗は大きく粗い。腹板(蛇腹)が有る。
■動作…動きは敏捷。人を攻撃した話は無い。ジャンプしたという目撃も無い。鳴き声の    報告も皆無。少ないが、尺取運動で前進する姿を目撃されている。

 上記の体色と体型から想像すると、既知の蛇では「ヒメハブ」や「パフアダー」の頭を細めにして、体色を「ヤマカガシ」のそれに変えたような印象である。
 では、どのような目撃があったか、その代表例を幾つか挙げよう。

① 町田市小山田(昭和48年頃)
付近の農家の住民が、畑仕事に行く道々、草むらで日光浴をしているビール瓶ほどの太さをした、ヤマカガシのような体色の太くて短い蛇を目撃。この目撃は複数の人たちにより数日間続いた。(この目撃談は当時の新聞に詳しく載っていますので簡略です)

② 八王子近くの遺跡発掘現場(平成12年頃)
大学の授業の一環として遺跡の発掘に赴いた女性教授と大学生数名が、スコップで土を掘り返している時、冬眠中の太くて短い赤みがかった蛇が穴から姿を現した。女性教授は巨大なイモムシだと勘違いし、「早く始末して!」とヒステリックに叫んだため、傍にいた学生がシャベルでそのイモムシ状の生き物を持ち上げようとした。するとそいつはシャクトリムシのように這って近くの繁みに逃げこんだ。学生はツチノコではないかと進言したが、尺取虫のような行動を見た女性教授は、更に巨大イモムシ説を主張し、そのまま放置したという。体長は40cmほどだったらしい。(この情報は、未確認生物研究会の会員であるF氏から提供していただいた。F氏は現在、某大学の客員を務めている)

③ 多摩ニュータウン造成地/多摩市落合付近(昭和50年頃)
 トルエンの吸引目的で草むらに行った少年(当時18歳)とその友人が、Cの字になって日向ぼっこをしていた太くて短い蛇に遭遇。何処から見てもヤマカガシに似た模様の蛇で、何かを飲み込んで膨らんだ状態ではなかったそうだ。頭部は普通の蛇と同じだがやや大きく、目はカエルのようで尻尾の部分に頭を乗せていたという。これが噂のツチノコかも知れないと思い、少年は叩き殺そうと思って付近を物色し、手頃な枯れ木を見つけた。そして足音を忍ばせ近づくと、その枯れ木を振り下ろした。ところが興奮して目標を誤り、枯れ木の先端が地面を叩いてしまった。その瞬間、そのツチノコらしきものは身体の半身を垂直に立て、コブラのように口を開いて威嚇したという。怖くなって逃げ出したのは友人が先で、そのため自分も怖気づいて走り去ったそうだが、10メートルほど走って振り返ってみると、そいつは消え失せていたという。口を開けて威嚇された時の距離は1メートル足らずだったので口の中を見ることが出来たが、牙のようなものは無かったと断言した。(現場へ行ってみた感想だが、宅地造成に取り残された一角で、巣になるような斜面など無い平坦な草むらだった。ただ、そこから少し先に木立ちがあって、ここは起伏があった)

④ 八王子市/横浜線の線路上・相原駅付近(昭和48年7月)
 ツチノコブーム真っ盛りの時に得た情報で、目撃者はその三年後に映画の主役をたて続けに4本主演し、TVでは「新・刑事くん」という番組で主役を演じたM・H君だ。彼をスカウトして芸能界に導いたのは私だったので、しょっちゅう顔を合わせていた。そんなある日(昭和48年8月)、私は「こんなモノを見たことないか」と言って、ツチノコのイラストをM・H君に見せた。すると彼の目の色が変わり、「見たばかりです」と答えるではないか。私は驚きと共に事の一部始終を彼から聞いたのである。
 7月下旬、まだ高校3年だった彼は、通っていた神奈川県内のF高校の夏期講習を受けるため、早朝に八王子の自宅を出たそうだ。八王子駅から横浜線に乗り込んだ彼だったが、途中で下車してしまったという。サボリたくなったのである。下車駅から電車に乗らず、横浜線の線路上を徒歩で八王子に引き返したそうだ。歩き出して30分ほどすると、前方の線路上に得体の知れない奇妙な物体が転がっているのが目についた。近寄ってみると、頭の千切れた大きな鯉のように見えた。しかし、鱗は鯉のように大きく粗いのだが、身体全体がヤマカガシのような色合いで、更には腹板(蛇腹)もある。不思議な生き物の死骸だと思い、傍に落ちていた枯れ枝を使って念入りに眺め回したそうだ。夏場なので既にハエがたかっていたが、それほど腐敗している様子は無い。頭部を失った胴体の長さは概ね40cmほどで、全体の印象は尻尾のある鯉のようだったという。千切れた頭部は探しても見つからず、そのため正体が分からぬまま引き上げたということだ。
 後日、私は教えられた場所に行ってみたが、そこは山を削って線路を敷いた切通し状の所で、頭上は両脇から木々が覆い被さり不気味な雰囲気を漂わせていた。この地も、多摩丘陵の延長上の一角である。

⑤ 多摩市/是政橋上流/桜ヶ丘カントリークラブ付近(昭和50年~54年)
 昭和54年頃、私は鯉釣りに凝っていて暇さえ見つけては多摩川の是政橋近くへ行っていた。当時の機動力は小型バイク(DAXホンダ)である。毎日のように同じポイントで釣りをしていると名人のように思われ、見ず知らずの釣り人から声をかけられるのは日常茶飯の事で、その都度、鯉釣りの薀蓄を垂れ流し、お決まりの「ツチノコ知ってますか」という情報収集で終始した。中にはツチノコという言葉すら聞いた事の無い人もいるため、ポケットに仕舞い込んだツチノコのイラストを見せる。案外、これが効果大なのだ。お陰で幾つもの収穫があった。ただし、私の姿を見かけると「ツチノコはみつかりましたか?」と、逆に声をかけられるのが苦痛であった。
 そんな八月の上旬、驚天動地の情報が飛び込んできた。それは、自分が釣り座を構えているポイントのすぐ後方の藪で、わずか数日前に目撃したという人が現れた時だ。
 目撃者はかなり年配のYさんと言って、近くの稲城長沼に住んでいるという。魚釣りが好きだがお金が乏しいので、釣り糸や釣り針はそこらに捨ててあるものを拾い集め、餌はミミズと決めているという。
 その日も、ミミズを取るため目撃現場の藪に足を踏み入れ、堆積したゴミを払い除けてミミズ探しに夢中になっていた。するとすぐそばの草むらからパタパタと音がする。鳥の羽ばたきのようだ。そこで足音を潜めて草を掻き分けると、捨てられたゴミ袋の上に見たことも無い太短い奇妙な形の蛇がいて、それが短い尻尾でゴミ袋を叩いていた、というのである。パタパタと聞こえたのはその音だったのだ。
 濃いねずみ色に赤い斑点のある胴体は大人の腕ほどあって、長さは50cmから60cmほどだが、頭は草の中に隠れていて見えないから正確な長さはわからない。けれど、それほど長い蛇だとは思わなかったと言っていた。元来、爬虫類の苦手なYさんは、捕獲など考えずそっとその場を逃げ出したという。だから目撃現場には二度と近づきたくないし、行かない方がいいと真剣な顔で訴えるのである。
 私が「ヘビが何か呑みこんだんですよ」というと、Yさんは怒ったように「全部太かったから違う」と断言した。またしてもヤマカガシ模様のツチノコである。
 翌日から私は目的を変えて是政橋付近へ行った。ところがである。目撃現場へ行ってみるとその草深さに梃子摺らされた。河川敷の一角だからとにかく植物が多くジャングルだ。しかも長年堆積したゴミが探索意欲を低下させる。更には日差しが強いと炎天下に身を曝したままになる。それでも、その年の夏場はかなり足しげくそこへ通ったものだ。結局、目的は果たせなかったが、更なる情報を得た事が大きな収穫だった。その新たな情報提供者も釣りに訪れた青年であった。
 
 そろそろ是政橋の探索に嫌気がさし始めた昭和54年8月の末の蒸し暑い日だった。余りの暑さに是政の鉄橋下に避難して煙草でも吸おうとしていたら、たまたまライターのガス欠で難渋してしまった。その時、釣竿を持って通りかかった青年が火を貸してくれたのだ。当時、私は26歳、その青年は23歳だという。私は先輩風を吹かし釣りのポイントを教授し始めていた。話は弾み、やがて釣り談議からツチノコ談議へと話題が移行すると、暫く黙って聞いていた青年はツチノコのあらましを理解したらしく、「実はツチノコらしいヘビを見た事がある」と言い出した。4年ほど前の話だというから昭和50年頃の出来事である。
 青年は対岸の府中市に住んでいて、休日の度に聖蹟桜ヶ丘に近い程久保川へ行き鮒釣を楽しんでいた。そのツチノコらしきヘビを目撃した日も、バイクで程久保川へ向う途中だったそうだ。目的地近くの川崎街道を走っていると、進行方向左手の道路脇にフェンスで囲まれたゴルフ場が見える。のんびり走っていたので、綺麗に刈られたゴルフ場の芝の上に落ちている太い棒が目に付いた。なんで棒が落ちているのかな、程度の気持ちで特に注視はしなかったそうだが、その棒が突然持ち上がったというのである。不思議に思った青年が、道の傍らにバイクを停めてフェンス越しに目を凝らすと、それは黄色い腹部をしたヘビが、コブラのように直立した姿であった。やがてそのヘビは身体を倒すと、蛇行などせず、一本の棒が紐か何かで引っ張られるように直進をはじめたというのだ。頭は自分の方を向いていて、最初は15m程だった距離がぐんぐん縮まり、顔や体の模様などがはっきり分かるようになった。見たことも聞いた事も無い太くて短いヘビだった。黒と赤が織り交ざったような汚らしい体色のそのヘビが、自分のほうへ向ってくるではないか。フェンスがあるので恐怖は感じ無いが、余りにも毒々しい色合いなので毒蛇だと判断し、更に注意深く見守っていると、そのヘビは方向を変え、少し離れた小さな繁みに姿をかくしてしまったそうだ。青年はそれが何であるか知る由も無いまま、その場を立去ったということだ。
 この青年とは暫く交流が続いたのだが、その後、仕事の関係で関西のほうへ越されてからは音信不通になってしまった。しかし、ツチノコにはとても関心を抱いたから、このブログを訪ねて来ないとも限らない。いや、そうなって欲しいものだ。

 本日はもう眠いのでここまで。次回は東京のツチノコPARTⅡですが、ツチノコ捕獲のチャンスが貴方にも到来するような耳より情報をお伝えします。
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