ツチノコで頭がいっぱい

幼児期に目撃したツチノコにより、その存在を確信。35年間ツチノコ捕獲に情熱を注ぎ、今までに4度の目撃体験あり!。

3度目の目撃

2007-10-22 03:57:47 | Weblog
 本日のお飾り画像は ↑ ツチノコが威嚇する際に行う「鎌首」を持ち上げた状態のイメージです。ですが、この画像に「舌」は敢えて描いておりません。何故かと言いますと、通常の蛇は舌の先が二股に分かれていますが、目撃者の体験を訊くと「二股であった」とする人と、「二股ではなく普通の動物と同じであった」とする二つの意見に分かれているからです。腹板に関しても目撃者によっては有無が有るようです。
 この舌や腹板の疑問以外にも「角の有無」「鱗の大小」「尻尾の形状」「目玉の大小」「毒牙の有無」といった、共通性に欠ける様々な目撃証言が存在します。ですから、ツチノコの全体像を描こうとしても、確定的なものは不可能という訳です。これらの問題点を明確にしない限り、真のツチノコ像など描けるはずがありません。ですから、ツチノコのイラストやフィギュア等も、総て大まかなイメージということになります。


 ◆◆ 資料が消えました… ◆◆

 例の「死骸写真」の鑑定を依頼したアカデミックな3団体からは、まだ音沙汰が無い。いつになるのだろう。永久に待たされるのか? そんな事を考えながら「さあ、今日は東白川村について書くぞ!」と気負って参考資料を漁っていて、肝心な写真の数々が紛失していることを発見! 心当たりを隈なく探してはみたものの、部屋中にゴミをぶちまけただけだった。あるべき物が消える…これもツチノコに纏わる怪奇現象の一部なのかも知れない。いや、きっとそうに違いない。
 この資料捜索作業に追われ、ブログの更新は滞るし、多摩川河川敷の探索へも行けなくなった。一応、ここニ、三日は晴天との予報が出ているので、多摩川への探索は良いとしても、ブログの更新に支障を来たすのはどうかと思う。
 結局、東白川村特集は後回しという事になってしまった。だからと言って、決して東白川村と縁が薄いわけではない。平成元年の5月、記念すべき東白川村の第一回「ツチノコフェスティバル」では、大きなヤマカガシを捕獲して優秀賞を頂いた実績も持っているし、我が未確認生物研究会と東白川村は、固い絆で結ばれているから決して縁がない訳ではないのだ。
 そんなこんなで本日の更新は急遽変更、代わって私の目撃談をお話する事にする。私は過去4度の目撃と謳っているが、実際は他にも不確実な目撃モドキが2件ある。この2件の目撃に関しては甚だ自信が持てないのである。何故なら目撃時間が瞬間的だったり、視力の低下によって焦点が霞んで見えた等の理由からだ。
 既に1度目と2度目は記しているので、寄り道をしながら3度目の目撃談から語る事にする。

▲▼ 未確認生物研究会との出会い ▼▲

 目撃談を語る前に、私と未確認生物研究会の出会いを説明しておこう。
 平成7年と言えば今から12年前になる。この年、現在主宰をしている劇団の旗揚げや戦争映画の製作で私は多忙を極めていた。やっと自由な時間が持てたのは11月に入ってからだった。そんな或る日のこと、ボケッとテレビを見ていると、ワイドショーでツチノコのニュースが流れていた。その中で、年配のツチノコ研究家が登場して解説を行っていたのだが、その的を得た適切な説明と学術的な解説に思わず引き込まれてしまった私は、何も考えずその番組を放送しているテレビ局に電話を入れた。無論、その年配の方の連絡先を知るためである。
 番組の担当者から教えられた電話番号の市外局番は045、つまり横浜である。何も躊躇う事無く番号をプッシュして待つこと数コール、たった今しがた聞いたツチノコ研究家の声が返って来た。私は初めての電話であることを告げ、名前を名乗った。すると驚いた事に、先方は私のことを知っていると言う。正に蛇の道はヘビとでもいうべきか、その甲斐あって話はトントン拍子に進み「未確認生物研究会に入会しないか」と持ちかけられたのである。私はツチノコに関して単独行動を旨としていだが、この瞬間から考えが変わった。つまり、任意の団体で活動するのも良さそうだと素直に思ったのだ。そして私は日を改め未確認生物研究会の代表である手嶋会長の事務所を訪れた。
 
 その事務所は横浜郊外の池部町という、かなり都会的でない町にあった。駅から歩くこと30分、地図を片手にやっとたどり着いたそこは、事務所とは名ばかりで、地元の酒好きが屯する居酒屋であった。店内に入って更に驚いたのは、会員と名乗る者たちの殆どが馬賊の末裔か山賊の子孫、はたまた刑期を終えたばかりの前科者のような風体だったからである。流石の私もこれには面食らってしまった。
 この荒くれ達を統率するのが手嶋会長である。居酒屋とコンビニ、それに印刷会社も経営しているという。それだけに恰幅も良く押しが利く。一応、未確認生物研究会という団体の代表という表向きだが、私の初対面の印象は何々組の組長といったイメージであった。その会長から「副会長にならんか?」と、いきなり予想外の言葉を投げかけられたのだ。瞬間、居並ぶ古参会員たちの目が一斉に私に向けられた。彼等の目は、新参者の私に対する嫉妬の眼差しではなく、歓迎の眼差しだった。
 断れば拉致されそうな雰囲気である。そこで私は、年が明けてからという条件を提示して、何とかその場を切り抜けたつもりだったが、結局のところ副会長に就任してしまったのである。そして翌平成8年の春から本格的な探索活動に参加した。この年の課題は茨城県取手市の利根川河川敷の徹底探索であった。しかし、シーズン中に大きな成果を得られなかった為、翌年に持ち越す事に衆議一致。
 明けて平成9年春、前年に引き続き利根川河川敷に探索の手は向けられた。しかし、新たな作戦会議の結果、利根川から車で1時間圏内の土浦市田村町へも探索範囲を拡大すべきという意見が出され、ゴールデンウイークを利用しての大探索計画が実行される事になった。某大学の探検部なども参加しての大掛かりなものだった。その大作戦の最終日、私は3度目の目撃を果たす事になるのだ。

■■ 土手を駆け上がる黒い稲妻 ■■ 
 1日目と2日目は利根川河川敷の探索だった。初日に罠を仕掛け、翌日それを検分したが成果が無く、意気消沈だった。そして3日目は田村町のポイント探索だった。早朝から聞き込み調査を開始して、新たな情報入手を目論むという算段だ。聞き込み先は殆どが農家である。休日なので家で寛いでる方が多く、情報収集は捗った。だが、真新しい目撃や遭遇は幾つも無かった。

 午前10:00を期して探索を開始。爬虫類の甲羅干しタイムを狙い撃ちする作戦だった。この戦略は、最新目撃地点を包囲するように参加メンバーが円形に散開し、徐々に包囲網を狭めて行くというものだが、この日は8人程でポイントを取り囲んだ。個々の間隔は十数メートルほどだ。
 開始して間もなく、初参加の大学生が「出た!出た!」と大声を上げた。私は誰よりも早くその大学生の元に駆けつけた。顔面を蒼白にして震えている大学生が、必至で足元を指差している。見れば大人の腕の太さほどあるヘビを踏んでいる。思わずツチノコかと思いよくよく見ると、かなり長さの有るシマヘビであった。私はシマヘビの首根っ子を掴んでぶら下げてみた。このシマヘビは日光浴の途中だったらしく、抵抗する気配も無い。だらりと下がった体長は優に私の身長を越していた。そこで私は掴んでいる腕をいっぱいに伸ばしてみた。すると、2メートル近い大物である事が分かった。重さもそれなりである。居合わせた誰もが驚き感心するほどの大きさであった。私が得意満面の表情でこの大物をぶら下げた写真を撮ってもらったのだが、この写真も行方不明になっている。
 昼飯後、ポイントを移動して再び探索を開始した。2時間ほど集中したが何の成果も無い。参加者は連日の探索で疲れたのか、休憩する者が目立ち始めた。午後3時、会長の判断で幕が下ろされた。
 
 会長のワンボックスカーは参加者で満席だった。その後に私の車が続く形で帰路についたのだが、少し走った坂の途中で会長の車が急停車した。どうやら運転手の交代らしい。私はブレーキを踏んだままでタバコを燻らせていた。そのため運転席側の窓を全開に開け放っていた。左手になだらかな斜面、右手は土手になっていてその上に人家が建っている。のどかな風景だった。風も無く小鳥の囀りだけが聞こえてくる。
 その時だ、右手後方の土手からガサガサという落ち葉を踏み鳴らすような音が聞こえてきた。反射的に音のする方に振り向くと、真っ黒い黒光りした猫ぐらいの大きさのものが、土手を駆け上がってゆく。
 「黒猫?」「カラス?」「イタチ?」・・・その黒光りする物体は、急斜面をもの凄い勢いで駆け上がると人家の植え込みを飛び越えて消えてしまった。と言うか、私の位置から植え込みの中が見えなかったのだ。今のは何だったのか? その場で冷静に考えて気づいた事は、その物体の動きが高速の尺取運動で前進していた事と、形状がマイマイカブリの幼虫に似ていたことだった。つまり、全体にあまり丸みを帯びておらず、平べったく見えたのだ。残念ながら下草のため尻尾の有無は確認できなかった。
 目撃時間は4、5秒だったが、距離は5メートル以内と近かったので全体が良くわかった。目はとても大きく、何かに追われてでもいたのか必死な感じ受けた。黒光りした体は全体が大きな鱗で覆われていた。頭部もかなり平たい。約3メートルの斜面を上がるのに、7回ぐらいの尺取運動で終えた。最期にジャンプした時は、更に全体が平たくなったが、この時も尻尾は目えなかった。腹部は白色だった。しかし瞬間だった為、腹板の有無が観察できずに残念であった。
 我に返った私はこの一大事を会長に知らせようとしたが、既に会長を乗せた車は遠ざかっていた。

 その後、この斜面の上に建っている人家は我々のターゲットとなったが、巣穴らしきものを発見しただけでいつしか忘れ去られる存在となってしまった。ところが、それから数年後、私が目撃した地点から10メートルほど坂を下った地点で、探索の折にお世話になる吉田さんの娘さんが接近遭遇するという事件が起きたのである。この時、娘さんは大型犬を連れて散歩中だった所為か、跳んできたツチノコは鎌首を持ち上げて威嚇行動をとったそうだ。この体験談にはとても興味深い経緯があるので、後日お話する事にしたい。

 次回は「4度目の目撃」をお話します。

ツチノコに対する様々な御意見をお待ちしております。できればブログへのコメントでなく、下記のメルアドへお願い致します。

※ zero1995zero@ybb.ne.jp

※ 「目撃時のイメージ画像」は、いつものようにYAHOOフォトをご参照下さい。
http://photos.yahoo.co.jp/yrbyg995 


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